第92話 囚われの精霊
「あー、もう!」
ぼくはテントの中で跳ね起きた。
さっきからうつらうつらとはしてるのに、どうしても眠ることができなかったんだ。
原因ははっきりしている。つけっぱなしの探知スキルに入ってくる、魔物の気配だ。
気配が近づいてくるなら迎撃するし、遠ざかるなら放っておけばいい。ところが、その気配はちょっと変わっていた。そいつは一カ所に止まって、まったく動かなかったんだ。寝る直前、探知の範囲を広げた時に気がついたので、それほど近くにいるわけではない。だけど普通の魔物なら、こちらに気がついて、逃げるなり近づくなりの反応があってもおかしくはない、そんな距離だった。
最初は、もしかしたら気配に鈍感な魔物が眠っているのかな、と思っていた。それなら、いいや。探知の範囲を狭めてしまうか、それとも、反応はうるさいけどこのまま眠っちゃうか……だけどそのうちに、もっと奇妙なことに気がついた。
その気配が、時々、二つに増えているんだ。
正確に言うと、元からある気配はまったく動かない。けど、後から現れた小さな気配は、一つ目の気配のすぐ近くで、震えるように動いていた。かと思うと、これも突然に、そこから消えてしまう。そしてしばらく経つとまた現れ、ふるふる震えては消え失せる。そんなことが繰り返されていた。そして二つ目の気配の方は、少しずつ小さく、弱くなっているように感じた。
このことに気づいたぼくは、気配の動きがどうしても気になって、眠れなくなってしまった。そしてとうとうテントを出て、その正体を確かめに行くことにしたのだった。
◇
「ああ、なるほど。そういうことか」
問題の場所についたぼくは、思わず納得の声を上げた。
目の前にあったのは、人の背丈くらいの大きな草だった。名前は確か、ハングリーフラワー。存在は知っていたけど、目にするのは初めてだ。
元の世界で言うと、ハエトリソウにそっくりな外観をしている。ただし大きさはぜんぜん違って、こちらのほうがずっと大きいけど。生態もハエトリソウに似ていて、葉の部分が罠になっており、小さな獣などがここに乗ると、葉がパタンと閉じて中に閉じ込めてしまう。そして、檻となった葉の内側からにじみ出る消化液によって、獲物を消化吸収してしまうのだ。普通、獲物になるのは獣や魔物だけれど、変異種になると霊体を捕食するものもあるらしい。
自分ではほとんど動かないし、大きさの関係から、ヒトが被害に遭うこともまずない。魔物と呼んでいいのかどうか微妙な感じもするけど、小さな魔石が根っこのあたりにあるため、分類上は魔物とされている。これが、動かない気配の正体だった。
「で、もうひとつの気配が、こいつか」
それが閉じ込められている葉っぱの檻の外側を、ぼくはつんつんと指でつついた。するとそいつは、びっくりしたような表情を浮かべて、ぼくの頭の中に呼びかけてきた。
<あなた、私が見えるの?>
それは、小さな女の子の姿をしていた。ほっぺたがぷにぷにした、人間なら小学校低学年くらいの容姿なんだけれど、身長は十センチを少し超える程度。ちょうど、てのひらに収まるくらいの大きさしかない。緑色の上着に、葉っぱが重なったような形のスカート姿で、背中には羽根が生えている。体の全体が半透明になっていて、背後の景色がうっすら透けて見えていた。精霊だった。
精霊術を学んで以来、ぼくは意識をすれば、精霊の存在を感じ取れるようになっていた。けれど、精霊というのはたいてい、ふわふわと宙を漂う、ぼんやりとした光のような存在だ。こういう、具体的な形になっているのは初めて見たし、精霊術師にだけ通じるテレパシー的なもの(「念話」と呼ぶらしい)で呼びかけられたのも初めてだった。
「ああ。一応、精霊術も覚えてるしな」
ぼくが答えると、彼女(と、呼んでおくことにする。精霊に性別があるかどうかは、わからないけど)は
「お願い、助けて欲しいの! このままだと私、こいつに吸収されて、消えてしまうの!」
と大きな声で叫んだ。そして、檻の格子になっている、ハングリーフラワーの葉の長いトゲを両手で握って、前後左右に揺さぶった。あれ? いつの間にか、女の子の姿はそのままに、全体の透明感がなくなっている。それに、ちゃんと声がしたぞ? 今の彼女のセリフは念話ではなく、精霊術師でなくても聞こえる、物理的な『音声』そのものだった。
「……もしかして、実体化したの?」
「そうなの。だけど、ダメなの。実体化しても霊体に戻っても、どうしてもここから出られないの。魔法を使おうとしても、この中だと、弱い魔法は乱されちゃうみたい。強い魔法を使ってもいいんだけど、ちょっとお腹が減っててね。無理に使うと、わたしの方が消えちゃいそうな気がするし……」
これで、二つ目の気配の謎が解けた。この精霊は、どうにか檻から逃げようとして、実体化したりそれを解いたりを繰り返していた。そのために、探知に掛かる気配が出たり消えたりしていたんだ。霊体的なものは、探知の対象外だからね。そして反応が次第に弱まっているように思えたのもぼくの勘違いではなくて、実際に食べられている途中だったわけだ。
それにしても、精霊を食べるということは、このハングリーフラワーは変異種なんだな。一度に二つも、レアなものを見つけてしまった。
「ねえ、助けて!」
「と、言われてもなあ。うーん……」
ぼくはうなった。このハングリーフラワー、ぼくを襲ってこようとしたわけじゃないし、討伐依頼が出てるわけでもない。ぼくとは直接、関係のない魔物なんだよな。
テレビ番組なんかで、ライオンに襲われそうになったシマウマが危うく逃れる、なんて場面を見ることがある。そしてそこに「よかった! シマウマは、危ないところを助かりました」なんてナレーションが入ったりもする。けど、ライオンがシマウマを食べるのは、自然の摂理なんだよね。
シマウマが助かり続けて「良かった」ばかりになってしまえば、ライオンは餓死してしまう。そういうのを喜ぶのは自然愛護ではなくて、どっちかというと、ペットをかわいがる心理だろう。自然を愛するのなら、ライオンとシマウマはイーブンに見てあげないと。
とはいえ、実際問題として、女の子の姿をしたものが目の前で消化されそうになっているんだ。これを見逃すのも、ちょっとなあ……。
ぼくが迷っていると、彼女はせっぱ詰まった表情になった。
「わかったの! 助けてくれたら、あなたと契約してあげるの!」
「契約? 契約ってなに」
「え? あなた、精霊術が使えるのよね。なのに、知らないの?」
「うん、術は習っていたんだけど、中途半端で終わっちゃって……」
この答に、彼女は一転して、あきれたような顔つきになった。
「精霊と契約したら、その精霊が精霊魔術に協力してくれるの! これは、とっても強力な魔術なのよ。たくさんの魔物を、一度に倒せたりするんだから! まあ、その精霊がどれだけ契約者のことを気に入ってるかとか、契約者がどれだけ精霊術が上手か、にもよるんだけど。
その代わり、精霊はほんの少しだけ、契約者の魔力を食べさせてもらうんだけど、これはたいしたことはないわよね!」
なぜか途中からどや顔になって、彼女は説明を終えた。
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