第四章 蜃気楼 燃ゆ(2)


             2


 日暮れ前に、軍団は足を止めた。風は穏やかになったが、厚い灰紫色の雲のせいで、辺りはうす暗かった。

 男達は、早速、携帯していた牛糞で火をおこした。即席の天幕を建て、長衣デールをしっかり着込み、夜間の凍結に備える。

 鷲とオダが馬から荷物を外していると、またシルカス・アラル氏族長が迎えに来た。彼は今度は無言で挨拶し、鷲達は黙って彼について行った。


 トグルと他の氏族長達は、天幕のなかで焚き火を囲んでいた。移動用の炉がすえられ、鍋のなかで乳茶スーチーが温められている。男達は、大ぶりの椀でお茶を飲んでいるところだった。

 トグルは三人を、絨毯の上に胡坐を組んで迎えた。

 鷲は、オルクトやオーラト氏族長に会釈をして、車座の空いていた場所に腰を下ろした。トグルとは、オルクトを挟んだ左隣だ。オダとアラル族長は、そのさらに隣に腰を落ち着けた。早速、彼等のぶんの乳茶が運ばれてくる。干し肉ボルツと、乾酪マルス(干しチーズ)の欠片も。

 オルクト氏族長が、興味深そうに口髭をこすりながら鷲を眺めている。鷲は、彼からトグルへ視線を戻した。


「皆に、紹介する」

 一同を見渡して言う。トグルは、いつも通り淡々としていた。


「〈黒の山カラ・ケルカン〉の天人テングリ、ワシだ。今回、《自由戦士ノコル》として作戦に参加する。忘れようはないと思うが、覚えてくれ」

御意ラー


 氏族長達は頷き、口々に、鷲に向かって挨拶をした。鷲はトグルに、にやりとわらいかける。オダは、内心はらはらしていた。

 トグルは、冷静に続けた。


「その隣に居るのが、ニーナイ国の使者・オダだ。この前も居たから、知っているだろう。二人には、我々の言葉が解らない。故に、今日の会議は、交易語で行う。了承してくれ」


 交易語と聞いて、〈森林の民〉の族長が、何事かを言った。トグルは、落ち着いて対応した。


「**。***、**。*****。……俺とオルクトが、通訳する。解らないことがあれば、訊いてくれ」


 最後の台詞は、鷲とオダにも向けられていた。鮮やかな新緑色の瞳が、彼等を映す。


「あ、はい。ありがとうございます」

「あいよ」


 オダは恐縮したが、鷲は飄々としていた。

 トグルは、焚き火へ視線を戻した。


「では、始めよう。*****、***。*****。……スブタイ将軍ミンガン、説明してくれ」

御意ラー


 オーラト族のスブタイ将軍が、座ったまま、火の方へ身をのり出した。族長達が、身を屈めて応える。

 トグルは眼を伏せた。緑柱石の瞳に炎が反射して、妖しい虹色に輝いている。物憂げな彼の視線の先を見て、オダは目を瞠った。トグルの胡坐の上に、あの赤ん坊が乗っていたのだ。


「タイウルト族は、現在、湖の北西……この川岸の森に、隠れています」


 スブタイ将軍は、羊の皮に描いた地図を広げて説明を始めた。鷲が、そちらを向く。オダは驚きのあまり、トグルから目を逸らすことが出来なくなっていた。

 トグルは、自分の辮髪を使って、静かに赤ん坊をあやしている。


「森は、こちらの方角へ広がっています。北へ行くほど山が険しくなっています。川沿いにオロス族とテディン将軍ミンガンが布陣し、三日前から敵を谷に閉じ込めています」

「逃げた者ハ、いないノカ?」


 シルカス・アラル族長が訊ねた。

 雨がほつ、ぽつりと天幕に当たって音を立て、トグルは無言で天を仰いだ。赤ん坊は、彼の辮髪の先についた黄金の髪飾りを握りしめている。

 鷲は、オダと顔を見合わせた。

 スブタイ将軍は説明を続けた。


「多少は取り逃がしたと思われます。しかし、タイウルトの部族長と主だった貴族ブドウンは、まだこの森にいることを確認しました」

「何騎だ?」

「約五千……それ以上であれば、とうに食糧が尽きているかと。日に二度、投降を呼びかけていますが、反応はありません」

「気付かぬ間に逃げていた、では、冗談にならぬぞ」


 オルクト氏族長の揶揄やゆに、居合わせた族長たちは頬を綻ばせた。しかし、トグルは、にこともしなかった。

 トグルはスブタイ将軍に、おもむろに話しかけた。


「……問題は、奴等をどうやって森から追い出すか、だな」

御意ラー

「考えはあるか?」


 トグルがオルクト氏族長を顧みると、従兄は幅広の肩をすくめた。

 トグルは無表情のまま、一同を見渡した。


「ないか?」

いぶり出すトイウノハ、如何いかがデショウ?」


 シルカス・アラルの提案に、数人の氏族長が頷く。トグルはかぶりを振った。


「時間がかかる。追い詰めて、既に三日……身動きが取れなくなっているところへ火を放てば、たかが五千騎といえど、死ぬ気で反撃してくるぞ。こちらの労をはぶく、もっと簡単な策はないか?」


 氏族長達は互いに顔を見合わせ、小声で相談を始めた。

 トグルは傍観している鷲を見遣ったが、目が会うと視線を逸らした。


「思いつかぬか?」

 トグルは、仲間に穏やかに問い掛けた。鷲が、その横顔を見る。オダも。二人の視線にトグルは気付いているはずだが、振り返らなかった。


「無ければ、俺が提案しても構わぬな。水を使うのは、どうだ?」

「水攻めですか?」

「いや。地図を貸せ」


 トグルは腕を伸ばし、スブタイ将軍から地図を受け取った。膝の上の赤ん坊を驚かさぬよう気遣いながら、地に広げる。男達の視線は、革の手袋をはめた彼の指先に集中した。


「水攻めではなく、断水する。この川の、こことここは、川幅が狭い。容易に塞き止められる。上流で流れを遮り、この方向へ導けば、奴等の所へは水が行かなくなる。湖側への出口を塞ぐ。……三日もすれば、出てくるだろう」


 聴いている鷲の眉間に、深い皺が刻まれた。トグルは、明日の天気の話をしているような口調で続けた。


「俺達とて、十日や二十日間は、食糧なしでも生きられる。馬を連れているのであれば、尚更だ。だが、水を絶たれれば、馬はもたなくなる。次に人間が」

「逆ニ、手間ガかかりマセンカ?」


 アラルは、とがった自分の顎に片手をあて、慎重に呟いた。

 トグルは唇を歪めた。藍色の影を宿した瞳が、ちらと鷲を映す。


「俺は、奴等を弱らせたいのだ。長距離の移動で、オロス族は疲れている。追い詰めるのなら、奴等の頭が冷える策を用いたい……。こちらの作戦を明かし、再度、投降を呼びかけてくれ。俺に考えがある」


 トグルは、瞼を伏せて闇の向こうを眺めたのち、一同を見渡した。


「試したいことがある。任せてもらえないか。総攻撃は、それが失敗した後で……。火を射掛けるにしろ、川を塞き止めておくことは、有利に働くはずだ。どうだ?」

「構わないでしょう」


 オルクト氏族長が、代表して応えた。口髭を撫で、従弟トグルの整った顔を見下ろした。


「他に案はなさそうだ。テュメン、指揮はお任せします。気兼ねなさらぬよう」

「かたじけない。それでは――。いや、もう一つあった」


 トグルがオダを顧みたので、少年はドキリとした。草原の王は、微かに苦笑した。


「忘れないうちに言っておこう。今回から、十五歳以下の子どもは殺さないでくれ。そう、兵に命じてくれないか」

「十五歳デスカ?」


 アラルと数人の氏族長達が、眼を瞬いた。

 オルクト氏族長が、たのしげに言う。


「それでは、殺せる者がいませんな。あの残党の殆どが、それ以下の子どもか、女達でしょうに」

そうだラー。俺は、認識を改める必要がある」


 鷲は、トグルとびっくりしているオダの顔を、交互に眺めた。無精髭に笑いを隠し、胡坐を組みなおす。

 トグルは、平然と続けた。


「八歳までは子どもと思っていたが、違うらしい。某国では、十五になっても子どもにしか見えぬ者が居る。成人して一年までは容赦しよう」

御意ラー


 シルカス・アラルが生真面目に頷いた。鷲は、笑いを噛み殺すのに、かなり努力しなければならなくなった。

 トグルは不思議そうな氏族長達を眺め、言葉を付け加える必要を感じた。説明を考えていると、膝の上で赤ん坊が泣き始めた。

 男達の視線が、一斉に集中する。


「――と、言うわけだ」

 トグルは苦笑いした。野性的な笑みに、オダは見蕩みとれた。


「終わりにしろということらしい。今日はここまでにしよう。明朝、もう一度集まってくれ」

御意ラーテュメン。***、*****」


 氏族長達は、穏やかに笑って頷くと、各々トグルに挨拶をして天幕を出て行った。スブタイ将軍、ハル・クアラ部族長、オルクト氏族長も立つ。

 鷲とオダとシルカス・アラル族長が、最後まで残っていた。アラルは、主に手を差し伸べ、ひかえめに声をかけた。


「お預カリシマしょうカ? てゅめん(王)」

「***、ラーシャム。***、******、**……」


 これは訳さなくても良いと思ったのだろう、トグルは顔を上げ、アラルに言った。断っていることは、鷲とオダにも解った。

 アラルは迷っていたが、オダと鷲に一礼して、自分の務めを果たす為に去って行った。

 そして、焚き火の傍らには、泣いている赤ん坊と、三人の男が残された。





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