第85話 別れと旅立ち

 あのあとは、なんだか気が萎えてしまって、ぼくはまったく何もせずに、一日を終えた。

 リーネは外に出ていたから、たぶん、ギルドに行って依頼を受けてきたんだろう。夜になり、ライトの魔法を消してベッドに入った後も、同じだった。ぼくは背中からリーネを抱きしめたまま、いつの間にか眠りに落ちてしまった。明日にはもう、お別れだというのに。

 でも、お別れだと思ってしまったから、かえって何もできなかったのかもしれない。


 ◇


 次の日の早朝、ぼくはリトリックの北門の近くで、商人たちが出発の準備をしている様子を眺めていた。


「昨日、護衛依頼に応募しようとしたのですが、もう受付が終わっていました」


 ぼくから少し離れて立っていたリーネが、口を開いた。


「ですが、一人旅では危険ですから、護衛を依頼していた商隊の後ろについていくことにしました。一声かけておけば、それほど文句を言われることはないでしょう。盗賊たちからすれば、護衛の冒険者が一人、増えたように見えるんですから」

「馬は持っていかないの?」

「商隊のあとをついていくなら、歩きで十分です。それに、この後も護衛依頼などを受けながらアリトナに向かうと思いますから、馬はかえって邪魔になると思います。お返ししますので、ユージ様のほうで、売り払うなりなんなりしてください」


 ちょっと、会話が途絶えた。商人の馬車は、どこかの街に運んでいくんだろう荷物を満載して、三台ほどが門の前に並んでいる。しばらくすると、それぞれの馬車の周りに、護衛らしい冒険者が集まってきた。


「帰ってくるのは、どのくらい先になりそう?」

「わかりません。アリトナに戻るだけなら、一月もあればたどり着けるでしょう。ですが、その先は……義父の件はともかく、妹たちを探すとなると……」

「それならさ。ある程度の片がついたら、一度、戻ってきなよ。もしかしたら、妹さんたちもカルバート王国に来ているかもしれないよ。リーネもそうだったんだから」

「そうですね。そうするかもしれません」

「あ、だけど、そうなるとぼくの方が、ここにいないかもしれないな。他の街に移ってるかもしれない。そういう場合、冒険者ギルドに聞いたら、教えてくれるのかな? 最近はどの冒険者がどの街で活動しているか、なんてことを」

「元のパーティーメンバーだと言えば、たぶん、教えてくれると思います。リトリックに戻ったら、まず最初にギルドに寄りますね」


 一台の馬車の前に、商人らしい男が現れた。その周りに冒険者たちが集合して、何やら打ち合わせをしている。そろそろ、動きだすみたいだ。リーネは、地面に置いていたリュックを手に持った。


「そろそろ、出発のようです」


 そう話している間にも、冒険者たちが馬車の周囲に散らばって、馬車が動き出した。


「ユージ様。私をマルティーニ商会で購入していただいたこと、そして奴隷から解放していただいたことには、とても感謝しています。どうもありがとうございました。あなたのことは、決して忘れません」

「……それじゃ、さよなら。またね。また、会おうね」


 そうだよ。これが最後ってわけじゃない。他ならぬリーネが、そう言っているんだから。


「さようなら」


 リーネは軽く一礼すると、馬車から少し距離を置いて、歩き出した。しばらく歩いた後、一度だけこちらを振り向き、軽く手を振った。そしてその後は、一度も後ろを振り返ることはなかった。

 その背中を、ぼくはずっと見送っていた。


 リーネの姿が豆粒のように小さくなり、もう目では追うことができなくなってから、ぼくはようやく、街の中に戻った。

 惰性で冒険者ギルドに向かい、依頼のボードの前に立つ。だけど、何かをする気にはなれず、そのままギルドを出て、宿に戻った。ドアを閉めて、ベッドに横たわる。なんだか、全身から力が抜けてしまっていた。

 一人だと、ダブルベッドは広すぎる。部屋もシングルの部屋に変えてもらわないと……。

 そんなことを思いながらも、もう一度起き上がる気力はなかった。かすかにリーネの香りのするベッドに顔をくっつけて、ぼくは眠りに沈んだ。


 ◇


 次の日は、朝遅くに目が覚めた。

 結局、ほぼ一日中眠ってしまったぼくの目を覚ましたのは、空腹だった。昨日は朝から寝てしまったから、お昼も夕飯も食べ損ねたんだ。悲しくっても、お腹は減るんだよな。

 宿の食堂に降り、朝食を注文する。ずいぶん時間が遅かったけど、なんとか頼み込んで、食べさせてもらった。お腹がふくれると、少しだけ元気が出たような気がした。

 今日から一人になってしまったけど、考えてみれば、これは三ヶ月ちょっと前に戻っただけだ。そんなふうに思ってみることにした。心の中を覗けば、まだ寂しさは残っている。だけどそれでも、前を向いていかなければならないんだ。こんな、誰もぼくを助けてくれないような世界では。

 こういう時は、なにかした方がいいよな。あれこれ考えるより、体や頭を使った方がいい。そうしていれば、そのうちに何かが動いて、何かが変わってくれるだろう。

 幸い、体調はとてもいい。まる二日ほど、何もしなかったんだから当たり前だけど、心はともかく、体の疲れはまったく感じなかった。

 朝食を終えたぼくは、まる一日ぶりに、宿の外へ出た。


 そう思って外へ出たものの、さて、何をしようか。ギルドに行ってもいいけど、一人だと受けられる依頼が減るんだよな。かといって、常設依頼の魔物を狩るのも、ちょっと飽きてきた。今のところ、お金には困っていないし。やっぱりもう一度、奴隷を買うしかないのかなあ。でも、リーネが帰ってきた時に、何か言われたらどうしよう……。

 そんなことを考えながら道を歩いていると、派手な色使いの看板が目に入ってきた。


『話題のお菓子、<プリン>あります』


 以前見た時にはパステルカラーの色合いだったはずなのに、この看板はちょっとどぎつい、赤や青の原色が使われていた。かと思うと、通りの向かいにある別の店には、「プリン」とだけ書かれたモノクロの看板もある。なんだか統一が取れていない。

 あれかな、店を増やしすぎて、大高たちの指示が追いついていないのかな。地球のコンビニチェーンみたいに、全店一緒にするなんて発想自体、ここにはないのかもしれない。

 そうだ、とぼくは思った。久しぶりに、あいつらの店に行ってみよう。落ち込んだ時には、人と話す方がいい、って聞いたことがある。イチャイチャしていそうなやつが二組くらいいるけど、それもいいや。からかってやれば、ぼくの気も晴れるかもしれないし、向こうだってきっと、うれしいだろう。

 ぼくは大通りを歩いて、ランドル商会の方へ向かった。


 久しぶりに訪ねたランドル商会は、またしても、ずいぶんと様変わりしていた。

 店の前に立てかけてある「女性に大人気! 今、話題のスイーツ、『プリン』」の看板。これは変わりは無かった。だけど、このまえ来た時にはあったはずの長い行列は、きれいに消えていた。小首を傾げつつ、店のドアを開ける。あの日は満席だったカフェ・コーナーには、店員もいなければ、一人の客の姿も見えなかった。


「今日は、お休みかな?」


 がらんとした店内を通り抜けて、厨房に続くドアをノックした。しばらくの間が開いて、ドアを開けたのは大高だった。


「よ、久しぶり。今日は定休日?」


 大高は首を振った。


「いいえ。この世界には、定休日などという概念はありませんよ」

「じゃあ、どうしたの」

「……やられました」


 大高は、疲れた顔で答えた。良く見ると、彼の目の下には、大きな隈が浮かんでいる。顔色も悪く、ちょっと見ない間に、頬も少しこけたように思えた。


「やられたって、何が」

「すべてですよ」


 大高の声に急に力が込もり、血走った目がぼくに向けられた。


「すべてのものが、奪われました」



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