第197話 漆黒の競泳水着
トンネルを抜けて、ぼくたちはとうとう、土壁の向こうに立った。見た感じ、周りの景色はさっきまでと変わらない。地下道の続きだから、当たり前といえば当たり前なんだけど、でもここはもう王城の外なんだ。どこかにある出口から地上に上がれば、雑然とした王都の中に出る。そうなれば、ぼくを探し出すのは難しだろう。
ぼくはバッグに手を突っ込んで、以前にメイベルからもらった地下の地図を探した。あの地図に、ここから脱出してください、という×印が書かれていたはずだ。だけど、地図を取り出して広げようとしたところで、後からトンネルから出てきたメイベルに、その地図をひったくられてしまった。
「あ、なにするんです」
「申し訳ありませんが、この地図は回収させていただきます。我々にとっての、機密情報でもありますので」
「でも、それではどこから上に出ればいいのか、わかりませんよ」
「心配いりません。私自身で、ご案内しますから」
そう言って、さっさと先を歩きだした。そうだった、メイベルも城から逃げるんだっけ。ぼくはおとなしく、彼女の後をついていくことにした。
トンネルの埋め戻しをした後で、ぼくたちは出発した。変わり映えのしない地下道の中を、何もしゃべらずに歩く。念のため、探知スキルも使ってみたけど、なんの反応もなかった。どうやら、追っ手はかかっていないようだ。それにしても、地図についていた×印って、こんなに遠かったっけ? 薄暗くて先の見えない道が続いたせいか、ずいぶんと長い距離を進んだような気がする。だけどメイベルは、迷いのない足取りで進んでいくから、ぼくも彼女の後についていくしかなかった。
そうしてしばらく歩いたところで、ようやくメイベルが立ち止まった。
「ここです。着きました」
メイベルが言った。その言葉どおり、彼女のすぐ前には、一本の縄ばしごが天井から降りていた。メイベルは縄をつかんで一、二度引っ張り、手応えを確かめた後、それをぼくに差し出した。
「どうぞ。これを登っていけば、脱出口があります」
「え、ぼくが先ですか?」
「登った先には、特に何もありません。地面に空いた穴に、板がかぶせてあるだけです。ただし、板をどける時には、念のためあまり音を出さないよう注意してください」
ぼくは縄を受け取って、それを登り始めた。縄ばしごを登るのってこれで二回目なんだけど、まだ慣れないな。一つ段を上がるごとに、体が大きく揺れてしまう。けどまあ、これが最後の障害だと言うなら、楽なものだ。地下道の天井を抜け、地面に掘られた縦穴に入って、一歩一歩登っていく。そしてとうとう、ぼくは地下から、地上に出ることができた。
穴は掘っ立て小屋のような粗末な家の、隅の方にあった。狭い家の中には、朽ちかけた木の板が積まれているだけで、他には何もない。窓の木戸は閉められていたけど、窓やドアの破れ目からのぞいている外の景色は、既に真っ暗だった。地下では時間がよくわからなかったけど、もう夜になっているみたいだ。
穴から出たところで、思わず深呼吸する。なんだか、ちょっとくさいような気がした。そう言えば、出口はスラム街の中にある、ってメイベルが言ってたな。その匂いなのか。いい匂いではないけど、これも城から逃げられた証なんだろう。
ぼくに続いて、メイベルも穴から出てきた。周囲に人の気配がないことを確認してから、二人して服を着替える。夜とは言え、忍び装束のままでは、さすがに怪しすぎるからね。ぼくは元の若手冒険者の装備に戻り、メイベルもぼくに似た、いかにも女性冒険者っぽい格好になった。なお、今回もラッキースケベ的な展開は無し。ぼくは紳士なので、「ライト」の魔法は消していたんだ。
またちょっとだけライトをつけ、自分の服装を確認したところで、ぼくはメイベルに言った。
「これで契約終了、ですね。メイベルさん、ありがとうございました。ゴーレムを相手にするとは思わなかったけど、あなたがいてくれて助かりました」
ところが、メイベルは首を振って、
「いえ、まだです。今から、イカルデアの外へ通じる道にご案内します」
「え?」
「お忘れかもしれませんが、現在の王都は厳戒態勢です。あなたが逃げている、そして王国があなたを探している状況は、変わらないんですから。王城の周りだけではなく、王都の出入りも厳重に警戒されているでしょうし、魔法障壁がなくなったことが知られれば、おそらくはさらに警備を強めると思います。
この際、魔法障壁の異常に気づかれないうちに、都の外に出た方がいいでしょう。もちろん、私も一緒に脱出します」
言われてみれば、そうかもしれない。それに、ぼくの予想が正しければ、近いうちにこの街は、戦火に巻き込まれる。できるだけ早いうちに、逃げ出した方がいいだろう。ぼくは改めて、彼女に頭を下げた。
「じゃあ、すみませんがお願いします」
家の外に出ると、そこは思ったとおり、スラム街の外れだった。人気のない、真っ暗な通りを、ぼくたちは急ぎ足で歩く。うーん、なんとなくだけど、見覚えのある場所のような気がするな。そのうちにスラムを抜けたんだけど、たぶんここって、あそこだよね?
目的の場所に着いたのか、メイベルは立ち止まって、辺りをうかがった。そして地面にかがみ込むと、大きな金属製のフタを横にずらした。
「この中に入ってください」
そこにはマンホールのような大きな穴が開いていて、その中には下へと降りる急な階段があった。
◇
メイベルに連れられて降りた先は、やっぱり、レオがいた場所だった。彼が妹が溺れたと言って泣いていた、地下水路だ。その、流れる水のヘリに立ったところで、メイベルは急にまた服を脱ぎ始めた。
「面倒をお掛けしますが、今度は泳ぎやすい服装に着替えてください」
「この川を使って逃げるんですか?」
階段を降りる際につけていた「ライト」をあわてて消しながら、ぼくは尋ねた。
「はい。この川は、イカルデアの街の中を通って流れていますから」
そうか、この王都にはもともと一本の川が流れていて、下水道を作る時にそれを地下に埋めたんだっけ。これがその川なら、ここを泳いでいけば、街の外に出られるはずだ。
泳ぎやすい服装、といっても水着なんて持ってないから、ぼくは革鎧と剣、上着、靴をマジックバッグにしまっただけの、下着姿だ。メイベルはと言うと、なんと水着。それも、漆黒の競泳水着的な姿になっていた。手足の先まで黒い布で覆われているから、これも水着ではなくて忍び装束の一種なんだろうけど、あまりに現代的な見た目だったので、ちょっと意表を突かれてしまった。
着替えた後、二人して川に入った。もう5月も末なので、ちょっと水は冷たいけど、我慢できないほどではない。ただ、当然ながらあたりは暗闇なので、真っ黒い水の中を泳ぐのが、ちょっと気持ち悪かった。水自体は、それほど変な匂いがするわけではないけど、都会の川だから、それほどきれいでもないんだろう。飲んだりしないよう、気をつけないと。
まあ、贅沢は言っていられないよね。
念のため、隠密のスキルもオンにしながら、メイベルとぼくは静かに川を下っていった。一応、探知もしてみたけれど、周囲に大きな反応はまったくない。おそらくは魚かなにかだろう、小さめから中くらいの反応が、ちょこちょこ動いているだけだった。時々、ぼくの体にぶつかると、驚いたように逃げていく。どうやら、隠密スキルは水中の動物にも有効らしい。
そうして、二十分も泳いだろうか。地底のトンネルは、唐突に終わりを迎えた。トンネルを抜けた先は、かなり広い空間になっていて、左側には、ぼくたちが川に入った場所よりも大きな階段と、踊り場が作られていた。踊り場のすぐ先で、水は再び別のトンネルに入っていくけど、その入り口は太い金属製の柵で覆われていた。
「なんか、行く手をふさがれてるんですけど」
「静かに。ここには見張りもいるはずです」
ぼくの質問に、メイベルはこう注意してから、
「ここは、王都を守る城壁の真下です。城壁には魔法障壁が張り巡らされていましたが、この水路はもともと、物理障壁の対象外になっていました。そうでないと、水が流れなくなってしまいますからね。そのため、こうして物理的な障害物が置かれているんです」
「なるほど。で、どうします?」
「これに使われているのは非常に硬度の高い金属なのですが、あなたなら切断することができるはずです。そう、あなたの聖剣ならね」
と、まるで何かのCMみたいなセリフを口にした。
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ここで、ちょっとだけ予告です。
次回あたりから、4章後書きで書いた「やっぱり賛否両論」の部分に入ります。この手の話(ここではあまり詳しくは書けませんが)が苦手な方は、お気をつけください。
それから、できましたら今回も、温かい目で見てやっていただければと思います。
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