第四章 星の子(4)
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「千年か、二千年前――正確な記録がないので、判らないのだけれど。地上には、豊かで高度な文明があった。今よりはるかに多くの人間が居て、国々が栄え、空を飛ぶ機械や、地上を高速で移動できる乗り物があったわ。人々は目に見えない通信で繋がり、こことは違う別の
鷲たちに理解できるよう語るには、言葉を選ばなければならない。ルツは、慎重に話しはじめた。
「それでも、人間は、平和の
彼らが聴いていることを確認して、《星の子》は続けた。
「戦争が終わっても、人々の苦難は終わらなかった。地上では嵐が吹き荒れ、湖は干上がった。厚い雲が空をおおい、陽の光が差さない日が何年も続いた……。わずかに生き残っていた人類は、食糧をめぐって殺し合い、さらに数を減らしたわ。――そうして残った世界に、今、私たちは生きている。未だに、戦い続けているわね」
《星の子》は嘆息した。鷲は胸のまえで腕を組み、もの言いたげな顔をしたが、黙っていた。
淡々と、ルツは続けた。
「かつての高度な文明社会には、こうなることを予測した人々がいた。予知能力者や、政治や科学の研究者たちよ。……人類の未来が破壊されることを予想し、歴史の軌道を修正するために、能力者を過去へと送ったの。それが、《時空の番人》」
「過去へ? 未来ではなく」
鷲が口を挟んだ。隼は、彼が話を理解しているらしいことに驚愕した。
ルツは、淋しげに微笑んだ。
「光の速度を超えて
彼らは跳んだわ……過去へ」
鷲の表情が険しくなった。彼女の話がはらむ矛盾と危険に、気づいたのだ。
ルツは、彼の聡明さを内心で嘆きながら続けた。
「問題は山のようにあったわ。そも、世界は共通の時空軸上に無数に存在しているから(注*)、彼らの移動した先が、ほんとうに彼らの世界の過去かどうか判らない。過去に干渉できるのか、出来たとして、無事で済むのか……。未来が破滅に向かっていることを前提に過去へ向かった彼らが、軌道を修正したとしても……二度と、元いた世界へは還れない。
どれくらい時間を遡るのかも問題だったわ。お互いに共鳴できる彼らでも、はぐれないとは言えない。容姿を変え、ひとめで見分けがつくようにした。何代かかっても目的を果たす為に、世代間で記憶と知識をつたえることになっていた。――彼らが伝える人類の歴史と叡智に敬意をはらい、私たちは、《古老》と呼ぶのよ」
ルツは片手を動かし、鷲の銀の髪を示した。
「そして、あなた達は集まった……
「四人、いたよ」
隼が応えた。声は暗く、陰鬱だった。
「
ルツは、口の動きだけで 「そう」 と呟いた。
「……俺の母親は、村の娼婦だった」
鷲が言った。にごった声に含まれる
「産まれた子どもの異相を憎んで、山の中に棄てた女だ。養父に拾われるまで、俺は、人の言葉も忘れて生きていた。……実の親父がどんな野郎だったか知らないし、伝えるものがあったにせよ、受け継ぐ義理はない」
ルツは、悲しげに瞑目した。吐息で相槌をうつと、長い睫毛をもち上げ、呟いた。
「でも、雉には、解るようね」
「雉」
鷲が仲間を呼んだ。隼が表情をかえる。鷹も彼を顧みた。
雉は唇を噛んでいた。ルツに凍りついた眼差しをあてている。鷲は舌打ちした。
雉は、ふるえる声で答えた。
「鷲、隼……。おれは、ルツの言うことが解るよ。感じるんだ。これは、おれの力じゃない……なのに、おれを振りまわす」
「大きすぎる
ルツは、彼を憐れんだ。
「辛い目に遭ったのね……」
「あんた……!」
気色ばむ隼を、鷲が身振りで制した。『どうして止めるんだよっ』 と言いたげな隼に、首を振る。
雉は、惹き寄せられるようにルツを
「ルツ。おれはどうすればいい? この能力と、どう生きればいいんだ」
「中途半端に覚醒して能力を制御できない状態を、放っておくのは危険だわ。まず、それを何とかしましょう」
ルツの言葉には、有無を言わせぬ響きがあった。
「あなたの能力を、完全に覚醒させます」
隼の眼が、まるくなった。雉も、軽くうろたえる。
「いや、しかし。それは――」
「五年前の悲劇を、繰り返したくはないでしょう?」
隼が、今度こそ我慢が出来ない、という風に身構える。鷲は片方の腕を伸ばし、彼女の動きをしつこく遮った。
息を呑む雉に、ルツは優しく微笑みかけた。……その微笑を見て、雉は決意した。
「……判った。任せるよ」
雉は、隼にうなずいた。
「隼。鷲、鷹ちゃんも……少し、退がっていてくれないか」
鷲は神妙にうなずき、隼の肩に手をのせた。鷹にも頷いてみせる。
隼は、憤然と彼の手をふりはらい、大股に歩いて出口へむかった。太い柱のかげに腰を下ろし、鷹を手招きする。マナもやって来た。
祭壇では、雉とルツが並んで彼らを見守っていた。
鷲が、長身を揺らして駆けて来る。一本に纏められた銀髪が、長い尾のように背で揺れる。鷹の隣に駆けこむと、彼は、雉に片手を振った。
雉は苦笑して、ルツに向き直った。二人は、神像の前に胡坐を組んだ。
「……始めて下さい」
「いいのね?」
雉は頷き、ルツは、彼の肩に右手を当てた。
息を殺して見守る仲間達の視線の先で、雉の身体は、黄金色の光にゆっくり包まれていった。
鷹は、夢を観ているような気分だった。
雉の身体から発した光は、徐々にその範囲をひろげ、《星の子》を呑んでさらに大きな球になった。二人の姿は、光に溶けた。
光は、とどまるところを知らずに膨れあがり、彼らは眼を開けていられなくなった。ルドガー神像も隠れてしまう。
空気が、震えていた。
ビリビリと小刻みな振動が伝わり、鷹の頬はチリチリした。産毛が逆立つのを感じる。やがて、それは石造りの床と柱に反射して、遠雷のような音を響かせた。柱にしがみつく彼女の上に、小さな石の欠片が降って来る。身体ごと外へ圧されて、鷹は喘いだ。恐怖のせいかと思ったが、鷲が片膝をついたので、本当にはたらいている力だと判る。
力はさらに強くなり、彼らは立っていることが難しくなった。上手く息が吸えなくなる。
ふいに、鷲が彼女を抱き寄せた。鷹の肩を両腕で包み、己の背中を柱におし当てる。僅かでも圧力から庇おうとする行為だ。彼女の頭上で、苦い声が呟いた。
「俺や隼とは違う。
鷲は顎を上げ、柱が支える天井部分を気遣わしげに眺めた。
「君も観ただろう。水を動かしたり、傷を治したり。あの程度なら、良かったんだが」
柱ごしに仲間の様子をうかがい、舌打ちをする。
「五年前、雉の住んでいた村が、野盗に襲われた。目前で家族を
鷲は、眼だけで鷹を見下ろした。若葉色の瞳に、感情はない。
「あいつは、村ごと全部、潰しちまったんだ。野盗も、村人も、家族も……」
ふっ……と、身体が軽くなった。
振動が止んだ。光の色も変わった。荘厳な青白い輝きは、急速に縮んで弱くなった。
鷹は、神像の前に二人が倒れているのをみつけた。鷲が、彼女から手を離す。
「雉!」
隼が叫び、止める間もなく駆けて行った。一歩遅れて、鷲も行く。
鷹は柱に寄りかかり、ただふかい息を吐いた。
隼は雉に駆け寄ると、すがるようにその頭を抱きあげ、己の膝にのせた。起き上がろうとするルツに、鷲は手を貸した。
「大丈夫。疲れて眠っているだけです」
ルツは鷲の腕に掴まり、あらい息を吐いた。隼に微笑みかける彼女を、鷲は、戸惑い気味に見下ろした。
「雉は、あなた達を傷つけることを
隼は、硬い表情でルツの言葉を聴くと、いとおしむように雉の髪を撫でた。
ルツは小声で鷲に礼を言った。マナがやって来て、隼の肩に手を触れる。
鷲は、ルツをどう扱えばよいか判らなかった。
「あんたこそ大丈夫か、ルツ。……雉の能力が危険だと、あんたは知っていたんだろう。俺達の為に
ルツは、すぐには返事をしなかった。無言で鷲を見詰める。
鷲は首を傾げた。
「……《古老》は輪廻を超えて、記憶と能力を後代に伝える者。完全に覚醒すれば、彼らの記憶が、
ルツは、己の胸に片手をあてがい、何度か深呼吸して息をととのえた。呼吸と、感情も高ぶっている。澄んだ声は、震えをおびた。
「あなたもやがて、
「何だって?」
わけが分からない。鷲はひくく問い返し、ルツは口を閉じた。冷たく煌めく黒曜石の瞳が、ふいに揺れた。
耐え切れず、ルツは顔を背け、両手で口元を覆った。伏せた睫の端に光るものを見つけ、鷲は眼を細めた。
「ルツ?」
呼ぶと、彼女は顔を上げ、真っすぐ彼を見た。鷲が思わずひるむほど、つよい眼差しだった。両腕を彼の首にまわしてしがみつき、その唇を唇でふさいだ。
「…………!」
鷹と隼も驚いたが、鷲は文字どおり仰天した。普段ほそい眼をおおきく瞠り、呼吸を止める。
ルツの閉じた眼から、ひとすじの涙が頬をつたい落ちた。力の限り抱きつかれて、鷲は尻餅をついた。瞬きを繰り返し、わたわたと手を動かす。
鷹も息が出来なくなった。鼓動が激しくなり、鋭い痛みが身をつらぬく。喘ぎ、胸を押さえてよろめいた。
鷹は身を翻し、逃げるようにその場を後にした。
*
『……鷹?』
視界の隅でかけ去る黒髪をみた鷲は、ルツの腕の力がゆるんだのを幸い、彼女の肩を掴み、引き離した――できるだけ、そっと。衣越しに触れる身体は、彼が力をこめれば折れそうなほど華奢だ。
ルツは項垂れ、声もなく泣いている。
鷲は、頭のなかが真っ白になった。息だけで囁く。
「どうして、こんなことをするんだ?」
ルツは答えられずに首を振り、両手で顔をおおった。鷲は呆然と眺めた。
「なぜ泣く?」
「……ごめんなさい」
「どうして謝るんだよ」
ルツは頼りない少女さながら首を振るばかりで、答えられない。鷲は困り果てた。今までどんな質問にも冷静に答えてくれていた《星の子》とは、思えない。
隼の視線が痛い。
鷹が気になる。追いかけなければ、と思う。しかし、さめざめと泣いているルツを放っていくわけにもいかず、鷲は眩暈を覚えた。
――これが《
ふいにそう思えた自分に、腹が立った……。
ルツは鷲の手から離れ、衣の袖で涙をぬぐうと、何とか微笑んだ。
「ごめんなさい。取り乱して……悪いことをしてしまったわ」
鷲は、苦虫を噛み潰すしかなかった。
ルツは、鷹の去った方に目を遣ってから、不思議そうに訊ねた。
「あの娘は、あなたに惹かれているのね。あなたも……。なのに、迷っている。何故?」
「あんたに恋愛相談までするつもりはねえよ」
吐きすてた鷲に、ルツは小声で謝罪をくりかえした。鷲は、気分が急速に落ちこむのを感じた。彼女に当たってしまった自分が忌々しい。鷹を追えないことが、我が事ながら情けなかった。
鷲は俯き、ゆっくり首を横に振った。ルツは、懐かしむ口調で囁いた。
「昔……もう、四十年以上前になるわ」
鷲はのろのろと顔を上げ、隼も《星の子》を見遣った。
ルツは、けぶるように微笑んだ。
「私は、こことは違う世界の人間だった。『時空の壁』を超えた異世界よ。私たちは、《古老》に協力するために集められた能力者。……彼に、逢ったわ」
ルツは鷲をみて、眼を細めた。
「鷲、あなたと同じ姿と
鷲は、俺にそんなことを言われても困る、という沈黙で応じた。
「私は、彼を愛していたの。それで、彼らの試みを止めようとした。……彼らが転移する際に、私はこちらへ跳ばされたの」
辛い話をしているはずだが、ルツの表情は晴れやかだった。あどけないほど屈託なく、微笑んだ。
「この世界の住人であるあなた達には、関係のないことね。でも、私はずっと捜していた。時間はたっぷりあったから……。調べて、探して、あなた達に逢える日を、待っていたわ」
隼がマナを見遣り、マナは頷き返した。ルツは、ほっと息を
「元の世界に戻れず、この世界に属せない私は、生きる理由がない……。お願い。私に、あなた達と一緒に、生きさせて頂戴」
―――――――――――――――――――――――――――――――――――――
(注*)量子物理論の多世界解釈: ホーキングとハートルの『インフレーション仮説』に基づく。宇宙は誕生の瞬間から、無数の宇宙と共存していて、そのうち幾つかは共通の時空軸上に表される、というもの。
*ルツと《古老》の物語は、別のSF長編として、完結しています(自サイト内 『REINCARNATION』 シリーズ第三部「REINCARNATION」)。
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