第五章 荒野の少年(6)
6
〈
《星の子》は、約一年ぶりの彼の来訪を喜び、お茶の席へ招待した。
「お茶はやはり、ナカツイ国産にかぎるわね」
濃いめに煮出したお茶に
「こちらが、
湯気を吸って頬を桃色に染めていたルツは、
「すっかり御用商人の貫禄がついたわね、エツイン=ゴル(注*)」
「〈
エツイン=ゴルは、慇懃に頭を下げると、壁際に佇むマナを見遣った。母親と年齢が逆転している《星の子》の娘は、結い上げた長い黒髪を揺らして頷いた。
ルツは、茶碗のなかを見詰めながら訊ねた。
「それで。地震の方は、どうだったの?」
「二十日も前にご連絡を頂いたお陰で、避難は、どうにか間に合いました。津波による人の犠牲はわずかです……どうしても、避難を拒んだ者だけが。王都も、備えられましたので、そうでなかった場合を想えば――。王から、厚く御礼申し上げるよう、言付かっております」
エツイン=ゴルは感謝をこめて報告したが、ルツの表情は冴えなかった。
「たまたま、あなたの国から巡礼が来ていたから、伝えられただけよ……。ヒルディア側は、どうだったの?」
クド山脈の南で、ナカツイ国とヒルディア国は隣りあい、同じ海に面している。地震による津波は、両国の海岸を襲ったはずだった。
エツイン=ゴルは、整えられた朱色の眉をくもらせた。
「王家が絶えてから、かの国(ヒルディア)の内情は荒れたままです。民を統率する者がなく、我が君(ナカツイ王)からの連絡も、きちんと伝わったかどうか……。沿岸部は壊滅状態で、立ち直るには時間がかかるのでは、と」
ルツは、悲しげに首を振った。煌めく夜空のような黒髪が、仕草に合わせて揺れた。
「キイ帝国は、どうしているの? ヒルディア王家を滅ぼした彼等には、責任があるのではなくて」
「今上帝は未だ幼く、まつりごとはオン大公が行っていますが、南方には関心がないようです……。代わりに、カイ将軍(キイ帝国の南方将軍)が尽力しています。道を造り、被災した民のため、住居を建てていると」
「――では。これは、あなたからカイ将軍へ献上なさい」
《星の子》は、ナカツイ国王から下賜された包みに手を添え、優雅な仕草で押しやった。
「
「……ありがたき幸せ」
《星の子》の予知は、外れることがない。助言を得て、エツイン=ゴルは面を輝かせた。ナカツイ国王からの下賜品には、高価なお茶や絹織物、真珠、珊瑚や玉や黄金の首飾りなどが含まれていたはずだが、ルツは、包みを開けようとはしなかった。
マナが新しく淹れた
ヒルディア国は、鷲と隼の生れ故郷であり、マナの養父シュラ(隼と
エツイン=ゴルも、マナの微笑みを観て思うところがあったらしい。茶器を手に、室内を儀礼的に眺めた。
「ところで……連中は、いないのですか? 巡礼の話では、こちらでお世話になっていると伺いましたが」
「いたわよ。野暮用で、北の草原へ出かけているの」
「草原、ですか」
ルツの口調は素っ気ない。エツイン=ゴルの人好きのする顔が陰った。
「不穏な噂を耳にしておりますぞ。草原で、また戦が始まると」
「そうよ。タァハル部族とトグリーニ部族の間でね。タァハルには、ニーナイ国とオン大公が。トグリーニには、ハル・クアラ部族が味方しているわ」
「……どちらが勝つでしょうか?」
溜息まじりに問う商人を、ルツは澄んだ黒曜石の眸で見詰めた。彼の質問には答えず、こう言った。
「どちらが勝っても、あなたには有利なはずよ……。彼等がいがみ合っていては、北方の交易に差し支えるのだから」
「それは、そうですが――」
マナが、出来たての
「戦いが終われば、草原を東西にむすぶ交易路が完成するわ。ニーナイ国から草原を通り、キイ帝国へ行くことが出来る……」
「我々がそちら方面で利を得るのは、とうぶん先になりますよ。ミナスティア王国が、あの有様では――」
「……どうなっているの?」
ひた、と真摯な眼差しを商人のふくらんだ頬に当て、ルツは訊ねた。
「
エツイン=ゴルは、我意を得たとばかり頷いた。
「数年前から、ミナスティア王国では、王族と貴族の支配をめぐって内乱が生じていました。昨年、
ルツは、美しい
エツイン=ゴルは、ふたりの天女の脳裡に浮かぶ人物のことを思いもよらず、説明を続けた。
「我が君(ナカツイ国王)は、熱病の拡大を
「詳しい話を、教えて頂戴」
《星の子》の口調が厳しくなったので、商人は、福々しい頬を軽くひきつらせた。御付きの者と顔を見合わせ、ごくりと唾を飲んだ。
「いらっしゃったことは、ないのですか?」
「私、暑いところはキライなのよ」
《星の子》は、肩をすくめて
「――冗談でなく。私たちは、『こちら』に適応していないの。私は再生できるからいいとして、マナは、〈
「はあ、左様で……」
エツイン=ゴルには、ルツの話は半分以上理解不能だったが、彼女は自分達にというより、
商人たちにとっては、神代の話だ。――ヒルダ女神(暁の女神)はヒルディアの、ルドガー神(暴風神)はミナスティアの、それぞれ建国に関与したと伝えられている。そして、ニーナイ国とナカツイ国は、ウィシュヌ神(平和と慈悲の神)が。
神々の
~『飛鳥』第三部・白き蓮華の国~
完
(注*)エツイン=ゴル: 第一部で鷲たちと一緒に旅をしていた隊商の長。ナカツイ王国出身。オダと鷹を〈黒の山〉へ送り届けた後、キイ帝国のリー・ヴィニガ姫宛てのルツの手紙を運び、ナカツイ国へ帰っていた。雉の異能力については知っている。
ここまでお付き合い下さり、ありがとうございました。
第四部へ 続きます。
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