第219話 まるで猫のように
しばらくの間、アネットは彼女の顔や体を、ぼくにこすりつけてきた。
まるでマーキングでもするかのようで、なんだか、よくなついている猫みたいだった。アネットって、こんな性格だったっけ? ちょっとあっけにとられたものの、だけどやっぱり、ぼくもうれしかった。なにしろ、本当に久しぶりの再会だったから。
彼女の格好は、迷宮の時のような冒険者装備ではなく、黒っぽい色の暗殺者姿だった。光の乏しいこの世界には、このほうがぴったりかもしれない。彼女なら、直前まで探知にかからなかったのも不思議ではないな。周囲を警戒して、隠密スキルを使っていたんだろう。そして、ここにいるのがぼくと気づいて、スキルを解除した。その結果、いきなり探知に反応が現れたんだ。
彼女の腕の力が緩んだところで、ぼくはようやく、地面から体を起こすことができた。
「ぼくも会いたかったよ、アネット。ところで、君はどうして、こんなところに──」
と、言いかけたところで、ぼくはとても嫌な想像をしてしまった。
もしかしたら、本当にもしかしたらだけど、彼女も死者なのでは? だってそうでなければ、こんなところに現れる理由が──。
けどすぐに、ぼくは近くで倒れている冒険者たちのことを思い出した。
「もしかして、あの人たちと一緒に、ここに調査に来たの?」
ぼくの問いに、アネットはゆっくりとうなずいた。そうだった。美波は、調査に入った冒険者のパーティーは五人組だと言っていた。あそこに倒れているのは四人で、一人足りない。そして、彼らが殺されてからさほど時間は経っていないんだから、残りの一人は、まだ近くにいると考えるのが自然だろう。
アネットは特定の冒険者パーティーには入っていなかったと思うけど、五人組のうちの一人は臨時のメンバーだ、とも話していたと思う。こういう任務でメンバーを追加する場合、大きな火力の魔術師を加える手もあるだろうけど、ぼくだったら斥候タイプを選びたい。中に何が待っているかが全くわからないんだから、まずは火力よりも情報だろう。アネットは戦闘力もそれなりにあるけど、隠密と探知が得意だ。こういう場所を探りながら進むのには、とても向いている。そのための要員として、求められてもおかしくはない。
待てよ。アネットは暗殺者だ。ジョブがアサシンと言うだけではなくて、実際に暗殺者としての仕事もしていた。そんな彼女がパーティーに加わるということは……もしかして、彼女は仲間になったふりをして、冒険者たちを暗殺した可能性もあるのか? いや、それはないな。四人の死体についていた傷は、剣か大剣でつけられたもの。アネットが使っていたのは、小剣の中でも小ぶりなタイプだった。今持っているのも同じ武器で、傷痕とはまったく合わない。犯人は、彼女じゃない。
ぼくは少し安心して、アネットに尋ねた。
「そうだったんだ。アネットは索敵が上手いもんね。それで、あの四人なんだけど、どうして殺されてしまったんだろう。どんなやつが襲ってきたのか、わかる?」
「ここで四人が休んでいたら、そいつらが暗闇の向こうから近づいてきたんだ。三人、いや四人組のパーティーで、前衛二人、後衛も二人だった。前衛の一人は、とても派手な格好をしていたよ。装備としては普通の装備なんだけど、なんていうか、色がね……。そいつらが突然、襲ってきた。
戦いは、あっという間に終わったよ。このパーティーもかなりの実力者揃いだったと思うけど、彼らの力はそれ以上だった。ユージも、気をつけた方がいい」
「そうか……」
おそらく、その四人も死者なんだろうな。さっき戦ったベルトランとセバスも、パーティーとはちょっと違うかもしれないけど、二人で組んで動いているようだった。死者がパーティーを組んでいてもおかしくはない。美波たちが会った大高たちも、四人一緒に行動していたらしいし。
「アネットは、よく無事だったね」
「ぼくはその、ユージが言った索敵のために、パーティーから少し離れた場所にいたんだよ。だから、戦わずにすんだ。でも、もしもぼくが戦いに加わったとしても、結果は同じだったと思う……この人たちには、申し訳ないけどね。それに、本当にあっという間だったし」
アネットは答えた。このあたりは、さすがは暗殺者というか、判断がクールだな。まあ、そこまで親しくしていない人たちのために、自分が死ぬとわかっている戦いに突っ込んでいくかと言われると、ぼくもしないと思う。前の世界にいた頃ならともかく、この世界に来てしまってからはね。
あ、暗殺者と言えば、
「そういえば。暗殺者ギルドの方は、どうなったの?」
「……ごめん。組織のことは、あまり話せない。話したら、ユージにも迷惑がかかるかもしれないから」
「あ、そうだよね。こっちこそ、変なこと聞いてごめん」
「けど、安心して。ユージを暗殺しろと私に命令した男は、もう死んだから」
そう言うと、アネットは、ぼくが見たこともないような晴れやかな笑顔を浮かべて、再びぼくに抱きついてきた。
「だから、これからは一緒にいられるよ。あの時の、約束どおりに」
あの時の約束。アネットは、ぼくと一緒に過ごした最後の夜、こんなことを言っていた。「いろんなことを清算できたら、その時は、ユージと一緒にいたい」って。そうか。さっきは詳しいことは話せない、と言ってたけど、きっとうまくいったんだろう。その、「清算」というやつが。だからアネットは、ぼくの元に現れた。そうして、それまで抑えつけてきた感情を、爆発させたんだ。
なんだか胸がじーんとなってしまって、ぼくの方からも、アネットの体を抱きしめた。アネットは目線を上げると、両方の目をつぶって、ぼくに向けて首を伸ばしてきた。
そうしてぼくたちは、あの夜以来となる、深い口づけを交わした。
少しでも離れてしまいたくない気がして、しばらくの間、ぼくたちはその格好のままでいた。そうしていた時間が、ちょっと長すぎたかもしれない。唇が離れた時には、お互いの顔に、照れ笑いのような笑みが浮かんでいた。
それをごまかすように、アネットが尋ねてきた。
「ところでユージの方は、ここで何してたの?」
「精霊のフロルには、君も会ったことがあるよね。そのフロルに、頼まれたことがあって」
「フロルって、あのすごい魔法を使った、精霊様だったっけ。頼まれごとって、こんなところで?」
「うん。正確には、まだずっと奥に行かなければならないらしいんだけど」
ぼくはフロルが飛んでいった方向に首を向けて、
「でも、アネットは帰った方がいいな。まだかなりの日数がかかると思うし、この先には、とんでもない強さの敵が待っているはずだから。先にここを出て、さっきの四人が死んだことをギルドに報告した方が──」
「嫌だ!」
驚くほどに激しい口調で、アネットがぼくの言葉をさえぎった。
「だって、約束したじゃない。これからずっと、ユージと一緒にいるって。どんなことがあっても、ぼくはもう離れたりしないよ!」
そう言って、もう一度ぼくを抱く腕に力を込める。ぼくは笑いと共に、痛ててと声を上げてしまった。
「わかった、わかったよ。……正直に言えば、ぼくも一緒にいたいし、一人だと夜営にも不自由するから、アネットがいてくれた方が助かる。でも、いいの? 本当に危険だと思うよ」
「いいの! ぼくが決めたことなんだから」
「ありがとう。実はね。フロルに頼まれたことというのは──」
その時、不意に襲ってきた「何か」を感じて、ぼくたちは思わず悲鳴を上げ、抱き合ったまま地面に伏せた。
それは、直接的な「力」ではなかった。だけど確かに、自分たちを包む大気、自分たちが立つ大地が揺るぎ、きしむような音を立てたのを感じたのだ。それはまるで、空間そのものがゆらいでいるかのような、不気味な感覚だった。ぼくたちには想像もつかないような、巨大な力と力とのぶつかりあい──はるか遠いところで起きた衝突の余波が、ここまで到達したのに違いなかった。そのゆらぎそのものは、しばらくすると弱まってきたものの、そこから生じた違和感は、一向に収まる気配を見せなかった。
アネットも、ぼくが見ていた方向に顔を向け、呆然としてつぶやいた。
「ユージ、これって……」
「急いで出発しよう。どうやら、フロルたちの戦いが始まったみたいだ」
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