第一章 白き蓮華の国(4)

*酔っぱらい達がセクハラ漫才をしています。申し訳ありません……。



             4


 『主役は鷹』 と隼は言ったが、そんなふうに考えることは、到底無理だった。嬉しさと、トグルに対する物珍しさも手伝い、男達は、すっかり羽目を外してしまった。

 巡礼者の相手をしなければならないルツは、途中で席を外した。マナも、小さな孫の世話をする為に、村へ帰って行った。そうすると、葡萄酒サクアの入った鷲たちを止めることは、誰にも出来なかった。

 夕食後、男達は、居間に場所を替えて飲み始めた。夜が更ける頃には、鷲たちは、すっかり 『出来上がって』 しまった。


『鷲さんが、こんなに酔うなんて、珍しい。それとも、酔った振りをしているのだろうか。この人のことだから、ありえるな……』 と思いながら、鷹は彼等を眺めていた。

 お酒に強くない隼の頬は、ほんのり上気している。鷲は彼女の肩を叩き、にまあと口元を緩めた。


「俺、ぜひ訊きたいんだけどな、隼」

「何だ?」

「トグルって、上手いか?」


 トグルは、酒を飲み始めてからは、完全に聞き役にまわっていた。かなり飲んでいるが、顔色は変化していない。――冷静な彼が眼をみひらいたので、隼は、いよいよあかくなった。

 鷲が、調子に乗ってからかう。


「お、紅くなった、隼が」

「ばっ……! 何を、誰と、比べろって言うんだよ」

「そりゃ、勿論――」

「「鷲!」」


 既に真っ赤になっている雉と、隼の声が重なった。二人は、急いで顔を背けた。

 トグルが眼を瞠ったまま固まっているので、鷲は、けたけた嘲った。


「冗談だよ。だいたい、比べるなら、トグルに訊いた方が正確だ。――なあ? トグル。隼って、どうだ?」


『何てことを訊くのだろう、この人は……』 鷹は、自分が恥ずかしくなって顔を手で覆った。

 話を振られたトグルは戸惑い、鷲と隼を交互に見た。隼は耳たぶまで真っ赤になって、壁を向いてしまう。

 トグルは、困ったように眉根を寄せ、前髪を掻き上げた。


「……いや。俺からは、何とも」

「またまた。しらばっくれようたって、そうはいかないぜ。さあ、吐けよ。何でもいいから。隼のことでなくてもいいから」

「吐けと言われても……。何をだ?」


 トグルは苦嘲いしたが、口調はあくまで穏やかで、空とぼけている様子が鷹には面白かった。

 鷲は、わざとらしく舌打ちする。


「スマン。本当に、何と言えばいいのか判らない。俺は、その手の話を、殆どしたことがない。――最近は忙しくて、それどころではない」

「何だ、つまらん」


 隼はホッとしたが、鷲は、不満げに唇を尖らせた。


「せっかく、トグルの武勇伝を聴こうと思ったのに」


 隼が茫然と呟く。


「武勇伝……」


 呂律の怪しくなってきた雉が、夕食のナンを裂きながら、ゆっくりと言った。


「戦の話なら、幾らでも聴けるんじゃないか?」


 鷲、駄々をこねる。


「いやだあ。そんなの、つまらーん!」

「はいはい……。もう、このオヤジ、何とかしろよ、隼」

「あたしは被害者だ。鷹、子どもが出来たってのに、こんな話させてていいのかよ。鳩も居るのに」

「いいんだもーん、俺だから」

「鷲お兄ちゃん、本当に酔ってるの?」

「酔ってまーす。な? いいよな、鷹。俺、べつに、隼を口説いてるわけじゃねえもん」

「まあ、それはそうね……」

「鷹。そこで納得して、どうするんだよ」


 隼は呆れているが、鷹は、自分に鷲が止められるとは思えなかった。素面なのは鷹と鳩だけだが、二人とも、彼等の会話を聴いているしかない。

 鷲は、ひとりでぶつぶつ言い続けた。


「口説く……。そうだ、俺。去年から、口説いた女は鷹だけじゃないか。どさくさに紛れていて気付かなかったけれど、実は、ものすごーく品行方正じゃないか? 雉」

「ま、確かに……」

「そーだよ、俺ってえらーい。でも、考えてみれば、勿体無いことしてた気がする。あの時期、わりといい女が、俺の周りにいた」

「おれは、そうは思わないけど……」

「雉、想い出せよ。タオだろ、ルツだろ、ヴィニガ(リー女将軍)だろ」


 葡萄酒サクアを口へ運んでいたトグルは、タオの名前を耳にすると手を止め、わずかに眼をみひらいた。


「ヴィニガあ?」


 それまで適当に鷲をあしらっていた雉が、眉間に皺を寄せた。

 あ、まずい……と、女達が思う暇もなく。酔っぱらいの口から、どんどん下品な言葉が飛び出した。


「ヴィニガ! 本気かよ、鷲」

「変か?」

「だって、子どもじゃん」

「ああいうのが、いいんじゃないか。扱い易くって」

「ええ? お前、二十歳はたち以下は願い下げじゃなかったっけ?」

「ああいう、めいっぱい背伸びしたタイプの女は、ちょっと弱いところを突くと、くらっと来るんだ。そこがいいの」

「そうかあ? おれは、もう少し歳が近い方がいいよ。話が合わない気がする。『おじさん』って言われるのは、嫌だからな」

「話なんざ、合わ、いいのよ」

「……本当に、オヤジは強引なんだからなあ」

「何を仰います。お前だって、好みのくせに」

「そんなことないよお。おれは、いつだって、ひとすじに――」


 雉は、一瞬、口ごもった。

 頬杖を突いて面倒そうに聴いていた隼が、すかさず口を挟んだ。


「ひとすじに、鷲か?」

「…………?」

「…………!」


 男達は、眼をまるくして顔を見合わせた。それから、大袈裟な身振りをともなう掛け合いが始まった。


「そっ、そうだったのか? 雉」

「知らないよ、おれ!」

「ごめんなさい、気づかなかったわっ。でも、お願い、ちょっと待って。心の準備が――」

「おれだって、心の準備なんか出来てない」

「ねえ、俺、ちょっとうちへ帰って、心の準備して来ていい?」

「身体も入念に洗って来いよ。待ってるぜ」


 いつまでも続くのではないかと思えたが、雉の台詞があまりに不似合いだったので、鷲は、天を仰いで嘆息した。雉も、舌打ちして、苦虫を噛み潰す。

 呆れている女性たちには構わず、二人は会話を再開した。


「あー、むなし……。外してくれるなあ、雉」

「いや、悪かった。今のは、おれが悪かったよ」

「ああ、お前が悪い。誰が、そっちへ話を振ったよ? 俺は、ヴィニガの話をしていたんだぜ」

「お前、確か、もの凄く下品なことを、あいつに言わなかったか?」

「ケツの穴がどうこうって奴だろ? 覚えてる。……いや、あいつって上手うまそうな口してたから、つい言っちまったんだ」


 鳩が、素朴な質問を隼にした。


「お口が上手いって、どういう意味?」


 隼と鷹は、同時に己の頭を抱えた。


「鳩……お前は、知らなくていい」

「そうなの?」


 とりつくろう隼の苦労も知らず、酔いどれどもの会話は、さらに過激になって行った。


「……ぬばぬば、ですかあ? 鷲」

「そう。ぬばぬば」

「ぬぽぬぽっていう表現も、あるな」

「あ。それ、なんか、かあいい。ぬぽぬぽ」

「きゅぽきゅぽ」

「……痛そうだぜ、それ」

「きゅぱきゅぱ」

「うーん……にゅぽにゅぽ」

「じゅばじゅば」

「それ、変だよ。それ、アヤシイ、絶対」

「ぎゅぱぎゅぱってのは、どうだ?」

「どうしてお前のは、痛そうなんだよ。嫌な経験でもあるのか? ぬびぬび」

「ぬきょぬきょ。なんか、終わらない気がして来た」

「じゅぽじゅぽ。……ヴィニガー!」


 叫ぶ、鷲。

 トグルは、先刻から、息を切らして笑っている。声を出さず、脇腹を片手でおさえて、目尻には涙が浮かんでいた。

 本人達も笑いながら、会話を続けていた。


「もう、仕様がねえなあ、オヤジは」

「なに言ってんだよ、雉。お前だって、そう思ってるくせして」

「あははははっ……思ってるよ」

「ほら見ろ。なにが、『子どもじゃん』だ。やっぱり好みなんじゃないか」

「も、好きだよ、おれ。若い子、だあい好き」

「『へっへっへ。おじょおさん、おぢさんと遊ばない?』ですか」

「なははははっ」

「それで、いきなり服を脱ぐ、と」

「あははははっ……ひでえ。もう、信じられん」

「なに言ってんだ、お前がするんだぜ」

「おれ? 嘘っ」

「本当。雉の本性みたり」

「えー、そんなあ。そこまで酷くないよ、おれ」

「何を言う。変態のくせして」

「うう……理解してもらえない」

「嘘泣きしてんじゃねえよ、ボケ」

「そこまで、言う」

「言う。お前のことは、俺が、一番良く知ってるからな」


 さりげない口調で、隼がツッコミをいれた。


「へえ。お前、変態だったのか、雉」


 雉は、大袈裟に息を吸い込んだ。それから、よよ、と泣き崩れる。


「……みろ。隼に誤解されたじゃないか」

「誤解? 真実じゃないのか」

「はあ」


 雉は、眼を閉じて嘆息した。額に手を当て、ゆっくり首を横に振る。


「おれって、どうしてこんなに苛められるわけ? 何をしたって言うんだよ」

「それは、雉さんが、皆に愛されているからでしょう」

「そうかなあ、鷹ちゃん。なんだか、責め苛まれているような気がする。鷲に」

「なに言ってんだよ。俺は、いつも優しくしてやっているじゃないか、雉」

「……これだぜ。鷹ちゃん、どう思う?」

「う、うーん」

「雉ィ。俺の、この、溢れる愛が判らないってのか?」

「ええーっ」

「……何だよ。その、思い切り嫌そうな反応は」

「だあって……嫌だよ、おれは。思い切り、嫌だ」

「俺だって嫌だよ、阿呆!」

「のははははっ……良かった」

「本気でほっとしているな? まるで、俺が莫迦みたいじゃないか」

「「莫迦だろうが」」


 雉と隼の台詞が、ぴたりと重なった。


 苛められる役が、いつの間にか鷲に代わったと思いきや……そうそう彼は、大人しく苛められている人ではなかった。

 鷲は溜め息をつき、二人を恨めしそうにねめつけた。葡萄酒サクアを一息に飲み干すと、すぐ、元のしまらない顔に戻った。


「でも。ルツも上手そうだよなあ」

「どうしてそこへ戻るんだ? お前は」

「俺の頭の中は、そーなってるのっ」

「ルツ。ええですなあ。是非、一度お相手願いたい」

「ばーさんだけどな」

「うわ。ひっでえ」

「だって、そーじゃん。見かけは若いけど、実際、アレ、幾つだ?」

「六十……え、七十? マナが、もう、四十になるんだっけ?」

「な。考えてみると、凄いだろ」

「うーん……」


「わ、わたし、お酒とって来るね」

 酔っているとは言え、畏れ多くも、《星の子》の歳の話をするとは――。


 鷲の杯が空になり、瓶も空になっているのを確かめると、鷹は立ち上がった。隼が、何事か、言いかける。

 鷹が居間の扉を閉めようとしたとき、すり抜けるようにして、鳩が出て来た。少女は、男達の下品な笑声を閉じこめ、嘆息した。


「もう。仕様がないなあ、お兄ちゃん達は」

「よっぽど、隼が帰って来たのが嬉しいのね」

「それはそうだろうけれど。呆れちゃったわよ、あたし。もう、知らないっ」


 鳩は唇を尖らせ、ぷくっと頬を膨らませた。


「隼お姉ちゃんと話したいことがあったんだけど、明日にするわ。あたし、先に寝る。お兄ちゃん達、どうせ、一晩中 飲み続けるんだろうから」

「そう?」

「鷹お姉ちゃん、無理しないでね」

「うん。お酒を取ってきたら、わたしも休むわ。ありがと、鳩ちゃん」

「おやすみなさい」


 鳩は、欠伸を噛みころしながら、自分の部屋へと歩いて行った。

『鳩ちゃんも雉さんも、子ども達と鷲さんに、朝から振り回されていたわ。雉さん、大丈夫かしら……』 少女の編んだ黒髪が揺れて行くのを見送りながら、鷹はそんなことを考えた。


 鷹は踵を返し、《星の子》の神殿に繋がる通路へ向かった。巨大な岩盤をくり抜いて造られた神殿と、彼等の住居は、ちょうど背中合わせに建てられている。トグル達〈草原の民〉は、神殿内の巡礼者が泊まる部屋に居て、鷲への贈り物もそこへ置いてあると聞いていた。

 鷹が、獣脂の灯火をたよりに歩き出そうとした時、軽く肩に触れるものがあった。


「…………?」


 振り向いたすぐ目の前に闇があり、見上げると、深い翳を宿した緑柱石ベリルの瞳が、彼女を見下ろしていた。鷲とほぼ同じ高さだ。

 トグル・ディオ・バガトルは、滑らかな声で、鷹に話し掛けた。


「……場所が、判らぬだろう」

「いいんですか?」


「トグルー!」


 酒の肴が居なくなったと言うのだろう。扉の向こうから、鷲の呼び声と、雉の笑声が響いた。

 トグルは、フッと哂った。物静かな瞳に浮かぶ微笑は、優しく温かい。

 彼は、身振りで鷹を促すと、先に立って歩き始めた。


 外套を居間に置いて来た為に、黒衣に包まれた痩せぎすな体躯が、いっそう精悍に見えた。鷲よりすらりとして、線が細い印象だ。腰にとどく黒髪は、三本の三つ編み(辮髪)に分けられている。

 『黒い狼』の異名をもつ彼を間近に観て、鷹は少し緊張した。


「呆れたでしょう?」


 鷹がおずおず話し掛けると、トグルは振り返り、彼女を見た。やわらかな灯の光を反射する瞳が、綺麗に澄んでいる。


「ワシのことか? いや……面白い男だ。俺の前で、あそこまで開けひろげに話をする奴は、そう居ない。……ああいう話は、嫌いではない」

「そうなんですか?」


 トグルは息だけで笑った。鷹は、彼が話をする時に、真っすぐ相手の目を観ることに気づいた。いわおのごとく変化に乏しい顔だが、微笑や優しさは、瞳に鮮明に現われる。


「正直に言えば、好きだ。……しかし、ハヤブサがネタになるとは、思わなかった」

「わたしも驚いています」


 トグルは喉の奥で、転がすような笑い声を立てた。そういう笑い方をすると、繊細な上品さが、雉を想わせた。

 両手を長衣デール革帯ベルトにひっかけ、少し背を屈めて滑るように歩く彼を、鷹は見上げた。


「言葉、お上手ですね」

「……喋るのは、得意ではない」

「いつも、そんなに無口なんですか? 隼に対しても?」

「タオに言わせると、そうらしい。……俺は、そうでもないつもりなのだが」

「そうですか?」

「話をするより、考える時間の方が多いのは、確かだな……」


 独り言のように答え、トグルは、鷹を見下ろした。やや細められた眼は、どきりとする程優しかった。


「お前達の方こそ……いつも、ああなのか? キジも。ハヤブサも、お前達と居る方が、生き生きとしているようだ」

「いつもは、もうちょっと、真面目なはずなんですけど……」


 弁解しながら、鷹は、己の言葉の信憑性を疑った。雉はともかく、鷲はあれが地だと言った方がいいかもしれない。


「でも、トグル――あ、ごめんなさい。呼び捨てにしちゃって」

「構わない。皆、そう呼んでいる。」

「では、トグル。隼が、生き生きしているって?」


 トグルの苦笑が、鷹には、少し淋し気に見えた。骨ばった手で目的の部屋の扉を開けながら、トグルは、彼女よりやや遠くを眺めていた。


「……以前。負傷していた頃からだが……。ハヤブサは、考え込むと、周囲に注意を払わなくなる癖があるな。ぼんやりして、呼ばれても気づかぬ時が――。最近、増えていたのだが、ここへ来て、無くなった」


 部屋の中に、人影はなかった。床に並んだ皮袋に五本ずつ葡萄酒サクアの瓶が入っているのを示すと、トグルは、袋の一つを肩に担いだ。手を貸そうとする鷹を、身振りで制する。


「……お前達のことを、考えていたのだろう」

「そうなんですか。知らなかった」

「お前達と一緒に居る時には、出てこない癖なのだろう」


 今度のトグルの微笑みは、思慮深い理解者のそれだった。『聡明な――頭のいい人だな』 と、鷹は思った。


「そんな暇はなかろう。ワシは、頭の切れる男だ。理屈より、直感で物事を判断する。キジも、繊細なので、他人の心情の変化には、すぐ気づく。お前とハトが居れば、ハヤブサの関心は、常にお前達の方へ向く。――礼を欠いていたなら、許してくれ。俺には、そう観えるのだ。……イリ(草原)では、言葉の通じる相手が、俺とタオしかいないからな」


 鷹は、まじまじと彼を凝視みつめた。

 トグルは、うすく哂った。


「……ハヤブサが、話していた。特に、お前とワシのことを」

「そうなんですか?」

「会ってみたかったのだ。ハヤブサが、どんな仲間と一緒に居て、今のあいつになったのか……知りたいと思っていた」

「どんなこと、聴いています?」

「いろいろと」


 鷹がおそる怕る訊くと、トグルの唇から、白い牙のような歯が覗いた。細めた眼が、悪戯っぽく嘲う。


「ワシの前の女房のこととか……奴と、お前の馴れ初めとか。ハヤブサは、お前が好きなようだな、タカ。お前の名を、よく聴いた」


 鷹は、両手で頬を覆った。『隼ったら……を、喋っていたのね、もうっ』――意外で、少し、嬉しかった。


「だから……これを、渡そうと思っていた」


 部屋を出て、来た経路みちを戻りながら、トグルは言い淀み、長衣デールの懐に片手を入れた。見付からず、足を止め、脚衣ズボンの方も探る。結局、腰帯ベルトの裏から小さな金の鎖を引っぱり出した。


「……あった」

「きれい!」


 トグルが無造作にぶら提げたものを、鷹は、両手で受け取った。糸のように細い黄金の鎖に、動物の牙がついた、首飾りだ。鎖も、白い牙の根元の金細工も、信じられないほど細かく、見事だった。

 鷹は溜め息をついた。


「これ、わたしに?」

「祝いに何を贈ればよいか、考えたのだが」


 トグルは、照れたように前髪を掻き上げた。


「ワシには葡萄酒サクアで充分だろうが。タカには、迷った……。黄金には、生命を守る神が宿ると言われている。護符代わりに使ってくれ。それは、狼の牙だ」


 鷹は、やや灰色がかった牙を、指先でなぞった。

 トグルは、さらに恥ずかし気に呟いた。


「……下手な細工で、申し訳ない」

「とんでもない。凄く綺麗ですよ。観たことがない……。有難うございます、トグル」


 微笑む鷹に、トグルは何か言おうとしたが、隼の声に遮られた。


「鷹。トグル」


 前方へ視線を向けると、居間の扉を背にして立つ、すらりとした姿が見えた。トグルの唇が、野性味のある笑みを形作る。


「ハヤブサか」

「ああ。随分、ゆっくりしていたんだな。何の話をしていた?」

「これ。トグルに貰ったの」


 鷹が首飾りを見せると、隼は、優しい眼差しでそれを見下ろした。かなり酔っているらしく、呼吸が荒い。

 トグルは彼女を労った。


「大丈夫か」

「ああ、もう休むよ。吐く前に。……お前は、どうする?」


 トグルは、担いで来た酒瓶の包みを揺らしてみせた。隼は、肩をすくめた。


「ほどほどにしておけよ」

「大丈夫だ。葡萄酒サクアに潰されたことはない」


 トグルは鷹に一礼した。彼女が慌てて礼を返そうとしていると、それには構わず、部屋に入った。

 開いた扉から、暖かな光とともに男達の笑声がこぼれ出て、そして、閉まった。



「さて。鷹は、どうする?」


 隼は深い息を吐き、鷹を振り向いた。細い腰に片手を当て、小鳥さながら首を傾げる。


「どうって?」

「久しぶりに、一緒に寝よっか」


 楽し気に微笑む。思わず、鷹の声が弾んだ。


「いいの?」

「鷲には、言ってある。鷹が良ければ」


 鷹は、隼の腕に抱きついた。よそうと思っても、顔が綻ぶ。くすくす笑う彼女を、隼は、半ば呆れて眺めた。


「おい……」

「だって、嬉しいんだもん」


『大好き、隼……』 鷹は、とけるように微笑んだ。


「隼。トグルって、格好いい人ね。わたし、驚いちゃった」

「そうか? 鷲に似ているだろう?」


『え?』 鷹は、瞬きを繰り返した。


「……わたしは、雉さんに似ていると思ったわ。雰囲気が」


 思いもよらないことを言われ、隼は眼をみひらいた。


「そう思ったことはないけどなぁ……」


 首を捻る彼女の腕に、鷹は頬を押し当てた。声をひそめて、訊く。


「隼。トグルのこと、好き?」


 隼は天井を仰ぎ、だるそうに、酒に濁った息を吐いた。


「……あいつって、無口だろ。無愛想で、表情ないし」

「う、うん」

「あいつの顔を見ていると……こう。ほっぺたつまんで、横に、うにぃ~っと伸ばしてやりたくなるんだよな」

「隼……」


 鷹が驚いて見ると、隼は、悪戯っぽく笑っていた。







―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

鷲: 「セクハラ漫才とは、心外だなあ。俺は、具体的には何も言っていないだろ。妙な解釈をしているのは、お前達じゃないか」

鷹: 「言われてみれば、そう……かしら?」

鷲: 「俺達は、日本語の表現技法に敬意を表して、オノマトペの多様性を追求していただけだぜ。なあ? 雉」

雉: 「えっ、えっ? そうだっけ……(隼を観ながら)」

隼: 「多様性の追求、だと……?(殺気だっている)」

トグル:「…………(腹を抱えて笑っている)」


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