第三章 降臨(5)


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 五人は《星の子》の案内で場所をうつし、ルドガー神像のある広間から少し離れた小部屋に落ち着いた。

 マナが、乳茶チャイ肉饅頭モモを運んで来てくれる。お茶に乾酪バターを入れて唇を湿らせてから、雉が言った。


「驚いたな。隼が呼んだのか?」


 少年は、悪戯っぽく微笑んだ。隼は硬い表情のまま、首を横に振る。

 《星の子》が、澄まして答えた。


「私も、連絡していないわ。本当に、オダが一人でやって来たのよ」

「驚いたのは、僕の方ですよ」


 オダ少年は頭を掻き、感情を抑えた口調で言い返した。卓子テーブルに頬杖をつく隼を見詰める瞳には、喜びと憧憬が窺えた。


「隼さんに会えるなんて、思っていませんでした。鷲さんと鷹に子どもが出来たことも。教えて下されば、もっと早く会いに来たのに」


 隼は頬杖をついたまま、じろりと少年を見たが、何も言わなかった。オダは、無邪気に続けた。


「一番おどろいたのは、鷹です。ミナスティアの王女様だった、なんて……。だけど、鷹の記憶を失って、これからどうするんです? 鷲さんと鳩は、どこに居るんですか?」


 《星の子》とレイ本人が黙っているので、雉が、苦い声で答えた。


「オダ。おれ達も混乱しているんだ。お前の話を先にしてくれ……。用があって来たんだろう?」

「《星の子》と雉さんの御手を煩わせることは、ないと思いますが――」


 少年は首を傾げた。全員の顔を眺め、考えながら言った。


「――隼さんが帰っていらっしゃったので、心配はなくなりました。国内がとりあえず落ち着きましたので、《星の子》にご報告と、御礼を。あと、鷲さんに知恵をお借りしたくて……でも、お留守のようですね」

「ああ。あいつは――」

「あたしがここに居ると、何故、心配がなくなるんだ?」


 雉の言葉を遮る勢いで、隼が訊ねた。右手で頬杖を突き、少年を見据えている。

 オダ少年は、ほんのりと頬を赤らめた。


「隼さん」

「オダ。あたしは、お前に心配される覚えはない。あたしがここに居なければ、どうだと言うんだ」


 吸い込まれそうに深い紺碧の瞳を見返せず、オダは、ぼりぼり頭を掻いた。照れながら応える口調に、少年らしさが戻った。


「……だって。隼さん、トグリーニ族の所にいらしたでしょう? トグル・ディオ・バガトルの所に」

「ああ」

「あそこはこれから戦場になるので、どうなさるのだろうと。僕、心配で……。鷲さん達が一緒ならともかく」

「ちょっと待て」


 口を開けた雉より、また、隼の方が早かった。隼は、ちらりとレイに視線を走らせてから、オダに訊き返した。


「待てよ……。トグリーニの居る草原イリが、戦場になるのか? そんな事態になっているのか?」

「あれ?」


 今度はオダ少年の方が瞬いた。隼の片方の眉が、苛々と持ち上がる。


「御存知ないのですか?」

「何をだ」

「僕らニーナイ国とタァハル部族が、同盟を結んだことです」


 隼の涼やかな切れ長の眼が、大きくみひらかれた。雉が息を呑む。お茶を飲んでいた《星の子》が面を上げ、レイの瞳と目が会った。

 オダは、全員の反応を見ると、不思議そうに首を傾げた。


「てっきり、それで帰っていらっしゃったのだと――」


 隼は絶句していた。雉は彼女の顔色を窺い、小声で言った。


「おれ達は、タァハル部族とミナスティア王国が同盟を結び、ニーナイ国を狙っていると聴いている」

「タァハル部族が最終的に我が国を狙っているのは、確かでしょうね」


 オダは、神妙に頷いた。


「でも、違います。ミナスティア王国は、昨年ラージャンが崩御して、内乱中です。我々に干渉している余裕はない……。僕らは、タァハル部族と手を組んで、トグリーニ部族に対抗するつもりです」


 雉は、当惑顔で隼を見遣った。彼女は頬杖を突き、オダ少年を凝視みつめている。紺碧の瞳は、凍るように冷たかった。

 雉は、レイの反応も気に懸けたが、父王の死を知らされても、彼女の様子は変わらなかった。

 少年は、しきりに頭を掻いた。


「だいたい、そんな状況なら、僕は今頃ここに来られないですよ。悠長な……。誰がそんなことを言ったんです? 皆さんのお陰で、トグリーニ部族が我が国から撤退した時から、話は進んでいたそうです」


 隼の白皙の頬が血の気をうしないつつあるのを、雉は、不吉に思いながら眺めていた。


「僕も、故郷くにへ帰って驚きました。まさか、トグリーニ族と同じ〈草原の民〉の、タァハル部族と手を組むなんて……。リー将軍が東方へ移って頼れなくなったので、トグリーニ部族に対抗できるのは、同じ〈草原の民〉の彼等しかいないのです。我々が物資や経済で支援し、彼等はトグリーニ部族と戦います」


 レイ=ムティワナ王女は黙したまま、隼と雉の顔を交互にみた。雉は、隼を見詰めている。

 《星の子》は、乳茶の器を口元へ運びながら、溜息をついた。ひとりごちる。


「ディオ(トグルの名)ったら……。こんなにすぐばれるとは、思っていなかったのでしょうけど」


 隼は、オダから視線を外さずに、片手を口元に当てた。ようやく言葉を見つけたのだ。


「……オン大公(キイ帝国の大公。トグリーニ族の宿敵)のような言い草だな」


 彼女の声は、地底から響くように低く、濁っていた。


「オダ。お前の言葉とは思えない。いつから主戦派になった?」

「ニーナイ国を、再び戦場にするわけにはいきません」


 少年は瞼を伏せたが、若い声はかたくなだった。


「隼さんにそう言われるだろうとは、思っていました。でも、いつまでも《星の子》や皆さんを、当てにするわけにはいかないのです。これは、長老会の決定です。……我々は、タァハル部族を支援します」

「奴等をすることは、他人の力を当てにすることとは違うのかよ」


 少年から顔を背ける隼の言葉には、数万の棘があった。優美な横顔を、オダは悲し気に眺めた。しばらくの沈黙の後、そっと囁いた。


「とにかく……隼さんが帰っていらして、良かったですよ」


 隼は、唇を噛んだ。柔らかな薄桃色の唇に血がにじむのを、雉は痛ましく見た。彼女から少年へ視線を戻し、問いかける。


「鷲に借りたい知恵って、何だい?」

「一つは、このことを――草原で戦争が始まることをお報せして、隼さんを連れ戻して頂こうと思ったんです」


 横目で彼女を窺いながら、オダは、冷静に話した。


「隼さんは既に帰っておられるので、その必要はなくなりました。もう一つは、トグリーニの族長を説得する方法を、考えて頂きたかったんです」

「説得?」


 雉は眉をひそめた。隼は目だけでオダを顧みた。

 オダは、二人に頷いた。


「タァハル部族と我々は、この戦いでトグリーニ部族を滅ぼすつもりです。滅ばなくても、〈草原の民〉は、どの部族も大変な痛手を被るでしょう……。その前に、トグル・ディオ・バガトルと話をしたいのです」

「降伏でも勧めるのか?」


 雉が続けて訊く。隼はかたく唇を結び、声を発しなかった。

 《星の子》は、お茶を飲む手を止めて、少年の話を聴いていた。伏せた長い睫が、真珠色の頬に陰を落としている。


「いいえ。僕らは、彼等と直接戦うわけではないので……。彼等に捕らわれたニーナイ国の人々を、取り戻したいのです」

「……何だって?」


 一瞬、言葉の意味が判らなかった。一拍おいて雉が問うと、隼も、さすがに少年を振り向いた。

 オダの瞳は、晴れた空のように澄んでいた。

 隼が、呆れた口調で言った。低い声は、やや掠れていた。


「本気か? お前」

「勿論です、隼さん……。昨年、我々は、トグル・ディオ・バガトルの軍にシェル城を陥とされました。エルゾ山脈の北で、およそ五千人を殺され、三千人の女性と子ども達を連れ去られたのです。――彼女達に、トグリーニ族と運命を共にしなければならない理由はありません。族長に会って、彼女達を解放するよう、説得したいのです」


 雉は、《星の子》から隼へ視線を移した。

 隼は、じっとオダを見詰めている。

 数秒後、隼は、真剣に囁いた。


「殺されるぞ、お前」

「そうかもしれませんね」


 少年は、弱々しく微笑んだ。


「でも、誰かがやらなければならない仕事です。自分で志願したのです……。トグル・ディオ・バガトルに会って生きて帰って来たニーナイ国の人間は、僕だけです。やってみるしかないでしょう」


 隼を安心させるかのようにオダは笑ったが、彼女の表情は変わらなかった。真顔で凝視みつめられて、少年は眼を伏せた。照れて頬を掻き、ぼそぼそと言った。


「……隼さんだって、独りで彼等の処に居て、リー姫将軍を救われたでしょう。その時に比べれば、安全ですよ。……でも、鷲さんの知恵をお借りしたくて。いつ帰られます?」


 隼は、苦虫を噛み潰したような表情になった。仕方なく、雉が答えた。


「鷲は、ここにはいないんだ」

「いない?」

「ああ。……どこに居るか、判らないんだ。いつ帰ってくるつもりかも」


「ディオと一緒ですよ」


 突然、それまで黙っていた《星の子》が口を挟んだので、一同は、驚いて彼女を見た。

 隼が、すうっと眼を細める。代わりに、オダが眼を瞠った。


「何ですって?」

「ルツ……」

「雉、もういいでしょう。隼も、知るべきです。……鷲と鳩は、山を降りて、トグル・ディオ・バガトルと共に、トグリーニ族の本営オルドウを目差しています。今頃は、天山テンシャン山脈(リバ山脈)の峠に差し掛かっているわ」


 オダ少年は絶句し、雉は眉を曇らせた。

 隼は落ち着いて、左手を口に当てた。紺碧の瞳は、注意ぶかく《星の子》の意図を探った。


「どうして、鷲はトグルと……?」


 《星の子》は、かすかに微笑んで首を振った。隼は、きりりと奥歯を噛み鳴らした。

 オダが、意外さを隠さず訊ねた。


「予想していらっしゃったんですか? 僕がトグリーニ族の処へ向かうと」

「ロウ(鷲の本名)に、予知能力はないわ」


 《星の子》は、やわらかく窘める口調で言った。


「彼にそんなものは必要ないし、私も教えません。たとえ、予知してもね……。トグル・ディオ・バガトルは、私達が彼等に関わることを嫌います。そんな目的では、彼を本営オルドウへ案内しないわ」

「なら、どうして――」


 言いかけた少年の目が、レイを見て、言葉を呑み込んだ。レイは、どきりとした。


『私の、?』


 隼は、考え込んでいる。レイが振り向くと、沈痛な雉の眼差しに出会ったが、彼も黙っていた。

 《星の子》は、謎めいた微笑を浮かべた。


「さあ? 直接、彼に訊いてみればいいのではないかしら」

「……判った」


 隼が、呟いて立ち上がる。一同は、彼女を見上げた。


「ルツ、お前の言う通りだ。直接、鷲に訊いた方が早い。トグルに……。奴等の居場所を教えてくれて、ありがとう。オダ、あたしは、お前と一緒に行くよ」

「で、でも――」


 隼は、腰に提げた長剣の位置を確認すると、うろたえる少年を真っすぐに観た。


「あたしも、トグルに話があるんだ」

「…………」

「鷲に、確かめたいことがある。雉、止めるなよ」

「止めないよ」


 なめらかに答え、雉は肩をすくめた。


「おれも、一緒に行くからね……。だけど、隼。《鷹ちゃん》を、どうするんだ?」


 隼は、レイを見下ろした。雉とオダも、彼女を見る。

 動揺するレイの内心には構わずに、《星の子》は、こともなげに言った。


「一緒に連れて行けばいいじゃない。ロウは、当分帰って来ないわ。会わせてあげれば?」

「わ、私――」


 他人事のように(他人事だ)言って涼しい顔でお茶を飲む、《星の子》。うろたえるレイを、隼は、苦しげに見遣った。鮮やかな瑠璃ラピスラズリの瞳を見返せず、レイは項垂れた。

「鷹ちゃん」


 雉が、優しく呼びかける。『《タカ》じゃない。私は、レイよ』――言いたかったが、彼の透明な哀しみに出会うと、レイは言えなかった。


「鷹ちゃん。鷲に、会ってくれないか?」


 レイは、首を横に振った。一同の視線を感じながら、かろうじて、震える声で答えた。


「私は、ワシさんを知りません。会えって言われても……。それに。トグリーニ族の処へ、なんて――」


 トグリーニ族の名を口にしただけで、レイの身体の芯が、すうっと冷たくなった。

 彼女が口篭もると、オダ少年も、助けを求めるように雉を見た。〈草原の民〉のおそろしさを少年は充分に知っていたし、鷹と隼を危険に晒したくないと考えていた。

 雉は、同情を含んだ眼差しを彼女にあてながら、繰り返した。


「鷹ちゃん――レイと呼ばせて貰うよ。おれと隼が一緒にいる限り、オダにも君にも、絶対に危害は加えさせない。それでも、一緒に来てはくれないかい?」

「…………」

「多分、おれには、君の気持ちは何一つ判っていないと思う」


 強く眉根を寄せ、雉は続けた。


「判るわけがないと思って、敢えて言わせて貰うけれど……。君が〈草原の民〉を慄れるには、充分な理由がある。奴等は、それだけのことをして来たんだし……おれ達を信用できないのも、無理はないと思う」

「…………」

「君が鷹ちゃんではないと、おれ達は、判っているつもりだ。それなのに、仲間と呼ばせてくれだの、鷲に会えだのと言われたって、迷惑だよね……。だけど、どうしても、君に理解して欲しいんだ」


 雉は、切々と訴えた。隼は、無言で二人を眺めている。


「それくらい、鷹ちゃんは、おれ達にとって大切な人だった。彼女を必要としている、今、おれ達は。――解って欲しいんだ」

「解ります、それは」


 レイは、ますます項垂れた。茶がかった黒髪が胸にこぼれ、刺されるような痛みが走る。息苦しかったが、やっとの思いで言葉を繋げた。


「皆さんにとって、《タカ》がかけがえのない仲間だと……。でも、私には、どうすることも出来ません。私にも、必要な人がいるんです」


 雉は、辛そうに眉を曇らせた。レイは、息を継いで続けた。


「シジン……彼とナアヤが、どうなったのか判らないのに。死んでしまったかもしれないのに、私は《タカ》を思い遣れません。……皆さんに救けて頂いたことは、感謝しています。けれども、私はレイです。皆さんが彼女を必要としているように、私にも、二人が必要なんです」

「…………」

「そして、二人も……レイである私を、必要としてくれていると思っています。今の皆さんのように。――そうであって欲しいのです。身勝手かもしれませんが、今は、二人のことしか考えられません」


 言い終えたレイが怕る怕る見ると、雉は、がっかりしたように彼女を見詰めていた。横を向き、溜め息をつく。

 彼にそうされると、レイの胸が痛んだ。

 《星の子》もオダも、彼女を見詰めている。真摯な眼差しを受け止めきれず、レイは眼を伏せた。


『シジン』――心の中で、呼びかける。『ナアヤ』

 きっと、どこかで待ってくれている。生きていて欲しかった。二年もの間、彼等を忘れてしまっていても……。


「……言いたいことは、それだけか?」


 沈黙の後、低い声が部屋に響いた。凄みのある凛とした声に胸を打たれ、レイは面を上げた。


「言うことは、それで終わりか、あんた。――だったら言わせてもらうけれど。あんたは、何をしているんだ?」


 冴え冴えと輝く紺碧の瞳で彼女を見据え、隼は、厳しい口調で言った。

 雉とオダは、息を呑んだ。


「確かに、あんたの言うシジンとナアヤとやらは、生きているかもしれない。奴等が必死にあんたを探しているかもしれないのに、あんたは、ここで何をしている? 逃げるしか能がないのか」


 レイは、瞬きを繰り返した。


「逃げる?」

「そうだ。国を捨て、タァハルから逃げて……《鷹》の中に。自分自身からも逃げ出して、やっと記憶が戻ったら、今度は《鷹》からも逃げる気か。あんたって、本当に、どうしようもない女なんだな」


 あまりと言えばあまりな言いぐさに、レイは絶句した。オダが、おずおずと口を挿む。


「隼さん」

「正直言って幻滅したぜ、あたしは」


 少年の言葉を首を振ってさえぎり、隼は、冷淡に続けた。


「もっとマシな奴だと思っていた。こんな女の為に、鷲が傷ついて、ここを離れなければならなかったのかと思うと、腹が立つ。《鷹》が、あんたなんかを守る為に生まれて来たのかと思うと」

「…………」

「《鷹》は、あんたから逃げようとはしていなかった。記憶を取り戻すために、ここへ来たんだ。そうして、鷲を好きになって……。いつか記憶を取り戻すと知っていても、鷲は逃げなかった。《鷹》は、逃げていなかった」


 吐き捨てるように言いながら、白銀の睫にけぶる瞳が泣き出しそうなことに、レイは気づいた。他にたとえようもないほど哀しく美しいその眸を見詰め、レイは呟いた。


「《タカ》の為に、そう言うのね……」

「阿呆ぬかせ!」


 紺碧ラピスラズリの瞳が、輝いた。蒼白い炎のような意志が、その奥に閃いた。


「ふざけるな! 誰の為でもあるもんか。あんたの意気地のなさが、頭にくるんだ」


 いったい、出会って数日の他人に、ここまで言われる理由があるだろうか? 


 しかし、苦々しい彼女の顔を見ていると、レイはむしろ気持ちが落ち着いた。

 初めて、《タカ》ではない自分を観てもらえたように感じた――。


 レイは、首を傾げて考え、囁いた。


「ワシさんに、会えばいいのね」

「レイ」

「会わなくていい」


 雉が、ほっとして呟く。隼は顔を背けた。拗ねた少年のような横顔に、レイは懐かしさを覚えた。


「あんたみたいな女に来られても、鷲は喜ばない」

「行くわ」


 隼が振り返る。毅然とした眼差しに、レイは、魅入られる気持ちがした。


「《タカ》に、会いに行く……」

『……そうして、シジンとナアヤを探そう』 胸の中で、レイは呟いていた。


 聞えるか聞えないかの声で「勝手にしろ」と呟くと、隼は身を翻し、憤然と部屋を出て行った。

 オダ少年はおろおろしていたが、雉は、心から安堵した。

 《星の子》が、苦笑まじりに会話を締めた。


「話がついたようね。まあ、標高が低いところの方が、妊婦には安全だわ。経過はいいし、大丈夫でしょう」

「ルツは、どうするんだ?」

「私は、ここに残るわ」


 立ち上がりながら訊く雉に、《星の子》は、艶然と微笑んだ。


「タサム・リバ山脈以北へは立ち入らないというのが、歴代族長トグルとの約束だから……。ロウ(鷲)と隼が降りるだけで、ディオ(トグル)には頭痛のタネでしょう。私まで押しかけたら、ストレスで胃潰瘍になってしまうわ」

「……トグルあいつは、少しくらい痛い目に遭わせても、罰は当らないと思うけどね」


 雉の呟きを、《星の子》は哂って聞き流すと、壁に立てかけていた長杖を手にとった。席を離れる雉に、彼女は杖を差し出した。


「ロウに会ったら、渡して頂戴。きっと役に立つわ」

「だけど、これは――」

「特訓の成果を忘れないように、と伝えて。せっかく、いろいろ出来るようになったのだから」

「……判った」


 雉は、《星の子》と視線を合わせて頷くと、オダとレイを促した。

 部屋をでる際にレイが振り返ると、《星の子》は、優しく微笑んでいた。


「気をつけて」


 レイは彼女に一礼して、雉の後について行った。






―――――――――――――――――――――――――――――――――――――

鳩:  「どうしたの? トグル」

トグル:「うむ……。気のせいか、今、悪寒がな」

鳩:  「えっ? 風邪ひいたんじゃない。大丈夫?」

トグル:「大丈夫だ。優しいな、鳩は」

鳩:  「えへへへ、そう?」

鷲:  「今は優しくてもな~、嘘がバレるとな~、恐いぞお~、女は」

トグル:「…………(ぎく)」

鷲:  「身に覚えがあるんじゃないか~? だいたい、『待ってるから』なんて約束して、大人しくしているような女かよ、あいつが」

トグル:「…………(どきどきどき)」

鳩:  「トグル、大丈夫? 本当に顔色わるいよ。ちょっと、お兄ちゃん、なにトグル苛めてんのよっ」


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