第五章 馬頭琴(6)

*殺人と暴力の描写があります。


             6


 草原とニーナイ国の国境、タァハル部族の本営オルドウも、白い雪に覆われた。

 トグリーニ部族がタイウルト部族を滅ぼしたという報せを、シジンは、当のトグリーニ部族の使者から聴いた。

 タァハル部族の盾となる部族はもはやなく、キイ帝国のオン大公はリー女将軍とハン将軍と交戦中で、援軍は望めない。草原の平和のため今いちど話し合わないかというトグル・ディオ・バガトルの申し出を、タァハル部族側は一蹴いっしゅうした。――オン大公の息女むすめめとり、帝国の縁戚を自認するタァハル部族としては、草原の覇者は自分達でなければ納得できないのだろうと、シジンは推測した。勢いに乗るトグリーニ部族にどう対抗するつもりなのかは判らないが、自分達は戦の結末を見届けることになるのだろうと、考えていた。


 ところが、

 使者が帰った翌日、シジンとナアヤは、囚人のユルテ(移動式住居)を出された。


 二人の前で、古びたユルテは覆い布デーブルを剥がされ、あっという間に解体された。観ると、本営オルドウのあちらこちらで、同様の荷造りが始まっていた。情報を得ていないニーナイ国の神官と使者たちが、きょとんと佇んでいる。


「オマエ達を釈放する」


 褐色の長衣デールの上に革鎧をつけた兵士が、乱暴に言って顎を振った。

 シジンは、岩に腰を下ろしているナアヤの傍らで、首を傾げた。


「何処へでも行け」


 そう言うと、男達は、呆然としている二人にはもはや構わず、移動の準備にとりかかった。

 シジンの許へ、ニーナイ国の神官ラーダが、兵士達を警戒しながら駆けて来た。


「シジンさん、テスさん。どうしたんですか?」

「わからぬ」


 シジンは、薄い外套の襟を合わせ、兵士達から目を離さずに答えた。


「よほどの距離を移動するのか。俺達が足手まといになるということか……」


 左腕のないシジンでは荷を運べず、右脚を切断されたナアヤは、独りで歩くことすら覚束おぼつかない。冬になり燃料も食糧も乏しくなるなか、足手まといの異国人を二人も連れて行けないということだろう。

 ナアヤは、不安げに友の横顔を見ていた。

 ラーダは、緋色の眉根を寄せて、二人の装束を眺めた。


「どうするんですか? これから」

「どうと言われてもな……」


 想定していなかった事態に、シジンは苦笑するしかなかった。ナアヤと顔を見合わせる。言葉に出しながら、考えを整理した。


「……せっかく、レイの消息を教えて下さったのだ。〈黒の山カーラ〉を目指すというのは、悪くなかろう」

「この季節に、その格好でですか?」


 ナアヤは静かに相棒を見返したが、ラーダは蒼ざめた。他のニーナイ国の男達も、かぶりを振った。


「無茶ですよ。スー砦(キイ帝国領、国境の砦)の峠を目指しても、辿り着く前に凍死してしまいます」

「そうか……。しかし、他にあてがないのだ」


 服装だけではない。食糧も、寒さを凌ぐ天幕すらもない状態で、山越えなどできるはずがない。ラーダは、タァハル部族が彼等を死なせるつもりで放り出したのだとしか思えなかった。

 慈悲の神に仕える神官は、半ば懇願するように提案した。


「ニーナイ国へいらっしゃいませんか。ここから一番近い村へ、ご案内します。そこで英気を養い、準備を整えてから向かわれては?」


 この言葉に、シジンとナアヤは、再び顔を見合わせた。片腕と片脚にされただけでなく、二年に及ぶ虜囚生活で、体力はすっかり落ちている。自分達の状態を考えるにつけ、それが賢明なように思われた。

 二人は、躊躇い気味に頷き合った。


「そうさせて頂こうか……」

「お言葉に甘えて、」

「是非、そうなさってください」


 二人よりもラーダの方が安堵して、何度も首を上下に振った。

 兵士達が荷車を牽いてきて、畳んだユルテ(移動式住居)や家財を載せ始めた。邪魔になって要らぬ因縁をつけられてはたまらないので、シジンはその場を離れることにした。ナアヤの右側に近づき、跪く。本来なら相棒を抱えたいのだが、左腕のないシジンでは、それが出来ない。ナアヤが腕を伸ばして肩につかまるのを待ち、身を起こす。

 ニーナイ国の男達は、二人の動作を見守っていた。

 シジンは片脚のないナアヤを支え、ゆっくりと歩きだした。本営オルドウに背を向け、南へと。


 ドスッ……と、鈍い音がした。


 シジンにも、ラーダにも、何が起きたのか判らなかった。音とともに衝撃がナアヤの身体を揺らし、片脚の男は、突かれて前方へと倒れ込んだ。不意をうたれたシジンも、つられて転倒した。倒れる直前、ナアヤの口から紅い血が飛び散り、胸郭を内側から破って鏃の先端が突き出した。


「え……?」


 ラーダとニーナイ国の男達が、振り返る。タァハル族の男達が、声をあげて笑っていた。「当たった」と腕を称える声とともに、信じられない台詞が聞こえた。


やったぞ!」

「なんて、ことを……」


 神官ラーダの視界が朱に染まった。身体の脇で握った拳が、わなわなと震えだす。自分でも分からない衝動が、彼に叫ばせた。


「何をするんです、貴方たちは!」


 思いもよらぬ人物からあがった抗議の声に、兵士達は一瞬、気を呑まれて黙りこんだ。すぐに、先ほどよりさらに大声で笑いだす。矢を放った男も、片手で脇腹をおさえていた。

 シジンはそっと、倒れた友の肩を揺さぶった。


「ナアヤ」


 彼の蒼い瞳からは、急速に光が消えようとしていた。呼びかけに応えて、掠れた声で囁いた。


「行け……シジン……」


 乾いた唇の端にはりついた血の滴が、小さなあぶくとなって、音もなく弾けた。

 シジンは、表情の消えた友の顔を、呆然と凝視みつめた。何が起きたのか分からない。己をつつむ世界が一瞬で砂と化し、崩れ去った。


生命いのちもてあそぶ、こんなことが、赦されると思っているのですか!」

「ラーダ!」

「おっと……!」


 仲間達の制止を振り切り、ラーダは男達に詰め寄って行った。矢を放った兵士に向かって拳を振り上げる。陽気に笑っていたタァハル族の兵士達の目に、凶暴な光が閃いた。神官の拳を軽々とよけ、足をすくう。よろめく彼を複数の手が捕まえ、たのしげに小突いた。


「イヤシイ砂虫風情が!」

「貴様も殺シテやろうか! ん?」


 止めに入ったニーナイ国の使者たちも、殴られて呻き声をあげた。

 ラーダは、腹部を蹴られて身をふたつに折った。頭を殴られ、背をどつかれて地に俯せる。こめかみが切れて血が眼に流れ込み、視界が急速に暗くなる。蹴られる痛みと嘔吐感に身体を丸めて耐えながら、息子を想った。


『オダ!〈草原の民こいつら〉は、私達を対等だと思っていない。こんな奴等と、共存は出来ない……!』


 ラーダの霞む視界の端で、シジンがナアヤから離れ、立ち上がった。

 ミナスティア王国の元神官は、黄金色の髪を振って身体の向きをかえると、一本だけの手に石を拾って駆けだした。真っすぐ、ラーダを目指して。無抵抗の神官ラーダを下卑た笑みを浮かべながらいたぶっている男の頭に、石を振り下ろす。

 ラーダは文字通り、血を吐いて叫んだ。


「駄目だ、シジンさん! 逃げて……!」






~『飛鳥』第四部・蜃気楼 燃ゆ~

       完


ここまでお付き合い下さいまして、ありがとうございました。

第五部へ続きます。


―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

お疲れ様でした。ここまでで、本編の三分の二が終了しました。

幕間Ⅱを挿んで、第五部へ入ります。


予告……幕間Ⅱ『無垢の聖女』:本編開始の二年前、シジンの回想です。

   第五部『約束の樹ガンディー・モド』:トグリーニ部族とタァハル部族の最終決戦です。

       レイが出産します。


既に完結している物語ですが、改稿に時間がかかっています。

設定の追加分(ミナスティア関係)と、主要登場人物(九名)への「50の質問」をあげていきますので、少々お待ち下さい。(質問は、物語の進行に関係のない内容ですので、お読みにならなくても大丈夫です。)


3月15日(金)には連載再開したいと考えています。お付き合い頂ければ幸いです。


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