第四章 蜃気楼 燃ゆ(6)


            6


「で。どうするつもりなんだ?」


 二日後。くだんの裏切り者たちを、オルクト氏族長が引きとりに来た。負傷者の治療用のユルテ(移動式住居)にて、約束どおり裁判に出るという鷲に、それは行わないことにした、と言う。

 いぶかしむ鷲に、前後左右の大きな氏族長は、ゆさゆさ腹を揺らして笑った。


テュメンがいらっしゃらないのに裁判を行っても仕様が無い、というのは冗談だが。ここで裁定を行うのは止め、ハル・クアラ部族に身柄を返すことにしたのだ」


 鷲は彼の意図が判らず、片方の眉を持ち上げた。

 捕虜の二人は、顔を見合わせた。不安げな顔に、わずか、血の気が戻る。

 オルクト氏族長は、牽制するように彼等をねめつけた。


「身内から密通者を出したハル・クアラ部族は、肩身の狭い思いをしている。オン・デリク(キイ国の大公)が親征を開始した今、アルタイ(山脈の名)の東で待機している族は、二人の判決をおそれながら待っていることだろう。わば、それで部族の罪が決定するわけだからな……。せっかく築いた友好に影を落すようなことはしたくない。ここは一つ、氏族長会議クリルタイは控えて、部族の者のことはその部族に決めさせた方が良かろう、と。――テュメンの意見だ。我々に異存はない」

トグルあいつ、大丈夫なのか」


 呆れ声の鷲に、オルクト氏族長は、ふさふさの口髭を動かして答えた。


ああラー。まだ起きることは出来ないが、意識はしっかりしておられる。きちんと、我々に、今後の指示を出して下さったぞ」

「そうか……」


 鷲の眼に穏やかさが戻る。安堵したのだ。

 話を聴いていた雉と鳩、赤ん坊を抱いたオダ少年、レイと並んで座っている隼の表情も、和らいだ。

 雉が、優美なおもてを上げた。長い銀色の睫毛に、天窓から射しこむ朝の日差しが煌めく。


「キイ帝国の大公が?」

そうだラー。リー女将軍とハン将軍に対し、挙兵した」


 隼は頬をひきしめ、冴えた眼差しを氏族長へ向けた。

 オルクト氏族長は、一同の顔を順に眺めてから、隼に説明した。


「言う必要のないことと考え、黙っていたが。――此度こたびいくさの発端は、タァハル部族とニーナイ国ではなく、ルーズトリア(キイ帝国の首都)を追われたオン・デリク(大公)がはかったものと、我々は考えている」

「…………」

「タァハル部族は、キイ帝国と通じている。連中を使って我々の邪魔をするのが、キイ帝国の十八番おはこだ。我々がタイウルトとタァハル部族との戦闘に入ってリー女将軍の援護が出来ない間に、大公はルーズトリアを奪還するつもりだ」

「…………」

「我々を倒し、最終的にはタァハル部族をも滅ぼして、ニーナイ国を手に入れるのが目的だ。それを察して、テュメンは此度の作戦を考えた。手遅れとなる前に、草原を統一しようと……。部族間の憎しみを絶たなければ、我々の生存はない。数世代にわたって続いてきた諍いを終らせる為に、決意されたのだ」


 隼は真顔で話を聴いたのち、かすかに眼をすがめた。雉は柳眉をひそめ、オダは唇を噛んだ――口惜しげに。

 鷲が、顎をしゃくって訊ねる。


「それじゃ、いいのかよ? こいつらを返しちまって」


 オルクト氏族長は苦笑した。


「何を言う。そうさせたのは、お前ではないか。天人テングリ

「俺?」


 鷲は、瞬きを繰り返した。氏族長は厚い胸をふるわせ、笑声をころがした。


そうだラー。二人を殺すなと主張していた上、自由戦士ノコルとして従軍し、戦場でテュメンを救った。その功績を称え、ハル・クアラの罪は問わずに裁定を委ねようと、王は提案されたのだ。こう言われては、我々に反論の術がなかろう。お前達の責も、帳消しだ。だれひとり敵を倒したわけではないが、戦の第一の功労者は、お前なのだから」


 ちなみに。鷲が『運んだ』タイウルト族の女性と子ども達は、隷民ハランのもとに引き取られ、兵士達は、捕虜として身の安全を保障されている。


「……成る程」

 しばらく言葉の意味を考えた後で、鷲はわらった。若葉色の瞳に、胸がすくような光が閃く。

トグルあいつらしいや。借りはなしってわけだな」



「トゥグス兄者あにじゃ


 ユルテの扉を開けて、タオが顔をのぞかせた。レイ達に会釈をする。

 トグルに似た凛々しい顔に頷いてみせ、オルクト氏族長はもう一度、ぐるりと一同を見渡した。


了解ラー。他に質問はないか? 無ければ、失礼する。儂の氏族の者達が帰って来たのでな。この者達は、連れて行く」

「おっと、俺も行かせて貰うぜ」


 ゆらりと足を踏みだす鷲を、オルクト氏族長は頼もしげに見遣った。黒い瞳に不敵な微笑が宿る。――この二人、いつの間に親しくなったのだろう? と、レイは考えた。


「小僧」


 タオは、やや硬い声でオダを呼んだ。ニーナイ国の少年が、視線を上げる。


「兄上が呼んでいる。その子を連れて、ユルテへ来い」

「はい。あ、でも――」


 捕虜の男達を除く、その場にいた全員の視線が、隼に集中する。隼は、疲れた苦笑を浮かべた。


「あたしは、いいよ。今は……遠慮する」


 オダは鷲を不安そうに見上げたが、彼は無言できびずを返し、オルクト氏族長とともに出て行った。部下の男達が、傷の癒えた捕虜の二人を連れて行く。

 オダ少年は赤ん坊を抱きなおし、タオに従った。ちょっと迷ってから、鳩がその後を追いかける。

 雉は、レイと顔を見合わせた。隼が己の考えに沈んでいるのを観て、肩をすくめる。そうして、彼も、負傷兵を迎える為に出掛けて行った。



              *



 冬の澄んだ蒼天の下。トグルは、ユルテの外に椅子を置き、座ってオダを待っていた。今日はゆったりとした濃緑の長衣デールに身を包んでいる。風はひやりと冷たいが、日差しは暖かかった。

 彼の隣には、あの、赤ん坊を預けたニーナイ国の女性がいて、空色の瞳で少年を迎えた。トグルを護衛しているのだろう、ジョルメ若長老と数人の男達が、やや離れたところに立っている。

 オダから少し遅れて、鳩もやって来た。


「*****。小僧」


 タオは、日向でくつろいでいるトグルとふたこと、みこと言葉を交わしたのち、少年を促した。オダは、ごくりと唾を飲んで彼の前にすすみ出た。

 トグルは、相変わらず感情の窺えない静かな眼差しを少年にあてた。


「その子を、返してやってくれ」

「はい」


 まだ体調が良くないのか、トグルの声は物憂い。赤毛の母親がオダから赤ん坊を受けとる様子を、半ば眼を閉じて眺めている。

 啖呵たんかを切ったものの、心配でたまらなかったのだろう。母親は、泣きながら我が子に頬ずりをした。赤ん坊は、今もトグルの辮髪を握り締めている。

 オダが観ると、トグルの髪は綺麗に切り揃えられていた。タオが整えたのだろうか。

 少年の視線に気づいたトグルが、胡散臭そうに見返す。オダは慌てて面を伏せた。


「申し訳ありませんでした、本当に」


 涙ながらに謝罪する女性の声に、トグルは彼女を顧みた。その頬が憔悴しているように、オダには見えた。

 ニーナイ国出身の母親は、我が子をしっかりと抱え、頭を下げた。


「お許し下さい。興奮していたとは言え、テュメンに、あのような――」

「いや……。言わせたのは、俺だからな」


 トグルは、首を横に振った。溜め息をつき、左手で前髪を掻きあげる。


「謝るなら、その子にしてやれ。知らぬ者の間で、淋しい思いをしただろう……。戻って来てくれて安心した。死ぬつもりだったのだろう?」


 はっとして、オダは彼女を振り向いた。母親は赤ん坊にしがみつき、声もなく泣き崩れた

 トグルは、そのさまをだるそうに眺めたのち、低く訊いた。


「息子達の葬儀は済んだか?」

「はい」


 濡れた声だったが、彼女はしっかりと応えた。目元を拭い、毅然と面を上げる。


「お陰さまで……無事、〈黄泉へ続く荒野シャル・エンゲル〉へ葬ることが出来ました(注*)。それで、王、お願いがあります」

「何だ」


 トグルは、淡々と応じた。既に、彼女の希望を察しているらしい。


「私は故国で家族を喪い、今また夫を喪いました。新しい夫に嫁ぐ気持ちには、もうなれません。ニーナイ国であれば、私達は何とかやっていけます。私のように、故郷へ戻ってやり直したいと考えている者がおります。戦が終わり国境を自由に行き来できるようになりましたら、私達が帰るのを許して下さいませんか」


 オダは、息を呑んで彼女を見詰めた。

 トグルは、ゆっくり頷いた。すんなり許可が貰えるとは予想していなかった母親は、やや驚いて瞬きをした。


「よろしいのですか?」

「許可しよう」


 トグルは、独り言のように答えた。


氏族長会議クリルタイには、俺から話を通しておく。長老会の方からも、そういう意見は出ていたからな……。帰りたがっている者に、声をかけるがいい。向こうにあてがある者は、連絡をしておくように」

御意ラー。ありがとうございます」


『故郷へ帰れば、生きる為に敵に身を売ったと罵られかねない』――オダは、トグルの言葉を思い出した。彼女達の生きる為の苦労を、トグルはよく知っていた。そして、彼女もそれを承知しているのだ。

 トグルは少年に、ふかく響く印象的な声音で言った。


「連れて帰ってやってくれ」

「はい」


 鮮やかな緑柱石の瞳に魅入られる気持ちになりながら、オダは頷いた。


「ミトラと申します。この子はエイル。宜しくお願いします」


 母親は、赤ん坊を抱きなおして言った。どちらもニーナイ風の名だ。晴れた空色の瞳を見詰め、オダは唇を結んだ。何か、不思議な力が胸の奥から湧いてくる。

 少年は、決意をこめて頷いた。


「オダと言います。神官ラーダの息子です。こちらこそ」

「お前の仲間に会わせてやれ」

御意ラーテュメン


 彼女が微笑んだのを確認すると、トグルは、吐息をついて椅子に身を沈めた。瞼を伏せ、片手を振る。


「俺の用事は終わりだ。行くがいい」

御意ラー。失礼致します」

「あ、あの。トグル――」


 ミトラに待ってくれと合図して、オダは声をかけた。トグルは面倒そうに瞼を持ち上げる。

 オダは腰に提げていた径路剣アキナケスを外すと、刃の方を持って差し出した。トグルは胡乱な目つきでそれを眺め、素っ気なく訊ねた。


「何の真似だ?」

「お返しします。僕は、貴方を誤解していました」


 トグルの眸の奥に冷たい光を見つけ、オダは息を殺した。刃を突きつけられるような気持ちがしたが、怯まなかった。

 トグルは黙って左手を伸ばし、短剣を受け取った。一礼して立ち去ろうとするオダを、呼び止める。


「待て。お前にやる」


 剣の柄を突きだす。「受け取れ」と、軽く揺らした。


「え?」


 オダは、意外な気持ちで手に取った。

 トグルの眉間には深い皺が刻まれていた。困惑しているらしい。足下を睨み、怒ったように言った。


「女」

はいラー

「俺は、謝るわけにいかない」


 ミトラの透明な水色の瞳が、まるく見開かれた。オダも、息を呑む。

 トグルは二人に横顔を向け、苦悩の滲む声で続けた。


「フェルガナで、お前の家族を殺したことも……氏族の者に犠牲を出したことも。族長おさとして、俺は、謝罪するわけにはいかない。……手をついて許しを乞うことは、出来ない」

はいラー


 赤ん坊を抱き締め、ミトラは、こわばった顔で頷いた。

 ぶっきらぼうで、どうしようもなく逆説的だが、オダは、これはトグル流の謝罪なのだと理解した。王として安易に謝るわけにいかない彼の、せいいっぱいの。――故に、


「小僧」


 トグルが呼ぶ。少年は、ごくりと唾を飲んだ。


「はい」

「その剣は、お前にやる。持って行け」


 トグルは、オダを見ていなかった。くらい瞳は、遠い地平を見据えていた。その先に拡がる未来を。


「俺を殺すと言っていたことを、撤回する気があるのなら……剣は、その子に返してやってくれ」


 オダは、母親の腕の中の赤ん坊を見た。彼女も見下ろす。

 トグルは、ぎりりと奥歯を噛み鳴らし、唸るように続けた。


「俺達は、どうせ滅びる運命だ。その前に、この地の争いは片をつける……。蔓延はびこる怒りや憎しみは、俺達が、タァハルと共に地獄まで持って行こう。だが、」


 オダは、呼吸を止めてトグルを観ていた。彼が言わんとしていることを察したのだ。


「――もしも、お前に、俺達を憐れむ気持ちがあるのなら……。許してくれとは言わない。子ども達に、その気持ちを向けてくれ。次の世代には、俺達と同じ道を歩ませないで欲しい。親世代の犯した罪を着せない寛大さを持って欲しい。……頼む」

「分かりました」


 苦しむことに疲れた様子のトグルに、オダは、頷いて応えた。トグルは溜め息をつき、そっと、言い表すことの出来ない想いをそらへ放った。

 少年は、最上の誠実さをこめて囁いた。


「約束します。僕に、どれ程のことが出来るか分かりませんが……。出来る限りのことをすると、お約束します」

ありがとうラーシャム


 トグルはほっとしたように呟くと、椅子の背に寄りかかり、眼を閉じた。タオが、心配そうに兄の様子を見守っている。蒼ざめたうすい瞼に、オダは問い掛けた。


「これから、どうなさるおつもりですか?」


 トグルは瞼をもち上げた。衰弱しているとはいえ、新緑色の眸に宿る光は澄んで怜悧だ。オダは、今更のように感嘆を禁じ得なかった。


「タァハル(部族)の出方による。奴等は、オン大公との挟撃を図り、時間を稼ごうとするだろう。リー女将軍が敗れる前に決着をつけたいが、タァハルの方は、一旦、兵を退くだろう。リタ(ニーナイ国の首都)辺りまで南下するかもしれぬ」

「そうですか」

「お前の国に被害が及ぶことはないと思うが――」


 少年の神妙な表情を見遣り、トグルは口調を和らげた。


「奴等がニーナイ国の領内に入ると、こちらが不利になる。奴等の方が、砂の扱いに慣れているからだ。リタを占拠してニーナイ国の人間を盾に取られるというのも、ぞっとしない……。それくらいのことを、しかねないが」


 以前ニーナイ国を攻めた時のことを思い出し、トグルは苦笑した。


「砂漠は、懲り懲りだ。よく、あんな処で暮らせるな。お前達は、逆のことを言うだろうが……。オロスやイェニセイ族は、駱駝を扱えない。ニーナイとミナスティアとは、戦いたくない。やはり、タァハルをおびき出す策を考えるか――」


 トグルの台詞の後半は、独り言になっていた。眼を閉じ、作戦を考えている。

 オダは理解した。この男は、常に将来さきのことを考えている。前へ進む手段を。


「もう、下がれ」


 トグルは、投げやりに呟いた。


「疲れた、俺は……。少し、休ませてくれ」

「はい。失礼します」


 トグルがこんな言葉を口にするのも、初めてのように思った。それで、オダはミトラとともに一礼した。タオが彼等を案内する。去り際に、後方で遠慮気味に佇んでいた鳩に声をかけたが、少女はついて来なかった。

 トグルは眼を閉じ、オダ達を見送らなかった。



 鳩の目に、トグルは疲れ、哀しげに観えた。長身が今にもほろほろと崩れそうで、少女は声をかけられなかった。

 トグルの方が少女を見つけ、瞬きをした。


「ハトか……。いつから、そこに居た? 俺に、何か用か」


 トグルの声は、以前と同様に優しかった。穏やかな眼差しも、会えない間に変わってはいなかった。

 それで、鳩はおずおずと彼に近寄り、長い脚を包む大きな革靴グトゥルを見下ろして立ち止まった。トグルは、警戒する男達を、片手を振って下がらせた。

 鳩は、自分の胸の前で両手を組み、きり出した。


「あたし、トグルに、あやまらなくっちゃ、って思って」


 唇を噛む少女を、トグルは不思議そうに眺めた。


「ごめんなさい。あたし、勝手なこと言っちゃった。『一緒に居ても、不幸にならずに済む方法』――」

「…………」

「トグルも、考えてたんだよね。隼お姉ちゃんを、幸せにする方法。なのに、勝手なこと言って、ごめんなさい」

「ハト」


 トグルは囁き、眉尻を下げた。鳩は、真剣に彼を見詰めた。


「トグル。隼お姉ちゃんに、会ってあげて」


 トグルは、わずかに眼を細めた。

 鳩は項垂れ、小さな声を搾り出すように続けた。


「お姉ちゃん、落ちこんでる。何も食べなくなっちゃった……。トグルのことを、心配してる。だから、お願い」


 鳩は、改めてトグルを見た。亡き友を想い出させる黒曜石の瞳を、トグルは見返した。

 少女は怯まず、重ねて懇願した。


「ちゃんと、話をして……。このままじゃ、お姉ちゃんが可哀想。トグルが可哀想よ」


 澄んだ声が嗚咽を含み、ふるえた。


「ねえ、知ってる? 誰かを幸せにすることは、自分も幸せにすることなんだよ。自分が幸せじゃないのに、ひとを幸せになんて、出来ないよ。……お姉ちゃんと会えなくて、トグルは平気なの? 会いたくないの?」

「ハト」


 トグルは囁いた。この少女に嘘をつくつもりはなかった。


「会いたくは、ない……。俺は、あいつを、泣かせたくないんだ」

「どうして」


 鳩の声が高くなった。瞳がうるみかける。

『逢いたいからだ』 胸のなかで、トグルは答えた。解っている――誰よりも、逢いたいから。会うわけにはいかない……。

 少女は瞬きで涙を消し、懸命に言い返した。


「泣いてるよ、隼お姉ちゃん。涙は流していないけれど……。どうして? 好きな人と会えない方が、会って辛いより、ずっと辛いに決まってるじゃない。何で、それくらいのことが判んないの」


 耐えかねて、鳩はしゃくりあげた。唇がわななき、大きな瞳が、みるみる涙に包まれる。


「あたし、泣いちゃうからね」


 トグルは、少女を途方に暮れて眺めた。


「トグルに会えなくなったら泣いちゃうよ、あたし。トグルがそれで良くっても。あたしなんかが泣いたって、みっともないだけだって分かってるけど」

「…………」

「こんなのってないよ。やだ、トグル。死んじゃ、やだ……」

「わかった、ハト。わかったから……」


 ぽろぽろぽろぽろ。大粒の涙をこぼし始めた少女に、トグルは降参した。左手を伸ばして柔らかな黒髪を撫でると、鳩はしがみついて来た。彼の首に腕を回し、胸に顔をうずめる。

 吃逆しゃっくりが止まらなくなってしまった鳩を、トグルは抱き締めた。小刻みにふるえる華奢な身体を外套チャパンごと抱え、頭を撫でる。


『死ぬなと言われても困るが……。俺には、もう一人、妹が居たんだな』


 トグルは、高い空を仰いだ。






~第五章へ つづく~


(注*)〈黄泉へ続く荒野シャル・エンゲル〉へ葬る: 葬礼のひとつ。遺体を荒野に放置し、風雨に晒す方法です。『風葬』とも言います。放置する場所は決められており、そこを『シャル・エンゲル』と言います。



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