第213話 輪廻と転生

 そのあと、きっちりと用を足してから美波たちの元に戻った松浦は、弾んだ声でさっきの出来事(トイレではなく、ぼくが生きていると言うこと)を報告した。


 美波や田原たちも、この日初めての笑顔を見せた。考えてみれば、ぼくは鑑定スキルで彼らが生きているとわかったけど、こいつらには、そんなスキルはないんだっけ。だから、今までぼくが生きてるかどうか、確信が持てなかったのか。

「それで、どうしてさっき、ぼくが生きてるってわかったんだ?」

「ギルドで教えてもらったんだけど、死者はものを食べたり出したりはしないんだとよ。なのにトイレにくっついてくるから、こいつもしかして、やってる最中に襲いかかってくるんじゃないか、なんて思っちまったぜ」

 松浦が答えた。

「けど、本当にアソコから小便を出すのを見たから、こいつ生きてたのか、ってわかったんだ」

 この情報は初耳だったので、ぼくは念話で確認した。

<フロル、今の話は本当?>

<そうですね、ほぼ正しい認識だと思います。

 死者を動かしているのは、この世界に充満する魔素そのものですから、食物や飲み物は必要ありません。そして、胃や腸などの器官や消化のプロセスなどが意識されることはほとんどありませんから、魂の痕跡にも残りません。ですから、排泄行為もできないことが多いでしょう。

 形状としての口はありますから、無理をすれば、食べたり飲んだりすることは、不可能ではありません。ですが、ふつうのは死者は本能的に、これを嫌がります。それをすると、生きている時とは全く違う感覚を覚えて、自分の存在に疑念を持ってしまうためです>

 確かに、幽霊が何か食べる、まではありそうな気がするけど、大や小をする、というのは想像がしにくい。トイレに出てくるやつも、そこで本当に用を足しているとは思えないもんな。

<同様に、死者は睡眠を欲することもありません。眠らずに、一日中行動を続けますから、この異界では、夜に襲われるリスクは現世よりも高いと思っていた方がいいでしょう>

<でも、食べない飲まない眠らないとなったら、死者は自分でおかしいと思わないのかな。そもそも、こんなところをずっとさまよっていることに、疑問は感じないの?>

<無意識的に、気づくのを回避するのです。『さっき食べた』『さっきトイレに行った』『自分は一人じゃない。さっきまで仲間と一緒にいて、一時的に離れて活動しているだけだ』などと、自分で自分を偽って。当の死者自身も、その嘘を信じ込んでしまいます。

 例外的には、自らの状況に気づくものもいるようですが、それはまれな例です。よほど高い知性を持っていないと、難しいでしょう>


 それにしてもだ。美波たちのぼくの扱いは、「生きているかどうかわからない」ではなく、ほとんど「死んでいる」だったような気もする。ぼくは一応、「こいつら、もしかしたら生きてるかも」とも思っていたけど、そんな素振りもなかった。すると松浦が、

「だけどびっくりしたぜ。だっておまえ、グラントンの迷宮で死んだはずなんだぞ。一ノ宮が、そう言ってたんだから」

 あ、そうか。美波たちはあの迷宮近くの街まで一緒に来ていたから、迷宮を出た勇者パーティーから、話を聞いていたんだな。

「何度倒しても復活するゴーレムがいて、そいつから逃げるためにおまえが囮役を買って出て、そのまま帰ってこなかった、って。その後、どうやって迷宮を脱出したんだ?」

 え、何それ。そんな話になってるの?

 まあ、あの経過を、事実そのままに報告できるわけはないんだけど、それにしてもそんな美談みたいな話にされてしまうのはなあ。当人にしてみると神経を逆なでされるというか、「そんなことするわけないだろ!」って気持ちになってしまう。

 と言うわけで、ぼくはあの時に起きた本当のこと──聖剣を得るために、一ノ宮がぼくを殺したってことを、四人に説明した。

「信じられない。一ノ宮君が、そんなことを……」

「一ノ宮だけでなく、上条や柏木さん、白河さんまで、それを隠していたって言うのか?」

 田原と浜中が、思わずといった様子で声を上げた。でも、これが真実なんだからしかたがない。ここで訂正しておかないと、ぼくが進んで囮になった、という話で定着してしまいそうだし。

 一応、溶鉱炉とかの刺激的なところは省略したんだけど、それでも四人とも、ぼくが思っていたより大きなショックを受けたみたいだった。今の話で、一度は明るくなった場の雰囲気が、また暗くなってしまった。

 しばらくの間、ぼくたちは言葉も交わさないまま、じっと立ちつくしていた。


 やがて美波が、ひとつ咳払いをして、

「じゃあ、私たちはそろそろ行くわ。本当はもっと話もしたいけど、ここはそれにふさわしい場所ではないし。それに、今日が依頼の最終日だから、早く外に出て、結果を報告しないといけないからね」

「あ、そうだね。ご苦労さま」

「ユージ君は、まだこの中にいるつもり?」

「うん。ちょっと、頼まれごとがあって」

「そう。あなたならだいじょうぶだと思うけど、気をつけて。じゃあ、またね」

 そう言って、四人は出口である「裂け目」の方向へ歩き出していった。けど、少し歩いたところで、美波だけこっちに引き返してきた。そして、こんなことを言いだした。

「ユージ君。もしもこの世界で知っている人に会ったら、気をつけたほうがいい」

「え?」

「ユージ君は生きていたけど、ここで会う人のほとんどは、死者だと思うから。実はさっき、私たちも会っていたのよ」

「会っていた、って、誰と」

「大高君たちと」

「大高?」

 思いがけない名前が出てきたので、ぼくはびっくりして問い返した。

「ええ。大高君と黒木君と新田君、元の三班の三人と、あとは知らない女の人が一人。向こうの方から私たちに近づいてきて、声をかけてきたの。

 最初は、もしかしたら生きている本人かもしれない、とも思った。三人ともごく普通の様子だったし、魔物に殺されてしまったと聞いてはいたけど、その情報の方が、なにかの間違いの可能性もあるわけでしょ。

 でも、すぐにそうではないとわかった。

 だってあの人たち、同じことばかり、繰り返し話すんだもの。『急いでイカルデアに行って、ケーキを作らなければ』、って」

 その時のことを思い出したのか、美波はわずかに身震いした。知らない女の人というのは、おそらくランドル商会のアーシアのことだろう。フロルは、死者の意識には、死の直前に胸に刻まれた思いが強く現れる、と言っていた。おそらく、大高たちの最後の思いっていうのが、ケーキを作ることだったんだろう。王都で売り出そうとしていた、ふわふわのパンケーキを。

「そのうちに、ちょっと気味が悪くなってきて、話を切り上げて、別れようとしたの。ところが、松浦君が水筒を出そうと、サイドバッグの中に手を入れたらね。それを見た女の人がいきなり、金切り声を上げたのよ。『マジックバッグだ!』って。

 これはマジックバッグなんかじゃなくて普通のバッグだ、と説明しても聞かなくて。それどころか、大高君や黒木君たちも、マジックバッグだ、それを返せ、ってわけのわからないことを言いだして……押し問答をしているうちに、女の人がウィンドカッターの魔法で、私たちに攻撃してきたの。

 その後は、大高君たち三人も、攻撃に加わってきて……」

 美波は辛そうな表情になって、眉をしかめた。

「何を話しても聞いてくれないから、やむを得ず、応戦することになったわ。私たちも、こんなところで殺されるわけには行かないからね。そして、戦いを途中で止めることもできなかった。向こうはスキルのレベルが低いみたいで、こちらの攻撃ばかりが通るんだけど、いくらダメージを与えても、攻撃をやめてくれなかったから。そのうちに、松浦君の剣を受けた大高君が、地面に倒れて動かなくなった。そして、煙のように消えてしまったの。

 結局、四人全員が煙になってしまうまで、戦いは終わらなかったわ」

 美波は、立ち止まってこっちを見ている松浦たちを振り返って、今行くから、と声をかけた。

「これもギルドで聞いたことなんだけど、現世で縁のあった人とは、こちらの世界でも引き合ってしまう傾向があるらしいわね。ただしその人は、外見はそっくりだったとしても、中身は生きていた時そのままとは限らない。だから、気をつけて。あなたがよく知っているつもりの人であっても、全く違う人になっているかもしれないから」


 美波たちの後ろ姿を見送りながら、ぼくは念話で尋ねた。

<ねえフロル。縁のあった人は異界でも引き合う、というのは本当なの>

<ある意味では、本当といっていいでしょう。本来であれば、両者には『引き合う』性質などはありません。ですが、死者は縁のあった者のいる方向に、『何か』があると感じることがあります。そして、意識を持つ存在の場合、何かがあると感じた方向に、彼らの意志で動こうとすることが多いのです。結果として、両者は『引き合って』しまうことになります>

<そうなんだ。すると、ぼくがまた、大高たちと会うこともあるのかな。死者って、倒されても魂は残ってるんだよね。だったら、同じ死者がもう一度現れる可能性もある、ってこと?>

<いいえ。以前も話したとおり、死者が倒された場合、魂の痕跡は大きく削り取られます。そして一度失われたそれは、ほとんどの場合、元に戻ることはありません。そうなると、もう魔素をまとうことができなくなりますから、同じ姿で現れることはないでしょう。その魂は、次の生へと向かうことになります>

 そうか……元の世界で言う「輪廻」、ってやつになるのかな。同級生と戦うなんて、美波たちも辛かっただろう。けど、そのおかげで、大高たちも成仏できて、新しい何かに生まれ変われるのかもしれない。

 あいつらの未練が消えてくれたかどうかまでは、わからないけど。


 ぼくは美波たちに背を向け、この異界の、さらに奥の方へ進んでいった。

 美波たちと別れてから、1時間ほどが経っていた。周りに見えるのは岩と土だけで、さっきまでの風景とまったく変わっていない。そんな中で、レーダー方式にしていた探知のスキルが、一つの異変を見つけた。二つの大きな反応が、ぼくが進んでいく方向から近づいてきたんだ。

 その反応は、まっすぐにこちらに向かってきた。ぼくが歩く向きをずらしても、それに合わせるように、向こうも進路を変えてしまう。しばらくして姿を現したのは、二人の大男だった。そのうちの背の高い方、がっしりした体に大きな剣をかついだ男が、高笑いしながら叫んだ。

「ようやく会えたな、小僧!」


 それは、ルードの迷宮でリーネと一緒に戦って、一度は倒した相手──山賊の親玉ベルトランと、副官セバスの姿だった。



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