第114話 小部屋からの脱出

 それから、さらに三日が経った。


 アネットの体調は順調に回復し、普通に動き回ることが出来るようになっていた。試しにナイフを渡して、小部屋の中で練習試合をしてみたけれど、動きは素早いし、気迫もすさまじいものがあった。一瞬、本当に殺されるかと思ったほどだ。当たり前だけど、練習用の木刀なんて持ち込んでいないからね。まあ、病み上がりを相手に、負けはしなかったけど。

 それでも、それなりに戦えることはわかった。これなら、この部屋から出ても、たぶんだいじょうぶだろう。


 ちなみに、操糸術のほうはというと、今のところ全然ダメ。アネットから借りたままの糸巻きをにらみつけるんだけど、ぴくりとも動きません。生活魔法の亜種と言うことは、特にスキルはいらないはずなんだけど、どうしてもうまく行かなかい。

 アネットには、気の毒そうな顔で、


「普通なら、少し動かすくらいはできるものなんだけど……ユージには、向いていないのかもしれないね」


と言われてしまった。でも、諦めませんよ。精霊術の時だって、最初はまったく才能がない、といわれてたじゃないか。諦めずに続けていけば、道は開けるはずだ。行けばわかるさ。


 精霊術と言えば、フロルのことは完全にばれてしまった。フロルがアネットとぼくの間に現れた時、フロルは実体化していたので、その姿も声も、アネットに届いている。しかたがないので、彼女はぼくと契約している精霊で、いつも助けてもらっている、とだけ説明した。

 突っ込まれるかと思ったけど、意外に「あ、そうなの」だけで終わったのは助かった。

 考えてみれば、特にこの小部屋にこもってからというものは、けっこう非常識なことばかりしてるもんな……ということで、ついでにその非常識なことは全部、フロルのせいという感じに匂わしておいた。アネットが本当に納得してるのかどうかは、わからないけど。


 そしてとうとう、小部屋からお別れする日がやってきた。


 ◇


「それじゃあ、始めるよ」

「うん」


 ぼくの確認の声に、アネットはうなずきを返した。ぼくたちが立っているのは、小部屋の入り口だった場所。ここに籠もる際に、サンドウォールの魔法で作った土壁の前だ。その壁に手を当てて、魔力を流すと、壁の土は音もなく崩れて、流れるように脇にどいていく。少し前に、トイレを作った時と同じような感覚だ。

 あ、そういえばあのトイレ、そのまま置いてきてしまったな……ま、いいか。次にこの迷宮に迷い込んだ人のために、残しておくことにしよう。


 壁にできたへこみが、人が通れるくらいの大きさになったところで、今度はそのへこみを深く、つまり出口の方向に向かって、掘り進めた。うん、糸の時と違って、「魔力の流れ」というのがよくわかる。これがスキルの力なんだな。

 壁の穴掘りは順調に進んで、あと数センチくらいで通路に出られるところまで掘り進めることができた。ここでいったん、作業を中断して、探知のスキルで外の様子を探った。


「……やっぱり、状況は変わらないな。出口の近くに固まってるよ」

「そうだね。少しおかしい。こんなこと、聞いたことがない」


 同じように探知をしていたアネットも、こう言ってうなずく。

 実は、この小部屋の出口のところ、薄くなった土壁の向こうには、十匹のアラネアがたむろしているんだ。小部屋以外では、数匹以上の魔物を同時に見かけることはまずなかったから、これは異常事態だった。フロルにも聞いてみたけど、


「わからないの。でも、なんだかおかしいの。ちょっと前から、かなりおかしいの」


と言うだけだ。具体的に何が原因でおかしくなっているのかは、まったくわからなかった。


「大きな反応はないから、戦って倒せない数ではないけど……アネットはどう思う?」

「時間がたてば数が減る、というわけでもなさそうだね。それなら、待っていても意味がない。早めに仕掛けた方がいいと思う」

「了解。じゃあ、三つ数えたら行くよ。三、二、一……それ!」


 ぼくは薄くなった土壁に体当たりして、壁をぶち破った。前転しながら通路に飛び出て、すぐさま、やや大きめの反応がいた方向に石を投擲する。「やや大きめの反応」はビッグアラネアだったけど、腹部に石が直撃して、うつ伏せのまま動かなくなった。

 ぼくの後ろからはアネットが続いて、同じく投擲でアラネアに攻撃を加える。その後、二手に分かれてビッグアラネアとスモールアラネアの群れに突っ込んでいった。この程度の相手なら苦戦するほどではなく、ほどなくして、十匹の魔物を倒すことができた。やっぱり、通路に出てくる魔物は、こんなものだよな。

 ぼくはアネットとうなずき合うと、魔物の死体は放っておいて、すぐに移動を開始した。倒すことは倒せたけど、異常事態であることには変わりがない。ちょっと不気味な感じもしたので、その場を離れることを優先したんだ。


 ぼくたちは、一週間ほど前に引き返してきた道を、改めて進んでいった。今度は、フロルが置いてくれた石があるので、進むべき方向がわかる。この前進んだ道は、地表へと続く正しいルートだったようだ。

 隠密スキルはオンにしてあるけど、駆け足なので、これだと当然、物音が立ってしまう。隠密の効果は弱まってしまうんだけど、これもやむを得ない。早めに脱出した方が、良さそうだからね。

 まだ体力の戻りきっていないアネットに合わせるために、ぼくは彼女を先頭に立てて走った。それでも、警戒しながら進んでいた前回と比べれば、倍の速度はでていたと思う。

 その間も、魔物とはたびたび遭遇していた。すべてビッグアラネアかスモールアラネアで、数はそれほど増えていないけど、なんだか動きがあわただしい。なんというか、凶暴性を増しているような気がする。ときおり戦闘になってしまうんだけど、その戦い方も、なんだか荒っぽいというか、獰猛どうもうになっているような気がする。


 途中、小休止して水分を補給している時、ぼくはアネットに尋ねた。


「さっきのアラネアなんだけど、どう思う? あの、小部屋の外にいた十匹のことなんだけど」

「迷宮の中に変なところに集まっていたんだろうね。あの場合は、小部屋が突然消えてしまったんだから、警戒してそこを見張っていたんだろ? さっきも、そう話したじゃないか」


 アネットは答えた。アラネアからすれば、小部屋が急になくなったように見えるんだろうから、向こうが警戒するのはおかしな話ではない。それはいいんだけど、


「あれって、一つの群れだけから出てきたやつらなのかな」

「え?」

「一つの群れから出たにしては、十匹って数が多いような気がするんだよ。

 小部屋にいるのはだいたい二十匹くらい、そこから部屋の主と子供をのぞけば、十匹ちょいってところだろう。そのほとんどの数を、エサが取れるわけでもない、あんなところに置いておくかな」

「それはそうかもしれないけど……だとしたら、どうだというんだい」

「一つの群れでないのなら、あの十匹には、二つ以上の群れが混じっていたことになる。普通なら、違う群れのアラネアが出会ったら、すぐに縄張り争いが始まるはずだろ。それが、戦いもせずに、あんなところでじっとしていたんだ。

 さっきのあれって、ぼくたちが思った以上に、おかしなことだったのかもしれないね」

「……」


 アネットにも、うまい答は見つからないようだった。結局、謎は謎として残したまま、ぼくたちは先に進むことにした。



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