第二章 足のない小鳥
第二章 足のない小鳥(1)
1
鷲が砦の地下に監禁された日。ルツ、雉、オダ、鳩、そして鷹の五人も、二階の一室に閉じ込められた。
小さな窓があるものの、椅子も
部屋の一角で胡座を組み、瞑想していた《星の子》は、うすく瞼を開け、口元を綻ばせた。
「納得した? 雉」
「ああ。成す術がないとはこのことだ。扉の前には見張りがいるし、窓の下には兵士がうじゃうじゃいる。鷲の、莫迦野郎が」
雉の口調は、言葉ほどには厳しくなかった。
「今日という今日は、愛想が尽きたぞ、おれは」
「そう?」
透明な鈴の音のようなルツの声にも、微笑が含まれている。
「あなた、鷲の意見には賛成していたじゃない。女将軍に対して――特に、下品な暴言には」
「ま、それはさておき……」
雉は鷹をちらりと見て、咳払いした。他人の心を読むことの出来るルツにかかっては、かたなしらしい。(もっとも、鷹はそれほど意外には思わなかった。鷲と一緒にいる時の彼の毒舌は、よく知っていた。)
うみの底で輝く真珠のようなルツと、女性とみまごう繊細な外見の雉が並ぶと、壮観だ。思わず見蕩れている鷹の視線に気づく風もなく、雉は、柔和な頬をひきしめた。
「姫将軍があっさり気を変えたらかなわない。ルツ。鷲の阿呆を連れて、さっさと逃げた方が良くないか? おれ、マナのように跳べるかな?」
「隼さんを、残してですか?」
ルツよりも早く、オダが反応した。少年の晴れた空色の瞳を、雉は、劣らずに澄んだ若葉色の瞳でみかえした。
「迎えに行けばいいんだ、トグリーニのところへ。鷲の言うとおり、ここに居る義務はない。隼を救けて〈
オダと鳩は、とまどい気味に顔を見合わせた。
ルツは、切れ長の黒い眼をすこし細め、穏やかに
「初めてなのに見えない距離を跳ぶのは危険よ、雉。失敗すれば、生命はない……。私もあなたの考えに賛成だわ。でも、鷲の考えは違うわよ」
「何?」
「あなたがそう言うと見越していたのね。『帰りたかったら、帰れ。ただし、俺には構うな』 と言っていたわ」
「……あの野郎」
雉は、柔らかな銀髪を掻きむしった。鳩の眼がまるくなる。
「ふわふわふわふわ、捉えどころのない! そんなことを言われて、おれ達が、はいそうですかと帰れるか。しかも、どうせそいつを見越しているんだろう?」
ルツは、悪戯好きな息子をもつ母親のように肯いた。
雉は、肩を落として溜め息をついた。呆れ過ぎて、怒る気もうせたようだ。
「勝手にしろ、能天気野郎。隼は、どうなる。こんな所で時間を潰していられるのかよ……」
雉のぼやきに、オダは項垂れた。鳩がその肩に手を置いて、少年の顔を上げさせる。
雉は、やりきれない様子で首を振った。
「ルツ。あいつは何を考えている? 自分から監禁されて、どうするつもりなんだ」
「ごめんなさい。私にも判らないの」
《星の子》が哀しげに眼を伏せたので、雉は軽くうろたえた。
「
「そうか……」
舌打ちをする仕草さえ、雉は優雅だ。柔らかな唇を歪め、奥歯を噛み締める。
鷹は、しんみりしている二人の会話を、息を詰めて聴いていた。
他人の心を読むルツの能力を、畏れつつ、内心羨ましいと思っていた。彼の気持ちを知ることが出来るのなら――。
でも、鷲にとっては、そう単純なことではないらしい。
雉とルツは、暗くなっていく部屋の片隅で、ぼそぼそと話し続けた。
「すると鷲は、姫将軍の考えを読んだわけじゃないんだな。
「あなたのように、少しずつでも
雉は、自分の左手の親指の爪を、苛々と噛んだ。ルツは、首をかしげて訊ねた。
「『解る』? 逆に、あなたは何故、受け容れられるの? 能力を」
雉は爪を噛むのをやめ、ルツをみた。鳩とオダ、鷹が聴いている様子をちらりと眺め、苦笑した。
「……おれは、化け物だったから」
このなかで、雉の過去を直接しっているのは、鳩だけだ。少女の黒い瞳に頷いてみせ、雉は囁いた。
「化け物だと知っていて、鷲はおれを拾ってくれた。おれを人間にしてくれたのは、
これを聴くと、ルツは神妙に呟いた。
「四人の《古老》……。無意識に、能力を共鳴させて集まったのね、あなた達」
「こんなこと言ったらつけあがるから、絶対に言わないけれど――おれは、
肩をすくめる雉を観ながら、鷹は、鷲の記憶と言葉をおもいだしていた。――鷲の言う 『化け物』 とは、人に害を成す存在なのだろう。かつて、雉は
「おやおや、灯りも無しで。これは失礼をいたしました、《星の子》」
ガタガタと扉を開け、太い男の声と、やわらかい黄金色の光が入って来た。
二人の男が、大柄な体躯を屈めてやって来た。ルツはふわりと微笑んだ。
「ゾスタ、ギタ。ご苦労様」
「うわあ」
鳩が歓声をあげ、鷹と雉も、眼を瞠った。
夕方会った、リー姫将軍の側近らしき男性とセム・ギタが、ナンや果物をいれた籠を持ってきたのだ。
セム・ギタが部屋の中央に敷布をひろげ、壁の窪みに灯火を置き、部屋は急に明るくなった。もう一人の男が、料理を並べる。ナンに、肉包子、鶏肉の
一行は、敷布のうえに輪になって座った。
「あなた達、自己紹介が、まだだったわよね」
「存じ上げております、《星の子》」
ルツがしなやかな手を差し伸べると、くすんだ金赤毛にところどころ白髪の混じった男が、髭に埋もれた唇を動かした。
「キジ殿、タカ殿、オダ殿に、ハト殿で、いらっしゃいますね。私は、セム・ゾスタ。ギタの兄で、リー姫の参謀をつとめております」
深々と一礼するセム・ゾスタに、彼らも頭を下げて挨拶をした。
ルツは、懐かしげに眼を細めた。
「セム家の次男坊。五人兄弟のうち、下の二人は双子だったかしら。長男のデクマは、どうしているの?」
「兄は、弟達と一緒に、ラオスにおります」
ギタが、ゾスタの隣に胡座を組みながら答えた。こうして並ぶと、確かに似ている。二人とも、みごとな肩幅と胸の厚さを持ち、日焼けした肌には無数の細かい傷跡がある。雉より身長は低いはずだが、華奢な雉より大柄に見えた。
「従軍するには辛い年齢になりましたので、父と、ラオス(キイ帝国の街)で塔守りをしております。どうぞ、冷めないうちに召し上がって下さい。我々も、ここでいただいてよろしいでしょうか?」
一向に構わなかった。むしろ、ルツと世間話を始める二人を見ると、鷹は気持ちが落ち着いた。
しかし、鳩は困惑した表情で、ナンを口にするのを躊躇った。鷹がそれに気づくと、少女はギタに訊ねた。
「お兄ちゃんは?」
セム兄弟の、二対の灰色がかった水色の瞳が、そろって少女を見た。
「わしお兄ちゃんのごはんは? お兄ちゃんは、どうしてるの?」
「ご心配には及びません」
セム・ギタは、少女を安心させるように微笑んだ。
「先ほど、鷲殿へ食事を届けてきました。牢からお出しするわけには参りませんが、相変わらずのご様子でした」
「そう。良かった!」
鳩だけでなく、鷹たちもほっとして、食事を開始した。眼を細め、セム・ゾスタが言う。
「姫を相手に、あれだけのことを言ってのけた男は初めてですよ。恐れを知らぬと言うのでしょうか。先ほども、地下牢で、悠然と食事をなさっていました」
安堵すると、鷹はあの食欲を思い出して、少し
「あいつは単に、下品なんだよ」
雉の声は苦かった。首を振り、柔らかな銀髪を揺らした。
「悠然としているんじゃない。神経が丸太並みに太くて鈍いんだ。お陰でこっちは禿げそうだ」
「いえ。我等の父の、若い頃を見るようでした」
セム・ゾスタは、いかつい顔に、ほのぼのとした笑みを浮かべた。そんな兄を、ギタはやや当惑気味に眺めている。
ギタの顔には、張り詰めた弦のような緊張があった。ゾスタは、顔や首筋にある細かな傷にさえ気づかなければ、人の良い農夫のようだ。
「先先代のリー・タイク将軍に対し、父は不遜な物言いをしておりました。それで将軍にとりたてて頂いたのです。リー家頭首は代々、自信過剰気味な男に弱いようです」
「……どういう意味だ」
雉が眼を
「姫も、ワシ殿を気に入られたということです。私には、そう見受けられました。今は閉じ込めておけと仰せですが、間もなく解放されるでしょう」
鷹は雉を見遣り、雉も、彼女を顧みた。奇妙だとしか思えない。
ゾスタは、笑いながら続けた。
「ただ、ワシ殿は、口にした能力を示す必要があるでしょう。こうしている間にも、我等は大きな危険を冒しているのですよ、
「それが、目的か」
雉が呟く。どきりとして、鷹たちは食事の手を止めた。お茶を飲んでいるルツ以外の全員が、息を殺した。
暢気に笑っていたゾスタだが、小さな目は、射るように雉を見据えている。
「私には理解出来ないのですよ、主君を陥れた貴方がたを、何故ギタ達が庇うのか。負傷者を癒し、砦を守って下さったことは、感謝しておりますが――」
「
項垂れて聴いていたセム・ギタが、ゾスタの袖をひっぱった。
「何だ、ギタ」
「それはもう、話したろう。殿が亡くなられたことに、
弟を見遣るゾスタの眼差しは、悲しげだ。しかし、口調の方は、それまでとうって変わって厳格だった。
「姫よりも天人を信じるのか? リー家の頭脳と畏れられたお前が、そんな甘いことを言うのか。姫が到着し、お前の役目は終わっている。敗戦の責が己にあると思うなら、何故、未だに生き続けているのだ」
「俺に、恩知らずになれと言うのか」
ギタの太い声がふるえ、身を斬られそうな嘆きに濁った。
「
ゾスタは黙り込んだ。ギタは、唸るように続けた。
「今のリー家には、
「判った、ギタ。私が浅はかだったことは認めよう」
鷹が見詰めたので、セム・ギタは小声で 『お恥ずかしい……』 と呟いた。鷹は、胸の奥があたたかくなるのを感じた。
『あんたは、俺の身内だよ』 鷲の言葉を思い出す。ギタも、そう思ってくれているようだ。
ゾスタは、決まり悪そうに眉尻を下げた。
「先刻から、ずっとこの調子なのです。困ったことに、こいつは、兄弟の中では最も頑固でして……。しかし、本当に、我等の進退は窮まってしまいます。ワシ殿の 『切り札』 とやらを、教えては頂けないでしょうか」
雉は、肩をすくめた。
「おれ達にも、あいつの考えは判らないんだ。だから困っている。仲間がトグリーニに捕まっているのに、救けに行くことも出来ない」
「仲間……ハヤブサ殿、ですか」
雉の溜め息が、言葉より雄弁に気持ちを物語った。
ゾスタは、思案気に口髭をこすった。
「やはり、直接ワシ殿を説得するしかなさそうですね」
「無駄だと思いますよ」
食事を終えてお茶を飲んでいたルツが、ふいに口を開いた。相変わらす澄ました口調だったが、言葉は、雷鳴のようにセム兄弟を打った。
ギタは眼を細め、ゾスタは、ややわざとらしくうろたえた。
「我等の仕打ちを、恨んでおいでか」
「そういうわけでは――」
「鷲殿は、そのようなお人ではない」
ルツの言葉に、やけにはっきりとしたギタの声が重なった。
一同が驚いて彼を見詰め、ルツがくすりと哂ったので、ギタは頬を染めて俯いた。
「いえ……私には、鷲殿が、わざと姫を挑発していたように見受けられました。自分に姫の
「その通りです」
鷹たちは息を呑んだ。《星の子》は、艶やかな天女のように微笑んだ。
「あの場で話しても、私達は無事では済まなかったでしょう。彼女が、鷲の考えを受け容れたとも思えない。機会が来て、自分から耳を傾ける気持ちになるまで、待つつもりなのよ」
雉は、舌打ちした。口調は苦々しかったが、言葉は優しかった。
「勿体ぶりやがって。鷲の莫迦野郎が……」
『鷲さん』 鷹は、彼のおどけたような
ゾスタは、探るようにルツを見た。
「《星の子》は、御存知なのですか? 方法とやらを」
「さあ? 知っていても、言えないわね。鷲の命が懸かっている――私達の身を守るつとめが、私にはあるのだから」
悪戯っぽく微笑むルツを、ゾスタは、なさけ無さそうに見た。しかしその顔は、元の、人の良いものに変わっていた。問い詰めるつもりはないらしい。
それで、ルツ以外の一同は、止まっていた食事を再開した。ギタが味方になってくれるのは、心強かった。
《星の子》は、鳩とオダが仲良くナンをわけ合う光景を、微笑みながら見守った。その目がふと、隣の雉をみる。
雉は、己の心の裡をのぞき、ひとり考え込んでいた。
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