第10話 おそばにいるのが仕事です
気がつくと、ぼくはベッドの上にいた。
いつも寝泊まりしている、ぼくたち異世界人(こちらの人は「マレビト」と呼ぶようだけど)に割り当てられた王城の一室だ。ぼくは、まだ見慣れてはいない石の天井を、少しの間ぼんやりと眺めていたが、ついさっきの出来事を思い出して、あわてて上半身を起こした。
首に手をやってみると、傷跡のような手触りがある。ちょっと痛みが走ったけれど、幸い、大きなケガにはなっていないようだ。ほっと一息ついた時、急に声をかけられて、ぼくはびくっと体を震わせた。
「あ、気がつきました?」
メイド姿の少女が一人、ぼくの横に立っていた。
年は、ぼくと同年代くらいだろうか。小柄で、かわいい系の丸顔がにっこりと笑っている。こちらの世界では珍しい黒髪をうなじの辺りで切り揃えた、どこか
着ている服は、メイド服そのもの。本当に、元の世界の「メイド服」とほぼ同じものだった。スカートの丈は長くて、フリルなどが付いていないタイプの方だけど。
こういう、ぼくらにとっておなじみの品や知識がところどころで登場するのは、以前に召喚された勇者や、呼んでもいないのに飛び込んでくる異世界人(「迷い人」と呼ぶらしい)が持ち込んだものらしい。さすがは勇者様たち、影響力がハンパないな。
あ、彼女たちはこの世界では「下女」って呼ばれてるみたいだけど、服装がもろにメイド姿だから、「メイド」でいいでしょう。ぼくの心の中では。
そんな少女にいきなり登場されて、ぼくは返事が遅れてしまった。もう一度、彼女が問いかけてきた。
「あのー、気分はどうです? だいじょうぶですか?」
「あ、うん、どうにかだいじょうぶみたい。ぼくは、どうしたんだっけ?」
「訓練中にケガをされて、倒れてしまったんだそうです。それでここまで運ばれて、私がお世話を言いつかいまして……」
ベッドの脇に置かれたカゴに、少女はちらりと視線を走らせた。その中には、赤黒いものがこびりついたシャツとタオルが放り込まれていた。
「そっか……どうもありがとう。えーと、君の名前は?」
「ルイーズといいます。よろしくお願いします」
ルイーズと名乗った少女は、ぺこりと頭を下げた。
「そこのカゴに入ってるのは、ぼくが着ていたシャツかな」
「はい、そうです」
「その赤黒いのって、たぶん、血だよね。そんなに出血してたの? さわった感じだと、そんなにひどい傷じゃないみたいだけど」
ぼくはもう一度、首筋をなでてみた。傷口はちょっと盛り上がっているけれど、大量出血するほどの大きさではないように思える。
「はい、ポーションを使いましたので、傷は塞がって血も止まっていると思います。ただ、ポーションでも体力は完全には戻らないそうですから、まだ無理はしない方がいいですよ」
「ポーション?」
ぼくはカゴの横にある、小さなガラス瓶を見た。一本は空になり、もう一本も半分ほどがなくなっている。ポーションなんてものが、本当にあるんだな。まあ回復魔法があるのなら、ポーションがあっても不思議はないのか。
ルイーズは、首に手を当てたままのぼくを見て、
「まだ痛みますか?」
「あ、うん、ちょっと」
「では、失礼します」
ルイーズはやさしくぼくの手をとって、首から外した。そして、タオルを傷の少し下にあてて、瓶に残ったポーションを傷跡に振りかけた。すーっと爽快な感じが広がり、あっという間に痛みが引いていく。
もう一度首に手を当ててみると、傷口の感触もほとんどわからなくなっていた。
「すごいね。もう治ったみたいだ」
「高級なポーションですから」
ルイーズは答えた。ぼくのような落ちこぼれにも、ポーションは王宮用に用意されたものを使ってくれたらしい。首回りに着いたポーションをタオルで拭き取りながら、彼女はこんなことを言いだした。
「では、シャツを脱いでいただけますか」
「え?」
「もう一度、お体をお拭きしますので」
そういいながら、シャツに手をかけて、脱がせようとする.ぼくはあわてて体を引いた。
「いや、それはいいよ」
「でも、お体が汚れています」
たしかに、地面に転がっていたんだから、体は汚れているかもしれない。清潔にするのは大事だろうけど……。
あれ、今「もう一度」って言わなかった? そうか。気を失っている間に、血まみれのシャツを替えて、体を拭いてくれたんだな。こんなかわいい子が。まあ、上半身だけだろうけどね……たぶんおそらくは。
ぼくは、自分の顔が赤くなってくるのを感じた。そんなふうに身もだえしているぼくを見て、ルイーズも少し顔を赤らめ、あわてたように、
「あの、傷ついた時には、きれいに洗っておいた方がいいんだそうです。土や泥がついていると、悪い病気になるんだそうですよ」
と、少し早口で付け加えた。こういう衛生観念は、ちょっと中世のレベルを外れてる気がする。もしかしたらこれも、勇者がもたらした知識だろうか。
ちょっと現実逃避気味にそんなことを考えていると、まったく動こうとしないぼくをみて、ルイーズはますますあわてた感じになった。そして、まったく別のことを口にした。
「あのですね、ケンジ様は、勇者様なんですよね」
「あー、残念だけど、違うよ」
「え、そうなんですか? でも、みなさんは他の世界から召喚された、ってうかがいましたけど」
ルイーズは、こてんと小首をかしげた。
あ、そうか。「勇者」には、「勇者ジョブを持つ人」の他に、「他の世界から呼び出された人」と言う意味があるのか。エルベルトあたりは専門家だから前者の意味で使うけど、一般の人は、召喚された人全体を勇者と呼ぶのかもしれない。
ぼくはかぶりを振って、
「ううん、この世界に呼ばれたのは間違いないけど、ぼくは勇者というジョブは持っていないんだ。
というか、ぼくらの班には、持ってるやつはいない。訓練場の、ぼくらとは反対側で訓練していた班がいただろ? あの中の一人が勇者ジョブ持ちの、本物の『勇者様』みたいだよ」
「そうなんですね。でも私たち、あの場所には入れないので」
そういえば、ぼくらがいた室内訓練場には、ぼくたち異世界人と騎士以外の人の姿は見なかった。やっぱり、機密保持のためなんだろうか。勇者召喚なんて、秘密兵器を作ったようなものだろうからね。
とはいっても、城内にはルイーズみたいに、生活の世話をしてくれる人もたくさんいるから、限界はありそうだけど。
「その勇者様って、お強いんですか?」
「うーん、そうだね。やっぱり、別格かなあ。今日なんて、本職の騎士と練習試合をして、勝ってたよ。訓練初めてまだ一週間ちょっとなのに、ぼくらとはレベルが違う」
「剣術の試合で、ですか。すごいですねえ。勇者様って、その上に魔法も使えるんですよね」
「そうらしい。一ノ宮、っていうのが勇者の名前なんだけど、あいつが言うには、火や風系統の攻撃魔法が得意なんだけど、水系統の回復魔法も使えるんだそうだ。万能の戦士、って感じだよね。その上、魔力の量も大きいって聞いた。
もちろん、魔法の強さや魔力量は、聖女の白河さんにはかなわないんだろうけど」
聞いた、というのは本人に聞いたのではなく、訓練場で一ノ宮が話しているのが聞こえてきたんだ。なんだか、自慢話みたいだったな。あいつ、あんなに調子に乗るやつだったっけ。
それにしても、ルイーズは勇者の話を、けっこう聞いてくるね。やっぱり彼女も、本物の勇者に興味があるんだろうか……。
なんてことを思っていたら、それがちょっと顔に出たのかもしれない。埋め合わせをするかのように、ルイーズはぼくたちのことも聞いてきた。
「このお部屋は、ケンジ様と同じの班の方が泊まっておられるんですよね。皆さんは、どんな方なのですか」
「太り気味の大高ってやつが土属性の魔術師で、やせメガネの黒木が農術師。筋肉バカの新田が格闘家だね。そしてぼくは……蘇生術師、だった」
「蘇生術師?」
ルイーズはまた首をかしげた。そりゃ、専門家のエルベルトが初耳というんだから、彼女も知らないよね。
「それは、どんなジョブなんですか?」
「よくわからない。名前からすると、死んだ人を生き返らせる──なんてことができそうなんだけどさ。でも、いろいろやらされたけど、できなかったんだよなあ」
ぼくはそれから延々と、愚痴を並べてしまった。初対面の女の子が相手というのに、どうやらずいぶんストレスがたまっていたらしい。気がつくと、いままでやらされたことのほとんどすべてを、ルイーズの前でぶちまけていた。
「──あ、ごめん。ずっとしゃべっちゃって。仕事の邪魔だった?」
「いえ。ケンジ様のおそばにいるのが、私の仕事ですから」
「そ、そうなの?」
「はい。それに、なんだかちょっと、ケンジ様がおつらそうに見えたので……」
ぼくはどきっとした。たぶん、『ケンジ様』は『ケガをした異世界人』の意味なんだろうし、『おそばにいる』というのは、生活をサポートをする、くらいのつもりなんだろう。それはわかってる。けど、こんなにかわいい子にこんな言い方をされると、ちょっとドキドキするよね。
ぼくはなんとなく無言になって、ルイーズを見つめてしまった。ルイーズも、目をそらすことなく、ぼくを見てくる。黙ったままに互いを見つめ合う、そんな時間が流れていき、そして……。
「ケンジ、だいじょうぶだったか、って……この子、誰?」
部屋のドアが乱暴に開けられて、三班の三人組が戻ってきた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます