第159話 勇者の病
聖剣を手に入れた一ノ宮たちは、迷宮を出た翌々日、ヘレスからノーバーの街へ向かった。
通常であれば、勇者一行には警護役の騎士や兵士が同行するところである。しかし今回、王国の人間と会うのを避けていたユージに配慮して、一ノ宮たちは彼らの同行を断っていた。そもそも、このパーティーには勇者や聖女、七属性魔導師という戦力がそろっているのだ。警護など、ただの飾りに過ぎない。
王国側にも、戦争中で余計な兵力を回す余裕がない、という事情があったのだろう。一ノ宮たちの申し出はあっさりと受諾され、そのために聖剣を手にしての凱旋の道程は、元同級生四人だけの旅になっていた。王国で受けた訓練の中には、乗馬や馬車の扱いも含まれていたため、彼らは自分たちで馬車を操り、ノーバーを目指した。
しかし、ノーバーへの旅は、遅延に遅延を重ねていた。
その理由は、勇者たちの体調不良だった。グラントンの迷宮を出て以来続いている、原因不明の体調不良。その症状が、一ノ宮を始めとした四人全員に表れていた。聖女の白河はメンバーに回復魔法の「ヒール」や状態異常解除の「キュア」の魔法を掛けたが、ヒールで多少の効果があった以外はほとんど改善は見られず、そのヒールの効果も、しばらく経つと元に戻ってしまった。その白河からして、自身の不調から逃れられてはいなかった。
特に症状のひどかったのが重騎士の上条で、彼は常に強い吐き気に襲われ、何度も馬車を止めては、路傍で休息を取らざるを得ない状況だった。そのため、馬車は通常の半分以下の距離しか進むことができなかった。これでは歩いているのとほとんど変わらない、下手をすればそれよりも遅いスピードだった。
ヘレスを出て一週間、バギオという村を訪れた時に、ついに上条が一ノ宮に申し出た。
「すまん、優希。おれ、ここで降ろさせてもらうわ」
「上条?」
一ノ宮は軽く眉をしかめたが、上条は続けて、
「こんな調子じゃあ、おまえらに迷惑をかけるだけだ。まったく、旅についていけてない。これ以上、おまえらを俺に付き合わせるわけにはいかない」
「少しくらい遅れたって、かまわないぞ。迷宮の攻略は順調にいったんだ。日程には、まだ少し余裕がある」
「今は、な。でも、この先も旅は続くんだ。普通の倍の日数がかかるんじゃあ、余裕なんてすぐに食い潰しちまう」
「だけどなあ……」
一ノ宮はそう答えたが、内心ではうなずいてもいた。旅の遅れのほとんどは、上条が原因だったからだ。それに一ノ宮は、上条とのつきあいが長く、この男がどんな性格なのかを知っていた。こいつは、簡単に音を上げるタイプの人間ではない。そんな彼が言うのだから、体調は相当に悪いだろうことがうかがえた。
それでも一ノ宮が答をためらっていると、上条は右手を一ノ宮の首に回し、ふざけてヘッドロックをかけるような格好をした。そして小さな声で、
「考えたんだけどな……これ、『勇者の病』じゃないか?」
「勇者の病?」
勇者の病とは、この世界に召喚された勇者がたびたびかかるとされる「病気」のことだ。それまでは勇者としての模範的な行動を取っていた者が、ある日突然、姿を消したり、自死したり、逆に周囲の人間を見境無しに殺して回ったりする。そんな病気だ。この世界の住人には、勇者の世界の風土病のようなものと理解されていた。
「いや、おまえは勇者じゃなくて重騎士だぞ」
「そういう意味じゃねえよ。勇者の病ってのは、要するに、心の病気のことだろ?」
上条の言葉に、一ノ宮もうなずいた。この世界では、まだ心の病というもの自体が認識されていないが、もちろん一ノ宮たちは違う。心の不調が肉体や行動に影響することは、常識として知っていた。
地球の若者が突然異なる世界に連れてこられて、それまでとはまったく異なる生活を強いられる。さらにその上、魔族と名前が付けられているものの、人間と見た目がほとんど変わらない相手を殺して回っているのだ。そんな状態におかれれば、精神の病気になってもおかしくはないだろう。
「ぶっちゃけ、原因の心当たりがありすぎるんだよなあ。魔族との戦争もそうだが、こないだのアレも、けっこうきつかったし」
こないだの「アレ」とは、ユージの件を指しているのだろう。グラントン迷宮の最終層で、一ノ宮たちは、かつてのクラスメートを自分たちの手で殺害した。この事件が上条の心の無意識の部分に大きな打撃を与え、たまりにたまったストレスが、喫水線を超えてしまった。これにより、それまでは表に現れなかった心の問題が、体の不調となって現れたのかもしれない。上条はそう考えているのだった。
「……そうか。すまなかった」
「おまえが謝ることはない。おれだって、あの時はああするしかなかった、って思ったんだしな。おれが言いたいのは、そういうことじゃなくてだな」
上条は右手に力を込めて、一ノ宮の頭を抱きかかえた。
「気をつけろよ。おれが一番心配なのは、優希、おまえなんだ。あんまり、無理するんじゃねえぞ」
◇
その翌日、出発する馬車を見送る際には、上条は比較的元気そうな顔を見せた。
「武明、本当に一人でだいじょうぶ?」
「だいじょうぶだ。自分の世話くらいなら、なんとかやれるさ」
「たぶんだけど、精神的なものもあると思うよ? ……だって、あんなことがあったんだし。私もちょっと、気分が悪いもの」
柏木が言った。「勇者の病」という言葉こそ使わなかったが、彼女も同じようなことを考えていたのだろう。上条は笑って、
「俺も、そう思う。けど、原因はどうあれ、調子が最悪なのは事実なんだ。このままついていったとしても、戦うことなんて到底、できそうもない。このあと俺たちが行くのは、戦場だろ。戦場で、こんなふうにおまえらの足を引っ張るわけにはいかない。
それに、体が病気じゃないんなら、もしかしたらちょっと休んだだけで、すぐに良くなるかもしれないしな」
「わかった。おまえはここに残って、まずは体調の回復に専念してくれ。次の街に着いたら王国の人に頼んで、誰かここに来てもらうようにしておくよ」
「たのむ」
一ノ宮の言葉に、上条はうなずいた。そして付け加えて、
「あ、念のため言っとくけど、『降ろさせてもらう』ってのは、仕事のことじゃないぞ? 馬車を降りるだけだからな。体調が良くなったら、後を追いかけるつもりだから」
「わかってるよ。じゃあ、体に気をつけてな」
「すぐに追いかけてきてよね」
上条を村に残して、一ノ宮たちは出発した。
遠ざかっていく馬車に、上条は笑顔で手を振った。
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