第18話 これ以降は、なかったことに
王城の会議室の一つに、勇者召喚の関係者が再び参集していた。
円卓を囲んでいるのは、パメラ第一王女、エルベルト魔導卿、デニス軍務卿、レスリー財務卿、ビクトル騎士団長らの姿だ。彼らは勇者召喚の成功と訓練プログラムの開始以降、たびたび集まっては、現在の状況や問題点の報告を行っていた。
「……勇者イチノミヤ様、及び重騎士のカミジョウ様に関しては、以上の通りです」
立ったまま報告を追えた騎士が、一歩後ろに下がった。レスリーは満足げにうなずいて、
「さすがは勇者様、と言ったところですな。わずか一週間あまりの訓練で、わが国の騎士を剣で圧倒するとは。常識では考えられません。
魔法の習得も順調に進んでおるようですし、このままいけば、来月あたりには我が軍に加わり、魔王軍をけちらしてくれるかもしれませんな」
「いえ、それはさすがに時期尚早でしょう」
ビクトルが意見を述べる。
「圧倒したといっても、それはあくまでスキルとステータスにたよっての話。剣技の面では、まだまだ未熟です。特にフェイントなどの、いわゆる搦め手の攻撃に弱い。このあたりは、我々騎士も得意とする分野ではないのですが、実戦では無視できない要素です。
また、勇者様の世界に魔術が存在しないためでしょうが、攻撃魔法に対する対応がまったく身についておりません。多対一、多対多の戦いも経験していませんし、周囲との連携もまだまだ。これからは、そういった技術を中心に訓練をすることになるでしょう。
そしてもう一つ、決定的に欠けているのが」
組んでいた腕をほどきながら、ビクトルは続けた。
「戦場での心構え。最大の問題は、こちらかもしれません」
「心構え?」
「ええ。要するに、相手を殺すことができるか、ですよ」
「何をふぬけたことを」
吐き捨てるように言ったのは、デニスだった。
「そのような心構えなど、すぐに身につくであろうが。戦場に放り込んでしまえばよいだけだ」
「しかし、勇者様がおられた国は、何十年にもわたって戦争をしていない、なんとも平和なところだったそうです。勇者様ご自身はもちろん、ご両親や祖父母、それどころか親戚、友人の誰一人として、戦いを経験した者などいないとのことでした。
そんな人間をいきなり戦場に放り込んで、万が一、『勇者の病』になってしまったら、どう責任をとられるおつもりですか?」
ビクトルに反駁されて、デニスは苦い顔になった。
命の値段が安いこの世界では、徴兵された農民兵でさえ、敵を殺すのにためらいを覚えることは少ない。特に相手が魔族という、明確に敵対種族と考えられているものでれば、なおさらである。
しかし、かつての勇者召喚では、スキルやステータスは飛び抜けて優秀だったのに戦いに参加しようとせず、それどこか味方のはずのヒト族に損害を与える勇者が、たびたび現れていた。ある日突然、仲間や友人、恋人まで捨てて姿を消し、そのまま消息を絶ってしまった者。自分以外の誰に対しても興味や反応を示さなくなり、部屋に閉じこもったまま自死する者もいた。
突然乱心し、敵味方関係なく殺害を続ける殺戮マシーンとなった例では、召喚したリーゼルブルグ王国が大きな損害を出しながら、勇者を討伐する事態となってしまった。
彼らがなぜそんな状態になるのか、この世界の住人にはわからなかった。が、勇者と共に召喚されたマレビトたちによって、その原因らしきものが説明された。
それによると、平和な世界からいきなり戦場へと放り込まれたために、勇者の「心」が対応できなくなってしまい、その結果、こんな事件を起こしてしまったのだ、というのだ。
いわゆる「心の病」だが、この世界では心の病というもの自体が、まだ認識されてはいない。そのためこの症状は、勇者の世界に存在するある種の風土病のようなものとして、理解されるようになった。
そしてその状態を「勇者の病」と呼ぶようになったのである。
「なにか、病の徴候でもあるのですか?」パメラ王女が尋ねる。
「いえ、そういうわけではありません。イチノミヤ様は各種訓練への参加に積極的ですし、時には他のマレビトへの指導や激励を、自発的に行われております。ただ、勇者の病は、そうした人一倍熱心な勇者に現れやすい、とも聞きます。
勇者様方は魔族という存在を見たことさえありませんから、彼らが憎むべき敵である、という認識もないことでしょう。このあたりの扱いは、慎重になるべきかと考えます」
「まあ、現在のところは順調に進んでおるようですし、当面、勇者様の教育は騎士団にお任せする、ということでよいのではありませんかな」
レスリーが取りなすように口をはさんで、全体の了承を取り付けた。
「では、聖女様はどうしておられるのですか?」
パメラの問いかけに、今度はエルベルトの背後に控えていた魔導師が一歩進み出た。だが、彼が口を開く前に、エルベルトが片手を上げてそれを制した。
「聖女シラカワ様と、魔導師カシワギ様については、わしからご報告しよう。
カシワギ様は七属性すべての魔法を、光属性を含む五属性をお持ちのシラカワ様はおもに光属性の治癒魔法を、魔法省のもとで学んでいただいておる。カシワギ様は七つの属性を学んでいただいている関係もあって、まだ中級魔法までしかマスターされておらんが、シラカワ様は既に上級の治癒魔法の発動に成功しておる。この先も、新たな属性魔術の習得が可能かもしれぬな。
魔力量の伸びも、すさまじいの一言じゃ。シラカワ様はもちろん、カシワギ様の魔力値も、既に魔法省の一級魔導師と肩を並べるほどになっておる。魔力の錬成、術を発動するまでの時間など、まだまだ甘いところはあるが、それはこれからの訓練次第じゃろう」
「おお、こちらも素晴らしい報告ですな。上級の治癒魔法ともなれば、多くの重傷者を即座に治療することができます。聖女様が戦線に立つことになれば、我が軍の大きなアドバンテージになることでしょう」
「だが、シラカワ様のご様子はどうなのかな? 前回の報告では、戦いそのものに嫌悪感を持っている、とのことだったが」
喜色を浮かべるレスリーへ釘を刺すように、デニスが質問した。彼の問いに答えたのは、パメラ王女だった。
「聖女様とは、私の個人的なお茶会にお招きする形で、何度かお話しをしています。聖女様を元の世界にお返しするためには、どうしてもこの戦いが必要なのだと重ねてお話ししたところ、ようやく納得をいただけたようです
ただ、言葉の上ではそのようなお答えをいただいたのですが、本心でどう思っておられるかまでは、わからないところもありますね。ある物事への忌避感というものは、習慣的に染みついてしまっているものもあるでしょうから。そしてそれを、無理に変えさせるのも危険でしょう」
「確かに。『墜ちた聖女』の例もありますからな……」
うなるように、レスリーが言った。
レスリーの言った『墜ちた聖女』とは、聖女に起きることのある「病」のことだ。戦場では傷ついた人々を回復魔法で助け、被害のあった村では炊き出しに参加するなど、それまでは模範的な聖女と見られていた人物が、ある時突然、ヒト族を裏切ってしまう。こうした事例が、歴史上たびたび観察されてきた。
聖女の場合は『勇者の病』と違い、乱心するのではなく、魔族や魔物に対する戦意を急速に失ってしまい、ついには魔族側に寝返ってしまう、という特徴があった。
勇者の病にしろ墜ちた聖女にしろ、予見することは難しく、治療も困難とされている。この世界の人々にとっては、非常に扱いづらいものであった。このやっかいなテーマの前に、議場には沈黙が流れたが、しばらくしてビクトルが口を開いた。
「一つ、提案があるのですが」
「なんですかな? 騎士団長殿」
「現在の訓練が一段落した後の話ですが、勇者様に魔物退治へ参加していただくのはどうかでしょうか」
「魔物退治? なぜそんなことを」
デニスがいぶかしげな声を上げる。ビクトルはうなずいて、
「魔物退治は本来、冒険者たちの仕事です。勇者様がわざわざ、なされることではありません。それはその通りです。ですが、戦うことに意義が見いだせないのなら、そこに明白な意義を与えてあげればよいのです。
その点、魔物退治であれば、戦いに意義を見いだすのは容易でしょう。目の前に、魔物に苦しんでいる人々がいるのですから。また、軍の移動や野営中、あるいは魔族の魔物使いと遭遇した場合など、魔物との戦いは避けられないものです。勇者様にとって、いい経験になるでしょう」
「うむ。魔物の中には、ゴブリンなどヒト型のものもいるからな。敵を殺す練習にはなるかもしれん」
「理由はもう一つあります。
勇者様方の力の伸び具合を見るに、軍の一員としてではなく、独立した少数パーティーで戦っていただく方が、戦術的には好ましいのではないかと思われるのです。
突出した力というものは、集団の中では実力を発揮しにくく、かえって統率を乱すことがあります。大きな軍の中に組み込むのではなく、遊撃として独自に動いていただいた方が良いでしょう。だとすれば、今から少数精鋭で戦う経験を積んでもらうほうが、将来的にも望ましいと思われます」
「確かに、かつての勇者様も、軍からは離れて行動されていましたね。勇者様の一般的な性格として、単騎で動くのを好まれる、とする文献もありました」
「なるほど。それが良いかもしれませんな。となると、勇者様のパーティーに加わっていただくのは、イチノミヤ様とシラカワ様に加えて、魔導師のカシワギ様と、重騎士のカミジョウ様、といったところでしょうか」
パメラ王女とレスリーも賛意を示し、勇者一行の魔物退治参加は、満場一致で決定された。
同時に、勇者以外のマレビトも、冒険者として活動させることも決まった。ただし、勇者パーティーとその他のマレビトとはかなりの実力差があるため、魔王討伐の別働隊ではなく、一般の冒険者として育て、その後は王国の保護下から外すことも視野に入れる、とされた。
この件については、レスリー財務卿の発言が、この国の実情を示していた。
「マレビトの方々には、早期に独り立ちしてもらわなければなりません」
手元の資料に並ぶ数字の列を見ながら、彼は言った。
「使えない者を、いつまでも養っていくことはできないのです……なにしろ、勇者召喚の儀には、準備にかなりの資金を投入しておりますから」
残された議題は、一つだけだった。
「ところで、以前の会議で取り上げた蘇生というスキルですが、あれについては、何かわかりましたか?」
パメラの問いかけに、エルベルトは笑みを浮かべて答えた。
「ええ。はっきりしましたぞ。
あのスキルは、他者を甦らせるものではない。蘇生術師自身が死んだときに、自らの魔力や体力を使い、自らを蘇生させるものじゃ。
死からの復帰じゃから、スキル自体は高度なものと言えなくもないが、他者に使えないとなると、その価値は微妙かのう。
そのうえ、復活の代償として、自らの体力魔力などを削ってしまうから、蘇生後に動き回ることも難しい。実際、蘇生術師のケンジは、蘇生後もしばらくは意識不明の状態じゃった」
この答に、パメラは明らかにがっかりした表情を示した。
「そうですか……それでは、使い物になりませんね」
「その通りですな。壁役として使うにも、生き返った後に意識がないのでは仕方がない。奴隷を二人用意した方が、まだましでしょうな」
「まあ、体力や魔力の量が大きく伸びてくれるのであれば、そのあたりは改善されるかもしれんのじゃが」
エルベルトの問いかけるような目線に、ビクトルは首を横に振った。
「ケンジの能力値は、体力、魔力など、いずれをとっても平均的で、著しい伸びを示している項目はありません。剣技や体技も平均で、適性のある魔術属性もなし。一言で言えば、平凡な能力です。これはマレビトの中では平凡という意味ではなく、この世界の住人として見てもごく普通の能力、という意味です」
パメラはため息をついた。
「わかりました。残念ですが、この件については、これで検討を打ち切りましょう。以降、蘇生というスキルはなかったものとして扱ってください」
◇
会議終了後、ビクトルは王城内に設けられている騎士団長の部屋に退いた。
会議の結果に、彼は満足していた。勇者に関する彼の提案は、ほぼそのままの形で受け入れられたのだから、それも当然だろう。ただ、勇者が冒険者として活動することになった際、どのように勇者を管理し、連携するかという問題が残っていた。
勇者パーティーの一員として、王国側の人間を参加させるのが簡単で望ましい形だ、と彼は考えていた。その場合、勇者育成の担当部署として、第五騎士団から人間を出すのが当然だろう。
だが、騎士団員は基本的に貴族の子弟であり、当然ながら、冒険者などという職業に従事していたものなどいない。団員のうち、どの人物が冒険者活動に適しているのか。その人選を頭の中で考えながら、ビクトルはやがて眠りについた。
彼の眠りは、わずか二時間ほどで中断された。
窓から入った光が部屋の中を照らし、その直後、激しい爆発音が鼓膜を震わせたからだ。ビクトルはがばと身を起こし、周囲の気配を探った。廊下を駆けてくる足音が聞こえ、ドアのノックと共に、騎士の一人が部屋に飛び込んできた。
「報告します! 王城が、魔王軍と見られる軍勢による襲撃を受けております! 現在、第一騎士団が応戦中!」
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