第205話 静寂の王都(1)

 さわやかな風にほおをなでられて、ぼくは目を覚ました。


 ぼくが上半身を預けていたのは、桜に似た花を咲かせる木の幹だった。もう五月の半ばだから、桜だとしたらかなりの遅咲きだ。まだ春の盛りのはずなんだけど、西に傾きつつある太陽は強い陽光をまき散らして、周囲の木の葉をまぶしく輝かせている。それでも、五月の風が運んでくれる空気は、まださわやかな涼しさを保って、ぼくの体を包んでいた。体調はというと、すこぶる良好。なんていうか、体中から力が湧いてきて、今までにないくらいに調子がいい、そんな感じがする。


 正面の木々の間からは、遠くイカルデアの城壁の姿が見えた。


 イカルデアの街の外に、小高い山が一つあったな。城壁を見下ろす位置にいると言うことは、どうやらぼくは、その山の上にいるようだった。山の中とはいえ、王都のすぐ近くと言うこともあって、騎士団や冒険者たちの手によって、危険な魔物のたぐいはほとんど狩り尽くされている。こうして不用心に寝ていても、それほどの危険はなかったんだろう。

 ぼくは起き上がろうとして、手も足も自由に動かせないことに気づいた。見ると、両手首と両足首に金属の輪っかがはめられ、その間が鎖でつながれていた。よく罪人がはめられている、手かせ、足かせというやつらしい。それでもなんとか上半身を起こしながら、これまでのことを思い出そうとした。


 ぼくは、あれからどうしたんだっけ。


 はっきり覚えているのは、メイベルと一緒に地下の川を進んだことだ。行った先は柵でふさがれていて、近くにあった踊り場のようなところに上がった。そこで突然、彼女が服を脱ぎだしたので、その先のあった階段は、ぼくが先に立って上っていったんだ。そして……。

 覚えているのは、そこまでだった。その後のことは、よくはわからない。ずっと気を失っていたわけではなくて、途中から起きてはいた。ただ、なんだかうつらうつらして、夢心地だったような気がする。そうだ。途中で何かが顔に当たって、それで少し、意識が戻ったんだ。そうしたら、ぼくは檻の中にいて、周りにたくさんの人がいた。檻を囲っている金網にがんがん石が当たっていて、網をすり抜けたらしい小さな石が、膝の前に転がっていた。

 次に気がついた時は、ぼくは木製のステージのようなものの上で、ひざまづかされていた。ステージの周りは、観衆で一杯だった。彼らは口々に何か怒鳴りながら、こっちの方を見ていた。ぼくの隣には、どこかで見たような騎士が立っていて、そいつは大剣を振りかざして、独り言のようなことをつぶやいていた……。

 ずっと、嫌な夢を見ていたような感じで、現実感はまったくない。何かの魔法をかけられたような、そんな気がする。意識がもうろうとして、動けなくなるような魔法を。石を当てられたことで、その魔法がちょっとだけ破れたんだろう。ということは、たぶん、あれは現実だったんだ。


 ぼくがあのステージの上で、首を切られたことも。


 でも、だとしたらどうして、ぼくはこんなところにいるんだろう。

 ぼくが生きているのは、まだわかる。例の「蘇生」スキルのおかげだろう。いや待てよ、それもおかしいのか。ステージの上で騎士に殺されたと言うことは、国がぼくを処刑したってこと。そしてこの国は、ぼくがこのスキルを持っている事を知っているんだから、一度死んだからといって、そのまま放り捨てたりはしないだろう。生き返るのを待って、また殺していたはずだ。なのになぜ、そうしなかったんだろう。

 もっと不思議なのは、ぼくがこんな場所にいることだ。地下道を出るのにあんなに苦労したのが嘘のように、ぼくはイカルデアの城壁を越えて、静かな山の中にいる。いったいどうやって、ここに移動したんだ?


 なんだか、ついこの間も、似たような状況になっていたような気がする。けど今回の謎は、すぐに解けることになった。

「ユージ。気がついたようですね」

 ぼくの前に光が灯り、一人の女性が中空に現れた。フロルだった。いつもの、ちんちくりんの女の子ではない。腰まで届く長い髪と、人間離れした美しい顔立ち。久しぶりに見る、大人の姿のフロルだった。

「あ、フロル! もしかして、君がぼくを助けてくれたの?」

 ぼくが尋ねると、フロルはうなずいた。

「はい。あのままでは、大変なことになると思いましたので」

「ありがとう。でも、だいじょうぶだった? ぼくの周り、人で一杯だっただろ。助ける時に、精霊の姿を誰かに見られたりしなかった?」

「いえ、その点はだいじょうぶでした」

 フロルはにっこりと笑って、首を横に振った。精霊って、契約者以外の人には姿を見られたがらないと聞いていたので、こう尋ねてみたんだけどね。実体化しない霊体のままでも、ぼくを運ぶ手段があるのかな。もしかしたら、ぼくが処刑台からふわふわと空中に浮かんで、そのままどこかに飛んで行ってしまう、なんてミステリーな体験を、王都の人たちにさせたんだろうか。


 ぼくは膝を立てて、もたれていた木から立ち上がろうとした。と、その前に、この手かせ、足かせを外しておきたいか。もちろん鍵なんて持ってないから、風魔法か何かで、力尽くで切るしかないのかなあ。あ、もしかしたら、「罠操作」のスキルでなんとかなるのかな? ……わりと簡単に外れました。やっぱりこの世界では、錠前っていうものは、あんまり効果的ではないみたいだね。スキルがある人を相手にする場合は。

 そうして改めて立ち上がり、パンパンとズボンのおしりを叩いて、着いていた砂を落とした。これでやっと、自由になれた。

 それにしてもなあ。まさか、あんな事になるとは思わなかったよ。


 まさか、王女様の前から逃げ出したと言うだけで、死刑になるなんて。


 いや、違うか。聖剣を盗んだ犯人、にされてるのかな。一応あれは、彼女がぼくにくれると言って、受け取ったものなんだけどね。それに、個人的にはあんなもの、いらなかったし。あ。もしかしたら、魔法障壁を壊した共犯者であることも、もうばれてるの? だとしたらヤバいな。あんなものを壊したとなれば、向こうからしたら確かに重罪人だ。城から逃げるためだったとは言え、あれに手を貸したのは、失敗だったかなあ。

 そういえば、ぼくの今の扱いってどうなってるんだろう。刑の途中で、逃げ出したことになっているのかな。一度は首を落として、刑の執行はされたはずだけど、それで終わり、とはさすがになっていないと思う。その場で生き返ったはずだからね。

 ぼくの体が浮き上がって空に消えた(かどうか、ほんとはわからないけど)のを、「神の奇跡だ。もうあいつには手を出さないようにしよう」とでも思ってくれればいいけど、「怪しげな魔術だ。やっぱりあいつは、魔族とつながっていたに違いない」とか言ってきそうだよな。たぶん、あの国なら。

 あれ? これって、すぐに逃げないとまずいんじゃない?

「じゃあ、ぼくは今すぐ、この国から逃げた方がいいよね」

「いえ。それもだいじょうぶかと思います」

「どうして? だってぼくは、死刑の途中で、逃げ出したことになっているはずだよ。フロルがどうやって逃がしてくれたか知らないけど、たぶん王国の人間、騎士団の人あたりが追いかけてくると思うんだ」

「だいじょうぶです。なぜなら」

 フロルは、静かな口調で答えた。


「なぜなら、この国は滅びましたから」


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