第179話 こちらへどうぞ、勇者様
「きゃっ!」
若い女性の悲鳴が上がった。ここはイカルデアの王城の中にある、使用人向け区画の一室である。さして広くはない部屋に四つのベッドが並べられ、四人の女性が寝泊まりしている。その部屋のドアが突然開いて、二人の騎士が部屋に入ってきたのだ。悲鳴を上げたのは、ちょうど着替えをしていた女性だった。手にしていた服を胸に抱き、うずくまってしまった女性の姿を見て、騎士のうちの一人は、ばつが悪そうに目をそむけた。
「目下、不審者を捜索しているところだ。この部屋に入ってきたものはいないか?」
もう一人の、年かさのほうの騎士が簡単に事情を説明して、一同に向かって尋ねた。女性たちは目を交わしあった後、ドアに一番近いベッドに座っていた一人が答えた。
「誰も来ていません……あ、さっきメイベルさんが来ました」
「メイベル?」
騎士はそう言ったあとで、ここには五人目の女性がいることに気がついた。他の四人が十代前半くらいの少女なのに対し、最後の一人は三十代も後半に見えた。この部屋にある数少ない家具の一つである、共用の衣装タンスの前に立っている。銀色の髪を後ろでまとめ、肌の色は少し浅黒い。つり上がり気味のやや細い目が、気の強そうな印象を与えた。その女性は静かに一礼すると、騎士に向かって答えた。
「ここの下女たちの取りまとめ役を仰せつかっております、メイベルと申します」
「ふむ。君がこの部屋に来たのはいつごろだね」
「ほんのついさっき……二、三分前ほどでしょうか」
「その時、怪しい者の姿を見てはいないか」
「いえ。この部屋に入る前も入った後も、そのような人は目にしておりません」
この問答をしながらも、騎士の目は室内を見まわしていた。四人の若い女性は、少しおびえた表情を浮かべながら、彼らを見つめている。その表情には、不審な点は見受けられなかった。騎士はさらに、室内の気配を探った。スキルとしての探知ではなく、長年の鍛錬で身につけた武の技によるものであったが、それでも異常は感じ取れなかった。
騎士はうなずくと、不審者が逃亡中につき十分に用心して欲しいことを告げて、部屋から出て行った。
騎士たちの姿がなくなると、部屋の中はとたんに、若い黄色い声であふれた。
「変な人がいる、って言ってたよね。いったい何があったんだろう」
「泥棒がお城に忍び込んだのかな? ほら、偉い人がいる部屋って、高い置物とかがいっぱい並べてあるんでしょ」
「そんな人が逃げてるなら、仕事どころじゃないんじゃない?」
今の出来事について、口々に感想を並べている。だがこのにぎやかさも、メイベルが手を一つ叩くと、すぐにおとなしくなった。
「静かに。交替の時刻が近づいています。早く準備を済ませて、移動を始めてください。
念のため、交代時刻よりも早い時刻には、すでに持ち場にはついているように。いいですね?」
「でもメイベルさん、今、不審な人が城内にいる、って言ってましたけど……」
「心配はいりません。こういう時は、騎士の方々が各所に見張りに立って、城内を警備をしてくれているはずです」
メイベルは断言した。上役にこう言われて、少女たちは手早くメイド服に着替え、身支度を済ませた。先ほどまでのように無駄口を叩く者はいない。そして準備が済むと、四人連れだって、ドアの外へと出ていった。
それを見送り、ドアが閉まったところで、メイベルは言った。
「さて」
メイベルは後ろを振り返って、衣装タンスの横、ドアからは陰になって見えない場所に視線を向けた。
「もう出てきてもいいですよ。勇者様」
◇ (ユージ視点)
いやー、びっくりした。
いきなり蘇生術師とばれてしまったから、とっさに縮地スキルを使って、あの部屋から逃げ出してしまったよ。ぼくがあの「ケンジ」とばれたら、っていうかばれてしまったと思うんだけど、何をされるかわからない。騎士団長の仇、なんてことは言われないかもしれないけど、少なくとも、監視がきつくなることは間違いなかった。そうなったら、隙を突いて逃げるのも難しくなる。それなら、その前に逃げてしまえ、と思ったんだ。
とはいえ、逃げた後はこうしよう、なんて目算があったわけではなかった。だからぼくは、石造りの暗い廊下を、とにかく一目散に逃げた。一応、それなりの時間を過ごしてきた場所だから、ある程度は道順はわかる。かなり遅れて、騎士たちが追いかけてくる足音が聞こえた。
今は彼らを引き離しているけど、たぶんすぐに警戒態勢が取られて、たくさんの追っ手がぼくを追いかけるようになるだろう。そうなったらまずい。早いうちに、城から逃げ出さないと。窓があったので、ぼくはその木戸を開けて、外に飛び出そうとした。だけどその時、嫌なものが目に入ってきた。
遠くに見える城門が、今まさに、閉じられようとしていたんだ。
数人の兵士に押されて、大きくて分厚い城の門が、ゆっくりと動いている。その周りには大勢の騎士、兵士が集結していた。門はもうすでに、半分以上は閉まっていて、たとえ縮地を連発したとしても、今からでは間に合いそうもなかった。
こう見えて、ぼくのステータスはけっこう高い。この城にいた頃の指導役だったジルベールと比べても、数値だけなら圧勝できるくらいだ。だから、一人や二人の騎士が前に立ち塞がっても、なんとかなるとは思う。実戦経験が足りないからステータス頼みの戦いになってしまうけど、倒すのではなく逃げるくらいなら、なんとかなるだろう。そして街中に出てしまえば、隠密スキルで追っ手をまくこともできると思う。
だけど、門を閉められたらダメだ。
空を飛ぶようなスキルは持っていないし(そんなスキルがあるかどうかも知らない)、「筋力」が上がってジャンプ力もけっこうなものになったけど、軽く十メートル以上はありそうな城壁を越えるのは無理だ。本物の暗殺者なら、たとえば操糸術で糸を屋根まで伸ばして、それを手がかりに登る、なんてこともできるんだろうけどね。いや、やればできるのかな? やっぱ無理か。夜中ならともかく、真っ昼間にそれをやったら、たちまち見つかってしまうだろう。
それにしても、ちょっと情報伝達が早すぎるんじゃない? 情報連絡用の魔道具みたいなものでもあるんだろうか。王城なんて最重要地点だろうだから、そんなものがあっても、おかしくはないのか。こうなってみると、さっきの部屋から逃げ出したのは、ちょっと早まったのかなあ……。
ぼくは迷った末に窓の木戸を閉めて、再び廊下を駆け出した。逃げられないなら、どこかに隠れるしかない。それで、ほとぼりが冷めて警戒が緩んだところで、城から逃げだそう。そう考えて、隠れ場所を探しながら走っていると、メイドの格好をした、三十代くらいの女性が廊下を歩いていた。メイドというより、メイド長、って感じだったな。その女性は、ぼくを見ると驚いたような表情を浮かべた。と思ったら、急に両手を広げて、ぼくの前に立ちふさがった。
まさか、メイド姿の人にそんなことをされるとは思っていなかったので、ぼくもあわてて立ち止まってしまった。この人、ぼくを捕まえるつもりだろうか。騎士が相手なら戦う覚悟もあったんだけど、メイドさんだと、どうすればいいのかなあ……。
などと思っているぼくに向けて、彼女はこうささやいた。
「あなたは、勇者様ですね? こちらへどうぞ」
ちょっと迷ったけど、ぼくはおとなしく、彼女についていくことにした。
というのも、彼女に鑑定スキルを使ったところ、こんな結果になったからだ。
【種族】ヒト
【ジョブ】市民
【体力】11/11
【魔力】8/8
【スキル】-
【スタミナ】 7
【筋力】 5
【精神力】9
【敏捷性】Lv2
【直感】Lv3
【器用さ】Lv6
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