第178話 もう一つの策
「彼は見つかりましたか?」
アーノルド秘書官が執務室に戻るやいなや、パメラ王女は椅子から立ち上がった。しかし彼女の問いに、アーノルドは首を横に振った。
「いえ、ユージ様──」
アーノルドは、ユージの名前を口にしたところで、少しの間、言いよどんだ。彼を女神に選ばれた勇者として扱うべきか、それとも王女の面前から逃走した不敬者として扱うべきか、迷ったのだろう。結局、彼は後者を選ぶことにした。
「──ユージの行方は、今もわかっておりません。目下、騎士団を総動員して、王城内を捜索中です」
勇者として召喚された「ユージ」は、自分が蘇生術師の「ケンジ」であることが知られると、その場から逃走した。彼はあっという間に具眼の宝玉の前から姿を消し、気がついたときには部屋のドアの前にいた。周囲を取り巻いていた警備の騎士たちも、反応できないほどのスピードだった。騎士によると、おそらくは縮地のスキルを逃走用に使ったのだろう、とのことだった。
ユージはそのまま、宝玉の置かれていた部屋から脱出し、半日がたった今も行方がつかめていない。
「まだ見つかっていないのですね。既に王城の外に出た可能性は?」
「それは考えづらいかと思われます。ユージが逃走した時点で、速やかに城門は閉鎖しました。例え隠密スキルを持っていたとしても、閉じた門を通過することはできません。また、城壁には魔法障壁も働いておりますから、これを乗り越えることは困難です」
「そうですか……それにしても、まさか彼が呼び出されるとは」
パメラは再び椅子に腰を落とし、親指の爪を噛んだ。その表情には、常にはない焦りの色が見て取れた。
「勇者」とは、それに最もふさわしいものだけに与えられるジョブである。そのため、一つの世界には勇者は一人だけしかいない。では、その勇者が死んだらどうなるのか? 新しい勇者が、この世界に生まれることになる。勇者にふさわしい資質を備えている者がいれば、という条件はあるものの、少なくとも生まれている可能性はある。
その勇者を召喚し、回収済みの聖剣を持たせて魔王と戦わせれば、現在の苦境を変えることができるのでは──勇者イチノミヤの死を知らされたパメラが編み出した策が、これだった。異世界からの勇者召喚には膨大な魔力が必要となるが、世界をまたぐのでなければ、必要とされる魔力量はかなり少なくなる。カルバート王国が保有している、魔力を貯蔵する法具に残された魔力でも、なんとか実行が可能だろう。そのために必要な魔法の術式も、異世界間召喚のそれより、はるかに簡単なもので済む。
新たな勇者を召喚した場合、現在の勇者イチノミヤとの兼ね合いが問題にされるかもしれないが、これは「別世界からもう一人の勇者を召喚した」とでも説明すればいいだろう。勇者が存在する世界に、別の勇者を召喚した場合にどうなるかについては、定説がないのだ。特に支障なく召喚することができた、とでもしてしまえばいい。新しい勇者が活躍してくれれば、迷宮に潜ったまま消息の途絶えた旧勇者のことなど、すぐに忘れ去られるだろう。
ただし、これは決して分の良い賭けとは言えなかった。勇者イチノミヤを召喚するまで、この世界に勇者はいなかったのだから、現在も存在していない可能性がある。しかし、今は魔族に「魔王」が生まれている状況である。勇者と魔王は互いに引き寄せ合うとも言われており、その魔王の軍がヒト族の国の都に迫っている現在であれば、新たな勇者がこの世界に存在する可能性も高まっているかもしれない。パメラは、ここに賭けることにした。
そして彼女は、その賭けに勝った、と思われたのだが……
「『ケンジ』……いえ、今は『ユージ』と名乗っているのでしたか。なぜ、よりによって彼が、勇者に選ばれたのでしょう?」
独り言のように、パメラはつぶやいた。
だが、そうして呼び出された勇者が「ケンジ」だったとなると、話が変わってくる。ケンジとは、ビクトル騎士団長が死亡した際、この者に責任があるとして、王国が追放したマレビトの名前だからだ。しかもその措置は、騎士団長死亡の動揺をできるだけ少なくするために取られた、いわば濡れ衣であることは、パメラたちも承知していた。彼が王国に恨みを抱いているだろうことは容易に想像できる。そんなマレビトが、王国の依頼に応じて、魔族と戦ってくれるだろうか?
彼があの場から逃げ出したことは、その答を明確に示していた。
「そのユージなのですが、彼についてはいくつかの疑問点があります」
手にした資料に目をやりながら、アーノルドが指摘した。
「このユージという名は、イチノミヤ様がグラントンの迷宮を攻略する際の、パーティーメンバーとして報告に上がっていた冒険者の名前です。イチノミヤ様が彼をメンバーに選んだこと自体は、別に不思議ではありません。同じマレビトならば気心も知れているでしょうし、ユージはストレア迷宮の踏破者として冒険者ギルドから認められており、それだけの実績があれば、パーティーに加えたいと考えるのも当然でしょう。
ですが、同じ報告によると、冒険者ユージはグラントン迷宮で死んだ、とされているのです」
「ええ。ですが蘇生術師であれば、生き返っても何の不思議もないでしょう」
パメラはこう答えたが、アーノルドは納得がいかない表情で
「そのとおりなのですが、やはりひっかかるのです。彼が蘇生するだろうことは、イチノミヤ様もご存じだったはずです。その上で、ユージは死んだと報告されたのです。
おそらくは、そう判断するだけの出来事があったのでしょう。にもかかわらず、ユージは再び我々の目の前に姿を現した……イチノミヤ様が友人の死に動揺し、蘇生スキルのことに思い至らなかった、という可能性はあるのでしょうが、どうにも腑に落ちません」
一ノ宮たち一行は、グラントン迷宮を出た後、ノーバーへ戻る途中で死亡している。その際、彼らの要望により王国側の人間は同行しておらず、彼らは聖剣を得たことや、同行の冒険者が死亡したといった結果をヘレスの領主に口頭で伝えただけで、自分たちの詳細な行動は報告していなかった。
このため、パメラたちは迷宮の中で何が起こったのか、つかんでいなかったのだ。
「もしかしたらイチノミヤ様も、ユージがケンジであることに気づいていなかった?」
「それは考えづらいかと。ユージがケンジと異なっていたのは、髪の毛と目の色くらいでした。我々が気づかなかったのは、もともとケンジというマレビトに、大きな興味を持っていなかったからです。ですがイチノミヤ様たちは、元の世界では友人として過ごされていました。この程度の違いであれば、パーティのどなたかが気づいていたはずです。
そして、やはり気になるのは、彼の能力の急激な上昇です」
パメラは、机の上に置いてあった資料を手に取りながら、
「確かに。召還時、彼の能力には特筆すべきものはなかったようですね」
「はい。あの蘇生術師には、蘇生以外のスキルはまったくありませんでした。城内で行われた訓練の間も新たなスキルを得ることはなく、ステータスもまったく伸びなかったのです。それなのになぜ、それから一年程度の期間で、迷宮を単独踏破するほどの能力を得ることができたのか。
我々の目が節穴だったと言われればそれまでですが、それにしても不可解です」
「召喚された当初から、自分の能力を偽装していたのではありませんか?」
「その可能性は考えられます。ですが、マレビトたちの話では、この世界へ召喚されるまで、彼らはスキルというものは持っておらず、それを利用することもできなかったそうです。また、宝玉による鑑定は、召喚の直後に行われました。『具眼の宝玉』は、最高峰の鑑定能力をもつ魔道具です。スキルを使うこともない世界で、宝玉を欺くほどの偽装スキルを、どうして持っていたのか。また、偽装していたのだとしたら、なぜ『蘇生術師』などという、奇妙なジョブに偽装したのか。まったく理解できません。
彼にはあまりにも、不明な点、不可解な点が多すぎます」
パメラはうなずき、しばらく考える素振りだったが、
「あなたの疑問は理解できますが、いずれにせよ、当面の方針は変わりません。ユージは、捕らえなければなりません」
「もう一度、勇者召喚を行うことはできないのですか?」
「魔力が足りません。今回の召喚で、法具に残っていた魔力もほぼ使い切ってしまいましたから」
アーノルドの提案に、パメラは首を振った。法具に再び魔力を貯めるためには、王都に設置してあるマジックドレインの魔法陣によって、民衆から魔力を吸収する必要がある。だが、これを利用するためには、民衆が熱狂するような何らかのきっかけ、たとえば勇者の出陣式や凱旋パレードなどの儀式を行うことが必要だった。
パメラは続けて、
「それに今回、『勇者』ジョブの持ち主を探す『サーチ』をかなりの長時間行っていたのですが、これに反応があったのは、ほんの一瞬だけでした。そしてそれ以降、『勇者』の反応は消えたままです。ユージはどうやら、ジョブを偽装する能力も持っているようですね。
広い範囲を対象とするサーチの魔法には、高度な鑑定能力を持たせることはできません。この点からも、彼を召喚するのは難しいと考えるべきでしょう」
「では、どういたしますか?」
「城門、城壁の警備を厳重にした上で、引き続き捜索を続行してください。広いとは言え、王城は閉鎖された空間です。時間と人員をかければ、必ず発見することができるでしょう」
「ですが、見つけたところでどうされるのです? ユージが我々に協力するとは思えませんし、もし仮に協力に同意した場合でも、その言葉を信頼することはできないと考えますが」
アーノルドの問に、パメラは再び押し黙った。
パメラ王女の政治的発言力は、大きく低下していた。
理由の一つは、勇者イチノミヤが姿を見せないことだ。今のところ、勇者の死の情報は政府内でさえ秘匿され、「聖剣を得るための迷宮攻略が長引いている」との説明がなされていた。が、勇者が現れることがない以上、真実が露見するのは時間の問題だった。当然、「勇者召喚の儀」の関係者会議を開くこともできず、パメラにとって重要な発言の場が失われることとなった。
そしてもう一つの理由は、魔王国との戦争である。魔王の登場後、対魔王国戦の戦況は極端に悪化していた。こうした状況で、「魔族の中から魔王が生まれたのは、勇者を召喚してしまったためではないか」との批判が、公然と語られるようになってきたのだ。
この世界には「勇者と魔王は互いに引き合う」という言葉があり、これは厳密に証明されたわけではないが、おそらくは正しいのだろうとされている。当初はきわめて優勢に進められてきたこの戦争が、一転して苦戦に陥ったのは、魔王のためである。それは、元を正せば勇者を召喚してしまったためではないか……この批判に対しても、パメラは反論することができなかった。
最も有力な反論は、勇者が戦場で活躍を見せることだろう。だが、その勇者という駒は、既に失われてしまっているのだ。
パメラは首を振った。いや、そうではない。
「それは、私に考えが──もう一つの考えがあります。そのためにも」
パメラはいったん言葉を切った。そして、妙に冷たく沈んだ声で、その続きを口にした。
「ユージは必ず、殺さずに連れて帰ってください」
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