第七章 天地不仁

第七章 天地不仁(1)


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 天頂ちかく昇りつめた太陽は、白く輝いている。雨季のあいまの晴天だ。毎年この地方では、季節の変わり目に嵐が来る。前触れを思わせる生ぬるい風が吹いていた。

 旧王都カナストーラへ向かうシジンに、エセル=ナアヤと他三人の男達が同行することになった。地主や護衛の全員が村を空けるわけにはいかないので、身軽な若い者達が名乗りをあげた。道中、村むらに立ち寄って地主たちに話を説き、新王即位の賛同者を集めるつもりらしい。

 シータとエセルの子ども達、地主と村人達に見送られて、彼等は徒歩で旅立った。盗賊タゴイットの脅威はうすれ、新たな目標に向かう男達の足取りは軽い。

 シジンは、世間話を続けるエセルの傍らを黙々と歩きながら、焼けた大地に落ちる己の影を眺めていた。


 鷲をラージャンに。

 ――考えれば考えるほど、無謀な話だ。あの男がひき受けるとは思えない。かと言って、強制も出来ない。逃げられるのが落ちだろう。

『強制?』

 どきりとして、シジンはエセル達を見遣った。まさか、そんな考えではなかろう。それでは、レイを政略結婚させようとした先王と同じだ。


「新しい王が立って、国が良くなればよいな」


 男達の一人が言った。素直な願いに聞こえた。


「王が戻れば、国中に散らばって隠れている貴族たちも、集まって来るだろう。都を再建し、朝廷が開かれれば、治安が戻る」

「また、平和な国になる。国外に逃げている難民たちも、帰れるだろう」


 平和――その言葉は甘い響きを伴った。夢みるように男達の眼が細くなる。『酔っている』とシジンは思った。

 松明に引き寄せられる蛾さながら、彼等は希望に酔っていた。だが、行く手には炎があるのだ。全てを灰にしかねない熱が。

 シジンには何も言えなかった。間違っていると感じるのだが、言葉にならない。

 王と、首都と、平和……失われたものへの憧憬は身を焦がすほどに強く、その魅力には抗いがたい。玉座に王が居るだけでそれらが得られるのなら、どんなによいだろう。

 しかし――


『希望は、己の内に見出すものだ』


 ふいに、低い声が聞こえた気がして、シジンは息を呑んだ。深海色の眸をみひらく。

 胸に宿る闇のとばりの向こうから、緑柱石ベリルの双眸がこちらを見詰めている。純白の雪峰を前にひるがえる群青の外套が、まなうらに蘇った。


『民族が滅び、この血が消え去っても、先へ続いて行くように……。全ての生命には《生きる才能》が備わっているのだから』


 ぞくぞくと背筋を這いのぼる冷感に、シジンは眼をみはった。野生の狼のごとき草原の王の風貌が浮かんだ。



『こんなことの為に、お前は還って来たのか?』


 懐かしい友(テス=ナアヤ)の声がした。澄んだ藍の瞳が、哀しげに彼をみつめた。


『おれ達が目指していたのは、そんな国だったのか……?』

『ナアヤ』


 呼びかけても応えはなく、それは自身の心の声と混じりあい、判別が出来なくなった。どくん、と切られた腕の断端が脈を打つ。シジンは痛みに眉根を寄せ、息を殺した。


『ナアヤ、レイ……。俺は、どうすればいい?』



 シジンの懊悩に気づく風もなく、エセル達は話し続けていた。淀む思考にはずんだ声が跳び込んだ。


「新王の旗のもと、奴隷ネガヤー達の叛乱を鎮める。上手くいけばよいな」

「いくさ……。先王さえご存命なら、こんなことにはならなかったのだ。無念な思いをしている仲間は大勢いるぞ」

「国を再興する王か。臣となれたら嬉しいな」

「ああ、名誉なことだ」


『そうか』妙な具合に、シジンは納得した。『そういうことか……』

 苦いものが喉にこみあげ、彼は歩調をゆるめた。結局こうなのかと思う。国を憂い民を想う、純粋な動機から物事を進めるわけにはいかないのか。所詮、権力は権力でしかなく、利用されるものとしかならないのか。

『鷲』――届かないと承知していて、シジンは胸の中で呼びかけた。『今すぐ、この地を離れてくれ。レイのところに戻ってくれ』

 お前を必要とする者は、他にいるはずだ。どうか、逃げてくれ……。



「シジン?」


 彼が遅れていることに気づき、エセル=ナアヤが振り向いた。引き返して来る。逆光の中、エセルの笑顔は亡き親友と重なり、シジンの胸を突いた。


「どうした。疲れたのか?」

「いや……」


 シジンは話す気になれず、肩に添えられたエセルの手をそっと払いのけた。一瞬、エセルは傷ついた表情になったが、シジンはかまわなかった。

 エセルは先を歩くシジンを追い、追いついて話しかけた。


「おい、シジン。なあ……訊きたいことがある」


 怪訝そうにこちらを窺っている仲間達には「先に行け」と合図して、エセルは早口に囁いた。真摯な青い瞳が神官を映した。


「俺達は、お前の敵か、味方か?」


 シジンは思わず立ち止まった。エセルも足を止める。

 意外な質問に戸惑うシジンの顔を、エセル=ナアヤはしばし見詰めた。


「お前、ずっと俺達に距離を置いていたよな。理由は、話を聞いて解ったよ……。だけど、今はどうだ? 俺達は――」


 言いにくそうに顔をそむける。


「仲間になれないか?」

「仲間?」


 火傷のない側の頬を眺め、シジンは、ぼんやり繰り返した。

 エセルは足元の小石を蹴ると、ぶつぶつと続けた。


「そりゃあ、俺は頭も口も悪い……。神官ティーマほどの知識はないし、王家の傍にいたことも、国の外へ出たこともない。見ての通りの俗物で、しがない衛兵ナアヤだ」


 離れたところで待っている仲間達を顎で示し、肩をすくめた。口を開きかけるシジンの顔の前で、片手を振る。


「あの小僧のことも、悪かったと思っている……。もう少し落ち着いて考えてやれば良かったと、反省している」


 シジンは、まるく眼を見開いた。その反応をちらりと見て、エセルは傷に引き攣った唇を歪めた。しわがれた低い声で、ぼそぼそと言う。


「すぐ頭に血がのぼるのは俺の欠点だと、シータに叱られた。『いくら盗賊タゴイットでも、子どもにあんな恐ろしいことをするなんて。アルとラーマにどう説明するの』だと……。お前が呆れるのも、無理はない」

「エセル。俺は――」


『そんなことを言いたいわけではないのだが』 シジンは、胸の奥が温まるのを感じて口ごもった。

 シータは母親として、あの少年ファルスに対し思うところがあったのだろうか。この国は男尊女卑の風が濃く、貴族の女性は保護者たる夫に従うのが美徳とされている。その彼女にいさめられ、流石のエセルもこたえたらしい。

 エセルは再度、顔の前でぱたぱたと片手を振り、渋い表情のまま続けた。


「お前を見ているとな……こう、いつも眉間に皺寄せちまって」


 シジンの真似をして眉間に皺を刻み、人差し指で押さえた。


「必死なのは解るんだ。きっと、俺達が考えつかないようなことを、沢山知っているんじゃないかと思う。でもな……時々、『考えているのは、お前だけじゃない』って言いたくなる。俺達だって、この国の人間だ。国のことを想っている」

「…………」

「お前から観れば、全然のかもしれないが……そういうのも含めて、話し合えないか? 一緒にやっていけないか?」


 自信のない声音で提案すると、エセルは自嘲と懇願がいり混じった複雑な眼差しを彼に向けた。

 シジンは半ば呆然とその視線を受けとめた。苦い感情は意外さのうちに消え、ゆるりと気持ちがほどける。シータへの感謝と涼やかな反省がこみ上げ、シジンは頭を下げた。

 エセルは慌てて首を振った。


「おい、シジン」

「済まない……」


『俺は、やはり傲慢だ』しみじみと、シジンは思った。すぐに忘れてしまう。自分達は先王を裏切り、国を捨てた。挫折したからといって、本来ならばおめおめと帰れたものではない。

 シジン達がいなかった間、荒廃したこの国でわずかばかりでも治安を維持し、弱き民を護って来たのは、エセル達なのだ。責められこそすれ、逆の出来る立場ではない。

 頭の上がらない気持ちになった彼を、エセルは舌打ちして宥めようとした。


「よせよ、おい。神官ティーマさまにそんなことをさせたら、ご先祖に申し訳が立たないだろ」

「…………」

「責めているわけじゃないんだ。ただ、もうちっと……気楽に行こうぜ。な?」


 喧嘩の後で仲直りを求める子どものような口調だった。シジンは思わず頬がほころぶのを感じた。くすりと息を抜く。

 そう言えば、何年も、心から笑っていない気がした……。



「おーい、エセル!」


 待ちくたびれた男達が手を振り、声をあげて呼んだ。


「すぐ行く!」

「エセル」


 返事をする男の横顔に、シジンは囁いた。エセルは両手を腰に当て、振り向いた。


「ありがとう」


 エセルはふいを衝かれ、決まり悪そうに鼻の下を掻いた。フンと鼻を鳴らして仏頂面をしようとしたが、上手くいかなかった。躊躇い気味に腕を伸ばし、シジンの背を軽く叩いた。

 シジンは彼と肩を並べて歩き出しながら、思い切って話しかけた。


「エセル」

「何だ?」

「俺は、鷲を王にすることには反対だ」


 エセルの足が再び止まった。真顔で彼を見る。

 鮮やかな藍色の瞳を見返し、シジンは明瞭に宣言した。


「王を立てることは、反対だ」

「そうか……」


 自分で言った通り、落ち着くことに決めたらしい。エセルは反論せず、慎重に頷いた。時間を稼ぎ、なおかつ仲間に不審に思われぬよう、ゆっくり歩を進める。首を捻ってシジンの顔を覗き込んだ。


「何故だ?」

「二度とレイ王女のような者を作りたくないのだ」


 シジンは斬られた左腕の断端を右の掌で包んだ。その仕草を、エセルは痛まし気に見守った。彼等が遭った苦難を想像できないわけではない。

 シジンの眉間には、また皺が刻まれていた。深海色の瞳が苦痛に揺れる。それでも、言わなければならないと感じていた。


「俺や、あの奴隷ネガヤーの子どものような……。誰にも、同じ思いをさせたくない。王女を連れ戻すことは、かつての王国の再現だ。同じことを繰り返したくない」

「わかった」


 否定も肯定もない。意見は意見として、エセルは認めることにしたらしい。右手をゆるく握り、口元に当てて考える。

 ほっとしかけるシジンを、澄んだ藍の瞳がみた。


「だが、どうする? 他にいい方法があるか?」


 シジンは数秒かれの顔を見詰めたのち、項垂れた。


「それを、今、考えている……」


 己の影と会話を始めてしまったシジンを、エセルは足を止め、つまらなそうに見送った。それから肩をすくめ、小走りに追いついて横に並ぶ。


『どうする?』

 問いは、今や全員の頭上に存在していた。





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