第二章 草原の民
第二章 草原の民(1)
1
エツイン=ゴルの率いるカールヴァーン(隊商)は、交易の道を外れ、砂漠から沙漠へと、巡礼の道に入って行った。聖なる〈黒の山〉を目差すその道も、今は〈草原の民〉のお陰で閑散としている。ところどころに道標として積み上げられた石の小山が、ここが人の通り道であると示していた。
駱駝と荷車の列は、その石の山をたどり、水場ごとに天幕を張りながら旅を続けた。幸い、道はクド=タハト山脈の西端に沿い、雪融け水がそこかしこに湧いている。気温は徐々に下がっていたが、彼らは、あたたかな天幕で夜を過ごすことが出来た。
軟らかい砂のなかを歩いていた時はまだしも。硬い石の散らばる
夕暮れ。駱駝たちの足を止め、宿営用の天幕を張ると、鷲は、オダを手招きした。
「見せてみろ」
少年の細い足首に不釣りあいに大きな足の裏は、砂漠の砂を踏んで過ごしてきたために、厚く硬くなっている。その足と壊れた平靴を交互にながめ、彼は、思案気に眉根を寄せた。
「あの。大丈夫ですよ、僕……」
「待ってろ。作ってやる」
「え?」
鷲は、こともなげに言うと、自分の荷物から羊の皮を出してきた。骨ばった長い手指をつかって少年の足の大きさを測り、皮をひろげて位置をとる。細工用の道具を並べはじめたので、オダは驚いた。
「任せておけばいいよ」
雉が、乾燥した駱駝の糞を使って火を熾しながら言う。
「こいつは、そういうのが得意なんだ」
「そうなんですか……」
「はとの靴も、お兄ちゃんが作ってくれたのよ」
にこにこと少女がつけ加え、それで、オダは遠慮をやめることにした。興味津々に見守る子ども達の前で、鷲は、噛み煙草を口に含み、黙々と作業を続けている。皮の裏に印をつけて裁断する手際に、迷いはない。エツイン=ゴルが彼の手を商売道具と言っていたのはこのことかと、タパティがぼんやり考えていると、隼が声をかけてきた。
「あんたはこっちだよ、タパティ」
「え? はい」
隼は、女たち(タパティと隼と鳩の三人)が使っている天幕に彼女を招き入れ、荷物のなかから皮靴をとりだした。表面に花模様の刺繍のはいった長靴を、無造作にさしだす。
「これ、履けるか?」
「ええ、たぶん」
タパティが素直に履くと、靴は、ちょうど彼女のふくらはぎをおおう長さだった。内側が二重になっていて、暖かい。タパティが感心していると、隼は、眼を細めた。
「その服も、何とかしないといけないよな……」
ぶつぶつと呟き、荷袋から、今度は布をひっぱり出す。それが綿の
「あの、隼さん――」
「直に身につける物だから、嫌かもしれないが」
彼女の戸惑いを、別の意味に解釈したらしい。隼は、首を傾げた。
「エツインに言えば、新しいのを用意してくれると思うけど……あんた、銀は持っているのか?」
「銀……」
タパティは呟き、荷袋をさぐった。ニーナイ国やナカツイ王国など、大陸南部の国々は、主に銀を使って交易している。商人のエツイン=ゴルから品物を得ようとすれば、それなりの対価を払わなければいけない。彼女は、出発の際にラーダとデルタが持たせてくれた小袋をとりだした。
袋の口を開けてみると、スティル(銭、約四グラム)と呼ばれる銀の粒が数十に、バクル(両、約四十グラム)銀貨が数枚入っていた。言葉をなくすタパティの傍らで、隼は溜息をついた。
「……そいつはとっておきなよ。ラーダの気持ちだ。この先、役に立つことがあるだろうからさ」
「はい」
泣きたい気持ちとともに袋を収めたタパティに、隼は
「隼さんの着替えは――」
「語呂が悪いから、隼、でいい。これから山に登るんだ、そんな格好じゃ、寒くて行けないよ。……あたしは、他にもある。使ってくれ」
「はい。……ありがとう、隼」
タパティが丁寧に礼を述べると、隼は照れたように顔を背け、肩をすくめた。それで、タパティは微笑んで衣類を受け取った。
二人が天幕を出ると、気配に気づいた鷲が、顔を上げてこちらを見た。タパティの服装に気づき、軽く眼をほそめたが、何も言わずに作業に戻った。目打ちで皮に穴をあけ、動物の腱糸で縫い合わせている。
タパティは、彼の反応のうすさに、少しがっかりした。
代わりに、鳩が歓声をあげた。
「わあ! お姉ちゃん、似合う」
「ありがと、鳩ちゃん」
辺りは薄紫の宵に染まり、炊事の火は明るさを増していた。夕食用のチャパティ(薄焼きパン)を焼き終え、怪我人のために麦粥を作っていた雉は、少女の声にふり返り、一瞬、ギクリとして眼を瞠った。急いで隼を見遣ったが、彼女はそ知らぬ顔をしていたので、取り繕うように視線を逸らした。
タパティには、雉の反応は不可解だった。隼が服と靴を与えたのだとすぐに理解したらしいが、決していい印象を受けた風ではなかったのだ……。
雉は、麦粥を入れた器を手に、立ち上がった。
「イエ=オリに届けてくる。先に食べていてくれ」
「おう」
鷲は、煙草を噛みながらくぐもった声で応えたが、顔は上げなかった。今夜中にオダの靴を仕上げてしまうつもりらしい。
鳩が、うきうきと茶を淹れて皆に配った。
隼は、腰を下ろして胡坐を組み、雉の去った方へ視線を向けた。
「イエ=オリの具合はどうなんだ?」
「出血は止まったそうです」
鷲の代わりに、オダが答えた。少年は、自分の村の者が傷を負わせた商人のことを心配して、毎日見舞っている。
「でも、かなり血を失くして、弱っています。それに、肩の骨が折れているって」
「そうか……」
隼は眉をひそめ、お茶を口に運んだ。イエ=オリを故郷に帰すために、隊商はリタ(ニーナイ国の首都)を目指すのを諦め、引き返してきたのだ。家まで送りたいと願っているが、予想以上に彼は重傷だった。
薄く切った干し肉をチャパティに包み、ダル(豆のスープ)とともに食べながら、鷲が、ふいに口を開いた。
「タパティ……《
「えっ?」
タパティは、眼をみひらいた。途端に、隼が、げんなりした顔になった。
「またかよ、鷲」
「だって。俺は言いにくいんだ、タ、ぱティ、って。チャパティ(薄焼きパン)と紛らわしい。こっちの神様だかなんだか知らねえが、」
オダが、小声で訂正した。
「精霊です……」
「どっちでもいい。要するに、真の名じゃないんだろ。どんな呼び方でもいいはずだ」
タパティ自身はきょとんとしていたが、鷲は、独りで満足げに頷いていた。
「俺は、鷹と呼ばせてもらう。よろしくな、鷹」
「あ、はい。こちらこそ」
隼は、片手で顔を覆った。
「タ、つながりかよ……安易だな」
鳩は上機嫌だ。
「誰でもみんな鳥にしちゃうんだよね、お兄ちゃんは」
鷲は、言いたいことは言ったとばかり、平然とお茶を飲んでいる。
誰でもというわけでないことは、タパティには理解できた。オダやエツイン=ゴルなど、最初から本名を知っている相手には、あだ名をつけてはいない。――エツイン=ゴルに聴いたところでは、東方のヒルディア王国の人間は、真の名は親がつけるが、魂に結びつくその名を日常使うことはなく、親でさえあだ名で呼ぶという。――何故、いつも鳥なのかは不明だが。彼が親しくなろうとしてくれていると感じられ、嬉しかった。
彼らが食事を続けていると、
「《鷲》」
ナカツイ王国の男が一人、声をかけてきた。濃い藍色の外套が、夕闇に沈んでいる。
「《雉》が呼んでいる。イエ=オリのことで、相談したいんだと」
「俺に?」
鷲は、隼と顔を見合わせると、立ち上がった。作りかけの靴を置き、呼びに来た男とならんで歩きだす。背をおおう銀髪が、夜にぼうと浮かんで見えた。
隼は肩をすくめて坐り直したが、鳩が立ち上がったので、仕方なく腰を上げた。結局、タパティとオダ、隼と鳩の四人で、ぞろぞろ後について行く。
隊列の前方、エツイン=ゴルの天幕を目指して歩きながら、鳩が、隼の腕にしがみついた。
「あれ、もずお姉ちゃんのよね?」
少女が背伸びをしてきたので耳を寄せた隼は、囁きを聴いて、眼をみひらいた。あわく苦笑する。
「覚えてたのか……」
鳩は幼かったので、覚えていないと思っていた。
タパティ――鷹にゆずった靴と衣類は、隼の亡き姉のものだった。鷲と雉は、一目で気づいた。雉は、気に入らなかったようだが……。
鳩はこくんと頷いた。晴れた夜空のような瞳で隼を見詰め、問いかえす。
「いいの? お姉ちゃん」
隼は哂い、少女の頭に片手をのせた。軽く撫でながら、前方に視線を戻す。
「あたしは構わない。それに……
「うん」
この返事に、鳩は、にっこり微笑んだ。それから、ぴょんぴょんと跳んで鷹に追いつくと、彼女の腕に抱きついた。
隼は、少女のお下げが揺れるさまを見送り、黙って微笑んだ。
三角形や四角形の天幕の群れを通りすぎ、たどり着いた隊長の幕前には、仲間を心配した男たちが集まっていた。大柄な鷲が来たので、道をあける。
なかには、傷ついたイエ=オリが横たわり、雉とエツイン=ゴルが坐していた。女たちが、湯を入れた桶や、新しい布を持って出入りしている。傷を洗っていたのだろうと、オダは思った。
雉の作っていた麦粥に薬草らしき草花が添えられているのをみつけ、少年は納得した。
雉は、ひどく沈んだ表情をしていた。イエ=オリの顔色は悪く、呼吸は浅い。
鷲は眉根をよせた。
「どうした? 俺で、役に立つことか?」
「イエ=オリが熱を出したのだ」
雉は答えなかったが、代わりにエツイン=ゴルが説明した。不安げに、青年の土気色をした顔を見下ろしている。
「傷から悪い風(注*)が入ったらしい。
「…………」
鷲は天幕に入り、さらに眉を曇らせた。
オダたちは、入り口から様子をうかがい、息を殺していた。子どもでも、重大なことが起きていると理解できる。
怪我人が意識をうしなうほどの高熱を発すれば、多くの場合、たすからない。傷口から侵入した〈悪い風〉が、内臓を喰い荒らすからだ。オダの村でも、毎年、何人も死んでいる。怪我人だけでなく、
エツイン=ゴルの声は、絶望に暗くにごっていた。
「何としても、雉に……〈悪い風〉を、追い払って欲しいのだが」
『無理だ』 と――囁く声が、オダは、聞こえるように感じた。誰が、ではない。この場にいる全員の心の声だ。薬草程度で〈悪い風〉を追い払うことが出来るなら、むざと死ぬ者はいない……。
雉は項垂れ、つぶやいた。
「説明してやってくれないか、鷲」
「ん?」
鷲は、首をかしげる。雉は、懇願するように繰り返した。
「エツインに、説明してやってくれ。おれのアレは、いつも上手くいくわけじゃあない。それどころか――」
「まあ、待て。落ち着けよ、雉」
鷲は片手をひろげ、仲間をなだめる仕草をした。ちら、と入り口にたたずむオダ達を見遣り、声をおとす。
「……やってみようぜ。出来るかもしれないだろ」
雉は顔を上げ、咎めるような視線を鷲に当てた。鷲は真顔でうなずき返す。
「このままじゃあ、イエ=オリは死んじまう。やってみよう。少しでも、回復させられるかもしれんだろ。俺も手伝うから」
「…………」
雉は、むずかしい表情のまま、イエ=オリを眺めた。鷲は彼の返事を待たず、エツイン=ゴルと顔を見合わせると、隼を見遣った。隼は、心得て頷く。
「オダ、タパティ――《鷹》。あたし達は、戻っていよう」
二人の肩に手をふれ、隼は促した。オダが口ごもる。
「え、でも……」
「傷の手当をするだけだ、すぐに終わる。……邪魔しちゃ悪い」
隼はそう言うと、踵を返した。鳩が、ぴょんと跳んでついていく。《鷹》と呼ばれたタパティも素直に従ったので、オダは、心残りながらその場を離れることにした。
エツイン=ゴルが手を叩き、人払いを始めた。
「さあ、お前たち、もう大丈夫だ。イエ=オリは元気になる。先に休んでくれ」
去り際に天幕を振りむいたオダは、鷲と雉の二人が、イエ=オリの肩の傷の上にかがみこみ、相談しているさまを目にしたが――女たちの手によって、入り口の蔽いがさっと引かれたので、諦めた。
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(注*)悪い風: ここでは細菌感染による敗血症を想定しています。この世界に抗生物質は存在しません。
鷲:「雀や、ヤンバルクイナとは、つけていないぞ」
隼:「…………」
鷲:「俺は知らないけど、『科学〇者隊ガッ★ャマンとも違う』 と、作者が言ってたぜ」
隼:「言うな!」
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