第139話 一面の青い海

 転移陣の部屋で一泊した、その翌日。ぼくたちは第一層から第二層へ転移する、魔法陣の上にいた。


 ちなみに、転移陣の部屋は小さな部屋が二部屋続きになっていて、手前が空き部屋、奥側が魔法陣の設置された部屋になっていた。

 ぼくたちは空き部屋で簡易なテント(ちなみに、男女は別になっています)を張って、念のため、順番で寝ずの番をしながら就寝した。けれども、事前の説明があったとおり、魔物が現れることはなかった。

 上条によると、彼が番をしていた時、部屋の入り口まで近づいてきたゴーストがいたらしい。そいつは、開けっぱなしのドアの直前でUターンして、どこかへ去って行ったという。どうやら、ここが安全地帯になっているのは本当らしい。次からは、寝ずの番は省略しようという話になっている。

 それはともかく、転移陣だ。五人そろって魔法陣の真ん中に集まり、代表して一ノ宮が呪文を詠唱した。前日と同様、紋様が光を放った次の瞬間、ぼくたちは迷宮の第二層に転移していた。


 と言っても、ぼくたちがいるのは、魔法陣が描かれた、石造りの小部屋だった。外見上は、さっきまでいた部屋とほとんど変わりはない。なのになぜ、転移したことがわかったかというと、部屋に漂う匂いのせいだ。第一層の腐臭には鼻が慣れてしまって、もう気にはならなくなっていたけれど、この新しい匂いには、全員がすぐに気がついたようだ。


「おい、この匂いって……」

「潮の香りのようね」


 上条のつぶやきに、白河が答えた。彼女の言うとおり、今いる部屋の中は、海に行った時に体にまとわりついてくる、あのなじみ深い匂いで満ちていた。


「どうやら、無事に転移したようだね」


 一ノ宮はうなずいて、目の前のドアを開けた。海の香りが、一気に強くなる。魔法陣のある部屋を出て、続きの部屋のドアも開けると、そこには目を疑うような光景が広がっていた。


 そこにあったのは、一面の青い海だった。少し歩いたところにはもう水が届いていて、石ころだらけの浜辺にさざ波が寄せている。後ろを振り返ると、ぼくたちの背後にも海があった。転移陣の部屋は、小さな島の上に建っていたんだ。

 視線を上に向けると、雲一つ無い広大な青空が、こちらも見渡す限りに広がっていた。


「……これ、本当に迷宮の中なのか?」

「いったい、どうやって作ったんだろ」

「話には聞いていたけれど、実際に目にすると、驚きが違いますね」


 口々に感想を述べながら、ぼくたちはゆっくりと、岩浜に降りていった。柏木が波打ち際まで進み、腰をかがめて、右手を水につけた。


「冷たい……さわった感じ、本物の海水っぽい。岩の周りには、海藻みたいなものが生えてる。……あ、小さい魚もいるよ」

「海藻や魚まで、わざわざ作ったのかよ?」

「たぶんだけど、そうじゃないんじゃないかな。入れ物を作った後で、海水や海の生き物を、まとめて持ってきたんだろう。魚や海藻が死なないよう、管理や微調整は必要だっただろうけど」


 ぼくが感想を言うと、白河もうなずいた。


「聞いたことがあります。ビオトープ、というものですね」

「おそらく、そのとおりだろう。それから、この光景は見えているものがそのまま存在するわけではないらしい。途中までは本物の海水があるんだけど、その先に見える海は、幻影魔法が使われているだろうとの話だった。上にある空も同じだね。まあそれでも、とてつもなく大きな空間には変わり無いけど」


 解説を加える一ノ宮に、上条が問いかけた。


「とにかく、この道を進む、ってことでいいんだよな」


 一ノ宮はうなずいた。上条の指さす先には、海の上を続いていく一本の道があった。それは幅三~四mほど、海面からの高さは一mくらいだろうか。丸い岩が積み上がるようにしてできた道が、海の中を真っ直ぐに突っ切り、はるか遠くまで続いている。

 かつての攻略者が残した情報が正しければ、この道は分岐のない一本道で、ここを一日ほど歩いていった先に、次の転移陣が待っているはずだ。


「隊形は昨日と同じで。ユージと柏木さんは敵の探知を頼む」


 一ノ宮の指示に従い、探知のスキルを起動する。海の中には大小様々な反応が、それこそ無数に動き回っていた。柏木が言ったとおり、たくさんの魚がいるんだろう。

 これでは扱いにくいので、ある程度以下の大きさの反応はカットするよう、意識してみる。このスキルはずいぶん使い込んでいるので、こういった微調整も出来るようになっていた。


「この付近には、少し大きな魚以外は、いないみたいだね」

「了解。では、そろそろ出発しよう」


 一ノ宮の号令で、ぼくたちは隊を組んで、海上の道へ入っていった。


 しばらくは、何事もなく進んだ。時々、海の表面で魚がはねる音がしたり、カモメに似た鳥が頭上を飛んでいるくらいで、魔物の姿は見えなかった。

 一度、大きなトドのような生物が道を占領していたことがあって、いよいよ敵が現れたかと戦闘態勢に入ったんだけど、向こうはぼくたちを見ると、あわてて海の中へと逃げていった。魔物ではない生物が、陸地で一休みしていただけのようだ。

 はたから見ていれば実にのんびりとした、ピクニックのように見えたかもしれない。だけど、ぼくたちは昨日よりも緊張して、周囲の様子に気を配っていた。

 一本道というのは、進路がわかりやすくていいけど、別の心配もある。敵からすれば、標的の所在がまるわかりになってしまうんだ。しかも、第一層のような石壁はないから、前後左右、どこから敵が現れてもおかしくはない。ぼくは探知をレーダー型にして、最大限の範囲を索敵していた。

 そしていよいよ、探知に引っかかるものが現れた。


「左から何か来る。それほど大きくはないけど、数が多い。合計で十体、一列に並んで近づいてくる」

「前衛は左からの敵に備えて。中衛、魔法攻撃を準備。ユージは、引き続き敵の探知を」

「わかった」


 一ノ宮の指示で、隊は先頭を左に回転させた。探知に移る敵影はどんどん近づいてきて、いよいよ、海の中から姿を現した。

 最初に水面から出てきたのは、長い棒の先についたような、二つの目玉だった。ついで、ギザギザの突起のついた四角い胴体。胴体には八本の手足があり、そのうち二本の前足は、大きなハサミになっていた。


「……カニ?」



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