第三章 天の贖罪
第三章 天の贖罪(1)
1
マナは、
椅子に座っていた鷹は、マナを見ると驚いて腰を浮かせた。
「マナさん!」
「ああ、坐っていて、鷹。お久しぶり」
鷹は涙ぐんで両腕をひろげ、女達は抱き合った。母のようないたわりをこめて鷹の背をさするマナを、鷲はやや照れくさそうに眺めていた。
「おめでとう、鷹。よく頑張ったわね……」
「お見通しなんだな」
鷹は涙をぬぐって頷き、鷲の言葉が、マナが自分を『たか』と呼んだことを示していると気づいた。
「直近の事柄なら、ルツの予知にあったので、だいたい知っているわ。迎えに来たのよ、鷹。
「え?」
鷹は瞬きをくり返し、鷲と、入り口で控えているタオを見遣った。マナは満面の笑みを浮かべ、籠から
「鷹も連れて行くのか? スー砦へ」
「勿論よ。あなた達、離れたくはないでしょう? ……まあ、本当に可愛らしい! 早いかと思ったけれど、そんなことなかったわね。しっかりしていること。もう名前はつけた?」
鷲は、苦笑しつつ答えた。
「鳶だ」
「とびちゃん。貴方たちの子どもらしい名前ね。それが真名?」
「区別はしていない。ヒルディアとは関係がないからな(注*)」
マナは頬ずりせんばかりに赤ん坊の顔をのぞきこむと、彼女と鷹の健康状態について質問を始めた。曰く、
問われる間、鷹はちらちらと鷲の顔色をうかがっていた(実際、鷲が答えた質問も多かった)。鷲は、彼女の視線に気づくとひょいと片方の眉を持ち上げたが、平静な態度は崩さなかった。
マナはひとしきり訊ねて得心すると、満足げに頷いた。
「赤ちゃんも鷹も、順調そうで良かったわ。これなら、移動しても大丈夫ね」
「本当に連れて行く気か? 大公軍が近づいているんだろ。危険じゃないのか?」
「あら。それを防ぐために、貴方が行くのじゃない」
ふふと悪戯っぽく
「スー砦って、キイ帝国の国境ですよね。リー将軍がいた……」
マナは、不安がる彼女を安心させるように、やわらかく微笑んだ。
「リー女将軍は、ハン将軍と一緒にルーズトリア(キイ帝国の首都)北のトゥードゥ(城塞都市)にいて、無事よ。スー砦の彼女の軍が、孤立してしまっているの。大公は兵を動かして、国境の外にいるタァハル部族の軍を呼びこもうとしている。ルツはそれを防ぐために、砦に入ったわ」
「ルツさんが……。どうして?」
「国境を守るのが、《星の子》のつとめだからよ。特に、〈草原の民〉と他国との境界はね。鷲の
タァハル部族と聞いて、鷹は心持ち蒼ざめた。シジン=ティーマの消息を想い、ふたたび鷲を見遣ったが、荒削りな風貌から内心をうかがい知ることは出来ない。
鷲は胸の前で腕を組み、重心をゆらりと右脚へ移した。
「事情は分かったよ。人殺しを防ぐためなら、
「いいえ。私もすぐには跳べないわ……。大公軍が到着するまで、まだ数日の猶予がある。それに合わせて行きましょう」
マナは
鳶は、泣くこともぐずることもなく、
「鷲さん……」
鷹はささやいた。きっと、すがるような顔をしていただろう。考え深げに我が子を見下ろしていた鷲は、穏やかに応えた。
「ルツもいるんだ、大丈夫。お前達のことは、俺が守るから。必ず、シジンにも逢わせてやる」
『どうして、そんな顔をしているの』――鷹は、胸を突かれる思いがした。『鷲さん。だいじょうぶと言うなら、どうして、そんなに悲しそうなの』
鷲は己の感情の扱いに辟易したように肩をすくめ、彼女から視線をそらした。ぎりりと奥歯を噛み鳴らす。苦みを帯びた低い声が、ユルテの床に落ちた。
「お前は何も悪くない。心配しなくていい。……俺は、
「…………」
鷹は項垂れた。
鷲に再会してすぐシジンに逢いたいと言ってしまったことを、鷹はふかく後悔していた。
レイであった期間、彼女は雉と隼と一緒にいた。草原に来てからは、鷲もずっと側にいてくれた。だから、今の
しかし、鷲にとっては。
鷹が消え、レイが表れた。半年以上もの間、彼は独りで耐えていたのだ――鷹と同じ姿、声をしたレイ王女が、己を拒絶しつづけるのを。過去を想い、幼馴染を慕うのを。それがどれほどの苦痛だったか、何故、一瞬たりとも思い遣れなかったのだろう。
『身勝手なのは、わたしの方だわ……』
失った
今も、
『
レイであった自分がどれほど彼を傷つけたかと考えると、今更のように、ぞっとした。
鷹が黙っていると、鷲は小さく溜息をつき、ユルテを出て行ってしまった。故に、彼女の呟きは、彼の耳には届かなかった。
「ごめんなさい……」
そして、突如湧き起こった煩悶に、鷹は胸を裂かれるような痛みを味わった。
どうしてこうなのだろう、自分は。――何と言えば良かったのか、後になって気づく。
シジンに逢いたい。会わなければ、と思う。
その時に、それから先も、ずっと側にいて欲しいのは、
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(注*)ヒルディア国では、本名は魂に結びつくと考えられるため、普段は渾名を使う。鷲と隼と鳩はヒルディア出身のため、それぞれ本名が別にある。鳥の名は鷲がつけた渾名。
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