第6章 死者の国篇
第207話 なべて世は、こともなし
カルバート王国の滅亡は、国内と周辺各国に大きな衝撃を与えた。
この大事件に反応して、まず動きを見せたのは、王都イカルデアを離れて南のロドルフ辺境伯の元に身を寄せていた、エルミオ・リーゼンフェルト第二王子だった。
エルミオは、王都が魔族に占領され、国王エドモントと王太子のエラルドの死が確実なものとなると、ロドルフ領内で即位を宣言。辺境伯の領軍を主力とする魔族征伐の軍を起こして、王都への進軍を開始した。
これに対して、魔王国側は即座に軍を引き、旧王国領北西部のアイロラ周辺まで撤退した。これにより、エルミオ・ロドルフの連合軍は、労せずしてイカルデアを奪還することとなったが、魔族追撃のため北へ進んだ軍勢は、アイロラ南部の戦いで手痛い敗北を喫し、その大部分を失う結果になってしまった。
この後も何度か行われた北部への攻勢はいずれも失敗に終わり、ノーバー、アイロラといった大きな都市が、魔王国の支配下に入ることになった。
この時、エルミオ・ロドルフ軍は、魔王国軍がイカルデアを占領する際に凄惨な虐殺行為を行い、騎士や兵ばかりでなく、王都在住の貴族、文官、さらには王都の市民のほとんどを殺害した、と非難する声明をだしている。
これに対して魔王国側は、イカルデアは無血開城されており、兵や市民の死は魔王国軍によるものではなく、カルバート王国側が自国の民をあおって集団自決させたためだ、と反論した。真偽のほどははっきりしないものの、イカルデアが都市としての機能を失ったことは確からしく、エルミオはイカルデアには駐留せず、その南にあるナトリアという街を暫定的な拠点とした。
なお、こうした両軍の公式発表とは関係なく、一度イカルデアに入った彼らの軍の兵士たちは、この街へ戻ったり、近寄ることを、極端に嫌うようになった。彼らの間では、かの地は次のような呼び名で呼ばれているという。すなわち、「腐肉の街」、あるいは「死の都」と。
さて、いくつかの都市は失ったものの、エルミオ・ロドルフ軍がイカルデアを奪回したことで、カルバート王国は再興するかに思われた。ところがここで、この流れに異を唱えるものが現れた。エルミオの即位宣言からしばらくして辺境伯の元を離れ、行方をくらましていたニールス・リーゼンフェルト第三王子である。
王国の東に接するヴィルベルト教国に姿を現したニールスは、「生前、前王エドモントが王位を託そうとしていたのは、兄ではなく自分である」と主張。エルミオに続いて即位の宣言を行い、教国の後ろ盾による盛大な戴冠式を行った。
その席上、ニールスは「王位を僭称する者の征伐」を宣言。アルティナ聖教の教義でもある「魔王討伐」を大義に掲げるヴィルベルト教国と共に軍を起こし、旧カルバート王国領内へ侵攻した。
これを迎え撃つため、エルミオ・ロドルフ側も軍の主力を東へ回し、かくして、両軍はかつての決戦の地である、ラインダース草原で向かい合うこととなった。
その数、ともに五万余り。エルミオ・ロドルフ軍は「ラインダースの英雄」が成したかつての大勝の再現をもくろみ、ニールス・ヴィルベルト軍は十年前の敗戦の雪辱を期して、国の命運をかけた一大決戦の幕が今、切って落とされようとしていた──。
◇
6月ともなれば、旧カルバート王国領では北に位置するハーシェルにも、遅い春が訪れる。
王都の周辺では初春から初夏にかけて咲く花が、ハーシェルではこの時期に一斉に咲き乱れるのだ。形も色もとりどりの花々が道ばたから小川沿い、平原から山の頂まで続き、木々の枝には、蜜を求める小鳥たちが飛び交っている。長い間、白一色の景色を過ごした後とあって、その様子はひときわ目に鮮やかだ。
冬の間、小屋の中でじっとしていた牛や馬たちも、色鮮やかな草原の中へ飛び出していく。それまで、蓄えられていた枯草ばかりを口にしていた彼らは、久しぶりに食べる生きのいい植物を、花であろうと葉であろうと気にせず、一心に食べ続けていた。
彼らを解き放った農夫たちは、短い夏に備えて、畑の土寄せをしたり、作物の穂や花の着き具合を見て回っている。田畑の横を流れる小川では、気の早い子供たちが、雪解けが終わって少しだけ温かくなった川の水に飛び込んでいた。
それは、去年もその前の年も、それこそ数え切れないほど以前から繰り返されてきた、変わらぬ営みだった。はるか南方で、今この時も行われているであろう「国の命運をかけた決戦」などとはまるで無関係な、穏やかな光景だ。
いや、結局のところ、南の地での戦いも同じなのかもしれない。そこでは多くの兵が命を落とし、いくつかの伝説的な出来事や英雄が生まれるのだろう。そして、ある国は隆盛し、ある国は滅びへの道を向かう。
だが、これもまた繰り返しの一つに過ぎないのだ。死んだ者たちは土に還って次の命のための肥やしとなり、華やかな伝説も富み栄えた国も、いつかは歴史書の一ページに残るのみとなる。そしてその歴史書さえ、やがては朽ちて、忘れ去られるものなのだから。
なべて世は、こともなし。
畑の真ん中で、土の上にしゃがんでイモの生育具合を見ていた一人の農夫が、よっこらしょと声に出しながら立ち上がった。軽く伸びをして、両手でぽんぽんと腰を叩く。作業自体は慣れたものだったが、彼は去年の暮れ、人生で初めてのぎっくり腰を経験していた。それ以来、長い時間しゃがんでいることが辛くなっていたのだ。
いよいよ、おれも年なのかな……。そんな思いが浮かんできて、農夫はあわてて首を振った。いやいや、まだまだ。かつての自分が成し遂げた武勇伝を一つ、二つと思い返しながら、彼は前後左右にゆっくりと腰を動かした。そして思い出に一区切りがつき、もう一度腰を下ろそうとした時、ふと、その動作が止まった。
彼の目の前、畑と空の境目あたりに、縦に一本、細いひっかき傷のようなものがついているように見えたからだ。
農夫の顔に、自嘲的な笑みが浮かんだ。とうとう、目にまでガタが来ちまったか。農夫は左手の甲で目をこすり、ついでに頭を左右にかしげて、コキコキと首を鳴らした。そうして再び、目を上げた。
だが、宙に浮かんだひっかき傷は、依然としてそこに残ったままだった。
と、その細い傷が、音もなく上下に広がった。それとともに太さも増して、線はひび割れとなり、その割れは瞬く間に大きく、広くなっていった。裂け目の向こうにのぞいているのは、真っ暗な空間だった。そこには、見えるものは何もない。
その黒い裂け目は、周囲の畑を飲み込もうとするかのように、さらに面積を増していった。
農夫は口を大きく開け、声にならない悲鳴を上げた。二歩、三歩と後ずさったあと、くるりと体を反転させて、後をも見ずに一目散に逃げ出した。
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今回から第6章に入りますが、ここで少しお知らせを。5章の間は、3日に一回のペースで投稿してきましたが、次回からもう少し、投稿間隔がゆっくりになります。実は現在、(これまでにも後書きで少し触れたことのある)「外伝」の方を書き始めていまして、これが例によって、なかなか進んでくれないのです。これが完成したら、あることをやりたいなと思っているんですが。
ということで、外伝が書き上がるまで、6章の方を書くペースが遅くなってしまいます。できれば、5日間隔くらいで投稿したいとは思っていますが……申し訳ありませんが、ご了承ください。
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