第八章 勝利なき戦い(6)
6
雉とサートルは、トグルの指導で元王宮と神殿の庭に簡易の天幕を建て、ファルスの母を含む病人と怪我人たちを収容した。オダと鳩が看病を手伝い、エセルの仲間と元奴隷の女たちが炊き出しを行う。
シジンと鷲とファルスは、王宮の敷地の片隅にデオを埋葬した。海のみえる丘の上だ。波の届かなかった場所に穴を掘り、絨毯にくるんだ遺体を埋めた。宮殿の柱だった白い石を建てて墓碑の代わりとする作業を、エセル=ナアヤも手伝った。
潮が引いたのを見計らい、地形の変わった海岸へ降りていく人々がいる。波が打ち上げたものを物色しているのだ。鷲は、黎明の光に照らしだされる人影を眺め、シジンを顧みた。
「綺麗に全部なくなったなあ」
墓の前でうずくまっているファルスを気遣い、彼は小声で話した。
「まあ、一から造り直せばいいだけだな。シジン」
シジンは黙っていた。鷲に例の話をするべきか迷う。
エセル=ナアヤはシジンの躊躇いを察し、雉とトグルが戻って来るのを待って、切り出した。
「お前、この国の王になる気はないか?」
「はあ?」
鷲は頓狂な声をあげ、片方の眉を持ち上げた。
「なんで、そういう話になるんだ?」
「お前が鷹ちゃんと結婚しているからだよ」
知識のない鷲のために、雉が説明した。
「王女の夫のことを、王配と言うんだ。そこから王になった例が、ないわけじゃない」
「おうはい?」
鷲は眉根を寄せて呟き、首をひねった。
トグルが、くっと笑った。
「どうして、そこでお前が笑うんだよ」
「失敬。だが、似合わぬ」
断言され、鷲は不満げに唇を尖らせた。
エセルは苦笑して頬の傷を軽く掻いた。赤みがかった金髪から、光のしずくが落ちる。
「駄目か……。良い案だと思っていたのだが」
なだめるように、トグルが言う。
「本人にその気がないのだ。諦めろ」
「どうして俺が答えていないのに、勝手に決めるんだよ」
「あるのか? ならば、こちらも対応を考えるぞ」
トグルの眸がきらりと光った。
シジンも頬をひきしめ、ルドガー神の化身のような男を見詰めた。
「いや……。悪いが、聞かなかったことにさせてくれ」
鷲は肩をすくめ、エセルに片目を閉じてみせた。
「お前らなら、王なんかいなくても大丈夫だろ」
シジンは溜息を呑んだ。訊く前から鷲の答えは明白だったが、王の言葉だと思えたのだ。最初で最後の。
彼等に、この国を任せると――。
エセルも同様に考えたらしい。火傷で歪んだ頬に、挑むような微笑が浮かんだ。
「王なんか要らない」
ファルスが呟き、男達の視線が彼に集中した。
少年の細いうなじを暁の空がふちどっている。紫と桃色の雲が重なり合う境界に、朝日が輝いている。澄んだ光を浴びながら、ファルスは濁った声で囁いた。
「神も、神官も……貴族もだ」
シジンとエセルは眉を曇らせ、鷲とトグルは横目で互いを見た。トグルは軽く首をかしげて考え、冷静に提案した。
「法はどうだ」
「法?」
シジンが訊きかえした。
「法が、神の代わりになるのか?」
トグルは眼を
「違う。法は人が創るものだ……。神を批判することは出来ないが、法は出来る。神の誤りを人が正すことは出来ないが、人の過ちは、人が
シジンはまじまじと異民族の王を
鷲はなるほど、と感心した。たしか、〈草原の民〉には宗教と法がある。族長のトグルは天狼の子孫であり、神官であり、裁判官だ……。
「人?」
ファルスは立ちあがり、空色の瞳で彼等を観た。それは、晴れの日も曇りの日も相手の心を映す鏡だった。短期間で成長せざるを得なかった少年は、唇を噛んだ。
「人が何をした。戦を起し、神を
小さな握りこぶしが震えた。声に涙が混じるのを、ファルスはこらえ切れなかった。
「母が苦しんでいた間、お前達は何をしてくれた。デオを死なせたのは、お前達じゃないか……」
ファルスは疲労を感じて項垂れた。今はもう、何もかもが虚しいと思える。
トグルは優しい闇を宿す眸を彼に向け、黙っていた。
鷲は、いつもの穏やかな口調で言った。
「うん。お前の言う通りだ、ファルス。ただなあ……人を助けられるのも、人だけなんだよ」
シジンは迷っていたが、意を決してファルスに近付いた。片方の膝を地面に着き、少年の顔を覗きこむ。一本だけの手を伸ばし、囁いた。
「もう一度、人にやらせてくれないか?」
ファルスは彼の掌を見下ろした。脳裡に、あの日のデオの姿が浮かんだ。片手を差し出して少年を誘った言葉が。
『一緒にやらないか、ファルス』
日焼けした顔に閃いた、歯の輝き。あの時、自分は何と答えたろう。
「……考えさせてくれ」
ファルスはぽつりと答えた。シジンの表情が和む。真夏の深海色の瞳をみつめ、ファルスは続けた。
「もう少し、あんた達を知りたい」
「わかった」
シジンはぎこちなく微笑むと、立ち上がり、少年の背にその手をあてた。
鷲と雉とトグルは、目だけで互いを見た。
「おーい!」
仲間の声が降って来た。見ると、いつの間に降りたのか、浜辺の椰子の木の下で手を振るオダがいた。鳩とサートルと一緒に、瓦礫を拾っている。
「みなさん、手伝って下さい。使えそうなものが沢山あります!」
この言葉に、鷲とトグルは苦笑した。雉とシジンとエセルがそれに加わる。
鷲は肩をすくめて踵を返した。トグルは
シジンは改めて、少年を促した。
辺りが金色の光に包まれる。また一日が始まる――。
◇◆◇
十日後、ニーナイ国の支援部隊が、カナストーラへ到着した。草原とキイ帝国からの救援物資も届けられた。続いてナカツイ王国から、
地主を含む元貴族たちは旧王都に集結し、熱病患者たちの治療と、元奴隷たちとの和解交渉を開始した。
最終的に、内乱と疫病で死んだミナスティア国の民は、数千人とも数万人とも言われる。
半年後、大陸初の憲法が、この国で制定された。
奴隷や貴族といった身分制度を廃し、思想と宗教の自由を保障した憲法は、人身御供も禁止した。
以後、民衆による議会政治が行われることとなった。
新しい国の始まりを、キイ帝国とニーナイ国とナカツイ王国の使者達と、〈草原の民〉の盟主がみとどけた。
憲法の草案者には、シジン、ファルス、エセル、〈黒の山〉の《星の子》、トグル・ディオ・バガトル、ニーナイ国のオダなど、生まれた国も民族も異なる五十人が名を連ねた。
その最後に、
名もなき者たちの
~終章へ~
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます