第89話 新たな旅へ
すさまじい痛みが走った。両手で胸を押さえようとしたけど、全身の力が抜けてしまって、ぼくは前のめりに地面に倒れ込んだ。胸に刺さっていた剣は、いつのまにか抜かれていた。
「すみません、ユージ君、すみません……」
うわごとのように繰り返しながら、大高はぼくの革鎧を外し、血まみれになった上着をめくった。そこは、いつもマジックバッグを提げている場所だった。大高はバッグをわしづかみにして叫んだ。
「ありました! これさえあれば、ふわふわパンケーキも……」
ぼくはもうろうとなっていく意識の中で、ああそういうことか、と合点した。
大高は以前、こんなことを漏らしていた。
「ふわふわパンケーキは、作ったらすぐに食べないと、しぼんでしまう。配達には向かないので、今は作っていない」
そして、こうも言っていた。
「ただ、あのパンケーキは惜しい。あのメニューを、どうにかして貴族の方々に届けることができれば、さらなる衝撃を与えられるのに……」
マジックバッグに入れた食事は、いつまでも温かいままで、鮮度も保存されている。おそらく、バッグの中は時間が止まっているんだ。だとすれば、作ってすぐのパンケーキをバッグに入れてしまえば、ふわふわな状態のまま、配達先に届けることができるはずだ。
大高の「秘策」とは、このことだったんだろう。
確かに、マジックバッグを使ったパンケーキなら、レシピがもれたところで他が真似することはできない。それにこの使い方なら、輸送業に使うのとは違って、バッグの存在を隠すことも可能だろう。なるほどね。一生懸命に、考えた策なんだろうな。
……でも、バカだけど。
「遺体は、このままここに放置しておきましょう。ユージ君は、山賊に恨みを買っているらしいですからな。そうしておけば、おそらくは山賊の仕業とでも思われるでしょう」
ぼくの意識は、さらにもうろうとしてきた。大高が、黒木たちにこんなことを言うのが聞こえてきた。
「君たちも共犯になる、との約束でしたな。私だけに、同級生殺しの罪を着せたりはしないと。早く、約束を果たしてもらえますか?」
この言葉を聞いたところで、ぼくの意識は途切れた。
◇
再び目を覚ました時、あたりは壮絶な状況だった。
十匹以上のゴブリンが、首を切られ胸を突かれて倒れている。その周りにはそこかしこに血痕が散らばり、彼らが持っていた粗末な剣やこん棒が転がっていた。それは、ぼくが意識を失う前と変わらない光景だった。そしてもうひとつ、変わっていないことがあった。
ランドル商会の荷馬車が、さっきまでと同じ位置に停まっていた。
ぼくは立ち上がって、辺りを見まわした。ゴブリンの死体から少し離れたところに、革鎧姿の三つの死体が並んでいた。
顔を確かめるまでもない。大高と、黒木と、新田だった。
生きているかどうかを確認する必要もなかった。三つの死体とも、腹や足を食いちぎられていたからだ。そしてその向こう、道と森との境あたりに、大きな魔物が倒れていた。ヒグマそっくりの赤毛の魔物。レッドベアだった。
「バカだなあ」
ぼくは思わず、独り言をつぶやいた。
ぼくが刺されたあのとき、大高たちに背を向けていたのは、探知のスキルに反応があったからだった。しかも、大きめの反応が、三個も。あれがたぶん、レッドベアだったんだ。
レッドベアといえば、大高たちがまだ冒険者をしていたころに戦って、かなわなかった魔物だ。あの時だって相手にならなかったのに、冒険者を引退した今、しかも三頭の群れに襲われたら、かなうはずがない。まあ、それでもがんばった方かな。一頭だけだけど、倒しているみたいだからね。
戦うのではなく、馬車を捨てて逃げ出せば、命だけは助かったかもしれない。けれども、そうはしなかったんだろう。大高たちにとって、馬車とそこに積んであるスイーツの材料を捨てるということは、自分の夢を捨ててしまうようなものだったに違いないから。
こいつらの死を悼む気には、あまりなれなかった。なにしろ、ぼくはこの三人に殺されたんだから。ただ、大高がうるさいくらいに口にしていた、「スイーツのオオタカ商会」が完全に終わってしまったこと。その事実の方が、ぼくにはなぜか、さびしく感じられた。
気がつくと、三人のうち大高だけが、他の二人とは少し離れて倒れていた。馬車に近い位置だ。そのすぐ先にはアーシアが、御者席から転がり落ちたような格好で倒れていた。大高たち同様、彼女も既に事切れている。攻撃魔法で大高たちを助けようとして、返り討ちにあったんだろうか。
ぼくは首を振って、彼女の死体から目をそらした。そして、大高の死体の脇にマジックバッグが落ちているのを見つけて、これを回収した。
バッグを体にかけようとして、いまさらながらに気がついた。上着が引きちぎられたように裂けていて、切れ端がぶらんと垂れ下がっている。服と、それから地面に転がっている革鎧は、もうダメだな。また、鎧と服を買い替えないと。服の予備はあるけど、鎧はないんだよなあ。今度買う時は、鎧の予備も買い足しておかないと。
こんな「もしも」に備えるなんて、それ自体がなんだか嫌なんだけど。
ぼくは馬車の後ろに回って、ドアを開けた。中には、小麦粉、卵、牛乳、クリームといった、スイーツの材料が並んでいる。放っておいても腐るだけだし、もらっておくか。これも損害賠償みたいなものだろう。ぼくはマジックバッグを使って、材料の入った箱や容器を次々に収納した。瞬く間に、荷馬車の中は空になった。
さて、そろそろ行こうか。ここにいたらまた、魔物が来るかもしれない。
大高たちはどうしよう。ギルドに報告したら、どうしておまえだけが生き残ったんだなんて、また面倒なことを言われそうだ。あ、報告なんていらないのか。今回、ギルドを通した依頼には、していなかったんだっけ。それなら、このまま放っておこうかな。馬と馬車はどうしよう? べつに欲しくもないし、持ち帰って変な疑いをかけられるのもなあ。これも、このままにしておくか。
ここは大きめの街道だし、そのうちに旅人が通って、見つけてくれるだろう。
ここを立ち去る前に、ぼくは自分に「鑑定」スキルをかけてみた。
【種族】ヒト(マレビト)
【ジョブ】剣士(蘇生術師)
【体力】18/18 (98/98)
【魔力】6/6 (22/22)
【スキル】剣 土魔法 連斬 (蘇生 隠密 偽装 鑑定 探知 縮地 毒耐性 魔法耐性 打撃耐性 小剣 投擲 強斬 火魔法 雷魔法)
【スタミナ】 18(69)
【筋力】 17(96)
【精神力】12(33)
【敏捷性】5(8)
【直感】2(6)
【器用さ】2(7)
あれ、今度はぜんぜん伸びてないや。
体力や魔力はまったく変化なしで、土魔法と、連斬というスキルが増えただけか。連斬って、練習試合で一ノ宮が使っていたスキルだっけ? 土魔法も大高がよく使っていたし、ある程度、慣れ親しんだものが出てくるのかな。そういえば、雷魔法を覚えた時も、ビクトルが使っているのを見たんだった。見たこともないスキルが出てくるよりは、こうなるほうが自然なのかも。
でも、ステータスの数値がぜんぜん変わっていないのは、どうしてだろう。前回、生き返ってからあんまり時間がたっていないから、それが関係しているのかな? どうも、ステータスの伸びかたには、よくわからないところがある。
ま、いいや。わからないことは、ここで考えてもわからないだろう。
これから、どうしようかな。王都へ行くのは嫌だ。でも、リトリックに戻って生活するのも、ちょっと気が進まなかった。
そうだ。今度はもっと、北東の方へ行ってみるのはどうだろう。北東の、エルネスト連邦に近い街へ。リーネを追いかけるわけじゃないよ。でも、少しでも近い場所にいれば、彼女の噂が入ってくるかもしれないし、もしかしたら、彼女の妹たちの手がかりも見つけられるかもしれない。うん、そうしよう。
魔物や大高たちの死体を後ろに残して、ぼくはさっきまで歩いて来た道を引き返していった。
◇
ユージが復活したこの時、またもやあの言葉が響いていた。当の本人にだけ聞くことができる、仮構の世界にのみ響くアナウンス。そんな出来事が、再びユージに訪れたのだ。今回もまた、彼を含めた誰一人として、それを実際に耳にすることはなかったのだが。
それは、こんな言葉だった。
『スキルのレベルが上がりました』
────────────────
これにて、第2章が終了となります。山賊を討伐し、商人を助けてスイーツを流行らせ、美人の奴隷を買って、敵討ちに来た山賊を返り討ちにするという活躍を見せていたユージでしたが、1章の後書きに書いたとおり、一直線に大活躍とは、なかなか行かなかったようです。でもだいじょうぶ。彼はちゃんと立ち直って、これからも冒険を続けてくれるはずです。
次回からは第3章となり、主人公が本格的に迷宮の攻略を始めます。といっても、自分から進んで迷宮に挑むと言うよりも、巻き込まれ型ですが……。
この先も、ユージの冒険を見守っていただけたら幸いです。
それから、もしもこの話が気に入っていただけましたら、レビューやフォローをいただけたらうれしいです。作者にとっては、はげみになりますので、よろしくお願いします。
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