第19話 今、かつてない危機が
気がつくと、またもやぼくは、ベッドの上にいた。
それも、見慣れない一人部屋の、ちょっと大きめなベッドの上。それまでは四人部屋だったから、待遇が改善された、と喜ぶところなんだけど、ぼくはそれどころではなかった。
なにしろ、体調が悪い。
どこが痛いというわけではないんだけど、体のどこにも力が入らない。まるで手や足や胴体に、重ーいおもりがくくりつけられているみたいだ。その上なんだか気分も悪くて、何をする気にもなれない。なんて言うか、体力と精神力が底をついている感じだった。
ベッドでじっと動かずにいると、そのうちにメイドさん(ルイーズではなく、別の人だった)が来て、
「エルベルト様の前で、突然、倒れられたそうです」
と聞かされた。
それでようやく、どうしてこんなところにいるのかわかったけれど、倒れた理由がわからない。変な病気は持っていなかったはずだ。これまでの無理がたたったのかな。なにしろ、異世界なんて変なところに召喚された上に、木剣で殴り合いをさせられてきたからなあ……。
着ていた服も新しいものに替えてくれていて、体調が戻るまでは訓練に参加しなくてよいとのことです、とも聞かされたけど、どっちにしろこの体調では、とてもじゃないけど訓練なんて無理だった。
メイドさんが下がると、入れ替わるように魔術師が来て、ヒールの魔術をかけてくれたりもした。そのおかげもあってか、三日たった今では、体はだいぶ楽になってきた。
だけど今、かつてない危機が、ぼくに訪れていたのだ。
この三日間、ほとんど寝たきりだったぼくには、解決しなければならない問題があった。体の痛みや吐き気のことではない。食事や水も、なんとか自分で口に運ぶことはできた。問題は……。
出す方だった。
まさか自分が、しびんのお世話になるとは思わなかったですよ。
最初はぎりぎりまで我慢していたんだけれど、最後には、おねしょよりはこっちの方がまだましだ、と思い切った。いや、メイドさんにしてもらったんじゃなくて、自分でやったよ? 体を少し動かすくらいなら、できたんだから。四人部屋から、一人部屋に移っていて良かったよ……。
だが、さらなる問題が、まだ残っていた。しびんだけでは解決できしない問題が。
そう、「大きい方」である。
この世界にも、おまるってあるんですね。元の世界では、子供用以外、あんまり見たことはなかったけど。これを使ってアレをして、したあとはフタをして、おまるの中にある容器ごと持っていってもらうみたい。
だけどさすがに、大きい方は抵抗があった。処理してくれるのは女性のメイドさんだし。それまでは、ぼくとおまるは同じ部屋にいるわけで。なんだか匂いや、その他微妙な何かが漏れてきそうだし。
今まで気がつかなかったけど、ぼくはけっこう、潔癖症なのかもしれない。
で、こっちは小と違って我慢がきいたので、この三日間は、しなかった。我慢してると、便意がひいてくれるんだよね。そこにそれが存在することには変わりないのに、不思議と言えばちょっと不思議。で、少し経つと、またやって来る。それはそこにあるんだから、あたりまえといえばあたりまえ。
そして、そんなことを繰り返すうちに……。
いよいよ、崖っぷちに立ったわけです。
さすがにこれ以上は、体に悪いだろう。便秘って繰り返すと癖になる、って聞いたこともあるし(ソースはぼくのおばあちゃん)、便秘って癖になると、けっこうつらいらしい。幸い、立って歩くことができるくらいには、体調は良くなってきた。トイレに行くくらいなら、なんとかなるだろう。
と言うわけで、ぼくは三日ぶりに、この部屋から出ることにしたのだった。
時刻はもう、夜になっていた。ぼくは携帯用の魔法ランプを手に、ドアを開けた。この部屋を出るのは初めてで、夜の廊下はひどく暗く、そして静かだった。
……
…………
…………………
いやー、危なかった。
世界史の授業で、先生からこんな話を聞いたことがあったっけ。
その先生によると、中世ヨーロッパのトイレ事情は、かなりひどかったらしい。排出物は窓から捨てるのが普通で、通りを歩くとウ○コだらけだったとか。二階からソレが降ってくることがあるから、歩く時は上にも気をつけないといけなかったとか。
ベルサイユ宮殿だったかな、設計ミスなのかなんなのか、トイレの数が極端に少なくて、我慢できなくなった貴族たちが、ところ構わず用を足していたとか……この世界は、中世ヨーロッパに似ている。おそらく、そのあたりの事情も似ているんだろう。そしてぼくは、いつもと違う場所にいた。
そう。トイレが見つからなかったんだ。
廊下に出て気がついたけど、ぼくが移された部屋は、いつもの四人部屋とは違う建物らしい。そういえば、メイドさんが「勇者様方は、別の階にいらっしゃいます」と言っていたような気がするから、一ノ宮たちの部屋があるのと同じ棟の、違う階にいるみたいだ。
どうしてこんなところに移されたんだろう。病人だから一人部屋にしてやろう、ってことだったのかな。
それはともかく、問題はトイレだった。歩いても歩いても、それらしい場所がない。誰かに教えてもらおうにも、この世界では夜になったら、極端に人通りが少なくなる。手にしたランプの暗い明かりが、こんなにも心細く思えたことはなかった。
こうなったら、中世の貴族にならって、ところ構わずやってしまおうか? いやいや、さすがにそれは。しかし、泣いて馬謖を斬るとの故事もあり、自らの体調を鑑みるに、いよいよとなれば万やむを得ず、決断を下さざるを得ない……。
頭の中をいくらか混乱させたまま、時に早足、時に立ち止まりながら、ぼくは進んだ。そして何度かの発作と安定期を乗り越えて、ようやく目的地にたどり着いたのだった。
そうです。結局、トイレは発見することができました。
ベルサイユはトイレが足りなかったらしいけど、足りないってことは、少ないけれどあることはある、ってことだよね。トイレについては、細かく説明するのは止めよう。簡単に言うと、昔風の和式便座だ。くみ取り式とか、ポットン式とかいうやつ。
あれ、真夜中だと怖いよね。水洗じゃないせいか、開いてる穴が大きくて。そんなこと起こるはずがないんだけど、あの穴に落っこちたらどうしよう、なんて妄想がわいてきて……トイレの怪談が生まれる理由が、わかった気がした。
こうして、今ここにある危機を乗り越えたぼくだったけど、さらにもう一つ、驚くべき事が起きた。
なんと、帰る途中で寝落ちしてしまったのだ。
いやー、自分でも信じられなかった。気がついたら、廊下で寝てるんだもんなあ。用を済ませた後で良かったよ。済ます前に寝落ちしていたら、最悪、寝グ○という笑えない事態に……替えたばかりの服を、もう一度替えてもらわなければならないところだった。
もしかしたら、勇者も含めたマレビト全体の評判にも関わる、大事件になっていたかもしれない。危ないところだった。
それにしても、どうして寝たりしたんだろう。やっぱり、気が緩んでたのかな。「緊張と緩和」ってお笑いの話かと思ってたけど、眠気も生むのかね。まあいいや。ドアを開けてベッドに入って、これから寝直します。おやすみなさい……。
こうして、ぼくは安らかな眠りについた。
この時のぼくは、あの狭い部屋での出来事のことを、すっかり忘れていたのだった。
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