第二章 地獄の番犬(6)

*R15の戦闘シーンです。暴力、殺人、残酷な描写があります。苦手な方はご注意下さい。


           6



 日の出前に、オダは、馬のいななきで目を覚ました。続いて、獣の声――狼の遠吠えに、トグルが面を上げる。

 紫紺の空に、トグルの黒髪と厳格な横顔は、浮かび上がって見えた。目覚めたばかりでも、帽子をかぶり直して立ち上がる仕草に、無駄はない。

 焚き火を踏み消し、黒馬の手綱を手にしたトグルは、少年が動く気配に振り向いた。息が、白い煙となって風に流れる。

 長身の男の顔を、オダは見上げた。

 迷いのない空色の瞳を確認して、トグルは踵を返した。

 男達が、騎乗を始めている。トグルは片手で身を支え、軽々と神矢ジュベに跨った。オダが葦毛ボルテによじ登るのを見届けると、彼は鞭を振った。

 トグルがいきなり馬を走らせ始めたので、オダは慌てた。他の騎馬も走り出す。

 少年が追いつくと、トグルたち氏族長を先頭に、軍団は形を整えつつあった。


 ウォーオーヨーウールルオーン……ウォーローウールルヨーン……!


 狼の咆哮が、荒野に木霊する。地平線に隠されて、姿は見えない。物悲しいその調子に、オダは背筋がぞっとしたが、トグルの表情に変化はなかった。

 男達は、無言で馬を走らせている。大地を揺らして押し寄せる蹄の音に、オダは、振り向いて見たくなる衝動を抑えなければならなかった。一瞬でも遅れたら、踏み潰されてしまうだろう。

 逞しい馬の首に、オダはしがみついた。そうして、間近に仰いだトグルの目に、昨夜の穏やかさが全く残っていないことに気付く。前方を見据える殺気を帯びた眼差しに、オダは息を呑んだ。


「アラルめ。しくじったな……」


 トグルは、舌打ち混じりに呟いた。少年は、眼を見開いた。普段の彼の喋り方からは想像できない、鋭い声だった。


「トゥグス」

御意ラー!」


 命令を受けたオルクト氏族長は、長剣を抜いて眼前にかざし、にやりと唇を歪めた。黒い瞳が、少年を映した。そのまま上体を左に傾け、馬の進路を変える。

 彼の後に、氏族の男達が続く。黒衣の軍団は、高く剣を掲げ、げきを振り、弓をかざして勝鬨をあげた。


「ウォーオーロールーヨォオー! ……オォーン!!」


『そうか』――オダは理解した。定住民にとっては恐怖と憎悪の対象でしかない狼も、彼等にとっては勇気と誇りの象徴なのだ。トグリーニには、部族の祖を狼とする伝説がある。その啼き声は、戦いの際の勝鬨にも、軍団の位置を示す合図にもなる。

 吼える声の微妙な高低に含まれる意味を聴き取ろうと耳を澄ませる少年を振りかえり、トグルは眼を細めた。


「……予定より、半日早い」

「え?」

「おそらく、少し、取り逃がした。急ぐぞ小僧。……はぐれるなよ」


 呟いて、トグルは更に鞭を振った。神矢ジュべが速さを増す。黒い疾風かぜのように。

 翻る彼の外套に遅れまいと、オダも、葦毛ボルテの脇腹を蹴った。



 騎馬の群れは、ゆるやかな丘の斜面を一気に駆け上る。眼前に広がった光景に、オダは目が眩んだ。

 昇り始めた朝日を反射して輝く、銀の湖がそこにあった。

 蒼天へ通じる湖面の彼方へ、視線を吸い寄せられた時、視界を藍色の影が横切った。我に返る。

 トグル達は、湖を左手に見ながら、北へ向かって疾走を続けていた。彼等と湖の間に、オルクト族の軍勢がいる。

 少年は、更にその向こう、湖との間を走るもう一つの騎馬軍団と、散在する白いユルテ(移動式住居)を見つけた。


「タイウルトだ」


 オダの表情を読み、トグルの瞳に、不敵な光が閃いた。


「俺達の作戦が解ったか? 小僧。連中の進路を塞ぐ。お前は、俺の影にいろ。……キズグス、シャラ・ウグル」

御意ラー


 トグルは前方を見据え、すらりと剣を抜き放った。黒光りする刃を眼前に構え、馬を走らせる。軍団は、弧を描くように進路を変えると、湖岸を進む敵に、斜め後ろから近付いた。後方で、味方の吼える声が湧き起こる。

 あぶみが触れあう程に馬体を寄せて、二軍は併走を始めた。

 オダは、トグルの右側に場所を移して、彼を観ていた。


 タイウルト族の馬は、トグリーニ族の馬に劣らず立派な体格をしていたが、その毛皮はしとどに汗に濡れ、疲れているようだった。馬上の男達も、疲労の色を隠せない。

 オダに部族の違いは判らなかったが、トグリーニ族の中にも氏族の別があるように、顔立ちや装束が少しずつ異なっている。

 トグリーニ族の馬も汗をかいているが、その脚は力強く、生気に満ちていた。一晩休んだ男達も。

 突然、オダは理解した。

 『奇襲をかけ、自分の領土の奥へ誘い込む』遊牧民の戦法を、トグルは逆手にとったのだ。


 離れ者カザックを使って本営オルドウを襲い、トグル達を大軍の中に誘い込もうとしたタイウルト族は、南から、アラルの率いる軍に追われていた。彼等が退走する進路にオーラト軍が回り込み、彼等を休ませなかった。その間に、トグル率いる本隊は先回りして敵の本営オルドウ近くに潜み、戻って来た敵を、追っ手と共に包囲したのだ。

 自分達の縄張りから遠く離れた土地でこんな作戦を成功させるためには、正確な地理知識と、敵の心理を読む頭脳が必要だった。それを、たった一晩で、トグルは成功させたのだ。

 オダは、自分の国が簡単に敗れた理由が、解った気がした。彼等があれほどおそれられている理由が、解るように思った。

 この男が。

 《草原の黒い狼》――トグルは、敵の先頭に追いつき、剣を眼前に立てた。刃越しに、相手を睨み据える。敵の表情は解らなかったが、こちらに圧されて、少しずつ進路を曲げていた。


 小さな丘を一つ越え、両軍は、再び、併走しながら対峙した。


「ジャー!」


 鋭い声をあげ、トグルは、馬上で剣を振り下ろした。外套が翻る。

 後続の男達が、一斉に矢を放った。

 至近距離で弓弦ゆづるが鳴り、数万の矢が風を切る音は、一瞬、馬蹄の音をかき消した。叩き付ける雨さながら視界が灰色に霞んだと思うと、馬と人の呻き声が、どっと湧き起こった。


「…………!」


 オダは、眉根を寄せ、奥歯を強く噛み締めた。

 矢は、逃げ遅れた敵の人馬を容赦なく貫き、噴き上がった血が、紅い霧のように降りかかった。馬が悲鳴をあげて倒れ、人を振り落とす。倒れた兵士の上に、後続の馬が乗りかかり、つまづいて巨体がぶつかり合った。

 放り出された兵士の身体は、玩具さながら宙を舞い、成す術なく、怒涛となって押し寄せる味方の馬蹄に踏み潰された。肉の裂ける音、骨の砕ける音が、辺りに響き渡る。

 生きながら矢ぶすまにされ、落馬して、それでも馬の手綱を離さずにいた為に、雑布のように引き摺られた挙句、内臓と手足を蹴り散らされた少年兵の絶叫が、オダの耳に、いつまでも残った……。


 トグルは、全く表情を変えていない。

 狼の群れが歌う。喚声をあげて、トグリーニ族は、体勢を立て直そうとする敵に襲い掛かった。

 タイウルト族は進路を変えようとしたが、行く手を塞がれ、立ち往生する羽目になった。まるで、狼の群れに囲まれた羊の群れのようだと、オダは思った。

 トグルの率いる軍は、黒い蛇のように伸びて敵の前を横切り、湖側へ回りこんで行った。敵は、こちらより数が多いにも関わらず、突破する余裕がない。


「湖に入るな!」


 トグルの右斜め後ろを懸命について行っていたオダは、突然呼びかけられて、驚いた。


「速度が落ちる! ***……!」


 トグルの声に、今度は敵からの矢が降りかかり、さすがの彼も、言葉を切った。無表情の仮面が外れ、歯を食いしばる。

 トグルは剣を振り、外套を翻して、矢を叩き落した。二、三本、彼の腕をかすめたが、身体に達することはなかった。

 数頭の味方が彼等の周囲で倒れたが、軍団のはしる勢いは衰えなかった。少年は、トグルが咄嗟に自分を庇ってくれたことを理解した。

 王でありながら、この男は身を守る盾を持たず、文字通り、戦いの先頭に立っている。そして――


「ウグル! ウグル・ミンガン! ウケイ!」

御意ラー!」


 彼に呼ばれた二人の将軍が、剣を手に、オダの側へ駆けて来た。湖の浅瀬から、少年の馬を誘導する。男達の目に微笑をみつけ、オダは絶句した。

 睨むように前方を見据えて疾駆するトグルの横顔が、ほんものの狼に――獲物を追う、おそろしくも気高い狼に重なり、少年を震えあがらせた。


「ジャー!」


 トグルが叫び、再び、数万の矢が、敵の頭上に降り注いだ。彼自ら、向かってきた敵兵を斬り捨てる。

 片手で振り下ろされた剣は、兵士の胴に吸い込まれ、鈍い音を立てて相手を地面に叩き落した。反動でトグルの身体も揺れたが、二度と表情は変わらなかった。

 いわおのような風貌に、鮮血が降りかかる。

 緑柱石ベリルひとみに映るものを、オダは想わずにいられなかった。


テュメン!」


 敵の馬足が乱れた。血飛沫に煙る視界の向こうから届いた男の声に、トグルの眼が細くなった。


「王! トグル・ディオ・バガトル!」

「王! *****!」

「テディン・ミンガン! アラル! **、*****!」


 敵を追って来た味方に合流したことが、オダにも解った。間にいた敵兵を斬り伏せて、見慣れた男達が姿を現した。

 部下の身を案じていたのだろう。トグルの声に、安堵の響きが混じった。

 少年を振り向いた彼の唇が、こう動くのを、オダは見た。


「行くぞ、小僧。戦いは、これからだ――」



              *



 夕方。

 湖のほとりで、オダは、吐いていた。

 昨夜食べたナンは、とうに消化されている。朝も昼も、食べる暇などなかったので、吐けるものは胃液だけだった。

 胃袋が空っぽになっても、こみあげる嘔吐感は止まらなかった。身体を二つに折り曲げ、内臓の全てを吐き出してしまいたかった。

 何度頭を振っても、馬蹄の音が、断末魔の叫び声が、耳から離れない。眼を閉じると返り血が、ちぎれた手足が、脳裡に浮かんだ。

 酸味の残る口元を拭い、オダは、後ろを振り向いた。トグルの長身が見える。仲間と、戦いの結果を話し合っている。彼等の衣服と足元の地面が紅く輝いて見えるのは、夕陽のせいばかりではないだろう。

 オダは、苦い気持ちで、彼等の姿を眺めた。その人影は――自分がここにいることも、悪夢のように思えた。


「こちらの被害は、どれくらいになりそうだ?」

「正確なことは、まだ判りませんが。シルカスが五百、オロスが三百……オルクトとトグルで、合わせて千人くらいは負傷していると思われます。死者の予想は出来ませんが、それよりは少ないかと」

「…………」 

「問題は、敵の主力のおよそ半数が、北へ逃亡したということです、テュメン。誠に申し訳ありません。タイウルトの部族長を、取り逃がしてしまいました」

「よい。気にするな、アラル。行く先は、確認出来ているのだろう?」

「今、スブタイ将軍ミンガンとオロス・バガトルが追跡中です」

「深追いするなと伝えろ。連中の二の舞になるぞ。一足先に本営オルドウへ戻ると連絡してくれ」

了解ですラー。ご心配なく。ここから先は、オロス族の庭(縄張り)です、王」

「……奴等にとっても、庭だ」


 こんな会話を、トグルは、部下達と彼等の言葉で遣り取りしていた。オダにも、朧気おぼろげに内容が理解できた。立ち止まって周囲を見渡すトグルの口に、煙管キセルが咥えられているのが見える。

『どうして、あんなに平然として居られるのだろう?』 疲れた頭で、少年は、ぼんやり考えた。風に流れる紫の煙を、目で追うのも億劫おっくうだ。

 オダは、茫然と辺りを見回した。


 最後は火も使ったので、大地は黒く焼け焦げている。それでもこの季節なら春に草が生えて来るので、構わないということらしかった。数万の馬蹄に削られた地面に、豊かな草原の面影はない。

 ところどころに壊れたユルテ(移動式住居)の残骸が積み上げられ、天幕に使われていたデーブルが、湖からの風に震えていた。

 屍体は、放置されている。人も馬も……。どす黒く血を吸った大地に、武器とともに散乱する、かつて人や馬であったもの――引き裂かれ、潰された頭や四肢。弾けた肉片、黄色い骨の断端。ちぎれた指や眼球や内臓などを見ていると、オダは、また吐き気を催した。


「タイウルト部族長の娘を捕らえております。ハズル氏族長の一家も」

判ったラー本営オルドウで会う。……兵士達に伝えよ。今夜は、ここより東へ十キリア(約八、六キロメートル)戻り、宿営する。移動を開始しろ。略奪品の分配は、明日以降だ。負傷者を忘れるな」

御意ラー


 将軍と氏族長達は、一礼して、各々の部下の許へ戻って行った。


 トグルは、アラルと共に立っていたが、湖のほとりで吐いている少年を見ると、眉を曇らせた。彼は、アラルに待っているよう指示すると、オダに近付いた。


「……大丈夫か?」


 生々しい血の臭い、強い煙草の臭い……。それらと共に囁きかける低い声を、オダは聞いた。

 背後から肩に差し伸べられる手の気配を感じたオダは、振り向きざま、それを払いのけた。


「…………」


 別段、驚いたり怒ったりする風もなく、トグルは少年を見下ろした。静穏な深い緑の眸を見て、オダは恥じ入った。

 彼のせいではない。そう思う。――しかし、ならば一体、この非道をどう言い訳するのだ。幼い子どもさえ容赦なく踏み殺す非情さも、人のものだと言うのか。

 やりきれない気持ちで、オダは咳き込んだ。喉の奥が焼けつく。その痛みが、辛うじて、彼を現実に留めていた。夢だったら、どんなにいいだろう。自分が狂わずに居られることが、少年は不思議だった。


「大丈夫です」


 オダは、唾を何度も飲み下し、掠れ声で言った。


「屍体に慣れていなくて……済みません。次からは、こんなことはないと思います」

「……慣れている方が、異常だ」


 まぶたを伏せ、ぼそりと、トグルは呟いた。感情の窺えない顔を、オダは見上げた。

 抑揚のない声で、トグルは言った。


「こんなものを、平然と受け入れられる方が、どうかしている。安心しろ。お前は正常なんだ。気にすることはない」

「いえ……。本当に、もう大丈夫です」

「飯が喰えるか?」

「…………」

「無理をするな」


 黙り込むオダの表情を見て、トグルはわらった。初めて、目だけでない彼の微笑を、オダは観たように思った。柔らかく、優しい……。観ているこちらの胸がすくような微笑みは、戦闘中の厳しさとは別人のようで、少年を見蕩れさせた。


「俺も、最初はそうだった。何日経っても、思い出す度に、げえげえ吐いた。戦闘の最中に恐怖で泣き出して、親父に殴られたこともある。今思えば、わずか八歳の子どもに、親父も酷な要求をしてくれたものだ」

「…………」

「それくらい、当時は氏族を囲む状況が厳しかった。部族もまとまっていなかった。ハル・クアラともオーラトとも、決して仲は良くなかった。テイレイとタイウルト部族とは戦闘中であったし、キイ帝国はタァハル部族を使って、俺達を挟撃しようとする。当時は、リー女将軍の祖父も生きていた……。そんな中、親父は一人で、息子に優しくする余裕などなかったのだろう」


 子どもの頃のトグルを想像することは出来なかったが、オダは、改めて彼を見上げた。トグルは左手に煙管を持ち、戦場を眺めている。

 彼は少年を見下ろすと、もう一度、唇を歪めた。


「俺でも、八歳の初陣は早すぎたと思う。かと言って、本営オルドウへ置いて行けば、母親が息子を殺そうとする……。親父には、他に成す術がなかった」

「え……?」

「俺の母は、略奪されて来た女だ」

「…………。」

「オルクト族長の娘……先代の族長の、妹に当る。輿入れしてすぐ、ケレ族に奪われた。俺の父とったり奪り返されたりを繰り返している間に、俺とタオを産み、狂っていった……。母には、俺が、ケレ族の男に見えたのだろう」


 オダは、息を止めて、トグルの新緑色の瞳を見た。叡智を宿すその瞳に、そんな秘密が隠されていたとは知らなかった。

 トグルは、少年の反応をたのしんでいた。


「知らなかったのか?」

「いいえ」

「そうか。思っていた程、こちらの事情は知られていないのだな……。〈草原の民〉なら、誰でも知っている。俺を囲む状況も、甘くは無かった。誰も、俺が親父の本当の息子だとは言えなかった。筆頭で疑っていたのが、母親だ。……『自分で証明しろ』と、言われたな」

「…………」

「今では、そんなことを言う奴はいないが――」


 フッと息をつき、トグルは肩をすくめた。風が、長い辮髪をなびかせる。漂う血の臭いが濃くなったので、彼は、軽く顔をしかめた。


「そんな育てられ方をした子どもが、まともな人間になるとは、お前も思わないだろう。……そうして、族長を継いですぐ親父があっさり殺された時には、悲しむより先に、頭に来た」

「…………」

「オルタイトを、ボルドを……クチュウト族を滅ぼし、部族を纏め、何とかタァハルと対等にこぎ付けた。リー・タイク(キイ帝国の将軍)を倒し、オン・デリク(キイ帝の大公)を牽制する為にニーナイ国へ手を出せば、今度は、天人テングリが邪魔をする……。挙句に、この騒ぎだ。後事を託した息子が、ただの人殺しに成り下がったと知ったら、親父はどんな顔をするだろうな」

「……テュメン

「トグルでいい」


 オダが迷った末に声をかけると、トグルはわらった。透明で淋しげな微笑だった。


「その方が、好きだ……。悪かったな、愚にもつかぬことを言って」

「いいえ」


 首を横に振る少年を、やや眼を細めて眺め、トグルは戦場へ視線を戻した。煙草を咥え直し、動き回る人影を眺める。

 丁度、捕虜となった人々が、引き立てられて行くところだった。子ども、負傷者、女達……。抵抗せずに移動して行く人々を観ながら、オダは訊ねた。


「あの人達は、どうなるんですか? これから」

「……八歳以上の男子は、殺される」


 トグルは、さらりと言い捨てた。目だけでちら、と少年を見遣り、すぐに視線を戻した。


「成年で、製鉄技術を持つ者は……抵抗する者は殺され、そうでない者は隷民ハランとして、住処すみかと食料を与えられる。連中は、部族に組み入れられる。元が隷民であっても、異民族であっても、同じだ。女達は――」


 トグルは言い淀んだ。精悍な頬に、何とも言えない感情がぎる。彼は、溜め息をついた。


「女は、使い途がない。家畜同様、戦功のあった者に分配される。この土地で、一人きりでは、奴等は生きて行けない。だから、そうした女達を娶る為に、俺達は、一夫多妻制としている。……奴等の仕事は、どの男のものになろうと、子どもを産み、子孫を残すことだ」

「…………」

「その意味では、戦乱の中にあって最も生き易いのは、女なのかもしれないな。小僧……救けたいか?」


 言葉を失っている少年に、トグルは囁いた。オダは悩んだが、結局、首を横に振った。自分に手を出せることではない。おそらく、トグルもそうだろう。

 トグルは、うすくわらった。


「そうだな。お前は、手を出さない方がいい……。奴等が自分で決めることだ」


 自分が漠然と感じた矛盾を、トグルが理解していることを知って、オダは驚いた。

 少年に横顔を向け、彼は、独り言のように呟いた。


「奴等の中の……ある者は抵抗して殺され、ある者は自ら命を絶つだろう。だが、大部分の者は、黙って男に身を任せる。そうして、平穏を得る者も居れば、絶望と憎しみのうちに一生を送る者もいる。俺の母のように。――それは、全て奴等の生き方だ。誰にも、『救う』など出来ない」

「…………」

「俺達がどんなに思い遣ろうと、所詮、敵の偽善に過ぎない。ならば、同情などするな……。生き残り、生きることを決めた時から、奴等の戦いは始まっている。俺達より、遥かに苛酷な戦場だ」


 オダが茫然としていると、彼は、唇を歪めて嗤った。自嘲よりくらい、酷薄な笑みだった。


もっとも、こんなことを考えるようになったのは、つい最近だ。以前は、思いもしなかった。……俺がお前くらいの頃には、悪友どもと、復讐のように女を犯してまわっていた。お前程、素直でも、賢明でもなかったな……」


テュメン!」


 待ちくたびれたらしい。アラルが呼び、トグルは、元の無表情に戻った。歩き出そうとする彼に、オダは声をかけた。


「訊いてもいいですか?」


 トグルが立ち止まる。『何故、こんな目をしていられるのだろう?』 緑柱石に宿る闇に魅入られながら、オダは訊いた。


「どうして、僕に、こんな話を?」

「さあな」


 昨夜といい、今日といい。出会った時から、この男の態度は、少年の理解を超えていた。敵と言うには、あまりにも無防備だ。

『隼さんにも、こうだったのだろうか? 鷲さんにも?』 そうすることで、彼に、どんな利益があるとも思えないのだが。

 少年にとって、トグルは魅力的過ぎた。おそろしい異民族の王……誇り高く、敵に対して容赦のない非情さと、深い慈悲の心を併せ持ち、己の残酷さを直視して怯まない。

 かと思うと。変えられない自己の運命に対して、脆く、弱い面を垣間みせ、そんな自分すら冷たく突き放しているところがあるのだ。トグルという男は……。

 この時も、彼は、完璧な無表情の仮面越しに、少年を見下ろした。


「好きなように解釈しろ。こちらは情報を提供しているだけだ。……お前こそ、俺を殺さなくて良いのか。ぐずぐずしていると、ニーナイ国は無事でも、タイウルト十万、タァハル五十万――それ以上の人間が、俺のせいで地獄を見ることになるぞ」

「…………」

「お前は、天人テングリに似ている」


 トグルは、フッと嘲った。


「奴等がお前に肩入れする理由が判った。お前達は、どちらも、どうしようもないお人好しだ。利用されることに気付いているのなら、偽善者だと放っておけるが。それにも気付いていないとなると……利用する気にもなれない」


 痺れを切らして、アラルが駆けて来た。心配そうにトグルを見て、不安といかりの入り混じった視線を少年に向ける。

 トグルは煙管を叩いて灰を足元に落とし、それを足で踏み潰した。オダは、無言でその仕草を眺めていた。彼の言葉の意味が判らない。


 何に利用されると言うのだろう? 


 トグルは暫く考えていたが、やがて、うんざりしたように首を振った。


「忘れろ、くだらん戯言ざれごとだ。……お前は、もう帰れ。天人テングリを連れて、さっさと、自分の仕事を果たして帰るのだな」


 言い捨てると、彼は外套を翻し、捕虜達の方へと歩き始めた。アラルが、急いで後に従う。

 取り残された形のオダは、ちょっと茫然していたが……我に返ると、彼を追いかけた。






~第三章へ~

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