第100話 これはセクハラではありません
「参ったなあ」
ぼくは声に出してつぶやいていた。
暗殺者は、まだ死んではいなかった。そしてぼくと同様、彼女も運が良かったようで、この川に浮かび上がってきた。いや、糸でつながっていたんだから、同じところに出るのは当たり前なのか。
それはともかく、問題は彼女をどうするかだ。戦っている最中なら、迷いなく殺していただろう。相手もぼくを殺そうとしていたんだし、この世界では、そうするのが当然のことだ。でも、今の彼女は、無力で無抵抗。こうなってしまうとなあ……。
こうして見ていると、呼吸しているかどうかもわからない。そして、彼女の胸にある傷口からは、今も血が流れ続けていた。このまま放っておくだけでも、もしかしたら死んでしまうかもしれない。
はあ、と大きなため息をついて、ぼくはマジックバッグを探った。中からロープを取りだし、暗殺者の体を裏返して、後ろ手に縛る。いきなり襲われることを警戒しての作業だったけど、さすがに今回は、気絶したふりではなかったようだ。
念のため、両足首もしばっておいてから、全身をくまなく
……いや、これはセクハラじゃないよ。こっちは、命がかかっているんだから。
実際、服の下からは投げナイフを五本と、大きめの糸巻きみたいな道具、それから何かの丸薬らしきものが入っている、小さな布袋を見つけたし。ナイフなんて、一番ヤバいところに隠してあったんだぜ。あえて詳しくは書かないけど。
こうして危険を取り除いてから、ぼくは彼女を仰向けに戻してアゴをあげ、鼻をつまんだ。人工呼吸って、確かこうするんだよな。あ、その前に、ヒールの魔法を使っておくか。邪魔な革鎧は外し、ついでに胸に巻いてあったサラシのような布も外して、胸の傷の上に手をかざす。回復魔法を発動すると、うん、とりあえず、出血は止まったみたいだ。
再び気道を確保する体勢に戻って、ぼくは彼女の口にぼくの口を当て、ゆっくりと息を吹き込んだ……。
胸が少しふくらんだのを確認して、口を離す。これを数回、繰り返した。その後は手を胸に当てて、ぐっと押し込む。もちろんこれも、セクハラではない。心臓マッサージです。テレビでも、「女性にもためらわずにAEDを」って、言ってたし。確かこのマッサージって、かなり強く押し込むんだったよね? 回数も、思ったよりも多めに、速いペースで。
これを二分くらい続けて、もう一度人工呼吸。そのあと、再び心臓マッサージ。これを繰り返した。本当は、もっと連続してマッサージをするべきなのかもしれないけど、これがけっこう疲れるんだ。「スタミナ」の値はかなりあるはずなんだけど、普段使っていない筋肉を使うせいかな。
マッサージも人工呼吸も、やりかたはうろ覚えだった。だから、その合間の確認で、彼女が自力で息をしていることがわかった時には、少しほっとした。
まだ意識を失ったままの暗殺者の横に、ぼくはぺたんと座り込んだ。
彼女の姿は、ちょっと目には男にしか見えない。装備や服も、男性っぽいものだ。仕事の都合かなにかで、男に見せかけていたのかな。胸に巻いてあったサラシは、これで胸を押さえつけて、ふくらみを隠すためのものなんだろう。まあ、ふくらみの大きさが、それで隠せるくらいだった、ってことなんだけど(←これは、口にしていたらセクハラ)。
でも、彼女が男でなくて、良かったかも。正直な話、男だったら、人工呼吸の方はためらったかもしれない。ぼくを殺そうとしたやつを、そこまでして助けたかどうか。それにしても、リーネがいてくれて良かったなあ。彼女がいなければ、これが初めてのキスになってたよ……。
一仕事を終え、すっかり気が緩んでいたぼくは、こんな
小さな、カツン、という音、小石か何かが落ちてきたような音が、確かに聞こえたからだ。
いつの間にか切れていた探知スキルを、オンにする。すると、わずか三メートルほど先に、一つの反応があった。が、そのあたりを見ても、何もいない。そういえば以前にも、こんなことがあったな。即座に視線を上に移すと、天井には大きなクモがへばりついていた。ぱっと見で体の長さは一メートル弱、ただの昆虫ではなく、明らかに魔物だ。
「ギギッ!」
ぼくの視線に気がついたのか、大グモはいきなり、天井から飛び降りてきた。そして微妙なカーブを描きながら、ぼくの頭上へ襲いかかってくる。昆虫のクモと同じく、しっぽの先から出した糸で、落下の軌道をコントロールしているらしい。
だけど、大きいとはいってもしょせんは一メートル、胴体だけなら五十センチほど。見た目が気持ち悪いだけで、そこまでの脅威ではない。相手をぎりぎりまで引きつけておいてから、ぼくはさっと右によけ、同時に小剣を振るった。クモはあっさりと真っ二つになって、地面に転がった。
半分になった体で、わらわらと足を動かしているクモを見下ろしながら、ぼくはつぶやいた。
「どうしてこんなところに、アラネアがいるんだろう?」
『アラネア』というのは、クモの魔物の総称だ。ストレアの迷宮がクモであふれたと聞いたので、念のため、予めギルドの資料室で調べておいたんだ。その知識によると、いま倒したのは、大きさからすると「スモールアラネア」とよばれる魔物らしい。今の戦いからもわかるとおり、推奨ランクは単独ならEランク。集団で襲われない限りは、そんなに怖い魔物ではない。
問題は、そいつがこんな場所にいたことだ。アラネアという魔物は、いるところにはまとまっているんだけど、それ以外の場所ではほぼ見かけない、という特徴がある。ぼくは街周辺の森を何日か歩き回ったけど、これまで一匹も見かけたことがなかった。もしかしたら、迷宮からあふれ出た魔物が、住み着いたんだろうか? だけどぼくは、ここでもうひとつの不自然な点に気がついた。
どうしてぼくは、アラネアが見えているんだ?
決して、明るいわけではない。どちらかと言えば暗い場所だ。けど、天井の魔物がはっきりと見えるほどには、光がある。どうしてだろう。光が入ってくるような場所は、どこにもないのに……。
「ただいま、ユージ。バッグと剣は、ちゃんと隠してきたのよ」
目の前に光が灯って、フロルが再び姿を現した。
「ねえ、早く魔力をちょうだい。あのバッグと剣、けっこう、重かったんだから」
「フロル。さっき、ここは滝の下だ、って言ったよね」
「うん。滝に落ちて流れてきたんだから、滝の下でしょ?」
フロルはこてん、と首をかしげた。
「もっと正確に言うと、どのあたりなんだ?」
「深いところね。とーっても、深いところなの」
フロルはぼくの頬にへばりついたまま、両手をいっぱいに広げて答えた。
◇
しばらくして、暗殺者の女が目を覚ました。体を動かそうとして、自分が縛られていることに気づいたようだ。そして、胸の傷が治療されていることも。彼女は一瞬、不思議そうな顔をした後、すぐにぼくを見つけて、軽くにらんできた。
「どういうつもり?」
「おはよう。気分はどう? 傷は治しておいたけど、回復魔法では、体力はあんまり戻らないんだよね。もう少し、休んでいた方がいいよ。
あ、君が持ってたナイフはぼくが預かってるから、そのつもりでね」
何かもぞもぞと動いているので、ぼくはこう付け加えた。暗殺者は警戒するようなまなざしで、
「どういうつもり? どうしてボクを助けたりしたんだ」
え、こいつ、ボクっ子なの? あ、そうか。彼女は今、男装してるんだっけ。男装自体は趣味とかではなく、暗殺者という仕事絡みなんだろうけど、それが何かの拍子でばれてしまわないよう、普段使う一人称も意識的に変えているのかもしれないな。
「実は、ちょっと協力をお願いしたいことがあって」
「ボクに手伝わせて、何をしようというんだ」
「ここから脱出するんだよ。そのためには、一人よりも二人の方がいい」
「脱出だって? いったい、ここはどこなんだ」
改めて周りを見回した暗殺者に、ぼくは告げた。
「ここはね。ストレア迷宮の中らしいんだ」
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おかげさまで、本日、30万PVを達成しました。読んでいただいた皆さん、ありがとうございます。
前にも書きましたけど、この小説は第1章が終わるあたりまでは、1日せいぜい数十PVくらいしかありませんでした。もちろん、評価やフォローもほんの少し。それがこんなところまできたんだなあと、ちょっと感慨に浸っています。
こうなったら、アレ(←タイガースのことではありません)に応募してみようかなあ。こんなこと、もう二度とないかもしれませんからね……。
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