第一章 旅立ち(3)


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 自分で自分のことをアヤシイから信用するな、という人に、悪い人はいないよ。

 ――そう言って、オダはタパティを慰めた。エツイン=ゴルは愉快に笑い、「まあ、お前がいちばんマトモだよな」 と《はやぶさ》をもちあげた。隼は困り顔で頬を掻いたが、砥がれた刃のごとき警戒がやわらいだので、オダはほっとした。

 タパティはラーダ(神官)たちと、隼は仲間と、話し合っておくということにして、その日は別れた。

 翌朝、エツイン=ゴルは隼をともない、再び神官宅を訪れた。

 ラーダは村の長老たちと避難について相談しなければならず、席を外した。タパティとオダだけでもカールヴァーン(隊商)に紹介しておこう、というつもりだ。

 デルタはタパティに、自分が若いころ着ていた紅色のトゥニカ(長衣)を着せ、手土産を用意した。水でといた麦粉を薄くのばして焼いたものに、たっぷりの香辛料と野菜と焼きたての川魚をはさんだ料理だ。新鮮な瓜と葡萄もそえた。エツイン=ゴルを含め人数分、きれいに籠に並べたものを見せられて、隼は眼をまるくした。


 戦乱が近づいていても、人々の暮らしは営まれていく。

 市場の活気は、いつもと変わりなかった。朝採れの野菜や果物、魚、羊肉を売る屋台がならび、呼びこみの声が雲ひとつない空に響く。鉄製のすきくわだけでなく、剣や槍を売る店もあった。時折、北の情勢を不安げに噂する者はいたが、すぐに己の仕事に戻っていく。限られた時間内に稼ぎ、収穫し、貯えておかねばならない。

 畑では、麦や葡萄の収穫が始まっていた。


 隼は、昨日とおなじ毛織の外套を頭からかぶり、タパティとオダの前を歩いて行った。特異な姿を人目にさらさないだけでなく、日除けの意味もあるらしい。「焼けると、ひぶくれみたいになっちまうんだ」 と、説明した。

 村はずれに、駱駝や驢馬をあきなう市場がある。そのさらに外縁に、旅人や傭兵、カールヴァーン(隊商)が野営する広場があった。タマリスク(御柳・ギョリュウ)の木陰に設営された小さな天幕に、隼は入っていった。


「おら、《はと》。いつまで寝ているんだ。起きろ」

「んー、んん。あ、お姉ちゃん、お帰りい~」

「お帰り、じゃない。」


 隼は、タパティたちを入り口に残し、眠っていた少女をゆり起こした。

 少女は身を起こし、もぞもぞ眼をこすると、ふわわと欠伸をした。耳のうしろで二つに別けた三つ編みが、肩をすべりおちる。タパティよりさらに黒い髪だった。

 隼は、苦笑した。


「本当によく寝るなあ、鳩は。っちゃばっかりしていたら、太っちまうぞ」

「そんなこと、ないもん。、そんなに食っちゃ寝してる、わけじゃないもんっ。て……え?」


 少女は来客に気づき、黒い大きな瞳をみひらいた。タパティを見て、エツイン=ゴルとオダを見て、隼を見上げた。


「だ、だれっ? お姉ちゃん」

「ああ、鳩。お客さんだ。早く起きろ」


 隼の平坦な口調は、変わらなかった。


「昨夜、話をしただろう。タパティと、オダだ」


 鳩はちらりとオダを見遣ったものの、すぐタパティに視線を戻し、まじまじと凝視みつめた。自分とおなじ髪と目、肌の色に驚いたのだろうと、タパティは思った。少女の緊張をほどこうと、ぎこちなく微笑みかける。

 エツイン=ゴルは、二人の様子に満足げだった。


「鳩には逢わせた方がよいと、儂が言ったとおりであろ、隼。まっこと、世間には、いろんな人間がいるものだな」

「……そうだな」

「隼さんの妹さんですか?」


 オダは、彼らに敬語を使うことに決めたらしい。隼は、軽く首を傾げた。


「違うよ。ヒルディア(王国)出身だけど……。〈草原の民〉との混血か、〈黒の山〉にかかわりがあるのかと、考えていたんだ」


 少年とタパティが理解できていないのを見て、補足する。


「知らないのか。昔、〈草原の民〉は、ヒルディアやナカツイ王国の辺りでも暮らしていた。キイ帝国が北へ追いはらったが……。それに、〈黒の山〉に降臨した《星の子》は、黒目黒髪をしている」

 断定しかけて、肩をすくめた。

「――そうだよ」


 初めて、タパティが、自ら訊ねた。


「この子のために、〈黒の山〉を目指しているんですか?」

 隼は、一瞬、するどい目で彼女をみすえ、肯いた。

「……ああ。鳩には、同じ姿をした仲間がいないからな」


 ふいに、鳩が両腕をひろげ、タパティに抱きついた。よろめく彼女の腰に腕をまわし、むぎゅっとしがみつく。顔をあげ、きらきら輝く瞳で彼女を見上げた。

「お姉ちゃん、一緒に行こう! ね、ね?」

「え? あ……ええ?」

 タパティは、目を白黒させた。少女の言動があまりに突然で、対処できない。

 隼は苦虫を噛みつぶした。


「待てよ、鳩。勝手に話を進めるな。だいたいお前、朝飯あさめしもまだだろう?」

「あ、ごはん……」

 タパティの頬に、自然な笑みが浮かんだ。料理の入った籠を持ちあげ、鳩に見せた。

「作って来たのよ。一緒に食べましょう」

「わあ! 嬉しい。ありがとう、お姉ちゃん!」


 オダとエツイン=ゴルは、顔を見合わせた。二人にも、少女のおかげでタパティの緊張が解けたことが分かった。



「おーい、鳩! 隼、いるか?」


 五人がやや狭い天幕の中で佇んでいると、外から声がかけられた。なめらかな男声だ。

 気づいたオダが驚くほどの素早さで、隼の顔から表情が消えた。彼女は、少年とエツイン=ゴルの間をすり抜けると、天幕の入り口をおおう布をかき分けた。


「そろそろ食事にしよう――」

 言葉が途切れ、息を呑む気配がした。


 オダたちが観ると、隼と同様に外套を頭からかぶった若い男が立っていた。片手に桶をぶら下げているのは、水汲みの帰りだろう。視線の先には、タパティがいた。彼女の背をおおう黒髪を見詰め、振り返った顔を見て、さらに頬をこわばらせる。

 春に芽吹いたばかりの若葉のような、やわらかな翠色の瞳だった。

 隼は、舌打ちした。


「《きじ》」

「……隼。そのは」

「タパティと、オダだよ」


 隼は説明を繰りかえした。


「昨夜、話しただろう。一緒に〈黒の山〉へ行くかもしれないと」

「……ああ」

「《わし》は?」

 まだ茫然としている雉に対し、隼の口調は素っ気なかった。

「あいつは、一緒じゃないのか?」

「砥ぎにだした剣を受け取りに、市へ行ったよ……。そうだな」


 ひとり頷くと、雉は、外套とひとつづきの頭巾を脱いだ。短く切った銀色の髪が現れる。やや垂れた柔和な眼をほそめ、オダとタパティに微笑みかけた。


「おれの名は、ダレイオフ=ケイ。ケイでいいよ」

「はじめまして、オダです。隼さんの仲間なら、雉さん、では?」


 オダが問うと、雉は肩をすくめた。


「エツイン=ゴルと同じナカツイ国出身だから、おれは。ケイでも雉でも、好きに呼んだらいい……。鷲の莫迦ばかは、鳥の名でしか呼ばないけどね」


『……莫迦?』 オダとタパティは、顔を見合わせた。


 雉は、落ち着いた態度で踵をかえし、彼らを促した。

「そこは狭いだろう。お茶を淹れるよ」

「お兄ちゃん!」

 タパティにくっついている鳩が、得意げに報告した。

「すごいのよ。お姉ちゃん、朝ごはんを持ってきてくれたの!」

「え?」

 歩きだそうとしていた雉の眼が、期待にみひらかれた。タパティが、はにかんで籠を見せる。

「……それは、ありがたい。是非、ご一緒に」



          *



 木陰に敷いた絨毯の上に、まずエツイン=ゴルが坐り、オダとタパティが坐った。鳩は、ずっとタパティの片腕にしがみついている。雉が、乾いた小枝と枯草をつかって火を熾し、土瓶でお茶を沸かした。

 隼は片方の膝をたてて絨毯に腰をおろし、雉の手際を眺めているだけで、手伝おうとはしなかった。


「わあ!」


 タパティが籠の中身をひろげると、鳩は手を叩いて歓声をあげた。脂ののった焼き魚の香ばしいかおりと、清々しい香辛料の匂いがただよい、一同は目を輝かせた。早速、遠慮なく口へ運ぶ。


「うん、素敵。美味しい。お姉ちゃん、ありがと」


 指についた脂を舐め、満足げに眼を細めて、鳩が言う。エツイン=ゴルも、口髭を揺らして笑った。


「こりゃあ、大したもんだ」


 隼は無言で何度もうなずいている。知り合って間もない彼らの好意的な反応は嬉しかったが、タパティは、恐縮して肩を縮めた。


「デルタおばさんが、ほとんど作ってくれたのです。わたしは、手伝っただけ……」

「でも、手伝ってくれたんだろ」


 隼が、水を飲む駱駝たちを眺めながら、低い声で呟いた。最後のひとくちを頬のなかに押しこむ仕草を、タパティは、まじまじと見詰めた。他人事のような横顔に、話しかけようとしたとき、


「おばさんに一緒に来てもらう、っていうわけにはいかないか……」


 素直すぎる願望を雉が口にしたので、隼は失笑した。エツイン=ゴルが腹をゆすって笑いだす。タパティと鳩も笑ったが、オダは、やや残念そうに視線をさげた。


「本当は、心配なんです。〈草原の民〉が攻めて来るっていうのに、僕らだけ、安全な〈黒の山〉へ向かうのは――」


 それで、一同は笑いを収めた。雉が、陶器の椀にお茶を注いでみなに配る。タパティは少年を気遣ったが、エツイン=ゴルは、ふむと口髭を撫でた。


「安全とは言いきれんぞ」


 ナカツイ王国の商人はそう言うと、懐から一枚の布をとりだした。染めていない木綿の布に、刺繍で絵を描いたものだ。茶器と籠を器用によけ、一同のまえにひろげた。

 オダとタパティは眼を瞠ったが、他の三人は慣れているので平然としていた。

 ニーナイ国は、国土の殆どを砂漠におおわれている。北のエルゾ山脈から流れだしたリブ=リサ河が、その砂漠を北東から南西へつっきって流れ、海へとそそいでいる。首都リタは、河口付近だ。

 商人は、河をあらわす線の中ほどを、複数の金の指輪をはめた丸い指で示した。


「儂らがいるのは、この辺りだ。リタ(ニーナイ国の首都)はここ、エルゾ山脈がここ……。去年、タァハル部族は、エルゾ山脈を迂回してやって来た。奴らの根拠地は西方だから、リタに近かった。……トグリーニは、テュー川の北、タサム山脈よりさらに北に住む部族だ。シェル城を陥とし、まっすぐエルゾ山脈を越えて南下している」


 山をあらわす三角の絵のつらなりを、オダは見詰めた。地図の中央部分は、山々が密集している。その、さらに中心を、エツイン=ゴルは指さした。


「〈黒の山〉は、ここにある」

「……彼らの進んでくる経路に、近いですね」

「左様」


 エツイン=ゴルは、眉をひそめた。


「まさかひとつの道をすれ違うことはなかろうが、出くわさぬとは言い切れぬ。一方……〈草原の民〉は、略奪・殺しを行うが、得るものを得ればすぐ帰るのも特徴だ。ここまで来ない可能性もある」


 オダは、ぱっと面をあげてエツイン=ゴルを見た。


「村や街を占領することはないんですか?」

「そうした話は聴かぬな」


 かしこそうな少年の瞳が希望に輝きはじめるのを、隼と雉は、黙って観ていた。


「タァハル部族もトグリーニ部族も、遊牧民だ。定住民の都市に興味はない。家畜をうばい、作物をうばい、女子どもを連れ去るが、畑を耕すつもりはない」

「〈草原の民〉も、いろいろなんですね……」


 村が災厄を逃れられるかもしれないと知り、オダは、やや安堵した。思案気に呟く。

 エツイン=ゴルは、地図を畳んで片づけながら、大袈裟に頷いた。


「儂らに国がたくさんあるように、奴らにも部族がたくさんある。その部族どうしで争い、殺し合っていると聞く……。まあ、関わらん方がいいのは確かだな」

「教えて下さり、ありがとうございます。あの、それで――」


 オダが、さらに訊ねようとした時だった。


「エツイン! エツイン=ゴル!」


 悲愴さをおびた男の声が、割ってはいった。続いて、ナカツイ国の装束を着た若者が、駆けて来た。


「市場で喧嘩だ! アルムバルトの隊が、巻きこまれた。イエ=オリが斬られて、鷲が止めにはいってる!」

「なんと?!」


 エツイン=ゴルが返事をするより早く、隼は、剣を手に走り出した。




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