第五章 太陽の少女(5)


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 小さな子どもをあやすように、後頭から肩を撫でる。ぽんぽんと背を叩き、はじめから繰り返す。優しい手の動きに気づいた鷹が顔を上げると、鷲は左手で彼女を撫でながら、ぼうっと天井を見詰めていた。

 鷹は、息をひそめた。すぐには、状況を思いだせない。


 たしか、タオを捕まえに行ったセム・ギタと隼が、トグリーニ族の罠にかかった。鷲は、彼らとリー・ディア将軍を、助けに向かった。

 トグリーニ族の矢の一斉射撃を浴びてリー軍が全滅しかけた時、まばゆい光が閃いた。強風が、光とともに吹き荒れて――《星の子》は、ルドガー神のいかづちだと言っていた。――マナが、傷ついた鷲を連れ帰ったのだ。

 そして、あの夢……。


 夢、だったのだろうか? まるで、幼い鷲のなかに居て、一緒に経験しているようだった。絶え間ない飢えと、恐怖と……殺意を。けれども、最後には鳶に会えた。まだ赤ん坊の鳩と、彼の養父(デファ)にも。

 あれも、彼の異能力ちからなのだろうか?


 鷹が考えこんでいると、明るい若葉色の瞳と出会った。

 鷲は、二、三度まばたきをした後、穏やかに声をかけてきた。


「よ」

「……鷲さん」

「悪い。巻き込んだか」


 普段と変わらぬ静かな口調は、己の身に起きたことを全て承知しているようだった。彼女のほつれた髪を左手の指先で直しながら、真摯に訊ねた。


「大丈夫か? 怪我はしなかったか?」

「大丈夫よ、みんな。鷲さんこそ」


 鷹が問うと、鷲は手を止め、頷いた。既に手当の終わった右腕の傷を見遣り、


「大したことはない。なんか、力が抜けていて、全然起き上がれないんだが」


 ルツが 『当分、動けない』 と言っていたことを、鷹は思いだした。彼らの能力は、自身の生命力を消費する。一度に発揮する力が大きければ大きいほど、消耗も激しいのだろう。

 鷲は、寝たまま苦笑した。小声でぼやく。


「これじゃあ、悪いことも出来そうにない……。他の奴らは、どうしている?」


 鷹は、何処か遠いところから戻って来た気分になりながら、答えた。


「ルツさんとマナさんが、鷲さんをここへ運んだの。それから、怪我をした人たちの手当てに、出かけて行ったわ。オダと鳩ちゃんは、雉さんと一緒よ。隼を探しに行っている。わたしは、ここにいるよう言われたの」


 眠る鷲につき添ううちに、居眠ってしまったのだろうか、と思う。

 鷹の話を聴きながら、鷲は、次第に表情を曇らせた。ぽつりと呟く。


「トグリーニの所為せいか、俺の所為か。判らない事態だな……」

「鷲さん」

「俺が、こわいか?」


 鷲は、真っすぐ彼女を観て問うた。鷹は、一旦、呼吸を止め、それから首を横に振った。


「鷲さんは、鷲さんだもの。能力ちからだって、皆を守ってくれたんでしょう?」

「……いや。そっちじゃなく」

「え?」

「そのことを訊いたわけじゃないんだ。けど……まあ、いいか」


 鷲は、ぽりぽりと頭を掻き、些か釈然としない口調で呟いた。彼女から視線をそらし、しばらく考えをまとめている風だったが、やがて、重い口調できりだした。


「あのさ、鷹――」


 何の話だろう。鷹が、内心で身がまえた時、

 ドンドン、と扉を叩く音がした。ふたりが返事をする前に、性急に開かれる。


「鷲殿、気づかれたか。良かった」

「鷲さん」

「お兄ちゃん!」


 セム・ギタを筆頭に、仲間がどやどやと入って来たので、鷲は口を噤んだ。鷹は立ち上がりかけたが、それより早く、鷲は彼女の右手を掴んだ。「……え?」 と、鷹は声を出さずに彼をみた。鷲は彼女を見てはいなかったが、左手は、しっかり彼女の右手を握りこんでいた。


『鷲さん?』


 セム・ギタは、血と汗と砂に汚れた甲冑を身に着けたまま、剣を鳴らして寝台に近づいた。兜を脇にかかえ、疲労のにじむ面を二人に向ける。緊張している鷲に、頭を下げた。


「ギタ」

「面目ない、鷲殿。貴殿のお陰で、我々の犠牲は抑えられた。……しかし、隼殿が、みつからないのだ」


 鷲の頬がこわばるのが、鷹には解った。握られた手に、力がこもる。――居てくれ、と。念話ねんわではないが、そう願うかのように。

 ギタは顔を伏せたまま、苦渋のにじむ声音で続けた。


「隼殿だけではない。我らがあるじ、リー・ディアも……姿が見えぬ」


 鳩が小走りにやってきて、横になっている鷲にしがみついた。少女の身体をうけとめながらも、鷲は鷹の手を離さなかった。

 オダは唇を噛み、拳を握って項垂れている。


 ギタの後ろから、雉が、焦燥しきった姿を現した。ほつれた銀髪には砂がかかり、衣にも頬にも、誰かの血がついている。彼には珍しく、声は掠れていた。


「もう、日が暮れてしまった。鷲、お前、何があったか覚えていないか?」

「隼は、先頭でタオを追っていた」


 鷲は、苦い口調で答えた。セム・ギタを見上げ、確認を求める。


「リー・ディアもだ。矢を受けて、落馬した。そこから先は、判らない」


 セム・ギタが頷く。何度も訊いたのだろう、雉は、溜息をついて肩を落とした。


「奴らが、連れて行ったのか。怪我をしていなけりゃいいが……」


 最悪の状態は、恐ろしくて言葉に出来ない。



 ルツが、長杖を片手に、彼らの前に進みでた。いつも澄ました態度を崩さない《星の子》も、流石に疲れているようだった。

 鷲の眼が細くなり、表情が険しくなった。低い声がさらに低くなる。


「……あんた、俺に何をした?」

「するべきことをするように言った以外は、何も。内輪もめをしている場合ではないわよ、鷲。トグリーニ族の本隊が、帰って来たわ」


 鷲は口を閉じたが、眼差しは厳しかった。若葉色の瞳は、鷹がこれまで見たことのない殺気を帯びていた。

 ルツは、彼とオダを交互に観て、告げた。


氏族長トグルの率いる、一万の騎馬軍よ。全員が騎兵……。今度は、彼らと戦わなければならない。リー・ヴィニガ将軍(リー・ディアの妹)がやってくるわ」

「姫が」


 セム・ギタが背筋を伸ばした。忠誠心が疲労に勝ったらしい。

 ルツは、彼をねぎらうように頷いてみせた。


「あなたの兄セム・ゾスタも一緒です。もうしばらく、辛抱して頂戴」

「は。有難きお言葉、感謝たてまつります。兵達に報せなければなりませんので、この場は失礼させて頂きます」


 セム・ギタはそういうと、右手の拳を鎧の胸当てにあて、片方の膝をついて一礼した。鷲と鷹にも同様の礼をして、踵を返す。事実上、彼らとトグリーニ族の双方に陥れられながら礼節を失わない彼を、見送る鷲の表情は苦かった。



 セム・ギタが部屋を去ると、鷲は、ぎろりとルツを睨み、吐き捨てた。


「二度とするなよ、ルツ。俺は、人殺しの化け物じゃない。今度やったら、あんたを殺す」


 『化け物』 という鷲の言葉に、雉はやや項垂れた。『オレは、化け物じゃない……』 幼い鷲の声が、鷹の脳裡にこだまする。

 ルツは、ほそい肩をすくめた。声にも表情にも、動じる気配はなかった。


「しないわよ、その必要もないわ。当初の目的どおり、ニーナイ国は助けられたのだから。オダ、あなた、もう帰っていいわよ」

「えっ?」


 鷹には、《星の子》がセム・ギタをおもんばかり、〈草原の民〉からニーナイ国を救うという彼らの目的について、先刻は触れなかったのだと解った。

 突然はなしを振られたオダは、驚いて顔を上げた。


「帰れって、《星の子》……ええっ?」

「ここにいたら、あなた達、ただでは済まないわよ」


 ルツは、平然と説明した。


「トグリーニ族とリー将軍家の戦争になる……か、どうかは、ディオ(トグリーニ族長)の出方を観なければ分からないけれど。事態を招いた私達を、リー・ヴィニガ女将軍は許さないわ。盟約を破ったリー将軍家を、キイ帝国の大公も許さない……。私は、斬られようが突かれようが、死ぬことはないけれど、ね」

「そんなこと、出来るわけがないでしょう?」


 オダの声は、悲鳴に近かった。鷹は、鷲が少年から顔を背け、そっと彼女の手を離したことに気づいた。

 少年は、半ば泣きながら訴えた。


「僕の所為なんだ! 隼さんがいなくなったのも、リー・ディア将軍が見つからないのも。大勢の人が傷ついて、死んでいくのも! 帰れるわけがないでしょう!」

「お前の所為じゃない」


 鷲が言った。今度の声に怒りはなく、むしろ沈んでいた。


「お前の所為じゃない、オダ。安心しろ。俺も、ここで帰るつもりはない。……ルツ、それは予知か?」


 《星の子》は、溜息をつきながら首を横に振った。まとめていない長い黒髪が、仕草につれて滝のごとく揺れる。

 鷹は、鷲が唇を歪め、しろい牙をのぞかせるのを見た。


「――なら、変わる可能性はあるわけだ」

「そうね。まだ起きていない事柄はね」

「つき合えよ、オダ。《星の子》」


 鷲は、鷹と鳩の手をかりて寝台に身を起こしながら、ぎりりと歯を噛み鳴らした。

 ルツは、表情を変えることなく、彼を見詰めた。


「責任者がいなけりゃ、リー・ヴィニガは、誰を相手に怒ればいいか分からんだろ。トグリーニもだ。……隼を救いだす。ギタのおっさんを助ける。連中に一矢報いるまで、帰るつもりはない」

「鷲さん」


 オダが泣きぬれた顔を上げる。ルツは、冷めた口調で呟いた。


「……言うと思ったわ」


 マナは、部屋の入口で長杖をかかえ、この会話を聴いていた。ルツは彼女を振り返り、静かに指示した。


「マナ。あなたは、一旦クド(ユキヒョウに似た獣)と毛長牛ヤクを連れて帰って、〈黒の山カーラ〉にことの次第を伝えて頂戴。しばらく留守にするけれど、心配しないように」

「分りました」

「春くらいまで、かかるかしら」


 ルツは鷲に視線を戻し、傍らの鳩と鷹を見た。オダと、蒼ざめている雉を見遣り――誰ひとりとして立ち去る意思のないのをみて、息をいた。


「長い戦いになるわよ……。ここに居るリー家の戦力は三千、トグリーニは一万。ニーナイ国ほど無力ではなくても、皇帝に近しいオン大公を、敵に回すことになりかねない」

「隼は、たった独りで連中のところにいるんだろ。それに比べりゃ、何倍もましだ」


 鷲は、噛み締めた歯の間から、濁った声で応えた。雉が、眼を瞠る。金とみまごう明るい碧眼を輝かせ、鷲は、彼方の敵に向かっていた。


「望むところだ。待ってろよ、隼……」



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