第113話 操糸術の練習
ぼくはその思いついたことを、アネットに頼んでみることにした。
「ところでアネット、体調はどう? 魔物と戦うのは、まだ無理だよね」
「そうだね。……正直なところ、難しいかな。だいぶ良くなってはきたけど、なんとか動ける、というレベルだ。戦うとなると、厳しいかもしれない」
「そっか。じゃあ、まだしばらくは、この部屋にこもることになりそうだね。そこでお願いがあるんだけど」
ぼくは宙に浮いた糸を指さして、
「ぼくに、その操糸術というのを教えてくれない?」
「え?」
アネットは声を上げた後、少し警戒するような表情になった。
「こんなものを覚えて、何をするんだよ」
「いや、特に何も。ぼくは暗殺者じゃないから、何かに使う当てはないよ。けどさあ、暇なんだよ。こんな狭くて何もない部屋に、ずっと閉じ込められて。何か、することが欲しいんだ」
「それは、わからないではないけど……教えても、覚えられるとは限らないよ」
「かまわない。どっちにしろ、ただの暇つぶしだから」
アネットはちょっと考えていたけど、うんとうなずいて、
「わかった。君には、命を助けられた恩があるからね、それくらいのお返しはさせてもらおう」
「ありがとう。じゃあ、これを返しておくよ」
ぼくはバッグの中から、押収していた糸巻きを取りだした。それを受け取ったアネットは、ちょっと微妙な表情になった。
「これって、ボクが服の下につけていたものだよね」
「ええと、それはですね、必要悪というかなんというか、やむを得なかったことでして……」
「まあ、いいけどさ。じゃあ、さっそく始める?」
「ではユージ、これを持って」
「はい」
ぼくは言われるままに、渡された糸巻きを持った。アネットはというと、ベッドに横になったままだ。先生役だからといって、無駄に体力を使うこともないからね。
「ユージは魔法を使えるから、魔力を使う感覚はわかっているよね。操糸術の場合、魔力を魔法として解放するのではなく、手から『流す』感じにするんだ」
彼女の説明によると、操糸術というものは、「格闘術」の一種なのだそうだ。この格闘術というのは、スキルの「格闘」とは別もので、一種の魔法。それも、生活魔法に近い、生活魔法の亜種みたいなものらしい。
生活魔法だから、火魔法や水魔法と言った魔法スキルを持っていない人にも使える。というより、そうしたスキルがない人でも戦えるようにと、発展してきた技術だそうだ。
で、その格闘術の中に、「硬化」という術がある。これは、魔力で武器や防具、あるいは体の一部を固くして、攻撃力や防御力を高める術なんだけど、この固くする対象を糸にしたものが、操糸術だ。その際、固めた後の「形」を順次変えていくことで、あたかも糸が生きているかのように、動かすことができる。
ただ、この「順次変える」というところが、単なる硬化より難しいので、使い手は少ない術なんだとか。それに、格闘そのものには、あんまり関係がなさそうだしね。
「じゃ、やってみて」
「うん」
ぼくは、糸車の糸に、魔力を「流そう」としてみた。けど、うまくいかなかった。トイレ作りで土を動かした時には、わりと簡単にできたんだけどな。スキルとして持っている土魔法とは、習得のしやすさが違ってくるのかもしれない。
あ、そういえば、生活魔法のライトを付けたままだった。これは消して、糸の方に集中しようか。
突然、部屋が暗くなって、アネットはちょっと驚いた様子だった。けど、ぼくが糸を動かせないでいるのを見ると、彼女はちょっと微笑んで、上体を起こした。
「うまく行かないみたいね。じゃあ、まずはボクの魔力で、君の手の中の糸を動かしてみよう。魔力が伝わっていくのがわかると思うから、その感覚を覚えておいてね。いくよ」
そう言うと、アネットはぼくの右手に、彼女の左手を添えた。伝わってくる感触は、まだちょっと熱っぽい。男装しているくらいだから、男っぽい仕事や生活をしてきたんだろうと思っていたけど、ぼくに触れる彼女の手はとても柔らかく、女性らしい感じがした。
そんなことを考えていると、ぼくが持っていた糸の先が、ぴくり、と動いた。そして糸全体がゆっくりと持ち上がり、するすると宙に上っていく。だけど、アネットの言う魔力の流れというのは、よくわからなかった……彼女の手の感触の方が、気になってしまって。
「どう? 感じる?」
「えーと、よくわからないかも」
そう答えると、アネットはもう片方の手もぼくの手に重ねてきた。ぼくがどきっとしていると、彼女は
「ユージも、両手を出して」
「わ、わかった」
糸巻きの上に、ぼくたちは手と手を重ねた。心なしか、ぼくの手を握るアネットの両手には、さっきよりも力が入っているように思えた。糸巻きから伸びた糸は、ぼくとアネットの間の空間を、緩やかなカーブを描いて浮かんでいる。その糸の先端越しに、アネットの顔が見えた。
ぼくたちは、お互いにどこか緊張したような表情を浮かべて、無言で見つめ合っていた。その表情に引き寄せられるように、ぼくの顔が、アネットの顔に近づいていった。
あと五十センチ、あと三十センチ。お互いの息が重なり、もう少しで唇も触れそうな距離になった時、ぼくとアネットの間に、ぽっ、と白い光が灯ったように感じた。
「だめ~!」
突然、二人の間に何かが現れ、女の子の声が聞こえた。
「え? なに?」
アネットが驚いた顔でぼくの手を離し、ベッドの上で上体をそらした。ぼくたちの前に現れたのは、小さな女の子の姿になったフロルだった。フロルは頬をふくらませ、両手を腰に当てて、宙に浮いた糸を蹴飛ばすような仕草をしている。
「また、女の子にデレデレしちゃって! 本当に危なっかしいんだから。もう、ユージったら、いうこと聞かなくて困るの!」
「え? 妖精?」
「妖精じゃないの、精霊なのよ! まったく、失礼しちゃうのね!」
フロルはこう言って、アネットの前で胸を張った。
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