第四章 古老の凱旋(4)


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 スー砦(キイ帝国と草原の国境の要塞)へ向かうのに、何故正装するのだろう? とオダ少年はいぶかしんでいたが、その日のうちに理由は判明した。エルゾ山脈の東、国境にほど近い平原に天幕が張られ、トグリーニ部族の氏族長たちが、王の到着を待っていたのだ。

 トグルの指示を受け、先に来ていた氏族長会議クリルタイの面々だった。最高長老トクシンと、若長老ジョルメの姿もある。

 オルクト、シルカス・アラル、シャラ・ウグル、トグルの四氏族長に率いられた騎馬軍は、氏族ごとに割り当てられた場所に足を止めると、さっそく野営の準備を始めた。馬に水と飼葉を与え、ユルテ(移動式住居)や移動用の天幕を設営する。無駄のない手際を眺めていると、彼等が移動の民であることを強く感じさせられる。

 オダは、隼と雉とシジン=ティーマとともにオルクト氏族長の傍にいた。シルカス・アラル族長が、彼等をむかえに来た。


「我ラはこれより、くりるたいヲ行いマス。にーない国の公使殿、てぃーま殿も、ご参加ヲお願いしマス」


 少年は、シジン=ティーマと顔を見合わせた。


「いいのですか?」


 アラルは、艶やかな黒髪を揺らして一礼すると、たどたどしくも丁寧に答えた。


「てゅめんの意向デス。タァハル部族に対スル戦勝の報告を行イ、今後の我ラの方針ヲ、話し合ウのデス。にーない国、みなすてぃあ国の御方おんかたモ、聴いて行かレタ方が宜しいのデハ、ト」


 オダは再度シジンを顧みたが、元神官はむずかし気に眉間に皺を寄せていた。〈草原の民〉のいわば国事を議定する場に、他国民の参加を許すとは――。トグルの厚意だ、裏表なく友好を結ぼうとしてくれているように思われ、少年は胸の底が熱くなった。


「慎んで出席させて頂きます」


 オダが背筋を伸ばして答えると、アラルは涼し気な眼元に微笑をうかべ、静かに頷いた。オルクト氏族長がフフッと口髭を吹き、意味ありげにわらった。


たのしいものにはならぬぞ。儂がタァハル部族の捕虜を連れていくのだからな。既に降伏しているとは言え、話の成り行きによっては処刑に立ち会うことになる」


 シジンの表情は変わらなかったが、オダはみるみるうちに蒼ざめた。ニーナイ国がタァハル部族と手を結んでいたことを、思い出したのだ。

 オルクト氏族長は、少年の背をばんっと叩き、声をあげて笑った。


「安心しろ。常にテュメンの傍らにいて我らとともに戦って来た貴公を、連坐させる者はおらぬ。神官ティーマ殿もだ。タァハル部族とオン大公が結託していたことの、証人となっていただこう」


 シジン=ティーマは得心し、オダは安堵した。『ともに戦う』――少年自身にその意識はなかったが、彼等が評価してくれたのは嬉しかった。

 頃合いをみて、隼が促した。


「行こう。アラル、案内を頼む」


 彼等は馬を兵士達にあずけて歩きだした。オルクト氏族長は、捕虜を迎えに行く。雉は、覚悟を決めたらしいシジンの横顔を眺めていた。



 部族の政務用の天幕は、ユルテ(移動式住居)とは異なり、褐色の覆い布デーブルを四角く張った巨大なものだ。護衛の騎士と従者たちが集まって騒いでいるところに、鮮やかな赤い被布かずきをかぶった女性が、一輪の花のごとく佇んでいた。

 隼はぱっと顔をほころばせ、むくつけき男ばかりの軍で凛々しく咲く彼女に、小走りに近寄った。


「ミトラ! エイル、元気だったか?」

はいラー、ハヤブサさん、キジさん。オダさんも、お久しぶりです」


 赤ん坊エイルを抱いたミトラは、被布かずきの影から蒼い眸で彼等をみつめ、恭しく一礼した。アラルは隼に会釈をして、シジンとともに先へ行く。

 雉も、ほっと息をついた。


「来ていたのか」

はいラー。レイ王女のご出産が無事に終わりましたので、氏族長会議クリルタイに連れてきて頂きました。スー砦で《星の子》への報告を終えたら、シェル城のあるフェルガナ(盆地)へ帰る予定です」


 エイルをあやしていた隼は、オダと顔を見合わせた。かつてトグリーニ族に故郷を蹂躙されて家族を喪い、草原で新たな夫と子どもを得たものの戦乱でまた両方を喪った女性は、ひとり残った我が子を抱いて微笑んでいた。〈草原の民〉とニーナイ国の血をひく赤ん坊は、黒髪と黄色い肌をもち、黒真珠の瞳で大人達を見上げている。

 オダは彼女ミトラを気遣った。


「大丈夫ですか?」

「《星の子》の許可が下りれば、テュメンはあそこを緩衝地にするつもりだと伺っています。親族はもういませんが、同じ境遇の女達で、刺繍や絨毯の商いを始めようと話しています。元手は支援していただけるそうです。〈草原の民〉がどんな品を好むのかは、よく知っておりますから、」


 ミトラは、ふふとわらった。絶望し、赤子をトグルに押しつけて死のうとしていた頃の悲愴さは、感じられない。雉は、心から彼女を美しいと思った。


「平和になれば、弱い私達にも生きていく術はあります……」

「手伝うよ」


 隼は言って、ミトラを赤ん坊ごと抱きしめた。ミトラは、彼女の肩を軽く叩いて応えた。

 オダは、若い声に力をこめた。


「僕も、お手伝いします」

「よろしくお願いしますよ、オダさん」


 雉は、微笑み合う二人の女性を眺め、オルクト氏族長の言葉を思い出した。必要なのは《希望》――それがあれば、ひとはつよく生きられる。隼がトグルの傍にいて平和を説くことは、ニーナイ国にとっても希望なのだ。


 ミトラは、抱き上げた我が子の腕を持って振り、天幕へ向かう彼等を見送った。



               *



 天幕の入り口から射しこむ光が、トグルの頬を照らした。傾いた陽光を受けた眸が、オダ達をみつけてわらう。どこか哀しげな苦笑を一瞬くちびるに閃かせ、元の無表情に戻った。

 外に比べると、天幕の中は薄暗い。隼の眼がれる前に、トグルは話し始めた。


「よく来たな、安達アンダ(同胞)よ」


 氏族長と長老達が、帽子を脱いで頭を下げる。隼は、ジョルメ若長老に案内されてトグルの後ろに立ち、やや圧倒された気分になった。雉とオダとシジン=ティーマは、天幕の入り口付近、斜め横から室内を見渡せる位置に席を与えられた。

 隼は、己に向けられる多数の視線を感じた。初めて公的な場に現れた天人テングリの女に対して、それは冷たいものではなかったが、強い好奇心は隠せなかった。

 トグルは部屋の最奥に、黄金の鷲獅子グリフォンを描いた氏族旗を背に坐っていた。両脇にはジョルメと最高長老トクシンが、さらに同盟氏族の長たちが並ぶ。中央にはオルクト氏族長が数人の部下とともに坐し、後ろ手に縛ったタァハル部族のおさたちを警護していた。

 最高長老トクシンが、長い白髭を揺らして口火を切った。


「戦勝のお祝いを申し上げます、テュメン。タイウルト部族とタァハル部族を倒し、草原の統一を成し遂げられたことに、お祝いを申し上げます」


 トグルは無感動に肯いた。オダとシジンをちらりと見遣り、氏族長達を見渡して、ゆっくり口を開いた。


「礼を言う、安達アンダよ。貴公等の協力で、作戦を終えることが出来た」

「ソレハ、我等ノ言葉ダ。若キ王ヨ」


 〈森林の民〉ロコンタ族の長が、代表して応えた。両頬におそろしげな刺青を入れた壮年の男の藍色がかった瞳を、トグルは見返した。


「狼ノ王ヨ。ヨクゾ、ココマデ導イテ下サッタ。北方六氏ヲ代表シテ、礼ヲ申シ上ゲル」


 トグルは眼を細め、声を立てずにわらった。その表情は、居並ぶ族長達にもひろがった。

 オロス氏族長の声は、皮肉めいて聞えた。


「さらに、長老会から言伝ことづてを預かっている」


 トグルは、そちらに面を向けた。


「何と?」

「『戦勝のお慶びを申し上げる。草原イリに平和をもたらした氏族長会議クリルタイの功績は、尊敬に値する。白き牝牛にて疲れを癒し、一日も早く凱旋なさらんことを』――牝牛三千頭を贈って寄越した。我等と共に在る。連れて来るのに、苦労したぞ」


 トグルはわらったが、数を聞くと呆れて瞬いた。


「大盤ぶるまいだな。食糧を送れとは命じたが、そんなにとは言わなかったぞ。次の冬を、どうやって越えるつもりだ?」


 オロスに代わって、オルクト氏族長が答えた。いかつい頬に浮かべた笑みは、ふてぶてしい。


「この半年、奴等は傍観を決め込んでいたから、罪滅ぼしのつもりなのだろう。《星の子》と天人テングリに献上しろということではないか。ニーナイ国の民にも」

「成程」

「……兵馬ノ疲れを癒すノハ、おるどう(本営)ノ温かナゆるてカト存じます」


 アラルの言葉に、一同は頷いた。労わりの空気が天幕に流れる。トグルの声も、穏やかな囁きへ変化した。


「アラル、待て。もう少しの辛抱だ」

御意ラー、てゅめん。*****、*******」


 突然、アラルが顔を上げ、何事かを訴えた。隼に言葉は解らなかったが、ひどく哀しげに聞こえた。

 氏族長達が黙り込み、トグルも口を閉じた。アラルは悄然しょうぜんと項垂れた。


「***。……申し訳アリマセン」

「お前の気持ちは判った、アラル。……他に、意見はないか?」


『何のことだ?』 隼は不安を強めていた。氏族長と長老達が、互いの表情を確認している。やがて、オルクト氏族長が頷いたのを合図に、トグルは重々しく告げた。


「では、始めるとしよう」


 氏族長たちは威儀を正し、隼も、改めて、タァハル部族の男達を眺めた。



 トグリーニ部族は、氏族ごとに少しずつ衣装や装身具のあしらいが異なる。タァハル部族にも違いがあるらしい。いずれも身分のある男達で、仕立てのよい絹の衣を着ていた。恰幅もよい。黄色い肌に黒目黒髪なところは同じ〈草原の民〉だが、トグルやオルクト氏族長に比べると髪は茶や灰色がかり、瞳も紅や碧がかっていた。

 ばくされた八人の男達は、オルクト氏族長よりやや年長だ。部族長の乱れた辮髪には白髪が含まれ、顔は皺と染みにおおわれている。それでも、長く伸びた髭の下で唇をかたく結び、猛禽のごとくトグルを睨み据えていた。

 トグルは、ひとつ小さな息を吐いて話しかけた。


「久しぶりだな、タァハルの。俺が誰か、判るか?」


 天幕のなかはしんと静まり返った。タァハル部族長は片方の眉を持ち上げ、嗄れた声で答えた。


「トグル……ディオ・バガトルか。知らんな。自惚れやのトロゴルチン・バヤンと臆病者の息子メルゲンは覚えているが、孫までは知らぬ」

「そうか。無理もない。貴殿が祖父をリー・タイク将軍に売った頃、俺はまだ子どもだったからな。親父に毒を盛ったことも、覚えていないか?」

「…………」

「オルタイト氏族が、どうなったかも」


 タァハル部族長は、無言で答えた。囚われている他の男たちが、窮屈そうに身じろぎする(注*)。

 トグルは、怒りより哀しみを、怨恨より無常を感じさせる乾いた声で続けた。


「オン・デリク(大公)の息女むすめめとり、交渉に応じず。離れ者カザックとタイウルト部族をけしかけた時点で、和睦の意思はなかったろう。先に軍を動かしたのはそちらだ。敗れた際のことは、当然、覚悟しておられるな」

テュメン僭称せんしょうする黒いぬが。今さら何を」


 タァハル部族長は吐き捨て、ぎりりと奥歯を噛み鳴らした。トグルは平然と応じた。


「死に方くらいは選ばせてやろうと考えたまでだ。――首と四肢を斬りはなし、攻城機(投石機)をもってスー砦むこうの大公軍の陣中へ放り込んで欲しいか。皮袋に入って骨を砕かれたいか。自ら毒を呑んで死に臨むか……。大公に通じる奥(方)と子らをキイ帝国へ去らせ、奴等と手を切ると誓うなら、遺体は長城の北へ葬ろう」


 命乞いの選択肢はない。オダと雉は、心底トグルをおそろしいと感じた。脅すでもなく憎むでもなく、単に予定を告げているのだ。

 一方、隼は、トグルが沈んでいた理由を理解した。戦いに敗れたタァハル部族長への裁きは、逆の立場なら彼自身の運命だ。これは、己の魂に対する裁きでもある……。

 隼は、周囲に気づかれぬようトグルに近づき、そっと彼の背に片手をあてた。彼が自分の支えを必要としているとは思わないが、せめてその意思は伝えたい。


 トグルは表情を変えず、動かなかった。

 タァハル部族長は、答えなかった。


 オーラト氏族長が、胸の前で腕を組んで問うた。


「妻子を生かして去らせるのか?」


 トグルは、陰気に呟いた。


「女子どもを殺すのは、だ……」


 オルクト氏族長が、フンと鼻を鳴らした。隼には、苦笑しているように見えた。

 トグルは、縛られている他の男達(タァハル部の氏族長たち)へ視線を向けた。


「降伏したタァハルの自由民アラドからは、家畜の三割を徴収する。戦死者のユルテ(移動式住居)(ここでは、一家族の意味)からは、一割だ。宿営地の移動を命じる。身代しんだいを維持できぬ者は隷民ハランとし、保護を与えよう。従軍していない隷民は咎めず、我が部族へ編入する。……貴族階級ブドゥンは身分を剥奪し、財産を没収の上、隷民とする。離れ者カザックになること、庭(縄張りの草原)へ戻ることは許さない」


 予め合意は得られていたのだろう。オルクトをはじめ同盟氏族の長たちから反対の声はなく、最高長老とジョルメは首肯した。

 降伏した男達が、顔を見合わせる。トグルは諭す口調で続けた。


「不服か? 戦に敗れた氏族長とその家族を、命令に従ってきた自由民アラドがどう扱うかは、改めて言うまでもなかろう……。我らとハル・クアラ(部族)の隷民となり、庇護を受ける方が安全だと思うぞ」


 この言葉に、男達のある者は従容しょうようと、ある者は口惜し気に項垂れて恭順きょうじゅんを示した。身分と財産を失っても、家族の身の安全を優先させたのだ。

 オダは、改めて〈草原の民〉の社会の厳しさをった。

 トグルは、同盟氏族の長たちを見渡した。


「没収した財産は、我々とニーナイ国への賠償だけでなく、タイウルト部族の遺民たちの支援にてる。安達アンダよ、兵士と隷民の慰撫いぶを頼む」

御意ラー


 最高長老はふかぶかと一礼し、他の氏族長たちも頷いた。

 己の民の行く末を聴き終えたタァハル部族長が、背筋を伸ばして言った。


「毒を」


 一同の視線が、壮年の部族長に集中する。男は敗れてなお威厳を保ち、唸るように告げた。


「……誇りある死を望む」

了解したラー


 トグルは囁いた。隼の掌は、彼の背から音もなく吐きだされる息を感じとった。


 オダは、トグルがけっきょく部族長のみの処刑で終わらせたのだと気づいた。伝え聞く彼の祖父と父の最期に比べれば、驚くほど温厚な処置だ。隼は、〈草原の民〉が変わろうとしていること――トグルが変えていることを理解した。

 オルクト氏族長が部下に命じ、捕虜を立ち上がらせた。毅然とした態度で天幕を去ろうとする男に、トグルは声をかけた。


「ひとつ訊きたい。ミナスティア国の王女を襲ってオン大公を擁護し、ニーナイ国を巻き込んだのは、我らが草原イリだけが目的ではなかろう。エルゾ山脈と長城の南――ニーナイ国領とリー将軍の本貫地を、版図におさめるつもりだったのか? (ミナスティア王家)


 雉はつよく眉根を寄せ、シジン=ティーマは呼吸を止めて二人の部族長を見遣った。

 タァハル部族長は若き王を睥睨へいげいしたが、何も言わずに踵を返した。隼には、彼が肯定したように思われた。

 虜囚は全員、天幕から連れ出された。トグルは椅子に深く腰を下ろし、黙って彼等を見送った。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注*) 外伝『狼の唄の伝説』を参照: トグルの祖父バヤンは、タァハル部族に裏切られてリー・タイク将軍に捕らわれ、キイ帝国で全身の皮膚を剥がされ、遺体をバラバラにされて河に棄てられました。父親メルゲンは、タァハル部族のもとへ話し合いに行き、オルタイト氏族に毒殺された後、遺体は馬に引きちぎられました。――トグルはこうした過去の因縁を踏まえて話しています。


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