第84話 突然の宣告
突然の宣告だった。
衝撃で、頭の中がパニックになりながらも、ぼくはどうにか、言葉をつなごうとした。さっきまで飲んでいたお茶の味なんて、吹っ飛んでいた。
「一人で、って……え、なんで? ここを出て、どこに行くの」
「アリトナに戻ろうと思います」
はっきりとした口調で、リーネは答えた。
「アリトナ、ってリーネの生まれたところだっけ。でも、どうして今になって?」
「奴隷に売られた妹たちを探して、助け出します」
ぼくは以前、リーネから聞かされた話を思いだした。ヒト族との戦いがあって、彼女の父親が死んだこと。その後、母親が再婚し、結婚相手の義父の計略で、彼女は三人の妹と共に奴隷に売られたこと。そしてそれ以来、リーネの妹たちの行方がわからないと言う話だ。
「ああ、そうか。妹さんが心配なんだね。それなら、できるだけ急ぎたい、っていうのもわかる。でも、どうして一人でなんだよ。探すのを手伝って、と言ってくれれば、ぼくは喜んで手伝うつもりだよ」
「アリトナは獣人の国です。それも、ヒト族との戦いを繰り返してきた、ヒト族との関係がとても悪い国です。ここカルバートではヒト族が獣人を差別していますけど、アリトナでは逆に、獣人がヒト族を排斥しています。それも、自分たちより下に見るといったレベルではなく、ヒト族をみたら即座に攻撃されてもおかしくない、そんな土地なんです。
とても、ヒト族のユージ様が暮らしていけるような場所ではありません」
「そんなのは、なんとかするよ。だってぼくは、ヒト族とは──」
彼女には今まで黙っていたけど、正確には、ぼくはこの世界のヒト族じゃない。召喚されてきた、別世界の人間だ。そう話そうとしたけれど、でもこれはわかってもらえないだろうなあ、とも思った。髪の毛と瞳の色がちょっと変わっているくらいで、外見はヒトとほとんど一緒なんだ。
それに、ぼくは勇者様の仲間だったんです、なんて言っても、はたして信じてもらえるかどうか。
「それから、もうひとつ理由があります。家に帰ったら、私は義父を殺すつもりなんです」
リーネは、さらに衝撃的な言葉を続けた。
「成功するかどうかはわかりません。ですが、成功しても失敗しても、私は父殺しの犯人として追われることになるでしょう。アリトナでは、父殺しは普通の殺人とは別格の、重大な犯罪です。私の近くにいれば、ユージ様も一緒に、追われる身になってしまいます。
それにしても、おかしいですよね。娘を奴隷に売るのは許されるのに、義父を殺したら、罪に問われるんですから」
「……でも、それなら、ぼくがついていけば、手助けができるかもしれないよ。真正面から戦うんじゃなくて、なんていうかな、陰から殺してしまえばいいんだ。ぼくのスキルは、そういうことに向いているものが多いんだよ。
うまく暗殺に成功することができれば、犯人が誰かなんてわからない。殺人犯で追われることにも、ならないかもしれないよ」
「アリトナは、人口の少ない国です。閉鎖的な村がほとんどで、ここのような都会ではありません。よそ者が姿を見せれば、確実に目をつけられるでしょう。ヒト族ならなおさらです。ユージ様が陰に潜んで、などということは難しいですね」
そしてリーネは、決意の籠もった口調で、こう付け加えた。
「それに、これは私が、自分でしたいことなんです。私や妹たちがされたことへの、復讐でもあるんですから」
どう考えても、危険な行為だ。閉鎖的な村ってことは、ヒト族でなくても、よそから来た者は目をつけられるんだろう。彼女がよそ者ではなく、義父の娘のリーネとして帰郷するとしたら、さらに危険だ。標的の義父には、間違いなく警戒されてしまう。ぼくと二人ならまだしも、たった一人で、そんなところに行くなんて。
ぼくはもう一度、リーネの顔を見た。穏やかな、しかしまっすぐな目が、ぼくを見つめ返していた。彼女はもう、決心を固めてしまっているらしい。おそらくは命をかけることになるだろう、そしてそのことは彼女自身が一番わかっているだろう、そんな決心を。そんな顔を見せられると、彼女の言葉を否定することはできなかった。
ぼくには、こう言うだけで精一杯だった。
「でも、行くにしたって、そんなに急がなくてもいいじゃないか」
「昨日、ギルドの依頼を見てきました。するとちょうど、ここから北東にあるシイラの街へ向かう商隊の、護衛依頼が出ていました。アリトナへ向かうには都合のいい方向ですので、この依頼に応募して、商人の旅に同行しようと思います。その出発が、明日なんです」
すがりつくようなぼくの言葉にも、そっけないくらい、はっきりした答が返ってきた。反射的に、ぼくはこんなことをつぶやいてしまった。
「……奴隷じゃなくなっても、一緒に冒険者をしてくれる、って言ってたのに」
リーネの表情が、ほんの少しゆるんだ。彼女は身を乗り出して、ぼくの手の上に、彼女の両手を重ねた。
「約束します。私は必ず、この国に戻ってきます。その時、もしも私たちが二人とも生きていたら、また一緒にパーティーを組んで、冒険者をしましょう」
彼女の言動には、これまでにない、自立した意志が込められていた。
リーネはもう、奴隷じゃない。彼女は自由で、そうなって欲しいと望んだのは、ぼくだったんだ。
ぼくは、こう答えざるを得なかった。
「……約束だよ」
「はい。約束です」
リーネはにっこりと笑った。ぼくも、笑ったつもりだった。たぶん、泣き笑いのような表情になっていたと思うけど、とにかく笑った。
これは彼女が決めたこと。彼女自身で選んだ道なんだ。それがどんなに厳しい道に思えても、祝福して見送ってあげなければ。
でもぼくの心は、そのどこか隅の方で、こんなことを叫んでもいた。
『奴隷から解放するなんて、カッコつけるんじゃなかったぁぁぁ!!!』
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