第一章 氏族長会議(6)

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 レイと話したことをきっかけに、鳩が、彼女たちのユルテ(移動式住居)へ戻って来た。雉は相変わらず、病人の治療に忙しい。

 鷲は大人しくしていた。タァハル部族に襲われて消息を絶った、レイ王女の仲間たち――シジンとナアヤを探したくとも、紛争中の草原では迂闊に動けない。

 隼の依頼を受けて、トグリーニ族の最高長老・トクシンが、〈草原の民〉の文化を紹介してくれることになった。タオはオダと相性が悪いので、専ら雉の手伝いだ。

 長老は、部族の内情を知った鷲たちの監視も兼ねているのだろうと、レイは考えていた。


「先に、毛の向きを揃えておくのです、ワシ殿。そうすれば、仕上がりが上手く行く」

「……こうですか?」


 流暢な交易語を駆使して長老が教えているのは、羊の毛の紡ぎ方だ。

 『草原の民を理解したい』と言ったてまえ、オダ少年は、真剣に取り組んでいる。鷲は物見遊山だが、長老が、慣れた手つきで籠に盛った羊毛の中から不揃いな長さの毛を選り分けて見せると、感心した。


「へえ、さすが。器用ですね」


 詰襟の長衣デールを身に纏い、豊かな顎髭を生やした老人の微笑みには、雪山のごとき静けさがある。

 鷲は、彼の隣に並んで腰を下ろしていた。濃紺の脚衣ズボンの上に、〈黒の山〉の巡礼者が着る長衣チュバを、片方の袖を落として着ている。銀灰色の長髪に白の長衣は地味だが、彼の碧眼によく似合うと、レイは思っていた。

 老人の年齢の半分に満たない鷲は、ここでは敬語を使っている。


「〈草原の民〉と言えば、騎馬と鉄器だと思っていました。男も、こういうことをするんですね」

「基本的には女の仕事ですよ」


 長老は愉快そうにわらった。紡錘つむを苦労して扱っているオダ少年を、温かく見守りながら。


「我々は、女の仕事に手を貸すことを、恥とは考えません。馬を操り、戦ってこそ男とは言え。逆に、女が戦場に立つこともある。枯草を刈り入れ、冬篭りの準備が整えば、ユルテでのんびり過ごします」

「成る程」

「鉄を打つのは、雪が降ってからです。今年は、少し早く始めることになりそうですが……」


 鳩が乳茶スーチーを煎れ、塩の器と並べて卓子に置いた。どちらも、タオに貰ったものだ。長老は、軽く会釈をして、お茶に口を付けた。

 鷲の近くに居ると〈草原の民〉の情報を得やすいので、オダは手を止め、会話に耳を傾けている。そんな少年に、長老は気づいていた。


「戦の為に、大量の武器が必要になります。隷民ハランだけでは手が足りないので、自由民アラドも鉄を打ちます。間もなく、音が聞えて来るでしょう」

自由民アラドは、普段は鉄を打たないのですか?」


 鷲ではなく、オダが質問した。少年は、腰に提げていた剣を見せた。


「僕は、これを、トグル・ディオ・バガトルにお借りしたんですが……」

「……隷民ハランとは、本来、他民族から連れて来た、技術者の集団です」


 長老は、革製の鞘に収められた短剣を一瞥すると、壁際に立って腕を組んでいる隼に、視線を向けた。


「ハヤブサ殿は、ご存知でしょう。戦争で斃した敵の部族の女、子ども、技術者たちを、我々は殺さず連れ帰ります。この者たちと、何らかの事情で遊牧できなくなった者――定住化した者を、まとめて隷民ハランと呼びます。彼等は麦を作り、鉄を打ち、税として納めます。自由民アラドから家畜を借り、殖やして納めることもあります。定住していては家畜の大群を養えませんが、彼等は、自由民にもなれます」

「…………」

「我々の身分は、固定していないのですよ。――自由民アラドとは、定住せず、家族単位で遊牧をしている者のことです。鉄も打ちます。自由民から選ばれて軍を率い、部族の草原を守るのが、貴族ブドゥンです。――勇者バガトル賢者ビルゲ長老サカルです。本質的には、自由民と変わりがない。族長と言えど、己のことは己でします」


 鷲と隼は平然としていたが、レイは軽く混乱していた。


 ミナスティア王国では、身分は固定されている。王族は王族、貴族は貴族、奴隷は奴隷で、生涯変わることはない。その上、身分や職業は世襲制で、人は産まれた時から人生を決められていた。――シジンと彼の仲間たちは、そんな体制を壊すため、故国に反旗を翻し、レイ王女を連れだしたのだ。

 他国の事情について、レイは殆ど知らなかった。ミナスティアの奴隷に自由はない。ニーナイ国から連れ去られた人々――隷民という階級も、そうだと思っていた。


 長老は微笑んだ。


「我々は、『強者が遊牧し、弱者が耕す』と言います。――遊牧は、苛酷な仕事です。強い者でなければ出来ません。草の生育が悪い年には、移動の道筋や宿営地をめぐって争いが起きます。戦いが常であり、勝って生き残ることは誇りなのです」

「…………」

「ですから、部族に勝利をもたらせない指導者は、居ても意味がない。――『知恵なき味方より、知恵ある敵』と言います。我々は土地に縛られないかわりに、指導者を選ぶ自由と責任があるのです」


 鷲は、話の途中から羊毛を紡ぐ手を止め、すっかり考え込んでいた。


「だけど、族長トグルは世襲なんですね」


 長老は、穏やかな表情で彼に向き直った。


「矛盾していませんか? 以前、トグルに聞いた時にも思いましたが――自由民アラドの中から貴族ブドゥンを選び、貴族の中から族長を決める。前族長の血縁者の中から……。『有能でなければ指導者になれない』原則と、矛盾しているように思えますが」

「左様。その為に、長老会があるのです」

「…………」

「指導者の才に恵まれた者を、ひろく自由民の中から求めていては、候補者は無限数になります。ですから、世襲と長老会を、並存させているのです。無能な指導者が続かぬよう、我々が選出し、行動を監視します。族長の家系も変化します。……我がトグル氏は、ディオ・バガトルで十七代、一度も血脈が絶えておりません。部族の祖につながります」

「成る程」


 鷲はお茶を飲み干し、頷いた。切れ長の眼に、笑みはない。

 隼は、物思いに沈んでいる。レイが観ているのに気づくと、怪訝そうに片方の眉を持ち上げた。レイは、黙って目を逸らした。


「十七代」


 オダ少年が、しみじみと言った。


「九百年ですか……。凄い歴史ですね」


 長老が少年に向けた眼差しは、優しかった。


「我々は、自由に草原を移動します。そうでなくては生き残れないので、祖先から伝えられた土地や歴史を守ろうという思想はありません。――氏族の歴史を守る為に我々が居るのではなく、我々の為に、氏族があるのです。その為なら、優れた血は残します。優秀な馬や牛を種として、血統を維持するように。ここまで続いたトグル氏は、部族の生きた統合の証です」


 壮大な話に、オダとレイは絶句していた。

 鷲は頭を掻いていたが、不満げに言い返した。


「トグルは種馬ですか、長老。異国人が生意気を言うとお思いでしょうが――いったい、そこまであいつに背負わせる、どんな権利があるんです。あいつの人生は、あいつ自身のもんでしょう? 黙って受け入れる、あいつもあいつだ」


 鷲の口調はかなり攻撃的だったので、オダと鳩は息を呑んだ。隼は、黙っている。

 長老は態度を変えず、微笑みさえ浮かべていた。


「我等の長の心配をして下さり、感謝の言葉もありません、天人テングリよ」

「心配なんかしていませんよ」


 鷲は、吐き捨てるように言った。


「いい歳した野郎を、何で心配しなくちゃならない……。ただ、俺には、あいつの考えが解らない。俺もたいがい莫迦だが、あいつは、更に救いようのない莫迦だ」

「敢えて長の為に言わせて頂けば――そのような考えの方に、族長の任は任せられぬのですよ」


 この言葉に、鷲は、ぎろりと彼を睨みつけた。老人の皺に埋もれた黒い瞳は、寂しげだった。


「我々は、あの方を補佐し、仕事が滞りなく果たされるようするだけです。天人よ……どうか、長を責めないで下さい。理解して頂きたい」


 鷲は盛大に苦虫を噛み潰し、長老から顔を背けた。

 隼が、ぽつりと呟いた。


「あたし達に理解されるのを拒んでいるのは、トグルの方だよ」


 長老は、彼女をいたわるように微笑んだ。


「ラーシャム(ありがとう)、トクシン。お陰で、遊牧民の考え方が、よく判った。あいつの立場も……。でも、あたし達は本当は、トグルの口からそれを聴きたい。聴く用意は出来ているんだ。……あいつは、いつになったら、姿を見せてくれる?」

「いずれ、時が来ましたら」

「トグルに伝えてくれ」


 隼は、溜め息混じりに囁いた。鷲が顔を背けているのを観て、肩をすくめた。


「待っていると……。ただ、あたし達は気の長い方じゃない。心配を通り越して、そろそろ頭に来ている。せめて一度、顔を見せろと。さもなければ、殴り込みに行きかねないと、言ってやってくれ」

「お伝えしましょう」


 長老は立ち上がり、慇懃に一礼してユルテを出て行った。鷲は、振り返らなかった。


 気まずい沈黙が場を占める中、隼が、鷲に話し掛けた。


「……らしくなかったな、鷲」

「ああ。悪い、隼」


 鷲は、オダに苦笑を向けた。一同はほっとした。


「悪かったな、オダ。苛々して、せっかくの機会を台無しにしちまった」

「いえ。でも、意外でした。鷲さんでも、そんなことがあるんですね」


 オダは首を傾げて彼を見上げた。鷲は、自分の顔を片手で覆った。


「最近はな。ああいうのは、嫌いなんだよ」

「そうなんですか?」


「何をそんなに苛ついているんだよ、鷲」


 隼が訊ね、鷲はかぶりを振った。声には、抑制された怒りがにじんでいた。


「お前も、トグルの気持ちが判れば、腹が立つよ」

「あたしは、お前の方が判らないよ。トクシンに怒ってどうするんだ。何を知っているんだ?」

「トグルに訊けよ」


 鷲の口調の粗雑さに、一瞬、隼は慍然むっとした。しかし、レイは、彼が酷く悲しそうなことに気づいた。


「あいつが決めるだろう、お前に教えるかどうか。――それくらい、決めさせてやれよ」

「言われなくても、訊きに行くよ。……本当に、どうしたんだ、鷲?」


 隼は、鷲に場の気まずさを修正する意志がないことに戸惑った。しばらく彼を眺めていたが、諦めて肩をすくめ、オダ少年と作業に戻ろうとした時、扉を叩く音がした。


「隼……隼! 鷲、オダ、そこにいるか?」


 扉を開けた雉の顔が真剣だったので、隼と鷲は、普段の表情に戻った。

 タオが、雉の後からやって来た。彼女の蒼ざめた顔を観て、オダは首を傾げた。

 雉は、全員の顔をひととおり眺めると、硬い口調で訊ねた。


「最高長老から、聴いたか?」


 隼と鷲は、顔を見合わせた。――タオが蒼ざめるようなことは聴かされていない、と思う。

 二人が視線を戻すと、雉は告げた。


「トグルが戴冠する」

「…………」

「即位して、王になるんだ。タァハル部族をたおす為に、部族を統合して。あいつが、初代国王だ」


 レイは、すばやく隼を顧みた。彼女の表情が凍ったように観えた。心も凍ったかもしれない……。


「いつだ?」


 茫然とする一同のなかで、鷲が真っ先に我に返った。地を這うような声だった。


「いつだ。その……戴冠式は」

「今日だ。これからだよ」


「既に、各氏族の兵団が集結している」


 タオが補足した。今にも震え出しそうな声だったが、鮮やかな緑の瞳は、気丈に隼を見詰めていた。


氏族長会議クリルタイは終った。もう、誰にも止められない……。ハヤブサ殿」


 隼は、無言のまま歩き出し、雉とタオの間をすり抜けて、ユルテの外へ出て行った。

 鷲が立つ。オダも。全員、急いで彼女を追いかけた。

 そして、トグル・ディオ・バガトルの許へと――。






~第二章へ~

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