第五章 荒野の少年(6)


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 〈黒の山カーラ〉の神殿内の一室に招き入れられたナカツイ国の商人は、美しい巫女を前に、ふくよかな体を心持ち縮めていた。隊商カールヴァーンの長として、ナカツイ国王から預けられた品を届けに来たのだ。傍らには、隊商を代表する部下がひとり、つき添っている。

 《星の子》は、約一年ぶりの彼の来訪を喜び、お茶の席へ招待した。


「お茶はやはり、ナカツイ国産にかぎるわね」


 濃いめに煮出したお茶に毛長牛ヤクの乳や乾酪バターをいれることなく、色と薫りを楽しむのが、《星の子》の流儀だ。この地方には珍しいその習慣を、商人は、微笑んで見守った。無論、この後、乳茶チャイ乾酪バター茶もたしなむのだ。


「こちらが、星辰宮せいしんきゅう(ナカツイ国の王宮)からのお届けものです」


 湯気を吸って頬を桃色に染めていたルツは、卓上テーブルに差し出された絹の包みをちらと観たものの、それ以上の興味は示さなかった。


「すっかり御用商人の貫禄がついたわね、エツイン=ゴル(注*)」

「〈黒の山マハ・カイラス〉のご加護をいただきまして……」


 エツイン=ゴルは、慇懃に頭を下げると、壁際に佇むマナを見遣った。母親と年齢が逆転している《星の子》の娘は、結い上げた長い黒髪を揺らして頷いた。

 ルツは、茶碗のなかを見詰めながら訊ねた。


「それで。地震の方は、どうだったの?」

「二十日も前にご連絡を頂いたお陰で、避難は、どうにか間に合いました。津波による人の犠牲はわずかです……どうしても、避難を拒んだ者だけが。王都も、備えられましたので、そうでなかった場合を想えば――。王から、厚く御礼申し上げるよう、言付かっております」


 エツイン=ゴルは感謝をこめて報告したが、ルツの表情は冴えなかった。


「たまたま、あなたの国から巡礼が来ていたから、伝えられただけよ……。ヒルディア側は、どうだったの?」


 クド山脈の南で、ナカツイ国とヒルディア国は隣りあい、同じ海に面している。地震による津波は、両国の海岸を襲ったはずだった。

 エツイン=ゴルは、整えられた朱色の眉をくもらせた。


「王家が絶えてから、かの国(ヒルディア)の内情は荒れたままです。民を統率する者がなく、我が君(ナカツイ王)からの連絡も、きちんと伝わったかどうか……。沿岸部は壊滅状態で、立ち直るには時間がかかるのでは、と」


 ルツは、悲しげに首を振った。煌めく夜空のような黒髪が、仕草に合わせて揺れた。


「キイ帝国は、どうしているの? ヒルディア王家を滅ぼした彼等には、責任があるのではなくて」

「今上帝は未だ幼く、まつりごとはオン大公が行っていますが、南方には関心がないようです……。代わりに、カイ将軍(キイ帝国の南方将軍)が尽力しています。道を造り、被災した民のため、住居を建てていると」

「――では。これは、あなたからカイ将軍へ献上なさい」


 《星の子》は、ナカツイ国王から下賜された包みに手を添え、優雅な仕草で押しやった。


隊商カールヴァーンとして、ナカツイ国からヒルディアへ、物資を運ぶのです。……将来、かの地で将軍がワンとして立ったとき、覚えがめでたくなるでしょう」

「……ありがたき幸せ」


 《星の子》の予知は、外れることがない。助言を得て、エツイン=ゴルは面を輝かせた。ナカツイ国王からの下賜品には、高価なお茶や絹織物、真珠、珊瑚や玉や黄金の首飾りなどが含まれていたはずだが、ルツは、包みを開けようとはしなかった。


 マナが新しく淹れた乳茶チャイを器に注ぎ、ルツは、澄ました顔でそれを口に運んだ。ナカツイ国の商人たちも、乳茶を味わう。焼き菓子と干し桃や無花果いちじくの実を卓上へ並べながら、マナはうすく微笑んでいた。

 ヒルディア国は、鷲と隼の生れ故郷であり、マナの養父シュラ(隼ともず姉妹の養父でもある)が眠る地でもある。キイ帝国によって王家は滅んだが、民はかの地で暮らしている。征服者であるカイ将軍が責任を果たしてくれるのであれば、まず安堵できた。


 エツイン=ゴルも、マナの微笑みを観て思うところがあったらしい。茶器を手に、室内を儀礼的に眺めた。


「ところで……連中は、いないのですか? 巡礼の話では、こちらでお世話になっていると伺いましたが」

「いたわよ。野暮用で、北の草原へ出かけているの」

「草原、ですか」


 ルツの口調は素っ気ない。エツイン=ゴルの人好きのする顔が陰った。


「不穏な噂を耳にしておりますぞ。草原で、また戦が始まると」

「そうよ。タァハル部族とトグリーニ部族の間でね。タァハルには、ニーナイ国とオン大公が。トグリーニには、ハル・クアラ部族が味方しているわ」

「……どちらが勝つでしょうか?」


 溜息まじりに問う商人を、ルツは澄んだ黒曜石の眸で見詰めた。彼の質問には答えず、こう言った。


「どちらが勝っても、あなたには有利なはずよ……。彼等がいがみ合っていては、北方の交易に差し支えるのだから」

「それは、そうですが――」


 マナが、出来たての肉饅頭モモを並べた皿を置き、客人に勧める。ルツは手をつけず、さらりと言った。


「戦いが終われば、草原を東西にむすぶ交易路が完成するわ。ニーナイ国から草原を通り、キイ帝国へ行くことが出来る……」

「我々がそちら方面で利を得るのは、とうぶん先になりますよ。ミナスティア王国が、あの有様では――」

「……どうなっているの?」


 ひた、と真摯な眼差しを商人のふくらんだ頬に当て、ルツは訊ねた。


国王ラージャンが没したとは、聞いたわ。次の王は誰? ……このところ、ミナスティアからの巡礼は来ないので、情報がないのよ」


 エツイン=ゴルは、我意を得たとばかり頷いた。


「数年前から、ミナスティア王国では、王族と貴族の支配をめぐって内乱が生じていました。昨年、ラージャンが崩御し、王権がくずれたもようです。王子と王女が複数いたはずですが、王位継承者は行方不明……。治安が悪化し、現在は、熱病が流行しています」


 ルツは、美しいまなじりをくもらせ、マナと顔を見合わせた。

 エツイン=ゴルは、ふたりの天女の脳裡に浮かぶ人物のことを思いもよらず、説明を続けた。


「我が君(ナカツイ国王)は、熱病の拡大をおそれ、国境を閉鎖しています。ニーナイ国が草原との戦に注力している現状では、かの国の孤立は深まるばかり、かと――」

「詳しい話を、教えて頂戴」


 《星の子》の口調が厳しくなったので、商人は、福々しい頬を軽くひきつらせた。御付きの者と顔を見合わせ、ごくりと唾を飲んだ。


「いらっしゃったことは、ないのですか?」

「私、暑いところはキライなのよ」


 《星の子》は、肩をすくめてうそぶいた。熱帯どころか、この不死の巫女は火あぶりにされても涼しい顔でお茶を飲んでいるだろうと思われたが、流石にエツイン=ゴルは黙っていた。


「――冗談でなく。私たちは、『こちら』に適応していないの。私は再生できるからいいとして、マナは、〈黒の山カーラ〉より南へは行けない……。ルドガーやヒルダの足跡そくせきは、シュラに調べてもらうしかなかったわ」

「はあ、左様で……」


 エツイン=ゴルには、ルツの話は半分以上理解不能だったが、彼女は自分達にというより、マナに説明しているのだと察せられた。


 商人たちにとっては、神代の話だ。――ヒルダ女神(暁の女神)はヒルディアの、ルドガー神(暴風神)はミナスティアの、それぞれ建国に関与したと伝えられている。そして、ニーナイ国とナカツイ国は、ウィシュヌ神(平和と慈悲の神)が。

 神々の化身アヴァ・ターラと見まごう容姿すがたと異能をもつ友人たちに、これは関りがあるのだろうか。といぶかりつつ、隊商カールヴァーンの長は、問われるまま、隣国について語り始めた。






~『飛鳥』第三部・白き蓮華の国~

          完



(注*)エツイン=ゴル: 第一部で鷲たちと一緒に旅をしていた隊商の長。ナカツイ王国出身。オダと鷹を〈黒の山〉へ送り届けた後、キイ帝国のリー・ヴィニガ姫宛てのルツの手紙を運び、ナカツイ国へ帰っていた。雉の異能力については知っている。



 ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。

 第四部へ 続きます。





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