第160話 おのれの信じる道

 バギオの村には、いわゆる宿屋はない。

 それでもときおり、領主の使いや商人、村近辺の魔物退治を依頼した冒険者などが村に滞在することがある。そういった場合には、村長宅の離れが、臨時の宿として使われていた。上条が泊まることになったのも、その離れだった。宿の客として扱われたので、食事の世話などは村人がやってくれた。勇者パーティーの一員と告げていたこともあってか、そのもてなしは手厚いものだった。

 だが、上条の体調は、一向に良くならなかった。

 馬車を降り、体の揺れはなくなったはずなのに、悪心は治まらなかった。それに加えて、次第に顕著になってきたのが、脱力感だ。まるで、何かに体中の力を吸い取られているかのような、そんな感覚が続き、少し気を抜いたら、意識を失ってしまいそうになることもしばしばだった。

 宿泊した当初は、村の中やその周辺を歩き周り、村人たちと挨拶を交わしたりしていた上条だったが、体調が悪化すると共に、外出することは減っていった。


 この日もまた、上条は一日、宿の中にこもっていた。この一両日、状態が特に悪くなっていたため、外に出ることができなかったのだ。ほとんど手のつけられなかった夕食の膳が下げられた後、上条は広い離れの一室で、ベッドに腰掛けていた。

 と、この日何度目かの嘔吐の発作が、彼を襲った。上条は手で口を押さえて、それに耐えた。嘔吐感が弱まってきたところで、ベッドの横に置いておいたポーションの瓶を手に取る。ポーションを飲むと、少しだけ気分が良くなった。

 手持ちのポーションは、もう残り少ない。村人に頼めば、少しくらいなら融通してくれるかもしれないが、いずれにしろたいした数はないだろう。それに、これが一時しのぎにしか過ぎないことは、すでに上条にもわかっていた。

「俺の体、どうしちまったんだろう」

 一人きりの寝室の中で、上条は独り言をつぶやいた。続いて、彼の口からこんな言葉が漏れた。

「いったい、どうしてこんなことになったんだろうなあ」

 上条にしては珍しいことに、彼は自分の頭の中で、これまでの出来事を振り返っていた。


 順調だった高校生活、突然の異世界召喚、そして勇者パーティーへの参加。「重騎士」という耳慣れないジョブについて聞かされたのは、召喚され、鑑定の宝玉に手を触れた後だった。その説明によると、重騎士とはいわゆる壁役で、敵の攻撃をわが身に集めて、仲間を守ることに特化したジョブだという。

 同じ勇者パーティーの中でも、勇者や聖女、魔導師と比べると、主役というよりは脇役的な存在だった。それでも、上条は自分のジョブに満足していた。仲間を守る、というジョブの特徴が、自分にはぴったりだと思えたからだ。しかも、守る相手は一ノ宮と白河、そして柏木なのだ。

「守る、って言ったら、優希のやつは怒るかもしれないが……あいつは小学校の頃から、ずっと正義漢だったからな」

 小学生の頃の一ノ宮は、正義を振りかざして、クラスから浮いていることもあった。そんな時、上条は一ノ宮の側に立って、クラスメートたちの非難から彼を守ろうとした。自分にはない、正義というものを貫こうとする姿勢が、上条にはまぶしく思えたからだ。それ以来、二人は大の親友になったのだ。

 その時の関係は、今も変わっていない。高校に入ると、一ノ宮の隣に白河も加わるようになり、上条はますます安心して、この二人を『守る』ようになった。目標は、一ノ宮と白河が作ってくれる。あとは安心して、そこに向かって突き進んでいけばいいのだ。おのれの信じる、その道を。

 だからこそ、ユージが溶鉱炉に落とされたあの時も、上条は一ノ宮の決断に同意したのだった。そうだ、これが間違っているはずがない。なぜなら、あの一ノ宮と白河が、正しいと考えたことなんだから……。

 しかしそれは、上条自身は、何も考えていないことも意味していた。


 突然、大きな物音がして、上条の回想をさえぎった。


 ガタンという、何かが倒れたような音だった。上条には、それが離れの入り口の方から聞こえてきたように思えた。村人が自分を、訪ねてきたのだろうか? だが、もう時間は遅いし、しばらく待ってみても、誰も声をかけてこない。それに、先ほどの物音は、戸を開けた時の音とは思えなかった。けだるい体を起こして、上条は様子を見に行くことにした。

 暗い廊下を歩いて、上条は入り口へと向かった。領主の使いが使用することもあるため、離れとは言っても、建物は広くて立派だ。ただ、普段はあまり使われないこともあって、廊下には照明の魔道具などは置かれていなかった。窓の木戸から漏れてくる、わずかな月明かりを頼りに、上条は進んだ。廊下の角を曲がった先に見えたのは、モノクロームの静謐せいひつな光景だった。


 そこにあったのは、家の内側に向かって倒された、入り口の引き戸だった。近くに、動くものの姿はない。外から差してくる月の光が、その周辺をほの明るく照らしていた。

 上条は周囲を警戒しながら、少しずつ歩を進めた。静かだが、この景色自体は、暴力的な何者かの存在を示している。さらに彼を警戒させたのは、そこに漂う匂いだった。かすかだが、この場には微妙にそぐわないもの──肉の焦げるような匂いが、彼の鼻孔に入り込んできたのだ。

 月が雲に隠れた。光がすっと失われ、あたりが闇に包まれた。

 物音を立てないよう注意を払いながら、上条は引き戸のそばまで進んで、慎重に周囲をうかがった。やはり、怪しい者の姿はない。この入り口からは、上条が居た客室へ続く廊下の他に、使用人用の控えの部屋に通じる廊下がある。曲者くせものは、そこに潜んでいるのだろうか? 上条は控え室の方へ体を向け、再び歩き出そうとした。

 その時、かすかな音が彼の耳に届いた。

 何かを小さく打ち付けるような、ペちゃんという音。それが上条の向いている方向の、真っ暗な廊下の奥から響いてきたのだ。しばらくしてまた、ぺちゃん。そしてまた、ぺちゃん。同じ音が、非常にゆっくりとしたテンポで繰り返されていた。何かがそこにいるのは間違いない。わずかずつ音が大きくなっているのは、それが近づいているからだろうか。

 上条は、剣を寝室に置いてきてしまったことに、ようやく思いついた。だが、今さら取りに戻るわけにも行かない。音の主は今まさに、彼の前に姿を現そうとしていた。

 この時、月が雲間から出て、月の光が再び上条の周りを照らした。そのわずかな反射が、離れの侵入者を闇から浮かび上がらせた。


 その姿に、上条は驚愕した。


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