第一章 氏族長会議(3)
3
「キジ殿」
「ああ、ありがとう」
雉が
「ラーシャムか。ごめん、ここがどこかってことを忘れていた。どこに居ても、おれは似たようなことをしているから、気を遣わなくてもいいんだよ」
「……済まぬ、キジ殿」
タオは眉根を寄せ、困惑した口調で言った。
「ゆっくり喋って頂けぬか? 私は、兄上やトクシン(最高長老)ほど
雉は、丁寧に一語一語を区切ってくり返した。
「気を遣わなくてもいいって、言ったんだよ。好きでしているんだから」
救護用に建てられたユルテ(移動式住居)の中で。雉は、訪れる怪我人や病人達の治療を続けていた。毎日、治せない患者に遭遇したが、理由を訊ねたくても、トグルは会ってくれない。タオとトクシンが、交代で手伝っていた。
脚を挫いた女性の手当てを終えたところで、手が空いた。タオは、雉とお茶を飲みながら、十何度目かの謝辞を繰り返した。
「キジ殿のお陰で、どれほど助けられていることか。まったく、お礼の申し上げようもない」
雉は、無言でお茶を飲んでいる。少女のように繊細な容姿の彼を、タオは気遣った。
「疲れたか? キジ殿」
「あと二十人くらいなら、大丈夫だと思う。余程、重症でなければ……。もう、そんなのは居ないと思うけれど」
雉は、悪戯っぽく片目を閉じた。
「ちょっとでいいから、トグルの莫迦に会わせてくれないかな?」
「……誠に申し訳ない」
ルツや隼のように男の視線を釘付けにしてしまうわけではなかったが、タオも美人の部類に入ると、雉は思っていた。気の強そうな明るい瞳が印象的だ。ルツと隼の美しさはともすると近寄りがたい印象を与えたが、親しみ易さでは、草原の娘の方が上だった。
無愛想きわまりない
タオは、不安げに視線を宙に彷徨わせた。
「お会わせしたいのは、山々なのだ……。私も、是非会って頂きたいと思っている。申し訳ない。今は待って下され」
「待つだけなら、どうということはないけれど」
釈然としない気持ちで、雉は応えた。目尻から笑い皺が消え、代わりに眉間に皺が寄る。
「その間、一方的に世話になっているのは気が引けるよ。鷲と隼も、嫌だろう。こっちが勝手に押しかけたんだから、仕様がないけど……。何だか、『帰れ』って言われているみたいだ」
「と、とんでもない、キジ殿」
タオは、大袈裟に首を振った。
「貴方がたは、我々の
「隼は、トグルに、会いに来たんだ」
いつになく強い口調で雉が言い、タオは口を閉じた。
雉は、低く抑えた声音で続けた。
「おれは、どうでもいい。隼に、この仕打ちはあんまりだ。こんな形で無視をし続けるなんて、陰険だよ」
「…………」
「迷惑なら迷惑だと、帰って欲しいなら、帰れと言えばいいんだ。それは言いにくいだろうが、歓迎するふりをされるよりはマシだよ」
「いや、キジ殿。兄上は、本当に、含むところがあるのではなく。何度も申し上げているように、そのう――」
「タオ」
しどろもどろ言いかけたタオの台詞を、雉は遮った。春の若葉色の瞳に優しい苦笑を見つけ、タオは絶句した。
「あのね、嘘をつくには、才能ってものが要るんだよ。言わせて貰うけど、君にその才能は、ぜんぜん無いよ。……君は、自分が信じていないことを他人に信じさせることは出来ない人だ。それに、おれと鷲は、その気になれば他人の思考を読むことが出来る。君の頭の中を勝手に覗こうとは思わないけれど、嘘をついているかどうかぐらい判るよ」
「…………」
「おれが知りたいのは、どうして君がそんな嘘をつくのか、ということだ。トグルがただ忙しい、なんて……。今は愚痴を言うくらいで止めるけど、この先ずっと隼を放っておくなら、おれは、君とトグルの頭の中を見せて貰うからね」
「そ、それはやめて下され、キジ殿」
明らかに冗談と判る言い方だったが、タオは蒼ざめ、両手で頭を抱えた。
「ハヤブサ殿だけではない。誰にも知らせるなというのが、兄上の命令なのだ。許して下され」
雉は溜め息をついた。滑らかな声が、優しくぼやいた。
「最初から、そう言えばいいんだ。……困らせてごめん。だけど、やっぱり原因は、トグルなんじゃないか。あの野郎……いい加減にしないと、本気で怒るぞ」
「キジ殿?」
「あー、腹立つなー!」
ぶつぶつ呟いていた雉が急に大声を出したので、タオは眼を丸くした。
雉は、ぼりぼりと頭を掻き、草原の娘に照れを含んだ苦笑を向けた。
「君にこんなことを言っても、仕様が無いんだけど。トグルが関わってると、無性に腹が立つんだよ。どうしてこう、全員、
「……辛気くさいか? キジ殿」
「トグルなんか、筆頭だろ」
雉は、タオを上目遣いに見て、唇を尖らせた。
タオは、笑いを噛み殺した。その仕草を見て、雉も口元を綻ばせる。ひとしきり二人で笑い合った後、タオは真顔に戻った。
「私は、ワシ殿を見ていられない。キジ殿」
雉はお茶を口に含みながら、目だけで彼女を顧みた。
「あんなに陽気で、冗談好きだった方が……。私はタカ殿を良くは知らないが、いつもあの方の側に居た、可愛らしい人だったと覚えている。それが、こんなことになるなんて」
「鷲は大丈夫だよ」
雉は、空になった器を礼を言って返した。
「
タオはうなずき、微笑んだ。
「ワシ殿らしいと思う。私も、あの方が無理をなさるところは、想像できない」
雉は、黙って苦笑した。やわらかな桃色の唇の隙間から、白い歯がちらと覗き、すぐ隠れた。
タオは、眉をくもらせた。
「キジ殿、どう思われる? ……ハヤブサ殿は、兄上を、好いて下さっているだろうか」
「…………」
雉は、目をまるくして彼女を
「私は以前、ハヤブサ殿に、兄上の嫁になって頂きたいと頼んだことがある。その時は冗談で済まされていたが……。キイ帝国で別れたはずのハヤブサ殿が戻って来て下さり、嬉しかった」
「…………」
「昨年の冬は、ずっと私と一緒だったのだ。とても楽しかった。ハヤブサ殿も、草原の暮らしを気に入って、馴染もうとして下さった。兄上が〈
「ちょっと待って」
『それを、おれに訊く?』 という気分の雉だったが、聞き流せない台詞に、耳をそばだてた。
タオは、首を傾げている。
雉は、ごくりと唾を飲んだ。
「待ってくれ……。隼は、きみと一緒だったのかい? タオ」
「勿論。私のユルテに住んでおられたのだ。一緒に山羊の乳を搾ったり、絨毯を織ったりしたぞ」
「……トグルと住んでいたわけじゃないんだ?」
「兄上には兄上のユルテがあるが、普段は天幕で仕事をして、帰って来ない。移動のときくらいではないか、ハヤブサ殿と過ごせたのは」
雉が何故そんなことを訊くのか、全く不思議に思っていない風情で、タオは答えた。あっけらかんとした声を聴きながら、雉は片手で口を覆っていた。
『どういうことだ……?』
にわかに動揺を覚える。今の今まで、二人の仲を疑っていなかった。――自分は、トグルに頼んだのだ。隼を大切にしてくれと。奴は、引き受けた……はずだ。いや、待て。ちょっと待て。
『返した』だと? 何故、そんな言い回しになる?
先刻のタオとの会話もそうだが、言葉や習慣の違いは、思った以上に大きいのかもしれない。――雉が、己とトグルとの遣り取りを省み、誤解の生じた可能性について考えている間に……タオはタオで、自身の懸念に戻っていた。
草原の娘は、ふかぶかと嘆息した。
「私は、初めて観るのだ。兄上が、これほど誰かに心を砕いておられるのを……。気持ちを容易に言葉にする方ではないが、己の権限に許される限りのことを、ハヤブサ殿の為にしている」
タオは、やりきれないと言うように首を振った。
「しかし、何故だろう? そうすればする程、兄上は、天人から遠ざかっているようだ。それが兄上の望みなら仕方がないが、私には、そうは思えぬ。ハヤブサ殿に誤解をされることで、兄上は傷ついている。――いや」
タオは、一瞬、泣き出しそうに顔を歪めた。
「兄上は、ハヤブサ殿が好きなのだ。だから、こうなさっているのだろう。それでは、兄上の気持ちはどうなるのだ? ただ
「タオ。君が何を言おうとしているのか、おれには解らないんだけど」
雉は眼を細めた。思慮ぶかい若葉色の瞳を、タオは顧みた。
「隼は、事情を訊きたいんだ。それも、トグルの口から。あいつに嘘をつかれて腹を立てている以上に、その理由を知りたがっている」
「…………」
「だけど、トグルがそれを拒むなら、仕方がないとも思っている。君にはああ言ったけれど、トグルには、トグルの理由と考えがあるんだろうし……。所詮、誰に理解を求めるかは、本人が決めることだ。おれ達がそれに当らないのなら、仕方がない」
雉は、かるく肩をすくめた。
「隼は、トグルを理解したいと思っているよ。だから、トグルの方が歩み寄ってくれないことを、悲しんでいる」
「キジ殿」
雉の唇には、自嘲めいた笑みが浮かんでいた。それは毒気を含んでいたが、声音はあくまでも優しかった。
「……おれは、隼はトグルに惚れていると思う。ただ、あいつは気持ちより先に、頭で考えてしまう。それは大切だが、隼自身にとっていいことじゃない。判っているけれど、たぶん、自分でもどうしようもないんだ」
タオは、安堵をこめて微笑み、やや寂しげに呟いた。
「兄上も、自身の幸福を顧みないという点では、ハヤブサ殿と同じだ……。族長に生まれたのだから、仕方がないのだろうが。兄上の頭には、氏族のことしかない。なあ、キジ殿」
タオは、親しみをこめて言った。
「兄上も、ハヤブサ殿も、考えておられることは同じなのに。何故、すれ違ってしまうのだろう? 我々は、黙って観ているしかないのだろうか」
「……タオ」
眼を細め、雉は低く囁いた。彼女の言葉の奥に、何か大きな存在の影を感じ取ったのだ。直視するにはあまりに強大で、無力感に打ちのめされてしまいそうな。
雉は、息を殺した。
「タオ。君は、いったい――」
タオがためらいつつ、何かを言おうとした時、
「雉さん!」
威勢のいい声と同時に、赤毛の少年がユルテに飛び込んで来た。場の緊張感に驚いて立ち尽くす。
「あ……お邪魔だったみたいですね」
「当たり前だ!」
タオは、椅子を蹴りたおす勢いで立ち上がり、オダを睨みつけた。
雉は、そっと溜め息をついた。
「小僧! だいたい貴様は……。いつもいつも、
「貴女に、そんなことを言われる筋合いはありません!」
オダも、負けじと声を張り上げる。
雉は片手で顔を覆い、ゆっくり首を横に振った。
「僕は、正式の使者として来たんです。族長が許可して下さったんだ。貴女にそんなことを言う権限はないはずだ」
「都合のいいことを! 天人の好意に甘えおって。覚えておるぞ……貴様のせいで、ハヤブサ殿は傷を負われたのだ。
「お言葉ですが」
嫌味たっぷりに、オダは言い返した。
「危険に晒しているのは、そちらでしょう? 元々、貴方がたが勝手に始めた戦争なんだ。僕らは被害者です。今だって……隼さんは、族長に会いに来たんだ。用が済めば、さっさとこんな処は退散しますよ」
「……よく言った」
地を引き摺るような声でタオは言い、ぎりりと奥歯を噛み鳴らした。鮮やかな新緑色の瞳に、眩むような光が宿る。その手が腰の剣に触れたので、オダは、ごくりと唾を飲んだ。
雉は片目を開け、顔をおおう指の間から二人を観ていた。
「そこまで言ったからには、覚悟は出来ているであろうな、小僧。丁度いい。いつぞやの約束通り、二度と天人に迷惑をかけられぬよう、この場で叩き斬ってくれよう」
「えっ……あの、えっと」
タオが黒光りする長剣をすらりと抜き放ったので、オダはうろたえた。救いを求め、雉を見遣る。
雉も、流石にここまで来ると、宥めにかかった。
「おい、タオ」
「安心しろ!」
タオは、高々と剣を掲げて嗤った。
「都合の良いことに、今はキジ殿がおられる。首をちょん切られても、すぐに繋いで下さるだろう。しかし、それでは面白くないから、貴様の手足をもいで、首と胴体は井戸の蓋にしてやろう。手足の方は日干しにして、リタ(ニーナイ国の首都)へ送り届けてやる。それとも、塩漬けが良いか? さっさと決めろ!」
「ひえっ。どちらも結構です。……雉さん、助けて下さい!」
オダはナンの包みを雉に押し付けると、タオが大袈裟に振り回す剣を避けて、ユルテの外へ逃げ出した。
雉は、呆れて嘆息した。そのまま頬杖を突く。
開いた扉の外からは、オダの悲鳴とタオの笑声が聞えていた。どちらも明るい力に満ちたものであるのを聞き取って、雉は苦笑した。
『前途多難だな。どうする? 鷲。隼』
玲瓏とした隼の横顔を、雉は思い浮かべた。心の中で、呼びかける。
『隼……』
しかし、無論、返事はない。
雉は、肩をすくめた。
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