第120話 迷宮の踏破者

 ぼくは立ち上がって、マザーアラネアの死体に近づいていった。が、そこに着く前にあることに気がついて、思わずそちらを二度見してしまった。

 風の大魔法を発動し、この光景を現出させた精霊フロル。さっきまで彼女がいた空間に、小さな女の子が浮かんでいたからだ。


「おまえ……フロルなのか?」


 ぼくはついつい、こう尋ねてしまった。

 本当は、確認するまでもないことだ。そのぷにぷにしたほっぺたは、大人の美女に変身する前の、ぼくがハングリーフラワーから助け出した時のフロルの姿そのものだったから。案の定、宙に浮かんだ女の子は頬をふくらませて、


「ユージ、ひどいの! フロルを忘れるなんて。せっっかく、危ないところを助けてあげたのに!」

「ごめんごめん。急に、姿が変わったからさ。どうして、元の格好に戻ったんだ?」

「ユージに魔力をもらって、精霊魔法も使えるようにはなってたんだけど、けっこうぎりぎりだったのよねー。なのにさっき、テンペストの魔法を使ったでしょ」

「そうか。それでまた魔力が足りなくなったから、省エネモードに戻った、ってわけか」

「ショウエネ? よくわからないけど、たぶん、そういうことなの」


 フロルはふわあ、とあくびをして、


「なんだか、とっても眠くなってきたの。また、ユージの魔力をもらいながら、一休みしなくちゃ」


 そう言うと、少女は白い光になって、ぼくの方へ戻ってきた。光が消えてしまう前に、ぼくは念話で呼びかけた。


<フロル>

<なーに?>

<さっきは本当にありがとう。助かったよ>


 光はふるふると小さくふるえて、


<どういたしまして……おやすみなさい>


 そうして、ぼくの胸の中に入っていった。


 ようやく立ち直ったアネットといっしょに、ぼくはボス部屋の中を見て回った。

 あたりには魔物の死体が散乱しているけれど、どれも破損がひどく、お金になりそうな素材は見当たらなかった。もともと、アラネアはあんまりお金にはならない魔物だしね。ただ、クイーンアラネアとマザーアラネアの魔石だけは、それぞれの体の中に残っていて、傷も付いていなかった。持って行くには大きすぎるし重すぎるので、ぼくは三つの巨大な魔石を、マジックバッグの中に収納した。

 アネットはその様子を見ていたけど、何も言わなかった。もうすでに、何かあると察しているんだろう。彼女が体調を崩した時に、いろいろとやってしまっていたからね。

 ついでに、王城から持ってきたポーションを二本取り出して、うち一本をアネットに渡した。それを飲み干すと、全身の痛みが急速に引いていった。痛かった右手を触ってみても、特に異常はない。

 間違いなく、折れてると思ったんだけどな。それを瞬時に治してしまうとは、さすがは王城御用達の高級ポーションだ。


 そうしているうちに、アネットが何かに気づいたらしい。マザーアラネアの体の下を指さしながら、ぼくを手招いた。


「ユージ、これって」

「うん。どこかで見たことがあるね」


 そこにあったのは、きめ細かい色で織り上がった、白くて厚いベッドだった。病気のアネットを寝かせていた、蜘蛛の糸のベッドにそっくりだ。ちなみにあのベッドも、アネットにばれないよう、こっそりとマジックバッグにしまってあったりする。夜営の時なんかに、便利に使えそうだしね。

 だけど、あれと比べても、こっちの方がはるかに緻密な作りで、高級感が感じられた。テンペストの魔法にも破れたりしていないくらいだから、耐久性も桁外れなんだろう。それも当然か。これは変異種のマザーアラネアが、自分の子供のために作ったものなんだから。


「と、いうことは……」


 ぼくはマザーアラネアの体の下から、ベッドを引っ張り出した。思った通り、それは二枚重ねになっていて、一枚目をめくると、そこには数十個の白い卵が産み付けられていた。

 そうか。マザーアラネアがほとんど居場所を動かなかったのは、これがあったからか。テンペストの嵐の中でも、他のクイーンアラネアのようにひっくり返ったりしなかったのは、自分ではなく卵を守るために、死力を振り絞っていたのかもしれない。


 ぼくは、そのへんに落ちていた棒きれ(たぶん、アラネアの足だろう)を使って、卵をベッドから落とした。そして、卵をマザーアラネアの近くに寄せると、軽く土をかけて、残ったベッドだけをマジックバッグに収納した。


「その意気に免じて、卵はそのままにしてあげる。悪いけど、ベッドの方はもらっていくよ」

「卵は放っておくの? これ、変異種の卵だよ。壊しておかないとまずいんじゃない?」

「変異種の卵から、変異種が生まれるとは限らないんだろ。この迷宮のアラネアも、全部マザーアラネアの子孫だろうけど、それらしいのはいなかったし」

「ユージがそう言うなら、それでいいけど」


 首をかしげながらも、アネットはうなずいてくれた。ぼくは言った。


「じゃあ、ここから出ようか」


 ぼくたちはボス部屋を出て、地上へつながる大通路を登っていった。

 その途中、アラネアや他の魔物を、まったく見かけなかった。

 ボス部屋には数え切れないほどのアラネアの死体が転がっていたけれど、あれで全滅したとは思えない。精霊魔法の影響を免れたものもたくさんいたはずだ。なのに、一匹のアラネアもいなかった。不思議なことだったけど、そのおかげで一度の戦闘もなく、ぼくたちは出口へと向かうことができた。

 出口に近づくにつれ、先に見える小さな光の点が、だんだんと大きくなっていった。懐かしい太陽の光が、すぐそこまで近づいている。もうあと少し、あと百メートルほど。穴の外からは、ざわめきのようなものが聞こえてきたような気がした。

 するとアネットは、ぴたりと足を止めて、ぼくの服の裾を引っ張った。


「どうした?」

「出口の外が、かなりの騒ぎになっているみたいだ」


 アネットは言った。ぼくは探知のスキルをレーダー方式にして、前方を探った。すると、迷宮の外には数十もの気配が、出口を取り囲むような形で散らばっているのがわかった。


「本当だ、すごい人数がいる。いったい、何があったんだろう」

「わからないけど、ちょっとまずいね。知ってのとおり、ボクは『暗殺者』だ。あんまり、目立つことはしたくない」

「目立つこと?」

「気がついていないの? ボクたちは、迷宮の最深部を踏破した冒険者になるんだよ」


 言われてみれば、そのとおりだった。確かに、形だけ見れば、ぼくたちは迷宮最深部の部屋を訪れ、迷宮の主を倒した「踏破者」になる。実際にマザーアラネアを倒したのはフロルだから、ぜんぜん実感がないんだけど。


「そんなこと、言わなければばれないんじゃないかな。ぼくも別に、踏破者になりたいわけじゃないし」

「いや、あれだけの人が集まっているんだから、迷宮で何かが起きたことは、もう知られていると思うよ。少し調べれば、迷宮の主が倒されていることも、すぐにわかってしまうだろう。

 とはいえ、困ったな。あんな人数に注目されているとなると、『隠密』スキルでごまかすのは難しそうだ。かといって、ここ以外に出口があるとも思えないし……」


 アネットは少し考えていたけれど、


「そうだ、ユージ。君、一人だけで迷宮から出てくれない? できるだけ、目立つような格好で。君に注目が集まった隙になら、隠密スキルで気づかれずに脱出できるかもしれない」

「アネットが、そうして欲しいって言うんなら……。でも、目立つ格好って、どうすればいいんだろう。

 そうだ。どうせ踏破したと思われるんなら、戦利品を持ったまま、出てみようか。マザーアラネアの魔石にしようかな。そんなことをしたらあとが面倒になりそうだけど、あれをお金に換えるのなら、どっちみちギルドに持ち込むことになるだろうからね。

 でも、それだと騒ぎが大きくなりすぎるかなあ。クモ糸のベッドで魔石を包んで、それを抱える格好にしようか」

「それでお願い。じゃあね、ユージ。これまでありがとう。その……楽しかった」

「ありがとう、ぼくも楽しかったよ」


 隠密スキルを発動したんだろう、一瞬、アネットの気配が薄らいだような気がした。彼女をずっと見たままだから、スキルをかけられても見失うことはない。けれど、一度でも目を離したら、もうその姿が見えなくなりそうだった。

 ぼくは思わず、彼女に呼びかけた。


「アネット! えーと……お金はどうしようか。この魔石を売ったら、けっこうな大金になると思うんだ。どんな割合で分ける? ここまで来れたのは二人で力を合わせたおかげだから、半々でいいかな?」

「ボクはいらないよ。マザーアラネアは君一人で倒したようなものだし、そもそもボクは、君に命を助けてもらったんだ。取り分があったとしても、それで相殺するよ」

「そうか。わかったけど、気が変わったら、遠慮せずにそう言ってよ。また、会えるよね?」

「……うん」

「ぼくが泊まっていた宿は知ってる? しばらくは、ストレアの街にいることになると思う。その間は、同じ宿に泊まるつもりだから、ぼくに会うには、あそこを訪ねて来てくれればいいからね」


 アネットは黙ったままうなずいて、ぼくから離れていった。一歩遠ざかるごとに彼女の気配は薄れていき、やがて、肉眼ではほとんど彼女を認識することができなくなった。

 ぼくは彼女がいるはずの方向に手を振って、迷宮の出口へと向かった。


 地上のざわめきは、次第に大きくなった。出口にたどり着いた時には、ざわめきはどよめきとなり、やがてそれは、歓声へと変わっていった。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る