第一章 旅立ち(5)
5
「あまり、驚かないんだな。」
宿営地に戻り、家畜用の水飲み場の片隅で、鷲は髭を剃っていた。その傍らに立ち、離れたところにいるタパティとオダたちを眺めながら、隼は彼に声をかけた。
エツイン=ゴルは、ラーダ(神官)と村の長老たちと、今朝の騒動の始末について話し合っている。雉は、イエ=オリの手当てだ。
駱駝たちが、ぐもー、うもー、と鳴きながら水を飲みにやって来た。彼らに場所をゆずり、鷲は応えた。
「驚いているさ」
「そうか?」
「ああ」
手指の関節は打撲で腫れ、動きはぎこちない。右の頬から顎にかけて小刀で髭をおとし、触れて剃り残しをたしかめ、鷲は続けた。
「髪や肌の色がおなじだけで、あんなに似て見えるんだな……。混血か?」
「分らない。覚えていないそうだよ」
無精髭がなくなると、鷲は、五歳ほど若返ってみえる。年齢相応になった精悍な横顔をながめ、隼は肩をすくめた。
鷲は、明るい碧色の瞳だけを動かして、彼女を見下ろした。問うというより確認する口調だ。
「記憶がないというやつか」
「ああ。……ふりをしているんでなければ」
「それはないだろう」
鷲は、左頬の髭剃りにとりかかった。顎の下のやわらかい皮膚を傷つけ、痛みに顔をしかめた。
「この国でそんなことをして、得になるとは思えない。〈草原の民〉の評判を聞いたか? 酷いもんだ。殺しに放火、強盗、強姦……」
隼は、黙ってタパティを見遣った。
隼は、眼を細めた。けぶるような銀色の睫毛の下、紺碧の瞳に影がさす。鷲に視線をもどし、囁くように訊ねた。
「……どうするんだ?」
「〈黒の山〉に連れて行くのかって話なら、かまわないんじゃないか」
鷲は髭をそり終えていた。髪をくくりなおしながら、やはりタパティを眺めている。
「《星の子》に、病気を治してもらいたいんだろ」
「鳩が、懐いている」
隼の口調は苦かった。鷲は、ひょいと片方の眉をもちあげた。
「ああ、そうだな」
「《星の子》に会って、記憶を取り戻して……それから、どうするんだ? 故郷がどこか判ったら、送って行くのか?」
彼女が心配している内容を知り、鷲は口を開けたが、すぐには答えられなかった。隼は、そんな彼をじろりと見遣った。
「お前、本当はわかっているんじゃないのか。混血だろうとどうだろうと、〈黒の山〉よりこっち側――キイ帝国の長城より南には、鳩の暮らせる場所はないって」
「…………」
「〈草原の民〉に攻め込まれたら、ここは戦場になる。黒目黒髪の人間は、外見だけで虐げられると、ラーダ(神官)は心配していた……。あたしも、そう思う。そんなところへ、あの娘を帰せるか? 鳩を」
鷲は眼を閉じ、ゆっくり首を左右に振った。
「居場所は、
それで、隼は少し口調をゆるめた。いたわりをこめて、仲間を見る。
「鳩は、お前がいなきゃ駄目だろう。お前が暮らせないところで、あいつが納得するとは思えない」
鷲は困ったように眉根を寄せた。何事かを言いかける。しかし、話題の当事者たちがやって来た。
「お兄ちゃん!」
鳩は元気よく駆けより、例によって鷲の腰に抱きついた。ちょうどみぞおちを頭突きされる形になり、鷲は顔をしかめたが、苦笑して抱きとめた。
タパティとオダが、後からゆっくり近づき、会釈をした。タパティは、しげしげと鷲を眺めている。
「ご兄妹なんですか?」
オダが訊いた。どうしても気になると言うより、話題を探してのことだ。
「そうよ! はとの、お兄ちゃん!」
少女が得意げに答える。オダは戸惑った。誰が見ても、無理のある話なのだ。外見が違い過ぎる――
鷲は、首を一方へ傾けた。隼の方へ。
「俺たちのことか?」
「はい。そうです」
オダはほっとしたが、隼は、「げ」という形に口を開けた。鷲は、まとわりつく鳩をそのままに、ゆるく苦笑した。
「血のつながりはない。俺と隼も、雉も」
「なら、どうして――」
銀の髪に碧の瞳、白い肌。こんな容姿の人々が暮らす国が、どこかにあるのだろうか? 少年は興味があったが、当人たちの表情は曖昧だった。
「どうして、だろうな? 隼」
「あたしに訊くなよ……」
などと言っていると、エツイン=ゴルが、ラーダ(神官・オダの父)とともにやって来た。
「《鷲》、《隼》」
「おう、エツイン」
恰幅のよい商人が、衣に包まれた大きな腹を揺らして近づくのを、鷲は、水桶の縁にもたれて迎えた。エツインと並ぶと、ラーダはさらに痩せて見える。日に焼けた顔の中で、緋色の眉が難しげに寄せられているのが印象的だ。
ラーダは、二人に軽く頭をさげた。
「先ほどは、どうも」
「どうなった? エツイン」
鷲が訊く。一応、自分が暴れたことの
「イエ=オリのあの怪我では、リタ(ニーナイ国の首都)へ向かうのは無理だ。ひきかえす方がよかろう」
「先に剣を抜いたのは、こちらですから――」
ラーダは、残念そうに首を振った。
「お互いに、補償はもとめない、ということになりました。戦を前に気が立っている村人のこと、お赦し下さい。……貴方がたも、早くこの地を去られた方がよい。水や食料の協力はしましょう」
「それは、ありがたい。こちらも手伝えることがあれば、言って下され。よいな? 鷲」
言葉を交わすエツイン=ゴルと神官を見守り、隼は神妙な顔になった。
念を押された鷲は、鳩の肩に両手を置き、きまり悪そうに眉を曇らせた。空を仰ぎ、溜息まじりに肩をすくめ――どうしたのかと、オダが思っていると――彼は、タパティに話しかけた。
「なあ、お嬢ちゃん」
「えっ? あっ、はい?」
どうやらタパティは、今までずっと鷲を見詰めていたらしい。打たれたように背筋を伸ばし、とび色の瞳をまるく見開いた。
鷲は(これは彼の癖だと、オダは分った)、片方の眉をあげて彼女を見下ろし、穏やかに
「珍しいのは分るんだが……そう、まじまじ見られると、恥ずかしい」
「えっ、きゃ、ごめんなさい」
タパティは両手で口元を覆い、ぱあっと頬を赤らめた。慌てて視線を逸らす。それで、鷲はさらに困り、頭の後ろをぼりぼり掻いた。
タパティは、消え入りそうな声で呟いた。
「ごめんなさい……。ルドガーみたいって、つい」
「ルドガー?」
鷲と隼は、同時に首をかしげた。オダが、代わりに説明した。
「嵐の神です。ナカツイ王国からこっち、ニーナイと、ミナスティア王国で信仰されている神々のひとりですよ。白い肌と銀の髪をもつので、似ているねって話していたんです」
「ああ」
隼は面白くもなさそうに頷いたが、鷲は、興味深げにつぶやいた。
「そういうことは、覚えているんだな……」
タパティは、耳まで真っ赤になって項垂れている。鷲は、ふむ、と鼻を鳴らした。
「……自分が何者なのか、分からない。どこへ行くべきか」
鷲は、肩をすくめた。明るい碧眼が、笑うようにきらめく。
「なら、俺たちと同じだ。行こうぜ、一緒に」
タパティは顔をあげ、やや呆然と彼を見返した。言葉の意味が、分からなかったかのように……やがて、理解した故の驚きに、瞳が大きくみひらかれる。はにかんで微笑み、うなずいた。
この遣り取りを、きらきらと瞳を輝かせながら聴いていた鳩が、歓声をあげて彼女に抱きついた。
「やったあ! 来てくれるんだ、お姉ちゃん。よろしくね」
「え、ええ……こちらこそ」
オダは、ほっと息を吐き、父と顔を見合わせた。ラーダが頷きかえす。――これで、タパティを〈黒の山〉へ送る手はずは整った。あとは、〈草原の民〉をどうするか、だ……。
少女のはしゃぎように、鷲は、どう対応すべきか思案している様子だった。隼が、舌打ちして声をかけた。
「……恥ずかしい? お前が?」
「何だよ」
隼は、胸の前で両腕を組み、皮肉たっぷりに続けた。
「恥ずかしがるような
「悪いか? お嬢ちゃんだろうが。お前とそう歳は変わらんぜ」
「あたしは、そんな風に呼んでもらったことないぞ。どうせ、下品なことを考えたんだろう」
「聞き捨てならないな。俺のどこが下品だって?」
「全部」
「……失礼な奴だな。この、あふれる気品が分らないのかよ」
「どこがだ」
突如はじまったかけあいを、オダとタパティは勿論、ラーダも驚いて眺めた。
隼は、少年のように軽く身をひるがえすと、タパティの肩を引いて鷲から遠ざけた。
「タパティ、こいつに近づいたら駄目だぞ。何をされるか分らんからな」
「え、え?」
「人聞きの悪いことを言うな。まるで、俺が変質者みたいじゃないか」
「違うのか」
「俺ほど品行方正な奴が、このカールヴァーン(隊商)に他にいるかよ」
「嘘をつけ、嘘を」
「……一瞬の迷いもなく切り捨てたな、今」
「当然」
「ああ、わかったよ。もういいよ。いつも、そうやっていぢめるんだ……」
「拗ねるな、不気味だ」
小気味よいほどの勢いで隼に言い返され、鷲は、しゅんと項垂れた。会話の途中から、エツイン=ゴルは腹を抱えて笑っており、ラーダも苦笑していた。耐えきれずにくすくす笑いだしたタパティの耳に、鳩は口を寄せた。
「大丈夫よ、お姉ちゃん。お兄ちゃんは、優しいから」
それはタパティにも、オダにも予想できた。少女が無邪気に抱きつき、隼のような若い娘にけなされても、怒る気配はない。
照れて頭をかく鷲に、タパティは、改めて一礼した。オダが、後に続く。
「よろしくお願いします」
「〈黒の山〉まで、ご一緒させて下さい」
「ああ。うん……こちらこそ、よろしく」
すっかり毒気を抜かれた呈で鼻の頭をかく鷲を、エツイン=ゴルは微笑みながら、隼は、やや苦々しく眺めていた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます