第82話 奴隷からの解放

「え?」


 ぼくの言葉に、リーネが首をかしげた。そんな仕草が、なんだかとてもかわいらしく思えてくる。


「私が買う、とはどういうことですか?」

「君も聞いていた通り、このあいだのベルトラン退治の報酬で、二百万ゴールドが手に入った。マルティーニ商会で君を買った時の値段は、百万ゴールドだ」


 これを聞いたリーネの表情が、わずかに固まった。


「君をあの商会で買った日に、ぼくはこう言ったよね。君を買うのに掛かったお金を、貸していると思ってくれればいい。君がその金額を稼いでくれたら、奴隷から解放してあげる、って。それから、報酬の半分は君にあげる、とも約束した。

 二百万ゴールドの半分は、百万ゴールド。それ以外にも、これまで貯めておいた報酬もあるから、冒険者活動のための経費を除いても、商会に払った額は十分に稼いでもらった。君は、君自身を買い戻せるんだ」


 ぼくが元いた世界では、奴隷という制度は、完全な悪とされていた。この世界で生きるに当たって、ぼくは奴隷制度を受け入れることにしたけれど、その際の条件として自分に課したのが、報酬の山分けと、購入額を稼いだら奴隷から解放するという約束だった。これは、ぼくの中では決まっていたことだ。

 それでも、今日までこのことを切り出せずにいたのは、やはり心のどこかで、リーネとのつながりがなくなる可能性を恐れていたのかもしれない。


「ですが、ユージ様……」

「奴隷術の解除は、奴隷術をかけたところでしかできないらしい。だから、解除をしたいのであれば、マルティーニ商会を訪ねないといけないんだ」


 ぼくはリーネを見つめた。


「ぼくとしては、君に約束したことは守りたい。ただ、無理にとは言わないよ。たとえば、他にお金を使いたいことでもあるのなら、そっちを優先するけど」

「……いえ。そのような予定はありません」

「じゃあ、どうする?」

「わかりました。それがご主人様の、お望みでしたら」


 リーネはそう言って、頭を下げた。

 ぼくはうなずいた。それとともに、少しだけがっかりしている自分もいた。

 リーネは以前、奴隷からの解放はしないでください、と言ってくれたことがある。もしかしたら、お金を手元に置いたままで、彼女は今のままの生活を選んでくれるかもしれない。心のどこかで、ぼくはそんなことを思っていたのかもしれない。もちろんこれは、単なるぼくのわがままなんだけど。

 それに、奴隷から解放すると言ったら、もうちょっと喜んでくれると思ったんだけどなあ。首に刻まれた奴隷紋も消えて、身も心も自由になるんだから。だけど、リーネの表情は硬いままで、喜びと言うよりは、悩みや苦しみに近いような表情を浮かべている。


 あ。もしかしたら、ぼくに捨てられると思ったのかな?

 そういえば、ぼくたちがパーティーを組んでから、依頼は一度も失敗していないし、大きなケガをするようなこともなかった(ぼくの相打ちを除く)。今回、二百万ゴールドなんて大金が入ったのはハプニングのようなものだけれど、それを除いても、安全でコンスタントに稼げていたんだ。

 それに、奴隷を虐待したり、理不尽な扱いをした覚えもないしね。職場や生活する環境としては、悪くない場所だと思う。

 だからぼくは、こう付け加えた。


「君が奴隷じゃなくなっても、ぼくと一緒に冒険者をしてくれる?」


 リーネはわずかに微笑んで答えた。


「はい、ご主人様」



 次の日、ぼくたちはリトリックに到着した。着いたのは夕方も遅くなってからだったので、その日はちょっとギルドに寄っただけで終わった。街を少し歩いただけで、至るところに「プリン」の看板が出ているのが目に入った。どうやら大高たちの商会は、順調に販売網を広げているらしい。

 宿は、以前この街にいた時に使っていた宿が空いていたので、そこを取ることにした。生まれて初めて、ダブルの部屋に泊まってしまったよ。

 大きなベッドっていいよね。特に、二人で寝るのなら。


 ◇


 翌日、ぼくたちはマルティーニ商会を訪れた。


「ようこそいらっしゃいました」


 通された部屋にいたのは、以前にここに来た時にも会った初老の男性だった。この商会の支配人、イクセルだ。


「先日はよいお取引をさせていただき、ありがとうございました。今日は、次のパーティーメンバーをお探しでしょうか?」


 イクセルが尋ねてきた。そういえば前回は、山賊討伐でもらった賞金を、すべて持って行かれたんだっけ。彼が出てきたということは、もしかしたら今回も、賞金の情報をつかんでいるのかな? さすがに考えすぎか。

 彼の問いかけに、ぼくはかぶりを振った。


「いや、そうじゃないんです。今日は、リーネにかかっている奴隷術の解除をお願いしに来ました」

「え? 奴隷術の解除、ですか?」


 イクセルが、驚いた顔でリーネのほうを見た。


「よろしいのですか? 一度術を解いてしまうと、あとで気が変わって元に戻して欲しいとおっしゃられても、かけ直すことはできませんよ」

「それはわかっています。ただ、奴隷だった時に教えたぼくの秘密は、他の人に洩らさないで欲しいんです。そういう制約を残すことは、できるんでしたね? 誓約の魔法とかいうやつで」

「はあ。それはもちろん、可能ですが……」


 イクセルは、しきりに首をかしげながら、


「念のためお伺いしますが、どうしてそのようなことをされるのです? この子を購入されてから、まだそれほど日がたっておりませんが」

「それは、リーネにかかった金額分の賞金を、リーネ自身が稼いでくれたからです。この間、山賊の親玉を倒したんですが、あれもリーネがいなければ、難しかったでしょう。その賞金を按分すると、百万ゴールドになったんですよ。自分を買える金額を稼いでくれたので、奴隷から解放してあげようかと」

「はあ、そうですか。普通、奴隷が稼いだお金は主人のものになる、とされているのですがねえ……」


 イクセルは、少しあきれたような顔で言った。

 そういえば、リーネをここで買った日から、まだ三ヶ月もたっていないのか。確かにちょっと、早いのかも。でもぼくだって、まさかこんなにすぐに解放することになるとは、思わなかったんだよな。

 ちょっと揺れてしまった自分の心に言い聞かせるように、ぼくは重ねて言った。


「でも、彼女に約束したことですので」

「……わかりました。それがお客様のご要望ならば、当方としては従うほかはありません。奴隷術の解除にはしばらくお時間をいただきますが、よろしいでしょうか? それから、誓約の魔法で誓約させるのは、ユージ様から明かされた秘密を守ること、それ以外にはございませんか?」


 ぼくはちょっと考えた。そういえば、ぼくが召喚された人間であることや蘇生スキルについては、まだ話していなかったな。今からでも話しておいて、誓約魔法で秘密を守らせる方がいいかな? まあ、やめとくか。今からそれをするのも、なんだかリーネを信用していないような感じになっちゃうし。

 ぼくがうなずくと、イクセルは「それでは失礼します」と言って、リーネを連れて部屋の外へ出ていった。


 そして応接室で待たされること、一時間ほど。イクセルとリーネが戻ってきた。


「リーネ……」


 戻ってきたリーネを見て、ぼくは思わず声に出してしまった。



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