第一章 旅立ち(6)


              6

 

 前夜のうちに旅装を整えたオダとタパティは、まだ暗いうちに家を出た。ラーダとデルタは、見送りだ。

 隊商の出発は、日の出まえ、荷物を駱駝らくだと荷車に載せることから始まる。彼らが宿営地に着いた時は、まだ天幕を片付けている最中だった。

 男たちが、天幕の柱を支え、女たちが、地面に打ちこんだ杭を抜く。補強のために張った縄を一本も切ることなく、ばらばらにする。駱駝の毛織の布に柱と杭をくるみ、縄で縛っていく。みるみるうちに、大小の天幕が畳まれて、荷台に載せられた。

 ラーダはエツイン=ゴルを捜したが、男たちの間にまぎれ、どこにいるか判らなかった。戸惑っていると、子どもが一人、暁の薄闇のなか、驢馬ろばを牽いてやって来た。


「オダ、おはよう。お姉ちゃんも」

「鳩ちゃん」


 タパティが答えると、頭からすっぽり外套をかぶった鳩は、顔を見せて微笑んだ。オダの頬が、安堵にゆるむ。

 鳩は驢馬の首を撫でながら、少年の旅装を眺めた。


「オダも、達と一緒に行くの?」

「そうだよ」


 驢馬がぶるると鼻を鳴らし、オダはひるんだ。鳩は、怪訝そうに続けた。


「そんな格好で、大丈夫? 外套は?」

「駄目かなあ」


 鳩は、今までの裸足と違い、膝までおおう革靴を履いていた。外套のしたの服は長袖で、しかも重ね着している。毛織の外套は膝にとどき、腰には短剣を帯び、片手に杖を持っていた。

 鳩に比べると、オダはいかにも軽装だ。靴は皮製の平靴サンダルで、帯刀もしていない。半袖で、片手に荷物を提げ、外套や杖はない。タパティも同程度だった。

 鳩は、首をかしげてオダを見た。


「旅をしたことないの? 外套がないと野宿できないし、火ぶくれしちゃうよ」

「火ぶくれ……」


 口ごもるオダ。タパティとデルタは、顔を見合わせた。


「涼しい方がいいと思ったんだけどなあ」

「だめだめ。痛いんだよお。皮が剥けちゃうんだから」

「それは、あたし達の話だろう? 鳩」


 穏やかな声に振り返ると、鳩と同じく毛織の外套をかぶった人影が、こちらに近づいていた。頭巾からわずかにのぞく銀髪と紺碧の瞳で、隼だと判る。彼女は苦笑していた。


「お姉ちゃん」

「オダは大丈夫だよ、いい肌の色をしている。……鳩。あたし達は、オダみたいに強い肌をしていないから、火ぶくれしちまうんだ。鷲と雉も、こんなに日焼けしていないだろ」 


 オダに向かって、説明する。


「あたし達の肌は、剥がれてしまうんだ」

「そうなんですか?」


 それは痛そうだ。オダは、彼らの苦労に同情した。隼は、静かにわらった。


「ただ、外套は着ていた方がいい。陽射しにやられなくても、砂にやられちまう」

「一応、持って来ているんですよ」


 オダは荷袋を地面に置き、一番上に畳んで入れておいた外套を引っぱり出した。袋の半分が空になったのを見て、隼は苦笑した。

 彼らとは形の違う外套をまとって、オダは隼に確認を求めた。


「これで、いいですか?」

「ああ。……太陽を、あまり見るんじゃないぞ。皮膚とは逆に、沙漠の人間は、あたし達より目が弱いらしいから」

「はい」

「それと……」


 隼は、オダの荷袋をぶら提げた。軽く首を傾げて考える。外套の裾が地面に着くのも構わずしゃがむと、袋に細工を始めた。

 タパティ達が見守るなかで、隼は、袋の口紐と底をつかみ、紐の一部を底に巻きつけた。縛って二つの紐の輪を作る。オダを手招きし、その輪に彼の両腕を通させた。

 荷袋は、オダの背中に負われる形になった。


「こうすれば、疲れない。歩くときは、両手を空けておいた方がいい」

「はい。有難うございます」


 オダは、空色の瞳を輝かせて、立ち上がる隼を見上げた。隼は、少年の肩を軽く、親しみをこめて叩いた。

 一連のやりとりを見守っていたラーダは、ほっと微笑んだ。


「いろいろ、ご迷惑をおかけすると思いますが、よろしくお願いします。隼どの」

「なに、こちらこそ。鳩と仲良くしてやってくれよな、オダ」

「はいっ」

「よろしくね、オダ」


 隼と目が合って、オダは頬を赤らめた。鳩が差しだした手を、握り返す――少し、恥ずかしげに。

 ラーダは、忙しげに働いている商人達へ視線を向けた。


「鷲どのやエツイン殿にも、ご挨拶したいのですが……」

「仕度ができたら合図があるから、それからにしたらどうだ」

「判りました」


 隼は、ラーダからタパティに視線を移すと、真っ直ぐ彼女の顔を見詰めた。奥に深い色をたたえた碧の瞳は、恐ろしいほど澄んでいる。タパティは、一瞬、見惚れかけた。


「長いつき合いになりそうだ。よろしく」

「あ、いえ。こちらこそ――」


 などと言っていると、


「おーい、鳩。隼」


 鷲が、エツイン=ゴルとともにやって来た。荷車を牽いた驢馬を連れている。オダたちが集まっているのを見て、白い歯をひらめかせた。


「おはよう、オダ」

「おはようございます」

「タパティも、鳩と一緒に乗っていくか? イエ=オリを乗せるんだ」

「え。歩きますよ、わたし……」


 隼が、囁くように言った。


「無理はしない方がいい。どうせ、全員は乗れないんだ。陽が昇れば暑いし、交代で、休みながら行こう」

「わかりました」



 川の方で、木鐸もくたくの音がした。出発の合図だ。コーン、コーン……と。駱駝と驢馬がいななき、人々のざわめきが大きくなった。

 エツイン=ゴルは、ラーダに向き直った。


「水と食糧をありがとうございます。お世話になりました」

「こちらこそ。道中のご無事をお祈りします」

「ニーナイの皆様も」


 挨拶をくりかえす男たちの隣で、デルタは、タパティを抱きしめた。


「元気でね。気をつけて……」

「はい。おばさんも」


 二人は涙ぐみ、互いの額を合わせて微笑みあった。


「私らのことは、心配しないで。無事に〈黒の山〉に着いて、病気が治って、ご家族に会えるよう祈っているよ」

「…………」


 タパティは言葉をうしない、指先で目元をぬぐいながら、何度もうなずいた。

 デルタは、甥(オダ)も抱きしめた。少年は恥ずかしそうにしていたが、頭を撫でられるのに任せた。


「怪我をしないように。皆さんの言うことをよく聞いて、働くんだよ」

「はい、必ず」


 オダはぐいと顔を上げ、口元をひきしめて父と伯母を見た。


「必ず、《星の子》にお目にかかり、リー将軍にとりついで頂きます。〈草原の民〉が来る前に、帰って来ます」


 ラーダは、すぐには応えられない様子だったが、一拍おいて頷いた。


「……頼んだぞ」

「はい」


 ――この会話を聴くと、鷲は、いぶかしげに片方の眉を持ち上げた。目だけで隼を見遣ったが、彼女は、我関せずという風にきびずを返した。



 カラカラと鈴を鳴らし、駱駝たちが立ち上がる。あるものは荷車を牽き、あるものは人と荷をこぶの上に乗せている。

 折よく、東の山脈のむこう側から昇った朝日が、金色の光で辺りを照らし、地平線を紫色に染めていた。

 エツイン=ゴルが駱駝に乗り、鞭を天に掲げて呼ばわった。


「出発だ!」


 それで、駱駝の列は歩き始めた。驢馬と徒歩の人間、荷車がつき従う。ラーダとデルタ、長老たち、村の人々が見送るなかを、広場を出て、沙漠へと向かう。

 タパティとオダは、荷物を荷車に預け、徒歩で従った。何度もふりむいては手を振る二人を、鳩は驢馬の手綱をひき、隼は自分の荷を背負って歩きながら、見守っていた。

 石畳の道は消えたが、川岸には果樹園が続いていた。梨やすもも、柘榴、葡萄、サクラといった木々が、緑の葉を風に揺らしている。人の手で整えられた緑地を、一同はしばらく黙って進んだ。

 やがて、隼が、ぼそりと呟いた。


「いい国だな」


 エツイン=ゴルの乗る駱駝の隣を歩きながら、鷲は、彼女を見下ろした。隼は、独り言のように続けた。


「平和で、公正だ。ラーダも、長老たちも」

「……そうだな」


 先に抜刀したのは村人の方とは言え、騒ぎを起こした鷲たちは、投獄されてもおかしくないはずだった。タパティとオダを連れて行くことを条件に、交渉が行われたのだろう。


「国の成り立ちも、あるのだろうな」


 エツイン=ゴルが、鞍の上で身を傾け、何食わぬ顔で口を挟んできた。項垂れているオダ少年に、いたわりの眼差しを向けている。


「昔……キイ帝国とミナスティア王国が、ナカツイ国をまきこんで戦争を行った際、戦乱を逃れてきた人々が建てた国だと言われている。故に、争いを嫌い、公正をむねとし、商いを生業とする」


 イエ=オリのことを思い出したのだろう、軽く肩をすくめた。


「まあ、多少の例外はあるがな」

「弱い国です」


 オダは唇を噛んでいた。歩きながら項垂れ、拳をにぎる。


「弱い、民です……情けない。くだらない喧嘩は起こすくせに、国を護るために戦うことは出来ない。〈草原の民〉に襲われても、成すすべもない、なんて――」


 少年の細い声は、泣くようにふるえていた。拳の背で、ぐいと目をこする。隼と鷲は、ちらりと互いの顔を観た。


「……だから、お前が行くんだろ?」


 隼が言い、オダは、瞬きを繰り返した。鷲は、傷ついた己の手を見下ろし、自嘲気味に苦笑した。


「武器をとって戦うだけが、闘いじゃあない。――強いってことじゃ。誰も傷つかずに暮らせる方が、絶対いいんだ」

「はい。ありがとうございます」


 オダが礼を言うと、鷲は、荷物を負っていない方の手で、軽く少年の背を叩いた。あとは黙って、前を観る。

 隼は、時折ふり返っては、怪我人を乗せた荷車と、その傍らで驢馬をひいている鳩、少女と並んで歩くタパティの様子を確かめていた。雉は、別の男たちと一緒だ。

 道はやがて、川沿いの緑地を抜け、乾いた荒地へと入って行った。やがて、本格的に砂におおわれた砂漠へと続いていく。


 行く手の地平線は黄色くかすみ、はるか遠い山々は、蒼い空に融けている。その上に、神々の蓮華とうたわれる峰々が、白く輝いていた。





~第二章へ~

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