第三章 双面の神(2)


             2


「オダ! お帰りなさい」

「……ただいま、鳩。隼さん」


 五日後、数千人の捕虜を連れて、トグリーニ族の男達は凱旋した。

 薄紅色の夕闇に包まれた本営オルドウに馬の声が響くと、ユルテ(移動式住居)の中から、人々が迎えに出て来た。真っ先に隼が、続いて鳩が表に出て、雉と鷲が後に続いた。すっかりお腹が重くなって動きのにぶいレイに、鷲は手をかした。

 シルカス・アラル族長につき添われて葦毛の馬から降りるオダを、一同は迎えた。出かけた時と違い、少年は、身体に合わない大きな紺色の長衣デールを着ていた。

 ずり落ちるように鞍から降りる少年を、隼は訝しんだ。


「どうした? オダ。怪我でもしたのか?」

「大丈夫です。その……気にしないで下さい」


 鳩が、不思議そうにオダの顔を覗き込む。歩こうにも歩けない少年に、鷲が、意地悪く言った。


「ケツの皮が、やぶれそうなんだろ。な? オダ。歩くとボロが出そうなんだよな」

「……そうなのか?」

「鷲さあ~ん」


 得心した顔になる、隼。少年は、真っ赤になって彼を睨んだ。鷲は腕を組み、にやにやわらっている。鳩がくすくす笑い出したので、オダは慍然むっとした。


「お前まで笑わなくったっていいだろう? 鳩」

「ごめーん。でも、オダの無精髭なんて、初めて見た」


 鷲は、少年の頭に片手をのせた。雉がねぎらう。


「なかで休んでろ、オダ。後で、診てやるよ」

「はい。スミマセン、雉さん」


 鳩ははしゃぎながらオダにつき添い、一緒にユルテへ入って行った。その様子は、仲の良い兄妹のようで、大人たちの微笑を誘った。


「負傷者は、どれくらいだ?」


 雉の硬い声に、一同は視線を戻した。馬から降りるシルカス・アラル族長を、雉は睨んでいる。


「我々デスカ? 捕虜デスカ?」

「両方に、決まってるだろう」


 叩きつける口調に、雉の怒りがこめられていた。隼の表情も、柔和とは言えなかった。煙草を噛む鷲の態度だけは、普段と変わらない。

 シルカス・アラル族長は首を傾げて少し考えると、たどたどしい交易語で答えた。


「合計すれバ、五千人くらいニハ、ナルデショウカ……」

「死亡者は?」

「勝ち戦デハ、負傷者ノ三分のイチくらいニ、見積もりシマス」

「そうか。結局、それ以上の人間を殺して来たんだな。判った」


 雉の皮肉は痛烈で、眼差しは、かなり険悪だった。彼には珍しいと、レイは思った。

 シルカス・アラル族長は、気を悪くした風もなく、静かに彼を見返した。黒い瞳は澄んで怜悧だ。


「……トグルは?」


 隼が、横から、囁くように訊ねた。シルカス・アラル族長の頬が、安堵に弛んだ。


「あいつは無事か?」

「御無事デス。カスリ傷ひとつ、負ワレテいらっしゃイマセン」

「そうか」


「悪運の強い奴だな」


 雉はぼそりと呟いたが、シルカス・アラル族長は、聞えないふりをした。レイと鷲、隼を順に見て、丁寧に問うた。


「何か、お困リノコトハ、アリマセンカ? ご用事ガアレバ、承りマス」

「トグルに会いたい」


 隼が、簡潔に言った。鷲は胸の前で腕を組んだまま、黙っている。彼女は、沈んだ口調で繰り返した。


「あいつに、会わせてくれ……」

「てゅめん(王)は、くりるたい(氏族長会議)デス」


 隣で鷲が溜息をついたので、レイは彼を見上げた。煙草を噛んでいる横顔から、考えは窺えない。


「捕虜ノ分配ヲ、決めナクテハ、ナリマセン。たいうるとノ部族長ヲ捕り逃がシテしまいましたノデ、マタすぐ、出陣スルノデす」

「そうか。なら、いい」


 がっかりした表情は見せなかったが、隼は眼を伏せた。

 雉が、苦い声で言う。


「負傷者に、ここへ来るよう言ってくれ。捕虜もだ。急を要する患者が居たら、呼んでくれ。タオの手を借りたい」

「ワカリマシタ」

「あたしも手伝うよ、雉」

「ハヤブサさま」


 囁くように、シルカス・アラル族長は呼びかけた。踵を返そうとしていた彼女が、振り返る。

 新族長は、黒曜石の眸を伏せ、淋しげに言った。


「てゅめん(王)からの伝言デス。キジさま、ワシさま、我等ニ構わず、早々に、コノ地を離レラレマスヨウ……。にーない国ノ御使者、レイさまモ、安全な土地ヘ行かれた方ガ、ヨロシイト」

「どこへだ?」


 答えたのは、雉だった。隼は、蒼ざめた顔で口を噤んでいる。


「今の時期、どこに安全な土地があるって言うんだ。ニーナイ国か? 結局、お前達の戦争に巻き込まれるんじゃないか。より多く殺した方が正しいなんて考えが通用している限り、おれの仕事はなくならない。おれ達を厄介払いしたいのなら、まず戦争を止めろと、トグルに言ってくれ」


 雉は踵を返し、さっさと歩いて行った。男達が捕虜を集めているところへ向かう。少し迷ってから、隼も、彼を追った。


 シルカス・アラル族長は、動じることなく二人を見送ると、レイと鷲に向き直った。穏やかに問う。


「他に、御用ハアリマセンカ?」

「ないよ」


 鷲は苦笑していた。ゆらりと重心を動かして答える。


「トグルに宜しく伝えてくれ。そのうち、挨拶に行く……。他人の心配より、自分てめえの身体に気をつけろって、伝えてくれ」

判リマシタラー。お伝エシマス。失礼シマス」


 シルカス・アラル族長は丁寧に一礼すると、馬に騎って去った。同じ方向に、他の騎馬の群れも進んで行く。男達に連れられている捕虜の人々は、疲れ、打ちひしがれた様子だった。なかには小さな子どももいて、足を引き摺っている。

 レイは、痛ましさに表情を曇らせた。いくら親切にしてもらっていても、感じの良いものではない……。

 鷲はレイを見下ろし、小声で訊ねた。


「お姫様は、大丈夫か?」

「え?」


 言われた言葉の意味が判らずに首を傾げると、彼は優しく微笑んだ。


「あんたは出歩かない方がいい。悪いが、鳩とオダと一緒に、ユルテ(移動式住居)で待っててくれ。ちょいと偵察してくる」

「あ。はい」


 静かな口調につられてレイが頷くと、鷲は、アラルが去った方へ歩いて行った。

『偵察?』


 藍が濃くなっていく夕闇の中で、彼の銀髪は、ぼんやり輝いてみえた。それを見送りユルテに入ったレイは、寝台にうつぶせているオダ少年と、その傍らで途方に暮れている鳩をみつけた。


 これまで、懸命に気を張っていたのだろう。少年は、枕に顔を埋め、嗚咽をもらしていた。はるばるニーナイ国から来た彼が戦場で遭遇したものに、レイは思いを馳せずにいられなかった。





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