第220話 甘い生活

 魔力の源と思われる方角に向かって、ぼくたちは走り始めた。


 フロルが言ったとおり、どこに向かえばいいかは、簡単にわかった。遠く離れているとは言え、あの異常な力の場所は、間違いようがない。ただ、フロルは急ぎ足で1週間ほどだろう、と見積もっていたけど、ぼくは最初から走って行くことにした。なにしろ、これほどまでの魔力の大きさだ。フロルだって、いつまでこんなことをし続けていられるか、わかったもんじゃない。

 それに、ステータスだけを見れば、ぼくの体力はかなりのものになっている。うまくペース配分すれば、一日中ずっと走り続けることだってできるだろう。


 と思ってたんだけれど、これは少し、アネットにはきつかったらしい。しばらくすると、走りながらぼくの横に並んで、

「ユージ、ユージ! ちょっと、休まない?」

と声をかけてきた。

 あれ、でも彼女は、体力もけっこうあったんじゃなかったっけ。どれどれ……。あ、まだだめだ。鑑定スキルが正常に戻っていないらしく、発動しようとするだけで、頭が痛くなってくる。まあ、彼女は何日も異界で過ごしてきたんだから、少しずつ体力が削られているのかもしれないな。

 しかたなく、ぼくは足を止めた。アネットもぼくの隣で立ち止まって、荒い息をしている。うーん、でもこっちはまだ、余裕がある感じなんだよな。ぼくとしてはもう少し、走っていたいかも。

 よし。こうなったら、

「きゃっ!」

 アネットの、小さな悲鳴が上がった。ぼくが彼女を、胸の前に抱き上げたからだ。前の世界で言う、いわゆる「お姫様だっこ」。そしてその格好のまま、再び走り始めた。ぼくは体力だけでなく、筋力のステータスも高いからね。女性一人を抱えるくらい、全く苦になりません。

 アネットは少し顔を赤くしたけれど、すぐに手をぼくの首に回して、ぼくの胸に顔をくっつけてきた。口元には、わずかに笑みが浮かんでいる。そういえばストレアの迷宮でも、こうして彼女を抱いて走ったことがあったっけ。その時のことを、思い出したんだろうか。


 そうしてしばらく走っていると、またもやアネットからストップがかかった。

「ユージ、ちょっと、止まって」

「どうしたの? もしかして、気持ち悪くなった?」

 ぼくは尋ねた。走った時の震動で、乗り物酔いみたいになったのかな、と思ったんだ。なるべく揺すらないよう気を使ってはいたんだけど、限界はあるからね。だけど、アネットは首を振って、

「もう、ずいぶん長い間、走っているよ。そろそろ休んだ方がいい」

「え、そんなことないだろ」

「何言ってるの、もう夜だよ。走り出してから、2時間以上は経ってるんだから」

 アネットは懐から、表札くらいの大きさの魔道具を取り出した。円形に文字が刻まれた中心に、回転式の針が二本ついている。時計の魔道具らしい。時針だけでなく分針もついているうえに、円形のガラス(この世界では貴重品)で文字盤を覆っているから、けっこうな高級品だな。あ、その文字盤の下に、もう一本の針がある。細長い菱形の針が、同じく円形のガラスの中に、ふらふらと浮かんでいるんだ。魔道具の向きを動かしても、針の指す方向は変わらない。

 あ、もしかしたらこれが、「方位を示す魔道具」ってやつなのか。時計つきだったんだね。ギルドからAランクパーティーに貸与されたと聞いたけど、アネットが持っていたんだ。

「今、何時?」

「もう、夜の七時に近い」

 それを聞いた途端、なんだか急にお腹が減ってきた。そういえば、宿の朝食を食べて以来、何もお腹に入れていなかったっけ。

「まだまだ、先は長いんでしょ? 動く時に動くのはいいけど、休む時は休まないと」

 それもそうだな。急ぎたいのはやまやまだけど、あと一週間はかかると言われてるんだ。不眠不休で行ける距離じゃない。ぼくはうなずくと、走るのをやめて、アネットを下に下ろした。止まってと言ったのはアネットなのに、地面に降りる段になると、彼女はぼくの首に巻いた腕を、なかなかほどこうとはしなかった。


 適当な場所を探して腰をかけ、ぼくはマジックバッグの中から、調理済みの食事の皿をとりだした。長丁場になりそうなことは、フロルから予め聞いていたので、ここに来るまでの街で、おいしそうな食事を大量にストックしてあったんだ。

「アネットも食べない?」

「もう、マジックバッグのことは隠そうとはしないんだね」

 バッグからでてくるほかほかの料理を見て、なんだかおかしそうに笑う。そして、

「でも、ぼくはいいよ。ユージと会う前に、もう食べていたから」

「食べたと言っても、どうせあの携行食糧だろ。まずいし口当たりは悪いし、あれを食べても食べたって気にならないんだよね。栄養はあるんだろうけど。

 食料はけっこう余分に買ってきているから、遠慮しないでいいよ」

 アネットは少し迷った後で、

「わかった。じゃあ、ユージのおすすめのをちょうだい」

とうなずいた。ぼくは、ぼくの前にあるのと同じ、ソードボアの焼き肉定食を取り出して、彼女に渡した。これ、生姜焼きみたいな味付けで、けっこうおいしかったんだよね。あ、ライトの魔法をやっておくか。味というのは、目から入る情報も大事だ、って聞いたこともあるし。では、いただきます。……うん。なかなか。鮮度保存のマジックバッグのおかげもあって、やっぱりおいしいです。アネットはどうかな、と様子を見てみたけれど、さすがに二食目とあって、ちょっと口に入れるのが苦しそうだった。でも、

「……ああ、あの時も、こんなことがあったなあ」

と、懐かしそうな、幸せそうな顔もしている。あの時って、ストレアの迷宮で、小部屋に籠もっていた時のことだよね。うん。懐かしい。


 食事を終えると、アネットはすぐに立ち上がって、明かりの外へ出て行こうとした。どうしたの、と尋ねると、

「トイレだよ。絶対、見に来たらダメだからね」

「わかってるよ」

 そんなこと、するわけないじゃない。何を当たり前のことを……。と思ったんだけど、そういえばストレア迷宮では、いわゆる下のお世話もしてたんだっけ。アネットの体が動かなかったからなんだけど、今思い出してみると、赤面ものだよな。お互いに。

 アネットは、ぼくからかなり遠く離れたところまで行って、用を足したみたいだった。そこまで用心しなくてもいいのに。


 この異界は、見渡す限り荒野の世界で、どこに行っても、環境はそれほど変わらない。場所を吟味しても意味がないので、この日は、食事をしたその場所で泊まることにした。マジックバッグからテントを取り出すと、アネットがちょっとびっくりしたような声を出した。ここまで説明に出てこなかったけど、ものとしては、けっこう立派な品なんです。マジックバッグがあるから、大きめのサイズでもだいじょうぶだしね。その分、人目のあるところでは使えないんだけど、ここではその心配はしなくてもいい。

 そしてもう一つ取り出したのが、テントの中に敷くベッドだ。アラネアの糸製のやつ。そういえばこれも、アネットと一緒にあの迷宮で見つけたものだったっけ。マザーアラネアのベッドはカルバート王国の人に渡して魔道具のコートになってしまったけど、それ以前に入手していた普通のアラネアのベッドは、手元に残していたんだ。マザーアラネアのものには劣るけど、これもけっこう、クッション性はいい。テント泊用には十分というか、ちょっと安めの宿屋のベッドより快適なくらいだ。

 あれ? そういえば、

「アネットは、テントは持っていないの?」

 ぼくは彼女に尋ねた。彼女が背負っているのは小さな背嚢一つで、テントなどの道具が入っているようには見えなかったからだ。アネットは、あ、と声を上げて、

「……しまった。たぶん、あそこに置いたままだ。ほら、ぼくとユージが会った、あの場所」

「ああ、さっき四人組パーティーが倒れていたところか。もしかしたら、あの人たちのテントに入れてもらっていたの?」

「うん。魔術師の一人が女性だったから、その人と一緒に」

「そうかあ。でも困ったな。今から、あそこに戻るわけにも行かないし。簡単なやつなら、予備は持ってるけど……」

 正確には戻れないことはないんだけど、それではここまで走ってきたのがまったくの無駄になってしまう。ぼくが腕組みをしていると、アネットが言った。

「ねえユージ。ぼくは、ユージと一緒でもいいよ」

 顔を上げると、アネットは真剣な表情で、ぼくをじっと見つめていた。

「……スペースも寝袋も、一人分しかないよ」

「うん。それで、いい」

 そう答えて、少し頬を赤くさせる。

 女の子にここまで言わせたら、こっらからも、応えなくてはね。ぼくはアネットのそばに寄って、彼女の体をやさしく抱きしめた。

「……ぼくも、アネットと一緒に夢が見たい。一緒に寝てもいい?」

 アネットは黙ってうなずき、ぼくの体に手を回した。


 その夜、ぼくとアネットは再び、一つになった。


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