第七章 天地不仁(6)
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雉は、トグルに仲裁を依頼した《星の子》の
「王を立てることの是非はさておき」――と、トグルは前置きした。「ある程度は、自分達で社会を建て直さなければならぬだろう」
『罪を問わず、身分制度を廃し、財産の私有を許可する』 と布告して、逃亡した奴隷たち(難民と、盗賊になっている者を含む)の帰還を促す。まず、病人を保護して熱病の流行を終息させ、治安を取り戻すのだ。
読み書き計算のできない元奴隷たちは、戻ってもすぐには自活できない。故に、しばらくは手持ちの資産と他国の支援を頼って生活を支える。その間、神官は村ごとに学校を設けて彼等に文字を教え、商人は算術を指導する。職を替えたい者には、職業訓練を行う。
畑があっても耕す者がいなければどうにもならぬのだから、地主は彼等に土地をわけ与えよ。自活できるようになったら税を集め(収穫の十分の一くらいでどうか)、学校を運営する資金や、怪我や病気で働けない者の保護にあてる。いくらかは地主のとり分とし、それを元手に
税さえ納めれば残りは自分たちのものになること、税は社会の維持にあてることを説いて、民の労働意欲を高めよ。
賊徒から武器を没収し、戦士たちが治安を維持する。その給金は当面は地主が払い、いずれ村の税収が増えれば、それでまかなう。
地主主導のもと、村ごとに、自治を行うために必要な法を定める。もちろん、身分と就業の自由は、貴族階級の者にも適用される。地主や商人たちでとり決め、元奴隷と難民たちが戻ってきたら、彼等の意見を容れて細かい部分を修正するのだ――。
地主たちにも目算はあったのだろう。トグルに
トグルは満足げに頷いた。
「よい返事を期待している。和解のために話し合うなら、立ち会おう。我われは、カナストーラに向かう。《星の子》が嵐を予言しているのだ」
長い説明に疲れ、トグルの声は徐々に小さくなっていた。
「あの御仁は、困ったことに、必ず起こる事柄しか予知しない。嵐が来る、高潮も。かの地の民を避難させなければならない」
「カナストーラは、ここから歩いて一日半の距離です」
シジンはエセルと視線を交わした。
「ご一緒して宜しいですか?」
トグルは物憂くうなずいた。
地主たちが村へ戻っても、シジンは留まっていた。エセル=ナアヤは彼等から少し離れ、所在なげに佇んでいる。
シジンは再びトグルの前に跪き、深々と頭を下げた。
「来て下さり、本当にありがとうございます。和解の提案も、何と御礼を申し上げればよいか」
トグルは面倒そうに肩をすくめた。
「《星の子》に、何とかしろと言われたからな……。それに、俺も知りたかった」
「何をですか?」
「いつぞや、貴様に訊ねただろう。ムティワナ族の辿った道だ。我ら〈
雉とオダは、目顔で互いの記憶を確認した。そういえば、トグルはそんな問いをしていた。当時、シジンはかなり自棄になっていたが……。
ミナスティアの元神官は、今は穏やかに草原の王をみつめていた。
「お分かりになられたのですか?」
「……お前だ」
トグルは溜息とともに答えた。
シジンは瞬きを繰りかえした。
「え?」
「お前達だ、
トグルは木の幹に背をもたせかけ、ひとり言のように囁いた。
「草原の外に拡散した、俺達の同胞だ。最初から別の存在だったわけではない。
「…………」
「みな、元はひとつの、生命の一部。姿を変えているだけだ」
話の途中から、トグルの思考は内面の荒野へと入っていた。
シジンはどう反応すればよいか判らず、黙り込んだ。
雉は、物悲しい気持ちで会話を聞いていた。トグルは実感したのだろう。今、彼は鷲と自分とつながっているのだから……。
《星の子》は、変わったのは〈草原の民〉ではないと言った。世界の方が変化して、彼等はそれに合わせられなくなったのだ。
オダやシジン、サートル達――『変われたもの』の子孫が地にあふれ、旧き血を持つものは草原に自らを封じた。しかし、そこへも変化は押し寄せて、彼等の身体を蝕んだ。馬にも、他の生物種にも、同様のことがおきた。
否。本当はそれさえも、自らを変化させて環境に適応しようとする生の努力。
星明りの下、雉は自分の掌を眺めた。そこを流れる血は、もとはトグルと同じものだ。
人も馬も鳥も、みな、大いなるものの一部。
真実であれ、気休めであれ……そこに至るまでの彼等の苦悩を、雉は想った。
オダやシジン達が生き残ることが、すなわち〈草原の民〉が存続することなのだと、シジンは悟った。
◆◇◆
かつて《星の子》は、〈黒の山〉を訪れた〈草原の民〉の族長達に告げた。
「生物の歴史は、絶滅の歴史。
世界の変化に合わせて己を変えられたものだけが、生き残る。
これを『淘汰』、或いは『選択』と言う」
いにしえの族長達は、誓いを立てた。
「我われは、この地に留まろう。我われの生存を許された土地に。
決して、穢れた血を、他と交えることはするまい。
民族の尊厳と、『子どもたち』の未来のために」
トグルは、父メルゲン・バガトルの言葉を想い出した。
「守ろうとする故に、我われは滅びるのかもしれない。
シルカス・ジョク・ビルゲは、黒曜石の瞳で彼をみつめ、微笑んだ。
雉は、掌を見下ろした。白い膚に青い血管が透けている。
『おれには、世界を変えることは出来ない……』
――それでも、いのちは挑み続けるのだろう。
餌を求めて氷河をわたる、
万年雪をいただく山脈を飛びこえる、渡り鳥のように。
言葉を変え、習慣を変え、ときには遺伝子さえも組みかえて。
数限りない失敗と、仲間達の死をこえて。
ただ、《生きる》ことを求めて……。
◇◆◇
シジンがエセルとともに村へ帰ると、鳩とオダは焚き火を小さくして、周りに寝床を整えた。獣に襲われないための用心だ。地面を平らにならし、小石と草株を取りのぞき、毛皮を敷く。雉がお茶を淹れなおし、サートルは馬と
トグルは外套を羽織り、
雉は、相棒にお茶の碗を手渡して言った。
「お前、嘘をついたな? ニーナイ国を支持するって。南に攻め込むつもりなんか、ないくせに」
トグルはフッと嗤った。
「
ニーナイ国の青年は、炎に照らされて黄金色に煌めく瞳でかれをみつめた。
トグルはお茶をひとくち飲み、うずくまっている
「俺が示したのは、現在のニーナイ国の体制と、草原の氏族単位のやり方だ。それをこの国の実情に合わせるのは、奴等の仕事……。一度や二度の話し合いで、まとまるものではない。落ち着くまで、何年もかかるだろう。人が変わるように、国も、変化し続けることが重要なのだ」
セム・サートルは大きく首を振って肯いた。鳩はトグルの隣に来て、腰を下ろした。
オダは火から離れ、仲間に背を向けて坐った。雉はその様子を眺めていたが、後ろから近づいて声をかけた。
「オダ」
しずんだ眼差しをちらりと彼に向けたものの、神官の息子は、すぐに項垂れた。
雉は彼と肩を並べて坐った。オダは膝をかかえ、苦い声で呟いた。
「雉さん」
「うん」
「俺……悔しいです」
「うん」
「どうしてこうなんでしょう、俺って。鳩も呆れているみたいだし……。これじゃあ、いつまで経っても、あの人に認めて貰えない」
『ああ、そうか』 雉はようやく得心した。青年がこのところ不機嫌なのは、鳩に嫉妬しているのだと思っていたが、違うらしい。
さて。どうしよう?
『変わっていないわけじゃない』或いは、『変わっていないのは、お前だけじゃない。おれや鷲なんて、未だにこうだ』
『オダは、よくやっているよ。トグルがお前を認めていないなんてことは、ないと思う……』
いくつか台詞を考えたが、どれも嘘っぽい気がした。迷った末、雉はこう切り出した。
「オダ。お前、幾つになる?」
「今年で十八です」
オダの答えを聞いて、寝床を作っていたサートルの面に驚きが走った。大人と子どもほど体格が違うので、もっと年下だと思っていたのだろう。
雉は、彼と出会った頃のことを懐かしく思い出した。
「お前は、鷲より十歳年下だっけ。早いなあ、もう、そんなになるんだ」
少年は十四歳だった。鷲とトグルは同歳で、雉より年上だ。
オダは、急にむかし話を始めた雉を不審げに眺めた。雉は、やわらかい口調を心がけた。
「なあ、オダ。トグルは幼い頃から戦場にいて、族長となる為に鍛えられてきた。政治や国同士の駆け引きにも慣れている。そのトグルや鷲に、十も年下のお前があっさり追いついたら、奴等の立場がないだろう」
オダは、「あ」という形に口を開け、絶句した。
雉は、青年の肩に軽くぽんと手を当てると、焚き火の側へ戻った。寝床に
「明日、馬たちを放す」
トグルは
「これ以上、連れて行けない。
「分かったわ」
鳩が頷くと、トグルは安心したように眼を閉じた。
セム・サートルは丁寧に一礼して踵を返し、火の番を開始した。
『みな、元はひとつの、生命の一部』
鳩はトグルの額にかかる黒髪を撫でていたが、彼が眠ったのを確認すると頭を抱え、静かに自分の膝にのせた。
終わらせなければならない、と思った。
トグルも、オダも、シジンも……それぞれ重い責任を負っている。自分だけが、気持ちを持て余している。迷惑はかけられない。煩わせるわけにいかない。
それでも、
『ごめんなさい、隼お姉ちゃん。ごめんなさい、トグル。今だけ……』
鳩は胸のなかで呟くと、眠る彼のこめかみに、そっと口付けた。
~第八章へ~
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