第一章 天人(3)


            3


「ここに、残るって?」


 セム・ギタ達が正気にもどり、兵士達の殉死を禁じたお陰で、余裕ができた。重傷者の手当てをひととおり終え、砦の中庭で昼食を食べながら、彼らは今後のことを話し合っていた。

 雉が、頓狂な声をあげた。

 鷹と話していたオダとセム・ギタ、鷲に麺のおかわりをよそっていた鳩をはじめ、看護用の天幕にいた兵士達の殆どが、一斉に振り向いた。注目を浴びた雉は、急いで腰を下ろした。

 セム・ギタの作った麺に、野菜や肉を刻んだ具をかけたものを、箸とかいう二本の棒を使って器用に食べながら――鷲は、首をかしげた。


「そんなに意外かよ」

「お前、なに考えてるんだ」


 雉は、このところ、苛々し続けている。鷲は、怪訝そうに相棒を眺めた。

 セム・ギタが、口を挟んだ。


「私がお願いしたのです、雉殿。今度こたびの戦で、みな気を落としております。妹姫のお忿いかりをおそれ、逃げだす者もいる始末……。《星の子》と天人テングリにいて頂けたら、どれほど勇気づけられることでしょう」

「だとよ」

「だとよって……お前な!」


 声をあげかけて、雉は、鷲の袖を引っぱった。鷲は麺をこぼしてしまいそうになり、目を丸くした。

 雉は、セム・ギタ達を気遣い、声をひそめた。


「自分の立場が判っているのか? おれ達は、将軍を死なせた元凶だぞ。おまけにルツは、事前に妹姫に報せてある。何をされるか判ったもんじゃないぞ」

「ルツ様より伺いました」


 鷲より先に、セム・ギタが、淋しげに応えた。雉は目を瞠った。

 赤毛の兵士は、角ばったいかつい顔の中で、やや垂れ目の小さな瞳を曇らせた。


「殿が、戦死なさる運命であったと……。皆様が、予言を変えるために努力して下さり、その為に、隼殿が傷を負われたと。私は、よく存じ上げております。姫様に、そう申し上げます」

「申し上げるって……」


 雉は絶句した。オダも、唇を噛む。


 鷹は、彼らの会話を聴きながら考えた。

『それでもギタさんは、わたし達がここへ来たことを、何とも思わないのだろうか。ヴィニガ姫が恨みに思わないなんて、あるだろうか……』


 鷲は、真顔でセム・ギタをみた。ギタは、力なく口元だけで嘲ってみせた。


「遅かれ早かれ、トグル・ディオ・バガトルとは、戦わなければならなかったのです。仇敵と手を組んで生き残るくらいなら戦うというのが、我が殿のお望みでした……。お諫めできなかったのは、私の責任です。今は潔く、姫様のお裁きを待つつもりでいます」


 鷲は眼を閉じた。ギタから顔を背け、西の城壁を向いて脚を組んだ。

 雉は、戸惑いを隠しきれない。セム・ギタは、灰色がかった空色の瞳で彼をみた。


「兵士達に罪はありません。しかし、我々が処分を受け、姫様の軍に併合されれば、肩身の狭い思いをするでしょう。主君を失いながら生き残った者として……。彼等を、誰が故郷へ送り届けてやれるのでしょう。私は、あなた方に、お願いしたい」

「この連中を、故郷くにへ還してやってくれと言うのか」


 雉は、みぶりで周囲を示した。セム・ギタは頷いた。


「……おれは、お前が、すぐに隼を救けに行くものと思っていたぞ、鷲」


 恨みがましい口調で雉が言い、鷲は振り向いた。彼は食事を再開していたので、ギタは思わず苦笑し、雉はあきれ顔になった。

 鷲は、二杯目の麺をぺろりと平らげ、飄々と言った。


「そいつは無謀だろう。俺が下手にちょっかいを出して、連中が攻めて来たらどうする。ルツが寝込んでいて、ここはこの有様で。皆殺しにされるだろうが」

「だから、そこを何とかしようとは思わないのかよ。おれがお前にして欲しかったのは、手伝いなんかじゃないぞ!」


 雉は声を張りあげたが、鷲の返事は素っ気なかった。鳩に三杯目のおかわりを要求しながら、


「相手は一万の騎馬軍だぞ。どうしろと」

「よく、そんなに落ち着いていられるな!」


 普段は温和で物静かな雉が怒鳴るところを、鷹たちは、初めて見た。今にも鷲の胸倉に掴みかかりそうな剣幕だ。


「お前は、隼が心配じゃないのか? 傷を負ったあいつが、どんな目に遭わされているか、考えないのかよ!」

「落ち着けよ、雉」


 鷲は、『仕方がない』 という風に溜息をついた。


「お前が焦ってどうするんだ。隼はヤワじゃない。動けないならともかく、意識がしっかりして、多少でも身動きができるなら――自分の身は、ちゃんと自分で守れる奴だ」

「……動けなかったら、どうするんだよ」

「雉」


 鷲は舌打ちした。顔を背け、低く言った。


「頭を冷やせ。オダの前で、こんな話をするな。待っていれば、機会は、必ず来る」


 鷹も、はっとした。

 オダは完全に項垂れて、動けなくなっていた。そうして、納得する……鷲は少年に気を遣い、今まで隼のことを口にしなかったのだと。

 雉は、鷲とオダを交互に見て、おしだまった。やりきれないと言うように首を振る。柔らかな前髪を掻き上げ、溜め息をついた。


「頭を、冷やしてくる……」


 砦へと歩み去る相棒を、鷲は見送った。同時に、いたたまれなくなった少年が、身を翻して駆け出した――城壁の方へ。

 追いかけようとする鳩に、鷲は、面倒そうに声をかけた。


「放っておけよ。慰める方が酷なことだってあるんだぜ」

「うん。でも――」


 鳩は躊躇したが、結局、オダを追って行った。

 鷲は苦笑したが、すぐに笑いを消して考え込んだ。セム・ギタが、控えめに提案する。


「姫が到着すれば……トグルート族の所へ、使者を送れると思いますが」

「いや。それには及ばない、ギタ」


 三杯目の麺の入った器を手にしたまま、鷲は、首を横に振った。穏やかだが、残念そうな声音だった。


「俺達は、リー将軍の部下じゃない。そこまでしてもらう理由がない」

「だからこそ、です」


 セム・ギタは、鷹が傍らで聴いていることを憚った。眉根を寄せ、声をひそめる。


「鷲殿。客人であるからこそ、我等には、隼殿をお守りする義務がありました。それに、雉殿のご心配は、もっともです。〈草原の民〉は、勇猛な戦士ではありますが、野蛮な連中です。天人テングリを――あのように若く美しい女性を捕虜にして、何もせずにおくとは思えません」

「……俺も、そう思うよ」


 ギクリとして、鷹は顔を上げた。ニーナイ国で何度も聴かされたことだ。


 北方の草原に住む遊牧民は、黄色い肌、黒い髪と黒い瞳をもつ。言葉も習慣も、定住民とは違っている。

 彼等が村を襲えば、家々は焼きつくされ、男たちは、子どもも老人も皆殺しにされてしまう。女たちは、牛か馬のように引き立てられ、犯されて――彼等の血をひく子ども達は、母親がどの国の者であれ、黒目黒髪で生まれて来るのだ。

 そうやって、彼等は仲間を増やし、富と武器を蓄えて、近隣諸国へ侵略を繰りかえす。

 慄ろしい、草原の狼……。


 鷹は、タオを思い出した。チャガン・ウス(村の名)で、キイ国の娘を手篭めにしたという部下の手を、あっさり斬り落としていた、族長の妹。どんなに彼女が友好的でも気を許すなと言ってくれたのは、隼だ。

 隼の痛々しいほどか細い身体を思って、鷹は、胸の底がぞっと冷えるのを感じた。

 鷲は、足元に視線を落としていた。苦い声で、きれぎれに囁いた。


「最悪の場合……傷を負って動けないあいつが、輪姦まわされて……殺されちまうんじゃねえか、とか。そんなことになったら、自分で命を絶っちまうんじゃねえか、とか……。考え出すと、キリがない。俺だって」

「鷲殿」


 同情のこもったセム・ギタの声に、鷲は唇を歪めた。眼を閉じ、首を横に振る。銀灰色の豊かな髪が、背中で揺れた。


「俺たちが心配して取り乱すのを、あいつは、決して喜ばない。ここを放り出して救けにいけば、怒るだろう」

「…………」

「隼は、簡単に殺られる奴じゃない。何があろうと、誰にも、壊されはしない」


 鷹には、鷲が、自分自身に言いきかせていることが解った。『どうにかなりそう』 な気持ちを、必死に宥めているのだ。

 鷲はセム・ギタを顧みて、ちょっと嘲った。弱々しく。


「……ご無理なさらないで下さい」


 すっかり冷めた麺を食べ始める、鷲。セム・ギタは、雉とオダのたった後の椅子を眺めた。


「皆さんが、心配と疲労で食事が喉を通らないのは、無理のないことです……。身内のことをお頼みして、申し訳ありませんでした。どうか、気を遣わないで下さい」

「あんたはもう、身内だよ」


 鷲は、麺をかき込みながら、さらりと応えた。


「あんたの仲間は、俺にとっても仲間だ。気にするな……」



               **



 城壁の北東の角には、敵の襲来を都へ報せ、都からの連絡を受ける、烽火台ほうかだいと呼ばれる石塔があり、常時二、三人の見張りが居る。ここで狼煙を上げるのだ。

 砦の東へ十四、五キリア(注1)行けば、次の烽火台がある。さらに東へ、遥かルーズトリア(キイ帝国の首都)まで。塔に登れば常に次が目に入る間隔で建てられていた。

 オダは、見張りの兵士が食事をしている傍らをすり抜け、台の上へ登った。


「おう、坊主。代わりに見てくれるのか?」


 赤ら顔の兵士が、冗談半分に声を掛けてくる。オダは、大人びた苦笑を彼に返すと、砂を含んだ風に髪をなぶらせながら、周囲を見渡した。


 こんなところに逃げても仕方のないことは解っていた。彼らの側に居られない気分だったのだ。

 鷲やセム・ギタに、思い遣られるのが辛かった。いっそ怒鳴ってもらえたらと思う。


「オダ」


 小さく呼ぶ声がした。振り向くと、鳩が、梯子のてっぺんから顔を覗かせていた。黄色い風が吹きつけて来て、目を閉じる。耳の後で纏められた二本のお下げが、太い縄のように頬を叩く。

 少女は身軽な猿さながら、ぴょんと跳び出した。


「ありがとう」


 オダは、つんのめりそうになった彼女の腕を掴んで支えた。鳩は恥ずかしげに頬を染め、少年の隣に腰を下ろす。

 鳩は、地上まで十数メルテ(注2)はありそうな烽火台の角で足を揺らした。


「ねえ、オダ。帰らない? お兄ちゃん達、心配するよ」

「うん。もう少し、したらね」


 痩せた身体を風に晒して立つ少年を、鳩は見上げ、それから視線を落とした。自分の靴先を見詰め、考える。

 どう励ませばいいのだろう?

 来たことが間違いのように思われ、鳩は項垂れた。放っておけない気持ちを、どう表現すればいいのだろう。

 オダは苦笑した。


「ごめんよ、鳩。心配かけて」

「う、ううん」


 少年が話しかけて来たので、鳩は、かえって驚いた。黒い眼をまるくみひらく。

 オダは、照れて哂った。


「鷲さんに伝えてくれる? 大丈夫だって」

「うん。でも、」


 鳩は、眼を細めた。年齢のわりに落ち着いた怜悧な光が、眸に宿る。


が言っても、お兄ちゃんは信じないと思う。オダが自分で言わなくちゃ」

「弱ったな」


 沈んだ口調で呟いて、オダは頭を掻いた。少年から青年に変わる途中の戸惑いが、頬をよぎった。


「落ち込むくらいなら、自分に出来ることをした方がいいって、解っているんだ。でも、どうしても、鷲さんの顔が見られない。時々」

「オダの所為だと思ってるの?」


 鳩は、小鳥さながら首を傾げた。

 オダは眼を伏せた。


「信じられない気分なんだ。鷲さん達に、ここまで連れて来てもらって。リー将軍とトグリーニ族を戦わせて……。こんなことが出来たなんて、嘘みたいだ」

「オダ……」


 鳩は、まばたきを繰り返して彼を見詰めた。

 少年は、きつく眉根を寄せ、濁った声を搾り出した。


「人が殺し合うのが怖かった。僕の所為で。ニーナイ国の為に……それが、凄く恐ろしかった。全然、覚悟していなかったんだ」


 オダは、両手で顔を覆った。溜息をついて面を上げた時、眼には涙が浮かんでいた。


「僕らが悪いんだ。頼まなければ良かった。なのに、隼さんは――」


 天を仰ぐ。オダの声は震えた。


「隼さんに、会いたいよ……。ひとめ逢えたら、おそろしさなんて、吹き飛ぶのに」


 オダは、青空に、隼の姿を想い描こうとした。彼女の表情、仕草の一つ一つを。それは、実際より間違いなく美化されていて、見ることが出来れば、隼は舌打ちか失笑したに違いなかった。

 少年にとって、彼女は手の届かない憧れだった。


 白銀の髪に、しろい肌。驚いて声をあげると、彼女は苦笑して父に言った。


『ここはいい国だね、ラーダ。あたしらみたいな者を見かけても、石をぶつけて来る奴はいないよ』


 つよい意志を感じさせる、彫りの深い顔立ち。吸い込まれそうな紺碧の瞳に、どぎまぎした。低めの声は静かで、しなやかな細腰に、重い剣を提げていた。

 乱暴な言葉遣いと男を殴りたおす強さに、オダは呆気にとられたが、彼女の優しさが他の女性とは違うと、すぐに気づいた。――それが、とても好きだった。鷲が彼女を信頼して、右腕のように頼るのも理解できる。

 チャガン・ウス(キイ帝国の村)で、彼女は、身を盾にして少年を守ったのだ。


『自己嫌悪は、時間の無駄だ。お前には、やらなきゃならないことが出来ただろ?』


 冷たく突き放す言葉すら、今では、思い遣りに満ちて聞こえる。傷ついて血を流しながら、それでも嘲っていた、美しい剣士。

 少年の憧れは、ほのかな恋心にも似て、彼の胸を締めつけた。凛とした囁きが、耳について離れない。


 ――ええ、解っているんです、隼さん。

 でも、貴女あなたがいないのに、どうして先へ進めるんですか。ニーナイ国が助かっても、喜べないですよ……。



 鳩は、少年の横顔を、苦い気持ちで眺めた。彼を励ますことが出来るのは隼だけなのだと察して、言いようのない寂しさに捕らわれていた。

 それは、鷹と一緒にいる鷲を見つけた時の気分に似ていて、鳩は唇を噛んだ。どういう種類の感情に属するのかを知っていたので、そんな自分が嫌だった。

 少女はいちど項垂れ、改めて顔を上げると、弾んだ声で彼を呼んだ。


「駄目よ、オダ!」

「え?」


 オダは、少女の微笑をみた。みじめな気分でいた彼を、もし鳩が、いたわりと気遣いをありありと浮かべて見ていたら、さらに逃げ出したくなったかもしれない。

 しかし、鳩は、見かけ上は無邪気に、彼の腕をひっぱった。


お姉ちゃんを探すなら、ここじゃ駄目。西の塔に登らなくっちゃ」

「……うん。そうだね」


 オダはぎこちなく微笑み、引かれるまま立とうとした。

 その時、東の沙漠に、北へと強くあおられている煙が見えた。一筋……二筋の、斜めに昇る、紫の線。いつから昇っていたのだろう?

 足の下で、男達の声があがった。


「リー・ヴィニガ姫だ! 姫将軍が、到着するぞ!」

「門を開けろ! 出迎えの兵を出せ!」


 オダと鳩は、息を呑んで互いを見た。立ち上がり、大急ぎで梯子を降りる。オダが先だ。


「急ごう、鳩。鷲さんに報せないと……」

「うん!」


 二人は、手をつないで城壁の上を駆けて行った。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

(注1)キリア: この世界の距離を表す単位。一キリアは約八百六十メートルの設定。

(注2)メルテ: この世界の長さを表す単位。一メルテは約四十センチメートルの設定。

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