第218話 懐かしい声

 地面に放置された、四人の冒険者の死体。


 ちょっと迷ったけど、ぼくはそれを調べてみることにした。

 三人が男性、一人が女性で、剣士風の装備が二人、魔術師らしいローブ姿が二人だった。一見しただけで、もう生きてはいないと判った。四つの死体すべてに、大きく切られた傷がついていたからだ。剣士風の男は革鎧の上から、鎧ごとバッサリ切られている。この痕からすると、剣か、もしかしたら大剣が使われたんだろう。そして、その傷から大量の血が流れていて、死体が霧になって消えていないということは、彼らは異界の死者ではなく、外から入ってきた生者の死体、ということになる。

 そういえば、美波が言ってたな。自分たちとは別のパーティーが、ここに入って調査をしている、って。この四人はおそらく、そのパーティーのメンバーだろう。Aランクのパーティーと言ってたけど、そんな凄腕でも、こうなってしまうんだなあ……。でも、それもしかたがないのか。なにしろこの異界には、ビクトルみたいな化物が現れるんだから。

 ちょっと待てよ、もしかしてこれ、あの騎士団長がやったのか? Aランク冒険者なら、相手に不足はないから勝負しろ、とか言って……いや、違うか。この場所は、彼が歩いてきた方向とは90度違っている。じゃあ、さっき消えたばかりの山賊二人? うーん、それもなんだか、しっくりこないんだよな。Aランクと言ったら相当の実力者で、しかも前衛も後衛も揃ったパーティーだ。そんな相手に、魔術師もいない山賊二人で勝てるかとなると、ちょっと……不意打ちをしたなら話は別だけど、こんな場所にいる冒険者が油断するとは、とうてい思えないし。


 犯人が誰なのかはわからないけど、そいつに出会っていたのが美波たちでなくて、本当に良かった。この人たちには申し訳ないけど、そんなことも思ってしまった。血のかたまり具合からすると、殺されてからそれほど時間は経っておらず、せいぜい数十分程度だろうと思われたからだ。下手をすると、被害にあっていたのは、ぼくや美波たちだったかもしれない。

 こういう場合、死んだ人の冒険者証を回収して、ギルドに届けるのが冒険者のマナーというかルールなんだけど、どうするかな。今回のぼくの行動は、ギルドを通していない。というか、ギルドに依頼された冒険者らしい人が見張っている中を、こっそり入ってきたわけで、そんなものを届けたりしたら、面倒なことになりそうだ。ま、放っておくか。この人たちが帰ってこなければ、そのうちに何かあったと、気づいてくれるだろう。


 四人の死体に手を合わせ、ここから立ち去ろうとしたその時、地面が少し揺れた。


 あ、地震だ。珍しいな。この世界では地震があまり起きないのか、それともぼくが暮らしていた地域で少ないだけなのかは知らないけど、こっちに来てからは初めての地面の揺れだった。でも、体感ではせいぜい震度2くらいで、それほど大きなものではない。それに、ここには家も田畑も、それどころか生きるものさえいない(現世で言うところの「生きる」の意味では)んだから、被害を心配する必要はないだろう。そう思って歩き始めたら、急に目の前が明るく光って、大人姿のフロルが現れた。念話で話はしていたけど、彼女の姿をこの目で見るのは、なんだか久しぶりだ。

「フロル、どうかした? 今、ちょっと地震があったけど、そんなに大きいものじゃあ──」

「いよいよ、あの子が本格的に動き出したようです」

 ぼくの言葉をさえぎって、フロルがこう言った。

「さきほど、異界が大きく動く気配がありました。現世ではあの『裂け目』が拡大して、大きな被害を及ぼしていると思います。早く、止めなくては」

「止めるって、でもどうやって? ラールがどこにいるかさえ、ぼくにはまだわかっていないんだけど」

「私が先に、あの子の下に向かいます。当然、また戦いになると思いますが、私と戦っている間は、あの子もこの世界を動かすことはできないでしょう。その間に、あなたも私たちの元に来て下さい。そして隙を突いて、あの子を倒すのです。あなたの『聖剣』で」

 そう言われたぼくは、無意識のうちに、革鎧の下のマジックバッグの位置に手をやっていた。パメラ王女から受け取って以来、ろくな使い方をしてこなかった聖剣。マジックバッグをフロルに拾ってきてもらってからも、それはバッグの中にしまったままだった。その聖剣もいよいよ、本来の使われ方をすることになるらしい。闇の精霊は、やはりというか光属性の魔法や攻撃が弱点らしく、聖剣にはその光魔法が付与されているからだ。

「それまで、できれば聖剣は使わないようにしてください。正気を失っているとは言え、自分の弱点の属性を持つ魔力には、敏感に反応すると思いますので」

「うん。わかった」

「それから、彼女の攻撃はできるだけ受けないようにしてください。と言うのも、闇の精霊の攻撃は、魂の形に影響を与えることがあるからです。今の彼女は正気を失っていますから、そんな攻撃を使ってくるかどうかはわかりません。それに、事前に聖剣を使わなければ、あなたの隠密スキルで気づかれずに接近できるとは思いますが、十分に注意してください」

 魂の形への影響ってなんだろう、と思ったけど、フロルはかなり急いでいるようだった。ぼくはとりあえずうなずいて、

「わかった。じゃあ、ぼくもフロルからできるだけ離れないよう、がんばってついていくよ」

「ユージの体力は、普通のヒト族とは比べものにならないほど高いものですが、私についてくるのは無理があります。それに、急ぐ必要はないのです。私たちの戦いは、一日や二日では終わらないはず。いえ、最初のうちは、私たちが放出する魔力の影響で、近くに寄ってくることもできないはずですから」

 ぼくはうなった。迷宮の奥深くで、マザーアラネアを倒したフロルの魔法を思い出したからだ。あの時は、フロルが張ってくれた障壁に守られていたからよかったけど、確かにあんな魔法の中では、ラールに近づいて攻撃する、なんてことはとてもできないだろう。しかも今度は、あの規模の魔法を放つ精霊が、二人もいるんだから。

「それでも、時が経つにつれて、私たちが放つ魔法の規模も、次第に小さくなっていくはずです。ユージはそこを見計らって、攻撃を仕掛けて下さい」

「でも、そんなに離れたら、フロルの場所がわからなくなるんじゃない?」

「だいじょうぶです。私たちの間にはパスがつながっています。魔力の流れに十分に注意すれば、あなたにも私とのつながりが感じ取れるはずです。それに、おそらくはパスがなくても、どこに進めばいいかは、すぐにわかるでしょう。私とあの子の周りには、大きな魔力があふれ出しているでしょうから。

 そうですね……大まかな見積もりですが、あなたであれば、急ぎ足で1週間ほども進んでいけば、たどり着けると思います」

 フロルはそう言うと、ゆっくりと浮き上がった。そして、「それでは、また」と言い残すと、すさまじい速度で暗い空の彼方へ飛んでいった。まさに風のような速さだった。確かに、あれについていくのは、どんな人にも無理だな。フロルの言っていたとおり、彼女の後を遅れてついていくしかない。パスというのは、ぼくにはまだ感じ取れないけど、とりあえずは、フロルの飛んでいった方向に進めばいいんだろう。

 そう思い、真っ暗な大地を見まわして、改めて歩き始めようとしたぼくの胸に、急にこんな思いが浮かび上がってきた。


 それにしても、なんだか久しぶりだな。ほんとの一人っきりになってしまうのは。


 考えてみれば、湖の近くでハングリーフラワーにつかまっていたフロルを助けて以来、ぼくは一人きりになったことはなかったんだよな。たとえ見た目が一人旅の時でも、ぼくの中にはフロルがいて、気まぐれに声をかけてくれたりしていていたんだ。迷宮攻略や王城の地下に潜った時など、離ればなれになることもあったけど、そんな時は別の仲間(あるいは、そう思っていた人たち)が近くにいた。本当に久しぶりの一人だ。しかもこんなに、さびしい場所で。

 こうなってみると、変な騒ぎを起こすだけのいたずらっ子のように思えた子供モードのフロルも、寂しさを紛らわせてくれてたんだなあ。

 ぼくは小さく首を振った。こんなことを考えていてもしかたがない。早くフロルの後を追って、彼女の手助けをしなければいけないんだっけ。


 そう思い直し、今度こそこの場所を離れようとした時、またもや異変があった。


 探知スキルに、反応が現れたんだ。出てきた反応は、一つだけ。大きさは極端に大きいわけでもなく、これがヒトなのか魔物なのかは、はっきりしない。ただ、特徴的なのはその動きだった。今はレーダー方式にしている探知のエリアの真ん中近く、つまりぼくから少し離れた場所に、突然に出現したんだ。そしてそれは、かなりのスピードでこっちに向かってきた。出てきた位置が近くだったこともあって、ぼくは不意を突かれる形になった。さっきも思ったばかりだけど、探知に頼りすぎなのは良くないな……。

 反省の言葉を頭に浮かべながらも、ぼくはなんとか迎撃の体勢をとろうとした。けど、その何者かは、もうすぐそこまで近づいている。ちょっと間に合いそうもない。ヤバっ、不意打ちを食らったかも。右手で剣を抜きかけたところで、ぼくは右の脇腹あたりに体当たりを受けて、地面の上に転がった。

 倒れた痛みは感じたけど、ぶつかられた脇腹は、そんなに痛くはなかった。あれ、もしかしてこれ、致命傷ってやつ? 致命的な傷を受けると、かえって痛みを感じない、なんて話も聞くよね。ぼくの経験上では、そうでもないんだけど、だけど痛みを感じる部分もまるごと壊されてしまったとしたら、そうなってもおかしくないのかも。だとしたら──。


「ユージ!」


 だけど、そこに響いてきたのは、懐かしい声だった。


「ユージ、ユージだ!」


 そう叫びながら、革鎧の上から、ぼくをぎゅーっと抱きしめてくる。手足をじたばたさせたけど、なかなか放してはくれなかった。体は小さいのに、けっこう力が強いんだな。諦めて力を抜くと、その子は体の位置をぼくの正面にずらして、ぼくの胸に顔をこすりつけてきた。


「会いたかったよ、ユージ!」


 目の前にいたのは、ストレアの迷宮でともに戦ったあの女の子──アサシンの、アネットだった。



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