第八章 勝利なき戦い(3)


           3


 乳白色の朝もやを背景に、しっとり濡れた毛並みを波打たせてたたずむ四頭の馬は、夢幻のなかの生き物のように美しかった。宙をただよう水の粒子が光を反射して、彼等の周りに虹の幕をつくる。

 トグルは愛馬との別れを惜しみ、神矢ジュベの頬に額をおしあて、小声で話しかけていた。鳩も彼(ジュベ)の背をくりかえし撫でて礼を言う。

 雉とオダとサートルは、少し離れて見守っていた。


「キイ帝国にも馬はいます。良馬は人を見分けると言います。よこしまな心をもつ人間は、これを寄せつけぬと」


 セム・サートルは、感慨ぶかく呟いた。


葦毛ボルテは拒むことなく私をここまでせて来てくれました。彼等はほんとうに、賢いですね」


 雉はうなずいた。トグルにとって神矢ジュベ葦毛ボルテたちは、隼に出会う以前からともに暮らしてきた家族だ。兄弟同然の彼等が寄り添うさまを観ていると、馬たちがトグルを引き止める声が聞こえる気がした。


 ――ここは良くない。

 ――行っちゃ駄目だ。嵐が来るよ。

 ――いっしょに帰ろう。

 ――帰ろうよう……。


「先に戻っていてくれ。必ず、帰る」


 トグルは馬たちを促した。一頭一頭、そっと背を押してやる。

 彼等は大きな黒い瞳で主人をじっと見詰めていたが、やがて向きを変えて歩き出した。鹿毛コアイ栗毛ゼルドゥが肩を並べ、葦毛ボルテが、最後に神矢ジュベが名残惜しそうに去って行く。

 森の中に、彼等の姿と足音が融けていった。木の葉のざわめきと、鳥のさえずりが蘇る。風が流れ、もやを払う。

 オダには、トグルの横顔が急にやつれてしまったように見えた。病が篤かった時期をのぞき、こんなに意気消沈した彼を観たおぼえがない。

 トグルは荷物を肩にかけ、歩きながら呟いた。


「馬を降りた遊牧民は、遊牧民とは言えぬ」


 オダははっとした。苦いものが喉を塞いだ。

 馬と違いニーナイ国から連れて来た駱駝ラクダは元気なので、彼等は荷物を移しかえた。サートルと雉も、着替えや食料を背負っていく。森から街道へ出ると、シジンとエセル達が待っていた。

 ミナスティア国の男たちは、二頭の牛に荷車を牽かせていた。シジンは一行に丁寧に挨拶した。


「各地へ伝令を送りました。地主たちに、和解のために集まるよう呼びかけています。集合場所はカナストーラです」


 トグルは頷くと、興味深げに牛を眺めた。鳩が小さく歓声をあげる。北方の毛長牛ヤクと違い、毛がみじかく肩の骨が盛り上がったこぶ牛だ。白とぶちの二頭は、優しい眼差しで彼等を見返した。

 エセル=ナアヤは同行する五人の仲間を紹介すると、車に積んだ荷物について、やや照れながら説明した。


「武器は載せていない。嵐に備えて民を避難させるなら水と食料が必要だろうと、地主がもたせてくれたんだ。あんた、乗って行くか?」


 鳩は首を横に振り、草原の男を見遣った。トグルは無言で踵を返し、歩き始めた。

 一人だけ女性の鳩をふくむ十一人の男たちは、駱駝と二頭の牛とともに南を目指した。

 エセルと元戦士階級の男達は、トグルとセム・サートルの鍛えぬかれた体躯に感服していた。消えた王族と同じ、旧い血に繋がる〈草原の民〉。遙か天空の山々の向こうから来た、キイ帝国の青年――。

 シジンと雉は、そっと顔を見合わせた。



 一行はシジン=ティーマの案内で、着実に旧王都へと向かった。粛々と。トグルはもとより無口であるし、今は体調が芳しくない。雉は彼を心配していたが、本人が音をあげないかぎり何を言っても無駄だろうと思った。鳩はこぶ牛を気に入り、荷車の隣を歩いて話しかけている。

 雲の多い日だった。生ぬるい風が吹き、薄灰色の雲が集まって時折ひざしを遮った。歩くには快適だが、これは嵐の前兆だ。


 昼下がり。森が街道へ、小さな影を吐き出した。続いて、それより長い人影を。最後にがさりと茂みを揺らして現れたひときわ大きな塊が駱駝ラクダだと気づいた時、一行の足が止まった。

 鳩が、まっさきに呼んだ。


「お兄ちゃん?」


 背の高い人物はくるりと振り向き、外套の襟から長髪がこぼれた。日差しを反射してきらめく銀の髪に、エセル達が息を呑む。

 オダも驚いた。


「鷲さん?」

「鳩? お前、何でここに――」


 欠伸を噛み殺していた鷲は、顎が外れそうなほど口を開けた。

 ファルスは、シジンとエセルをみつけ、青い眼をみひらいた。一目散に逃げだす。


「待て、ファルス!」


 鷲は舌打ちし、駱駝ラクダをひいて追いかけた。

 オダ達は、二人と一頭を茫然と見送った。


 鳩が呟いた。

「逃げた……」


 トグルは小さく舌打ちした。

「……世話の焼ける」

 けだるさを振り切り、身を翻す。

「借りるぞ」


 一声かけると、雉の手から手綱をもぎ取り、駱駝に跨った。荷物を捨てて走らせる。サートルの視界を黒い外套がふわりと覆い、離れた。


「ファルス、待て! 逃げるな」


 鷲はトグルが追ってくるのを認めると、とっとことっとこ陽気にこぶをゆする駱駝の隣で、速度を上げた。


「待てってば。逃げなくてもいいんだよ!」


 ファルスは歯をくいしばり、懸命に駆けた。自分でも解らない焦燥につまづきそうになりながら。

 トグルは駱駝に鞭を当て、瞬くうちに彼等に追いつくと、後ろから鷲の襟首を掴んで引っぱった。


「うわあ!」


 その様子を、雉たちは半ば呆れて眺めていた。

 トグルに捕まった鷲が、大袈裟な声をあげて尻餅をつく。手綱にかかる力が消えたので、彼の駱駝は走るのをやめた。

 ファルスは鷲が転んだことに気づいて足を止めた。どうしようかと迷う少年の周りを、トグルは駱駝にってぐるりと巡った。鮮やかな新緑色の瞳、黒尽くめの異様な風体の男に睨まれ、ファルスは呼吸を止めた。


「いってえ~。何すんだ、いきなり」


 鷲は腰をさすって文句をいいかけたが、トグルが駱駝を降りて来たので、言葉を呑んだ。

 トグルは無言のまま、鷲を蹴とばした。


「待て、トグル。話を聞け」


 後ずさりする鷲を、トグルはずんずん追い詰めた。歩きながら帽子を捨て、外套を脱ぎ捨てる。鞘ごと剣を放り出し、素手で殴りかかる。

 トラン(古代拳法)の名手に殴られてはかなわないので、鷲は這う這うの体で逃げだした。手近な木の周囲をまわり、駱駝を盾にする。その鼻先を、拳がかすめた。


「*****、**!」

「その言葉じゃわからん。って、おい!」


 長靴グトゥルが飛んできた。鷲は咄嗟に首をすくめて避け、眼をまるくした。中に鉄片が入っているのだ。


「お前、俺を殺す気か?」

「*****!」

「どうして俺が殴られなくちゃいけないんだよ。理由を説明しろ!」

「自分の胸に訊いてみろ」


 トグルは、ぎりりと奥歯を噛み鳴らした。鷲は、律儀に己の胸に両手をあてた。


「……。わあ! やめろって。おーい、助けてくれ!」


 オダがうんざりして雉に訊ねた。

「どうします?」


 雉は肩をすくめた。

「放っておけばいいよ。じゃれているだけだから」


 鳩はぴょんと跳ねた。

「んもう、お兄ちゃん! トグルも! やめなさいよ!」


 外套を脱ぎ、長衣デールもはだけ、靴も脱いだ。すっかり解けた黒髪を振り乱し、トグルは鷲に掴みかかった。こうなると、本気か冗談か判らない。組み敷かれた鷲は歯をくいしばり、彼を頭上に投げ飛ばした。

 駆け寄った鳩が、足を止める。


 鷲はぜいぜいと息を切らし、汗でびっしょり濡れた身体を地面に投げだした状態で、トグルの呆れ声を聞いた。


「まったく。お前という奴は……」


 踏みにじられた草が、顔の側で青い芳香を放つ。空が眩しい。

 トグルは長い脚を放りだして座り、切れ切れに繰りかえした。


「お前という奴は……次から次へと」

「何だよ」


 ファルスが眼を瞠っている。鳩が傍らに来て見下ろす。懐かしい面々に片手を挙げて応えながら、鷲は、相棒の声に笑いが混じったことに気づいた。


「まいったな……面白い」

「…………」

「お前といると、楽しい。生きることに厭きない……。困った奴だ」


 鷲は何も言えなくなり、ぽりぽり頬を掻いた。

 トグルはくつくつ喉を鳴らし、それから腹を抱えて笑いだした。滑らかな声を高らかに響かせる草原の男を、シジンとエセル達は呆然と見守った。


 雉は二人の傍らに来て、声をかけた。


「久しぶりだな、鷲」

「よお、雉。お前は山に籠ってると思ってたぜ」


 雉はにこりと微笑んだが、黙っていた。

 鷲は身を起こして胡坐を組み、顔にかかる髪を掻きあげた。トグルは立ち、服についた砂を払う。



 ファルスは混乱していた。『何だ、この連中は』

 鷲と同じ銀髪碧眼の男がもう一人いるだけでも驚きなのに、黒髪の女は見たことのない服装をしている。それに、ほんものの〈草原の民〉だ……。

 革靴を履きなおしてこちらを一瞥するトグルから、少年は目が離せなくなった。長い黒髪と緑の眼、黄色い肌に黒い衣。革製の帯に下げられた長剣は、鷲と同じ遊牧民の剣だ。

 鷲は、立ち尽くす少年に話しかけた。


「逃げるなよ、ファルス。もう、逃げるのはやめろ」


 シジンとエセル達を見遣り、念を押した。


「大丈夫。皆、俺の仲間だ」


『仲間って』 いつでも逃げ出せるよう身構えながら、ファルスは男達を眺めた。

 緋色の髪と褐色の肌の若い男が、興味津々といった顔でこちらを見ている。黒髪の女が、背をかがめて覗き込む。その向こうに――

 ファルスは、ごくりと唾を飲んだ。


 蜂蜜色の髪、哀しげな藍色の瞳をした隻腕の神官の隣に、火傷の護衛がいる。片頬は傷でゆがみ、口元は引き攣っている。

 シジンが囁いた。


「エセル」

「わかっている」


 エセルはむっつりと応えて、少年を見据えた。



               *



「さて」


 鷲は、ぱんぱんと衣の裾を払った。


「なんか、珍しい奴がまじっているが……。自己紹介しないか。お互い、知らない奴もいるし」


 ファルスの肩に手を置き、引き寄せながらエセル達を見た。


「珍しいって」


 雉はへなへなと体の力が抜ける心地がした。のほほんとした口調には慣れているつもりだが。

 ひとしきり暴れて笑って気が済んだトグルは、普段の無表情に戻っている。

 鷲は、警戒している少年の肩を両手で包み、勝手に喋り始めた。


「俺は鷲、こいつはファルス。こいつは雉、見てのとおり俺の仲間だ」

「よろしく」


 雉は微笑みかけたが、ファルスはじとっと睨み返した。

 構わずに、鷲は続けた。


「そっちの黒いのは、トグル。俺の友人ダチで〈草原の民〉だ。隣は鳩、俺の妹分。ニーナイ国のオダと――」


 金赤毛の青年を観て、ぱちんと瞬きをする。サートルは丁重に腰をかがめた。


「お初に御目にかかります、鷲どの。セム・サートルと申します。セム・ギタの弟です」

「へえ!」


 鷲は、無邪気に細い眼をみひらいた。太い声に笑いがまじった。


「ギタの弟かあ、よく来たなあ。……ええと、シジンは知ってるよな? ファルス。神官だけど、俺の仲間だ。それから――」


 ファルスがシジン達を恐れていると知っている彼は、慎重に言葉を濁した。

 エセルも慎重に応じた。


「ナアヤだ。エセル=ナアヤ。皆、同じ階級だ」


 五人の男達は、順に名乗った。


「ナアヤ?」


 聞き覚えのある呼称に、鷲は片方の眉を持ち上げた。シジンが説明する。


「この国では戦士階級の者を《ナアヤ》という。レイと共にいたのは、テス=ナアヤだ」


 鷲は、ふうんと思案げに頷いたものの、ファルスの表情が硬いままなので肩をすくめた。一同をぐるりと眺め、照れたように笑う。


「こんなところで逢うとはなあ。いちばん驚いたのは、トグルだが」


 草原の男は、フッと唇を歪めた。

 鷲はただ一人の女性に声をかけた。


「おい、鳩。鷹と鳶も来ているのか?」

「村に残っているわ」


 シジンは内心ぎくりとしたが、会話を聞いてほっとした。鷲もレイを連れてきているわけではないらしい。

 鳩は、ぷくっと頬を膨らませた。


「お兄ちゃんの帰りが遅いから、心配して、みんなで捜しに来たんじゃない」

「あはは。わりぃ、わりぃ。こっちもさ、いろいろあったんだよ」


 鷲は、ひらひら片手を振った。悪びれないその態度に、鳩はさらに怒ってみせようとしたが、上手くいかなかった。

 ファルスは焦れはじめていた。とりあえず、鷲が無事で男達に危害を加えるつもりがないのは理解した。それだけでいい。

 鷲は少年の焦りを察して、彼の頭を撫でた。


「話せば長いんだ。悪いが、先を急いでいる。じゃあな」


 そう言うと、片手でファルスの手を引き、もう片方の手で駱駝ラクダの手綱を拾って歩き出した。


 雉はトグルを見上げ、トグルは目だけで彼を見下ろした。あまりにあっさりと言われ、シジン達が狼狽する。


「鷲さん!」


 オダと鳩が慌てて追いかけた。サートルとトグルは、先ほど放りだした荷物を駱駝の背に固定しなおした。

 オダはファルスと鷲を交互に見て、後ろのシジンを指差した。


「シジンさんを捜しに来たんじゃないんですか? それなのに、何処へ行くんです?」

「そうなんだけどなあ」


 鷲は足を止め、途方に暮れた様子で佇んでいる神官達を顧みた。少年の細い手を握りなおし、彼等にも聞こえるよう声をあげた。


「この子の母親が、カナストーラで待っているんだ。大怪我をしていて、急がないと死んじまうかもしれないんだよ」


 ファルスは唇を噛んだ。


「母親?」


 初めて聴く話に、シジンとエセルは顔を見合わせ、小走りに駆け寄った。他の男達が、牛たちと荷車を牽いて来る。トグルと雉とサートルも、駱駝を連れてゆっくり追いついた。

 鷲は、大声を出さなくても聞こえる距離まで彼等が近づくのを待って、歩き始めた。

 エセルが、厳しい口調でファルスに訊く。


「どういうことだ?」


 答えようとしない少年の代わりに、鷲が言った。


「お前らは《火の聖女》って言うんだろ?」

「サティワナ……」


 シジンは立ち止まった。冷たい汗が背筋を流れた。

 エセルも息を呑む。自分達が玉座に据えようとしている男の碧眼に、のんびりした口調に似合わない鋭い光をみつけた。

 鷲は、彼等の反応を注意ぶかく眺めた。


「そうだ。熱病で死んだ父親の火葬の火に、殉死と称して、母親を縛って放り込んだらしい。助けようとして、この子も溺れ死ぬところだった」

「…………!」


 鳩は両手で口をおおって悲鳴を呑んだ。オダが凝然と眼をみひらく。


「あれは邪教だ」


 シジンは大急ぎで応えた。鷲は、じっと彼を観た。

 射るような眼差しを、シジンは真正面から受け止めた。


「本当だ。神殿が奨励したことは一度もない。何度も禁止令を出している」


『え?』

 ファルスは驚いて視線を上げた。その瞳に、必死な面持ちの神官と、火傷の護衛の顔が映る。

 エセルはやや憮然と呟いた。


「俺達はやらない……。未だに、そんなことをする村があるのか。そうか。それで盗賊どもタゴイットに拾われた……」

「今は、禁止する者がいないってわけだ」


 鷲は落胆をこめて囁き、少年の手を引いた。ファルスは男達を振り返りつつ彼に従った。神官の声が、頭のなかで繰り返す。


『邪教だ。神殿が奨励したことは一度もない』


 ――なら、あれは何だったのだ。母の受けた仕打ちは。この身に受けた苦痛は。

 デオ達の戦いは。

 いったい、誰を憎めばいいのだ……。



 ぐらぐらと地面が揺れる心地がして、ファルスは項垂れた。その手を、鷲がぐいと引っぱった。迷いなく歩き続ける男を、ファルスは見上げた。

 雉とオダは、会話の内容に戸惑いながらついて行った。

 シジンは遠慮気味に鷲の意向を訊ねた。


「どうするのだ?」

「お前達の話は聞いたからな。今度は、デオ達そいつらの話を聞きに行く」

「そいつら……」


 シジンは蒼褪めた。護衛の一人が呼びかける。


「相手は盗賊タゴイットだぞ」

「盗賊、ねえ」


 鷲は横目でオダを見た。トグルを、サートルを見遣り、うそぶいた。


「盗賊だと思っていた奴が、実はいい奴だった。敵だった奴が助けてくれた。わけがわからんと思っていた相手が、それなりの事情を抱えていた。――なんてのを、俺は何度も経験しているんだ」


 トグルがフッとわらう。狼を想わせる精悍な横顔を眺め、鷲も頬をゆるめた。言葉だけを後方の男達に投げかける。


「だから、お前らがそう言うのも理由はあるんだろうが。俺が合わせる義理はないと思う」


 縋るような空色の瞳にうなずき、声を落とした。


「ファルスの母親が、そこにいるんだ」


 シジンは、迷いのない男の背を見詰めた。広い肩をおおい腰に達する、翼のような銀髪を。

 トグルの言葉が蘇る。


『ワシは、己ひとりを統べる王だ。誰も支配せず、誰にも支配されない』


 ふうっと、シジンは嘆息した。物悲しさが胸に溢れた。

 何度、自分達は同じ過ちを繰り返すのだろう。挫折し、迷い、見失い、ぐるりと廻って同じところに辿りつく。少しずつ生きる力をすり減らしながら。

 オダの自由を羨ましいと思った。エセルの希望を。真実に通じる、トグルの魂の透徹さを。

 だが、一番羨ましいのは鷲だった。『合わせる義理はない』と言い切るつよさ。受け入れ、認めつつ、どれも選ぶ必要がない。

 己を信じる力だった。



「これだけは言っておく」


 鷲はくるりと振りかえり、威圧するように告げた。


「俺は余所者よそものだし、自分てめーがろくでもない人間だと知っている。誰しも事情があるってことも。けどな……俺は、女や子どもや病人、自分てめーより弱い奴や無抵抗の相手に手を上げることは、んだよ」


 ファルスをちらりと見て付け加えた。


「やる方が、女や子どもでもだ」


 ファルスは項垂れた。今は、彼の言葉が身に沁みた。

 少年の事情を知ったエセル達にも、返す言葉がなかった。

 鷲は踵を返し、再び南へ向かって歩き始めた。



 雉はシジンとエセルを同情的に眺め、内心ヤレヤレと肩をすくめた。初対面でこれだ。

『だから、こいつを王にするのは無理なんだよ……』

 鷲は常に己を基準に行動する。他人の立場や意見を考慮には入れるが、その為に気持ちを曲げることはしない。やりたいと思ったことなら誰に非難されようと命懸けでもするが、嫌なことは絶対にしない。複数の対立する意見をまとめて仲裁するなんて、死んでもやらないだろう。

 トグルを救った時も、そうだった。

 黙々と歩く草原の男の肩を、雉は見上げた。鷲は単に彼を『好き』だから救ったのだ。今も、そうするのが『好き』だから、傷ついた子どもを助けたのだろう。

 それでも――雉は苦笑した。わがままでも、自己中心的でも、欠けたものを埋め合わせる為の偽善でも、どこかで誰かのためになるのなら、いいのではないかと思う。

 今の自分達のように……。


 鷲の手は、ファルスの手をしっかり握っていた。



 風が強くなってきた。ほどけた黒髪を首の後ろで括ろうとして、トグルが視線を上げた。


「……何の匂いだ?」


 雉も空を仰いだ。

 灰色の雲から、ぽつりと雨が降ってきた。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

鷲:  「まるで、俺が行き当たりばったりに助けているみたいな言い方だな」

雉:  「違うのか?」

鷲:  「失礼な……。ちゃんと考えているんだぜ」

雉:  「たとえば?」

鷲:  「リー姫将軍についたら、こき使われるうえに下手すりゃ地下牢だが、トグルなら衣食住保障のうえ、美味い酒が飲めるよな」

雉:  「そこか」

鷲:  「ヴィニガの周りにいるのはセム・ギタとかゾスタとか、むさいおっさんばかりだが、トグルを助ければ、ルツとタオと隼の三大美女に感謝される」

雉:  「打算じゃねえか!」

鷲:  「悪いか? なら、俺がトグルこいつをどんなに愛しているか、三日間ぐらいかけて語ろうか?」

トグル:「いや、打算でいい。打算、上等だ」(←真顔)




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