第198話 返してもらいます

「あなたなら、できるはずです」

と、メイベルは簡単に言ったけど、これがけっこう大変な作業だった。地上の柵を切るのなら一刀両断、もできたかもしれないけど、ここは水の中。しかも、見張りがいるというんだから、目立たないよう、柱が水に沈んでいるところを切らなければならない。水中に潜って聖剣を柱に当て、のこぎりのように押したり引いたりして、少しずつ切っていった。

 何回も息継ぎしたし、そこそこ変な音や光(力を入れるたびに光るんだな、聖剣ってやつは)も出たはずだけれど、警備に悟られることはなかった。作業中ずっとぼくに触れていたメイベルの、隠密スキルのおかげだろう。柱二本、合計4カ所を切ったら、くぐり抜けるのに十分な空間ができた。ぼくとメイベルはその間をすり抜けて、先の水路へと進んでいった。


 その後は再び、真っ暗なトンネルだった。メイベルは、さっき柵があったところが城壁だ、と言っていた。ということは、ここはもうイカルデアの外なんだ。ってことは、脱出成功? やったね。いきなり城の中に召喚された時はどうなることかと思ったけど、なんとか逃げ出せたみたいだな。

 あ。そういえば、フロルはどうしてるんだろう。あいつ、ぼくたちが城の中にいる間、一度も顔を出さなかったよね。「パス」とかいうもので、ぼくの居場所はわかっていたはずなのに。確かに、城のあたりは気持ち悪いと言って近づくのを嫌がっていたけど、ちょっと薄情じゃない? ぼくはあいつの契約者で、いつも魔力をあげていたのに。帰ってきたら文句を言ってやろう。たぶんだけど、城の外に出れば、すぐにでも出てくるだろう。


 などと考えながら泳いでいるうちに、水深がだんだんと浅くなって、もう足が着くくらいになってきた。それと共に、水路は再びトンネルを抜けて、さっきと似たような踊り場の空間に出た。城壁のところにあったそれよりも、ちょっと小さめの。ただ、トンネルの先が金属製の柵で覆われているのは同じだった。

「この水路は、ここで終わりです。この先は、地下にあった川が地上に出ます。その末端に、小さな砦のような建物を作って、警備をしているんです」

「また、あの柵を切りますか?」

「いえ、ここは水深が浅くなっていますから、柵を壊したらすぐに露見してしまいます。念のため、建物の中を通って脱出することにしましょう。ここは王城ではありませんので、警備はそれほど手厚くありません」

 ぼくとメイベルは水から出て、踊り場に上がった。もちろん、隠密スキルはオンのままだ。踊り場から続く階段の先には、片開きのドアが見える。ぼくは改めて、探知スキルを使ってみた。メイベルの言うとおり、あたりにいるのは、たった三人だけ。それも、反応の大きさから見ておそらくは騎士ではなく、一般の兵士クラスだろう。これなら何かあったとしても、楽勝で突破できそうだ。


 と、メイベルが急にその場に立ち止まった。

 どうしたのかなと思っていると、例の競泳水着もどきを、脱ぎだしてしまった。え、ここで着替えをするの? そりゃあ、外でするより中で着替える方が、寒くないかもしれないけどさ。でもここはまだ、敵陣の中だよ? まあ、メイベルの隠密なら、見つかることはないんだろうけど……さすがはスパイ、思考が合理的だ。

 そんなことを考えているうちに、メイベルはさらに、胸に巻いたさらしまで外し始めた。いやいやいや。確かにさらしも濡れてしまったかもしれないけど、今ここでやりますかね。敵には気づかれないとしても、目の前にぼくがいるんですけど。っていうか、さっき着替えた時は良く見てなかったけど、水着の下はサラシだったのね。サラシを巻いてなお、あのボリュームなのか……。

 ぼくはあわてて回れ右をし、階段を向いた。ぼくもここで着替えればいいって? いや、さすがに、こんな狭い踊り場に男女が並んで真っ裸になるのは気が引ける。見えてはいないとは言え、衆人環視の状況で。だけど、そうして立っていても、ぼくのすぐ後ろから、衣擦れの音が聞こえてしまう。

 ぼくはなんとなく居心地が悪くなって、彼女から距離をとろうと、階段を登り始めた。そしてその先にあるドアまでたどり着き、そこでメイベルを待とうと思って立ち止まった時。


 突然、ぼくの周りの地面が赤く光り出した。


 その光は、丸い紋様のようなものを描きながら、輝きを増していく。あ、これ、どこかで見た覚えがあるぞ。これってたぶん、魔法陣の。ぼくはなんとか紋様の外に出ようとしたけど、体が上手く動かなかった。ぼくの体は赤い光に包まれ、そして──。


 ぼくはそのまま、意識を失った。


 ◇


 光が収まったところで、メイベルは着替えをやめて、階段の上を見た。ドアの前では、ユージが少し猫背の格好で、立ち尽くしていた。生気のない表情で、その目は焦点が合っていない。魔法陣の中に入らないよう気をつけながら、メイベルはユージの近くに寄った。そして、彼に声をかけた。

「こちらへ来なさい」

 ユージはぼんやりとした顔つきのまま、メイベルの前まで近づいてきた。

「これが催眠の術式ですか。恐ろしいものですね」

 メイベルは独りごちた。これにかかると、なすすべなく捕縛され、どのような命令にも従うようになるという催眠の術式。命じられれば、どんな秘密でも洗いざらい話してしまうというだから、スパイにとっては恐ろしい罠だろう。もっとも、それが設置された位置がわかってしまえば、避けるのは簡単だ。そして彼女は罠探知という、術式の存在を感知できるスキルを持っていた。

 もちろん、この術式の位置も、メイベルには予めわかっていた・・・・・・

「ここは王都へ直接につながる水路の、最終地点です。であれば、それなりの警備態勢が敷かれているはずでしょう。にもかからず、警備の人数が少ないということは、人員以外の設備、例えば罠などが設置されている、と考えるべきでしたね」

 そして、少し考えたあと、

「命令に従うのはともかく、どんな質問にも答える、というのは少々困りますね。

 ユージ。あなたは、さきほど魔法障壁を作る魔道具を破壊したこと、そして私と協力して城を脱出したことを、忘れなさい。いいですね?」

 こう命じたが、ユージはなんの反応も返さない。メイベルは重ねて命じた。

「ユージ、答えなさい。あなたは、どうやって城に入ったのですか?」

「……パメラ王女に、召喚されました」

「あなたは、城からどうやって脱出したのですか?」

「……覚えていません」

「その際、誰かと協力しましたか?」

「……覚えていません」

「よろしい」

 メイベルはうなずいた。これで完全に証拠を隠滅できたとは思わないが、ある程度の時間稼ぎにはなるだろう。要は、一日程度の時間、障壁がなくなったことに気づかれなければいいのだ。


 魔法陣が設置されている場所をよけながら、メイベルはドアの前まで進んだ。この魔法陣には、起動したことを通報する仕組みも入っているはずだ。すぐに、兵士が駆けつけてくるだろうから、その前にここを去ったほうがいい。だがメイベルは、ドアを開こうとする手を止めて、もう一度ユージに振り向いた。

「ユージ。マジックバッグを出しなさい」

 のろのろとした動作で、ユージは革鎧の下から小さなバッグを取り出した。メイベルはそのバッグを受け取り、自分のバッグの中に入れると、小さくつぶやいた。


「これは、返してもらいますよ」


 そして、ドアの外に姿を消した。


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