第四章 飛鳥憧憬

第四章 飛鳥憧憬(1)


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 〈草原の民〉の騎馬軍団が解散し、各々の氏族の本拠地へ帰っていくと、辺りは急に閑散とした。ニーナイ国から連れてきた捕虜の女性と子ども達も、男達は連れさった。

 彼等が祈りをささげた祭壇オボは、去りぎわに積み石が持って行かれ、すっかり小さくなっていた。盛り土のうえに、献じられた柳の枝が沢山のこっている。

 ひろびろとした草原が、さらに広くなったようで、隼は戸惑った。


 トグルとタオの兄妹は、自分たちの私有財産である羊と馬の群れを、自由民アラドの一家に預けていた。ジョルメという若長老の家族だ。ともに家畜の世話をするため、兄妹は、彼等が宿営している場所のちかくにユルテ(移動式住居)を建てた。族長が政務をおこなう天幕も移設されたので、また少し、トグルのユルテの周りは賑やかになった。


 日の出前にタオは起きだして、井戸に水を汲みに行く。他の女達も一緒だ。ユルテに戻ると、煙突をコンコンと叩いて煤を出し、炉に火をおこして湯を沸かす。お茶の葉を鍋にいれて煮ている間に、羊と山羊を囲いサラブチから出し、並べて乳を搾る。この頃になると、隼も起きて、みよう見まねで彼女たちを手伝った。

 搾りたての乳を、煮たてたお茶に入れて乳茶スーチーとする。これが朝食だ。

 トグルは独居なので、タオは時々、兄のユルテへ出かけて家事をした。トグルは自分の身のまわりのことは自分でするが、仕事が忙しかった日の翌朝など、妹に起こされるまで寝ていることがあった。


 朝食を終えると、男達は馬に乗り、放牧にでかける。干し肉ボルツ干乾酪ホロート(硬チーズ)を長衣デールの懐に入れていく。女達は洗濯をしたり、つくろい物をしたり、半乾酪ビャスラグ(軟チーズ)、牛酪マルス(バター)などを作って過ごす。昼食は、やはり乳茶だ。

 秋は冬越えのために家畜を肥らせないといけないので、男達は、何度か、岩塩が露出しているところへ家畜を連れて行った。肥えた羊を数頭 屠殺して、保存用の肉もつくった。普段はこの干した肉ボルツを食べているが、屠殺を行った日は、新鮮な肉料理が夕食に並んだ。

 日が沈むと、男達は放牧から帰って来て、明日乗る馬に肢紐チュドゥルをつけて放し、家族で食事を摂る。蒸留酒アルヒを飲んだり、友人と互いのユルテを訪問して夜遅くまで過ごしたりもした。――トグルの場合は、族長の仕事だ。

 

『ふんぞり返っていられるのかと思っていたら、案外いそがしいんだな……』

 数日間、トグルを観察していた隼の、これが、正直な感想だった。


 トグルの許へは、軍団が去った翌日から、同盟氏族の使者たちが、続々と訪れた。

 〈草原の民〉は、幾つかの血縁氏族が集まって、部族を構成している。トグルの命に従って兵をだす一方、キイ帝国や、さらに北方の狩猟民の侵略から守られている氏族もあった。

 隼は、自分の知らない土地に、こんなにも多くの人間が暮らしているとは想像していなかった。タオに訊くと、トグリーニ部族だけで二十六の氏族があるという。とても覚えきれず、早々に諦めた。

 毎日、トグルは天幕にでかけていく。使者の挨拶に彼等の言葉でこたえ、各氏族長の周辺の人間関係まで把握して話をする彼を、隼は、密かに尊敬する気になった。


『鷲なら、絶対に、途中で逃げ出すだろうな』


 窮屈であろう礼服に身を包み、使者達と世間話をしているだけが、族長の仕事ではない。彼等の持ちこむ様々なやっかいごとを、一人で、或いは長老達の意見を聴きながら、解決に導かなくてはならない。

 不作で小麦の収穫のとぼしかった地方へは、別の地方から食物を輸送させ、豪雪にみまわれた土地の住人には、別の草原をあてがってやる。その為には、当然 他氏族の協力が必要であり、そこで生じる小競り合いや、果ては氏族内の相続争いまで、トグルが裁かなければならなかった。

 夜更けまで氏族内・外のもめごとの処理に追われた彼を、深夜に、酔った男どもの喧嘩が叩き起こす。

 季節はずれの家畜の出産から、卒中を起した老人の葬儀に至るまで、『お前等、それくらい、族長ぬきで何とか出来ないのかよ……』 と隼が言いたくなるほど雑多な案件が、彼のところには持ち込まれた。


 あらゆる知識が、彼に集約されていた。

 おそらく、口伝で伝えられているのだろうと、隼は推測した。そうでなければ、これほど大きな部族を、まだ若いトグルが束ねられるはずがない。

 長老達が補佐してはいるが、いま彼を喪えば、部族内で争いが起こるだけでなく、草原全体が大混乱に陥るというタオの言葉が納得できた。

 トグルも、それを承知していた。天幕に居る時の彼は、どんなに忙しくても黙々と仕事をこなしていたし、タオにすら、愚痴をこぼすことはなかった。

 それで、隼は、また少し混乱してしまう――


 残忍な侵略者の頭目かと思えば、ニーナイ国から略奪して来た女(彼を殺したいほど憎んでいても、不思議ではない)であっても、出産に苦しんでいる妊婦であれば、優しく励ましの言葉をかけてやる。

 ある氏族が食糧不足で苦しんでいる時に、そこへ送る食糧の分担で不平をこぼす他氏族を、一喝して黙らせたかと思えば……敵対する部族との駆け引きの為には、小氏族の一つや二つは、平然と荒野に放置させた。

 完璧な族長であることにしか興味がないのかと思えば、夜、独りで馬頭琴モリン・フールを奏でている。

 隼にとって、トグルは、やはり捉えどころのない男だった。


               *


 ある朝、十数頭の騎馬が、トグルのユルテ(移動式住居)の周りにやって来た。鮮やかな濃緑の長衣デールに毛皮の帽子をかぶった恰幅のよい男をみつけ、タオは歓声をあげた。


「トゥグス兄者あにじゃ!」

「おう、タオ。元気だったか?」


 男は両腕をひろげ、タオを迎えた。タオは、少女さながら頬をかがやかせて男に駆け寄ったが、流石に抱きつくようなことはせず、手前で立ち止まった。男は、彼女の肩をぽんぽんと叩いた。

 親密そうな二人に対し、周囲にいた男達が一斉に跪いたのが、隼には印象的だった。

 男は、満面の笑みをうかべた。


「帰りが遅くなると聞いて心配していた。怪我はないか? リー・ディアを討ちとったと聞いたぞ。お手柄だったな」

「あれは事故だ。兄上の予定にはなかったので、国境を離れるのに手間をとった。……ハヤブサ殿、来てくだされ。紹介する」


 会話の最中にも、男がちらちらと隼を観ているので、タオは彼女を手招いた。折しも、ユルテ(移動式住居)の扉が開き、出て来たトグルが、この光景に足を止めた。


「オルクト・トゥグス・バガトル(注*)。我等トグルート五氏族がひとつ、オルクト氏の族長だ。私の従兄でもある。トゥグス兄者、〈黒の山カラ・ケルカン〉の天人テングリ、ハヤブサ殿だ」

「センバイノー(こんにちは)、天人。お初にお目にかかる」


 オルクト族長は帽子を脱ぎ、うやうやしく一礼した。にこにこと愛想は良いが、顔の面積に比して小さな眼の中の黒い瞳が、油断なくこちらを観ていることに、隼は気づいた。

 隼も、軽く頭を下げながら、相手を観察した。非常に大柄な男だ――背の高さは鷲と同じくらいだが、横幅も厚みも、鷲の二倍はある。腹も少し出ている。それでいて、愚鈍さを全く感じさせない。三十代半ばか。血色は良く、長い髪は黒々として、太い一本の三つ編みに纏められていた。鼻の下のふさふさの口髭が、実に濃くて柔らかそうだ。


 オルクト氏族長も、隼を眺めた。最初に銀髪を、紺碧の瞳と気品のあるしろい顔をまっすぐ見詰め、細い肢体を上から下まで眺めたのち、再びおもてをみた。「ほお」 という形に口と眼をひらき、にっこりとむ。


「いや、失礼。噂にたがわぬお美しさだ。イリへようこそ、天人テングリ


 多少なまりは感じられたが、非の打ちどころのない交易語で言い、右手を差し出した。隼が、躊躇いつつ厚い掌に右手を添わせると、オルクト氏族長はすかさず左手を添え、両手で包んで握り返した。あたたかく、さらりと乾いた感触が、隼の手に残った。

 オルクト氏族長は、たのしげに続けた。


「お会いできて嬉しい。お仲間と《星の子》が、リー女将軍に囚われていると伺った。我等に援けを求めて来られたのか。お手伝いできることがありますかな?」


『え?』

 隼は、瞬きを繰り返した。――そういう話になっているのか?


 トグルが、オルクト氏族長の背後に近づいて声をかけた。


盟友アンダ、そうではない。こいつは、俺を殺すために、ここにいる」

「……はあ?」


 氏族長のただでさえ大きな口が、さらに大きく開いた。トグルと隼を交互に観る。彼の反応が大袈裟だったので、隼は、いっとき己の疑問を忘れた。

 トグルは、舌打ちをして、従兄の腕を引いた。


「行こう。長老サカルどもを待たせると、また煩い」

「待て待て、ディオ。そういう趣味だったのか? お前」

「黙れ」


 ぴしゃりと言い捨てて、トグルは歩きだした。オルクト氏族長は苦笑して、隼に手を振った。


「天人、またのちほど」


 彼がトグルについて歩きだすと、跪いていた男達も立ち上がり、会釈をして行った。タオは、隼と肩を並べ、笑いながら言った。


「気をつけられよ、ハヤブサ殿。トゥグス兄者は、無類の女好きだ。既に、妻が四人いる」

「四人?」


 隼が眼をまるくすると、タオは思案気に眉間に皺をよせた。


「五人だったかもしれぬ。私が知らぬ間に増えているので、もう分からぬ。全員、可愛くて仕方がないそうだぞ。ああ見えて、氏の重騎兵は、部族最強だ」

「重騎兵?」


 隼が訊ねると、タオは得意げに頷いた。


「人馬ともに鎧で武装する、大型の騎馬のことだ。キイ帝国の長城チャンチェンを攻める際には、先鋒となる。あの体格でなければ務まらぬのだ」


 隼は、トグルとオルクト氏族長が去って行った方向を見遣った。その視界に、また別の騎馬が現れた。

 男達は、タオと隼に気づくと馬から降り、先ほどのオルクト氏族長同様、帽子を脱いで挨拶をした。話しかけては来ず、そのまま天幕を目指した。

 先頭をいくすらりとした長身の、青味がかった黒髪の男の容姿すがたが、隼の目をひいた。涼やかな目元が印象的な青年だ。年齢は、トグルより少し上、だろうか。臙脂色の長衣デールを着て、髪はやはり一本の辮にまとめている。

 タオが説明してくれる。


「シルカス族のアラル将軍ミンガン(万騎長)だ。氏族長の代理を務めている。シルカス族は、兄上と同じ軽騎兵による速攻と、攻城機(投石機)を用いる城攻めが得意だ。こたびのニーナイ国とのいくさでは、出番がなかった」


 他の氏族は使者なのに、この二氏族は、族長本人と代理が来た。――隼の疑問を察し、タオは続けた。

「シルカス族とオルクト族は、我が氏族に最も近しい親戚だ。今後のことを考え、兄上が呼んだのだろう」


『今後……』 相槌をうちながら、隼は、己の左の脇腹に片掌をあてた。

 

 折れた骨が治るまで、一か月の猶予を得た。まだ日はあるが、傷はほぼ治っている。不用意に捻らないかぎり、痛みはない。

 落ちた体力が回復するには、さらに日数が必要だろうが、現状でも戦えなくはない。

「お前に、決闘を、申し込みたい」 確かに、自分はそう言った。トグルが 『俺を殺すため』 と言ったのは、仲間を牽制する意図か。

 しかし……殺せるのか?

 実力云々より、隼は、自信がなくなっていた。タオが悲しむだろうと考えてしまう。全力で好意を向けてくれる草原の娘にとって、兄と隼が戦うのを観るのは、辛いだろう。

 トグルは既に、ニーナイ国からは手を退いている。リー女将軍とも、停戦していると言えなくはない。自分たちにとって必要な力の持ち主を、殺す理由は?

 ああ、いや。そうではなく――


 隼は首を横に振った。そうして、気づく。自分はまだ、肝心なことをトグルに訊いていない。

 占領も、支配もせず、ニーナイ国から撤退したトグリーニ族。暮らしむきは素朴で単純だ。強奪してきた財宝で、贅沢をしている風はない。

 いったい何故、彼等はニーナイ国を攻めたのだ……?






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(注*)オルクト・トゥグス・バガトル: 外伝『狼の唄の伝説』では、一人称の語り手として登場しています。本編より約十年前の設定です。

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